第四話 バクとナイトメアの話

「ねえ、痛いよラルフ君。離してよ」

 露店が建ち並ぶ人込みの中を、ラルフ君はオレの腕を掴んだまま猛烈な勢いで歩いていた。

「ラルフ君ってば!」

 大きな声を出して叫ぶと、彼は急に立ち止まり怒った顔で振り向いた。

「いいか、メグ。おまえは迂闊に人を信用しすぎる。あんな得体の知れないヤツの話なんか聞こうとするな!」

 その理不尽な言い草に、オレは腹が立つというよりもむしろがっかりしてしまった。

「彼は別に悪い事を言っていたわけじゃなかったと思うよ。むしろ、正しいことを言っていたような気がする。すべての民は平等であるべきだ。それのどこがいけないの?」

 すると、ラルフ君は苛立ったように自分の髪の毛をわしわしと掻きながら叫んだ。

「話自体を非難しているわけじゃない! ただ、むやみに首を突っ込んで欲しくないだけだ!」

 このとき、たぶんオレの口はルリアのごとく、ぐっとへの字に曲がっていたに違いない。骨董屋の日除けの下で平静さを取り戻そうと務めたが、彼の言いようが話の本質的な部分から遠ざかろうとしているみたいに思えて、なんだかそれが途方もなく煮え切らない気持ちにさせた。

 もともと、ラルフ君は聖エセルバートを崇める魔法教徒に対して、どことなく軽蔑している節があった。裏切り者の惰聖人を敬う人々を平等に取り計らうことは、何もラルフ君に限ったことではなく、多くのル・マリア教徒にとって哄笑を誘う実に馬鹿げた行為なのだろう。彼らにとって、聖エセルバートや魔法教徒を愛せよと説く宣教師ル・カインの存在は、単に侮蔑の目を向けるだけの対象にほかならないのだ。

 オレが口を噤んだまま俯いていると、ラルフ君は弱りきった声で言う。

「頼むからそんな顔をしないでくれ。おまえにそういう顔をされたら、俺はどうしていいかわからなくなる」

 顔を上げて見ると、年の離れた幼馴染は実に困り果てた様子でオレのことを見下ろしていた。親身に注がれる優しいその眼差しから、心底心配してくれているのだということがはっきりと見て取れる。オレはすっかり当惑させられ、無言のまま再び俯いた。そして、ラルフ君の優しさは相変わらず不器用だな、と思った。彼はいつもどんな時だって、無骨な物の言い方しか出来ないのだ。

「ありがとう。……心配してくれて」

 陽気な街人たちの声に掻き消されそうなほど、小さな声で呟いた。

 すると、ラルフ君はますます怒った顔をして、「だから! おまえのそういう純粋なところが心配なんだよ!」と声を荒げた。それから、あきらめたように肩を落とし、溜め息混じりに苦笑した。「でも、困ったことにそこがおまえのいい所なんだよな」

 オレたちは互いに顔を見合わせると、どちらからともなく笑いあった。つい今しがた二人の間に流れていた不穏な空気は、砂漠から運ばれてくる風によって嘘みたいに一掃された。



 人込みの中からようやくルリアを見つけ出すと、彼女は見るからに怒ってますといった形相でオレたちの前に仁王立ちした。

「二人ともどこに行ってたの? 勝手に迷子にならないでよ!」

 雪のような頬を真っ赤に染めて、泣きそうな顔で睨みつける二番弟子。たぶん、オレとラルフ君の姿がなかったことに気がついて、焦って探し回っていたのだろう。なんだか可愛そうなことをしてしまった。

