第六話 正体がバレた!

 夕暮れの森は燃えているみたいに真っ赤に染まっていた。小川から水を汲んだバケツの水面に、ゆらゆらとした教授の顔が映り込む。


『二人で幻のキノコを探しに行きましょう。約束よ、教授』


 約束ほど当てにならないことはない。約束は破られるためにある。だから、そんなもの交わすだけ無駄なんだ――。


 ふと気がつくと、水面いっぱいにウサギの顔が広がっていて、教授は驚いて仰け反った。いつの間にやら横からウサギがバケツの中を覗いていた。


「驚かすな! 一体いつからそこにいた?」

「ついさっき。教授がバケツの中を見たまま動かないから、中に何かあるのかと思ったよ。さては自分の顔に見とれてたのか? ナルシストも大概にしろよ」

「おまえと一緒にするな」

「なあ教授、一体どうしたんだよ。さっきからなんだか様子がおかしいぜ。もしかして、本気であの子に恋しちゃったとか? 懐中時計の女の子と似てるのか? やっぱり時計の中をちょっとだけ見せてみろよ」

「ああ、まったくうるさいウサギだな。ペットに見せる義理はない!」


 つれない返事にムッとして、ウサギはぴょんと跳ね上がると教授のシルクハットを奪い取った。


「こ、こら、何をするこの馬鹿ウサギ! 帽子を返せ!」

「どうせフラれた女なんだろ? 植物の気持ちしかわからない教授に、女の子の気持ちは理解出来ないだろうからな」


 おまえなんか、いつかシチューの具にして煮込んでやる――と思ったが、教授は穏便に済ませるため、フッと怒りをなぎ払った。


「悪ふざけはやめて帽子を返せ。こんな姿をミス・ジライマに見られでもしたら……」


 そのとき、二人の背後から「教授?」と声が降ってきたので、教授とウサギの心臓はいっぺんに跳ね上がった。声の主はジライマだった。誰もいないアトリエにひとりでいるのは恐いので後を追ってきたのだ。


 教授は咄嗟に両手でオオカミのような耳を覆い隠すと、唇を無理やり歪めて笑顔を作り、引きつったような声で言った。


「やあ、こんばんはミス・ジライマ! どうも今夜は満月のようですねえ! 今ちょうどウサギと立ち話をしていたところなんですよ」


 やっぱり変な人――。ジライマは心の中でそう思ったが、口には出さなかった。ちょっとくらいおかしくても、薄暗い森の中では一緒にいてくれた方がいい。


「晴れているから今夜は月がよく見えるかもしれないわね」


 どうやら、バレていないらしい――。教授は大きな溜息をついて夜の帳に感謝した。まさにそのとき、少し離れた木々の間からフクロウの鳴き声が響き渡った。


「きゃあああ!」


 驚いたジライマは悲鳴を上げて教授の首に抱きついた。


 教授は自分自身も驚いてドキドキしていたが、恐がりな少女の体が小刻みに震えていることに気がつくと、安心させるように言った。


「大丈夫ですよ、ミス・ジライマ。今のはただのフクロウです」


 落ち着きを取り戻し、我に返ったジライマは頬を赤らめ慌てて教授から体を離した。


「ごめんなさい。私、その、急に音がしたから驚いてしまって――」


 言いながら、自分の目を疑った。教授の頭に髪を掻き分けるようにしてオオカミのような三角の耳が飛び出ていたのだ。更には、ふさふさとした尻尾がコートからはみ出して背後でぱたぱたと動いている。


「ええと――」


 言い逃れをしようと教授は夕空へ目を泳がせたが、もはやそれが叶わぬ状況であることを悟っていた。ややしばらくあってから、フクロウも木から落ちるほどの勢いで少女の悲鳴が静かな森に響き渡った。


「ミス・ジライマ、君に危害を加えるようなことはしないから、どうか落ち着いて下さい」


「いや! こっち来ないで! 近寄らないで!」


 ジライマは恐怖に怯えた表情で元来た道を走って戻った。森の更に奥深くへ逃げ込もうと思ったが、真っ暗で恐ろしかったので、蝋燭の明かりが灯る森小屋に飛び入った。そして、居間の奥にある寝室に駆け込むと、扉を閉めて中に立て篭もった。


 追いかけてきた教授は、扉の前で懸命に説得を試みる。


「お願いだ、ミス・ジライマ。どうか僕の話を聞いてほしい」


 教授は狼男になってしまった不幸な生い立ちや、元大学教授で決して怪しい者ではないことや、人間だった頃から菜食主義で肉に興味がないことなど、のべつ幕なし一方的に喋り続けた。だが、扉の向こうはしんと静まり返ったままで、寝室からは何の反応も得られない。


 扉に寄り添って耳をすませていたウサギが、お手上げだと言わんばかりに教授を見上げた。


「この子が町に帰ったら、きっとまた狼男の新たなる恐怖伝説が生まれるんだな」

「……かえってその方が都合がいいさ。恐ろしい噂が広まれば、森に誰も近づかなくなる」


 言葉とは裏腹に、踵を返した教授の尻尾と両耳は、ひどく悲しげにしゅんと下を向いていた。

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