「ごめんね、ルリア」

 あやまるオレとは対照的に、ラルフ君は呆れ顔で言い返す。「迷子だったのはおまえの方だろ?」

 すると、それが図星だったものだから、ルリアはますます頬を薔薇色に染めた。

「違うもん! あたしは迷子じゃなかったもん! ラルフの馬鹿! 大っ嫌い!」

「俺だっておまえみたいなガキは大嫌いだね!」

「インチキ科学者!」

「クソチビ!」

「魔法使えないくせに!」

「なっ……それは今関係ないだろ! おまえなんかリーブルの玩具のくせに!」

 その言葉を聞いた瞬間、ルリアは急激に顔を曇らせて俯いた。

 ここのところのルリアの様子はやはりおかしい。先生は身に覚えがないというが、二人の間には絶対に何かあったに違いない。

 異変に気づいたラルフ君が、勢いをなくしておろおろとし始める。

「おいっ……」

 二番弟子は口をへの字に結んだまま、顔を覗き込んできたラルフ君の頬を両手で思いっきり引っ張った。

「にゃにひゅるんらっっ!」

 言葉にならない叫び声が辺りに響き渡る。ルリアはバチンと音がするくらい勢いよく頬を離すと、普段どおりの高慢ちきな様子で言い放った。

「ばーか!」

「てめェ……」

 幼馴染の怒りが沸点に達したのを感じ取ったオレは、慌てて二人の間に割って入った。

「そ、そういえばラルフ君、今日は用事があるって言ってたけど時間は大丈夫なの?」

 すると、彼は弾かれたように目を丸くして飛び上がった。

「やべえ、すっかり忘れてた! 危うくリーブルに文句を言われるところだったぜ!」

 叫んでから、はっとしたように慌てて両手で口を押さえていたが、その行動は少しばかり遅かったのだ。オレたちは確実に耳に入れてしまっていた。『リーブルに文句を言われる』……確かにそう聞こえた。

「ラルフ君、これから一体どこに行くの? どうしてそこで先生の名前が出てくるの?」

 まるで話をはぐらかすかのようにして、幼馴染はオレとルリアから顔を背けた。「おまえら、そろそろ宿に戻った方がいいんじゃないか? いくらなんでももうこんな時間ならみんな起きてるだろ」

 挙動不審なその振る舞いに、ルリアが目を細めて顔を覗き込んだ。

「なんか怪しい。どこに行くのか言わないんだったらあたしたちついてっちゃうよ。ね、メグ?」

 すると、ラルフ君は物凄い勢いで首を左右に振り続けた。

「だめだ! だめだだめだ! 絶対にだめだ!」

「どうして?」

「おまえみたいなガキを連れて行ける場所じゃないからだよ!」

 半ばやけくそ的に返答され、ルリアはムッと頬を膨らませた。

「わかった! 明るいうちからエッチなお店に行く気なんでしょ!」

「誰が行くか! ていうか、おまえはこれから洗礼に行くんだろう? だったら早く宿に戻れよ!」

「洗礼は夜だもん。星明かりの下で行われるって知らないの?」

 そう言って、ルリアはラルフ君を逃すまいと彼の左腕に自らの腕を絡めた。オレも同じようにして反対側の腕を引っ掴んだ。

「ラルフ君、本当のこと教えてくれるよね?」

 オレたち二人の総攻撃に、彼はほとほと困り果てた表情で視線を虚空にさまよわせた。だが、どうあっても逃げられそうにないと思ったのか、やがて観念しましたと言わんばかりにがっくりと項垂れた。

「俺が話したってこと、リーブルには絶対に言うなよ」

「言わないよ。約束する」

 オレの返事に続けて、ルリアが胸元で星十字を切った。「聖女マリアに誓って」

 ラルフ君は大きな溜め息をつくと、街の向こうに広がるセド・ル・マリアの丘に顔を向け、ぶっきらぼうにこう言った。

「ペル・サラームの裁判所に行くんだ」

「裁判所?」

 オレとルリアは同時に目を瞬かせた。

「そんな所に何の用があるの? あ、もしかして変な研究のせいで訴えられたとか?」

 ルリアが間髪入れずに指摘すると、ラルフ君は力なく彼女を睨みつけた。「おまえなあ」

 そして、再び小さく溜め息を漏らしてから、真剣な表情で言葉を続けた。

「今日、裁判所でゴドウィンの異端審問が行われるんだ」

「え?」

 予想もしていなかった話の展開に、オレは言葉を失った。

「魔法祭のときにあいつが星降る森で悪魔を喚起した件でだ。悪魔に関わる魔法はマリア教の魔法に関する規約を違反している。俺は重要参考人として、彼を弁護するために証言をしに行くんだ」

 街の喧騒がこのときばかりは一瞬遠のいたかのように思われた。ラルフ君は胸ポケットから懐中時計を取り出すと、陽光を反射したガラス面にチラリと視線を落とした。

「俺が聖地に来た本当の理由はこれだ。この間おまえらがエデンに来たときに、リーブルから頼まれたんだよ」



 宿までの帰り道、オレの頭の中はゴドウィンさんのことでいっぱいだった。リーブル先生はなぜオレとルリアに裁判があることを教えてくれなかったのだろう? ラルフ君が証言をしに行くのならば、オレたちにもその権利があるはずだ。ゴドウィンさんの罪が少しでも減刑されるなら、オレとルリアだって絶対に裁判所に行って彼を助けるべきなのに……。

 先生は一体何を考えているのだろう……?



 カルマの宿に戻ると、今朝オレたちが座っていた席で、リーブル先生が朝食を食べているところだった。

「お帰り。街に行ってたの?」

「う、うん」

 思わず声が裏返る。いけない、普段どおりに振舞わなくては。

「……じいちゃんとばあちゃんは?」

「二人一緒に出かけたよ。デートじゃないかな」

 もしかしたら、じいちゃんたちはゴドウィンさんの裁判に行ったのではないだろうか? オレはあっという間に先生に裁判の話を尋ねたい衝動にかられた。しかし、ラルフ君と約束してしまった手前、その話題を持ち出すわけにはいかなかった。

 ルリアは先生と顔を合わそうともせずに、気難しい顔をしたままそっぽを向いていた。

「ルリアはまだご機嫌斜めなのかい? 僕に何か言いたいことがあるなら今ここで言ったらどう?」

「別に……言いたいことなんてありません」

 身を隠すようにして、二番弟子はオレの背後に回り込む。

 いつもの先生なら、「なんだいその態度は!」と強引に引っ張り出すところだが、今日はなんだか様子が違った。ルリアに視線を注ぐ先生の眼差しは、なにがしかの無防備な心の色を伺わせていた。しかし、それは例によって第三者に悟られる前に意図的にはぐらかされてしまう。彼はコーヒーを片手に新聞を手に取ると、何も言わずに記事の一角に視線を落とし、驚いたような声を上げた。

「大変だ」

 何事かと思い、横から一緒になって新聞記事を覗き込んだ。

『聖地のバク消える』という大見出しと共に、一面に鼻と上唇が長く突き出た真っ黒な妖獣の写真が掲載されていた。

「バクって、悪い夢を食べてくれる、あのバクだよね?」

 写真の横に掲載されている記事を声に出して読んでみる。

「人の夢を喰べて生きるバクは、悪夢を摘んで安眠を与えてくれる不可思議な存在だ。本来、セド・ル・マリアの丘の麓で番人によって護られているバクたちが、一頭残らず姿を消していたことが判明した――」

 背後から覗き込んでいたルリアが、ふいに思い出したように呟いた。

「そういえば、あたし最近なんだか変な夢ばっかり見るんだけど、何か関係があるのかな」

 オレも! と言いかけたが、慌てて口を押さえた。

 ルリアの言葉を聞いて、先生が新聞から顔を上げた。

「きっとバクが姿を消したのをいいことに、夢魔が悪さをしているんだよ」

「夢魔?」

 思わず反応してしまったルリアは、慌てて興味の無い振りを装った。それで、彼女の代わりにオレが尋ねるはめになる。「夢魔って何?」

「悪い夢を見せる悪魔の一種さ。人々からはナイトメアと呼ばれ恐れられている。ナイトメアは直接僕たちの体に危害を加えるようなことはしないけれど、人によっては精神を崩壊させてしまうほどの恐ろしい力を持っているんだ」

 先生の話し方が先程よりも随分と神妙だったので、ルリアはちょっぴり恐くなったのか唇をきゅっと結んで耳を傾けていた。それに気づいた先生は、彼女を安心させるように自分の言葉を補足した。

「精神的に不安定な人間にしか見えない悪魔だから、取り入れる隙を与えなければ何も心配はいらないよ」

 ルリアは自分が恐がっていたことを悟られて恥ずかしくなったのか、相変わらず何も言わぬまま先生から顔を背け、二階へとかけて行ってしまった。先生はそんな彼女の後姿を溜め息交じりに見送った。

 オレは再び新聞に掲載されている真っ黒な妖獣に視線を落とす。バクがこのまま見つからないとなると、人によってはナイトメアとやらのせいで、悪い夢を見続けることになってしまうのだろうか――。

「なんだかよくわからないけど、早くバクが見つかるといいね」

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