第20話 決めたんだ




最初からどこにも志弦の姿が見当たらない。そのことに初めから嫌な予感は感じていた。

宏自身もまだ納得できていなのだろう、つらそうに言葉を吐き出すのを見て祐輔の胸のうちがざわめく。


「どうにかして止める方法はないのか?」


たった一言いうだけで祐輔は苦しくなるほどに鼓動が激しくなり、呼吸が荒くなる。

次の言葉を宏の口から聞くのが怖かった。


「……どうしようもない。志弦姉ちゃんを止めるには精神干渉系の能力者でないと何も出来ない。でもそれを持っていた志弦姉ちゃんの母さんはもう自分の記憶も能力者だってことも覚


えてないんだ」


初めて会ったときのことが思い返される。

ほがらかに笑っていたあの女性はどう見てもただの一般人だった。


「……でも」

「ボクだって志弦姉ちゃんを助けたいよっ! それでも手段も時間もないんだ。せめて他に被害者がでないように抑えることしか出来ないんだよ……」


今にも泣きそうなほど宏の声が震える。

祐輔は何か手はないのかと、必死で足りない頭をフル稼働させていた。

必要なのは精神干渉系の能力。

精神に干渉することは自分の異能で可能なことはすでに体験済みだ。

うまくすれば志弦の記憶を戻すこともできることはあの時、恵美の言葉から保証されている。

問題は足りないといわれている出力の不足をどうするべきか考えたとき祐輔にとある考えが浮かんだ。

ドクリと鼓動が跳ね上がる。


――うまくすれば志弦を助けられる可能性があるかもしれない。


思い浮かんだのは宏が田淵と戦っていたときのことだ、宏が行った詠唱はいまも心に突き刺さっている。

いえることは宏が言葉をいい終わったあと、異能は宏が普段から行使している範疇を明らかに越えていたということだ。

周囲の時間をまるごと戻すなんてことを簡単に出来るわけではないだろう。

可能性の話だが、宏のした詠唱が祐輔も習得できるのなら、出力の問題をクリア出来るかもしれない。

思わず祐輔はゴクリと唾を飲み込んだ。まだ想像の域を脱していない段階だが、実現が出来るかもしれない可能性があるだけ嬉しいというものだ。


「もしもだけどさ。俺があのときのお前みたいな詠唱を出来たら志弦さんを助けることは出来ないかな」


うつむいていた宏の肩が震える。


「もちろん、お前みたいにすぐに成功は出来ないだろうけど、俺だって命を賭ける覚悟でやれば……」

「無理だね」


間髪いれず拒絶の言葉を放ってきた宏の返事はひどく冷たいものだった。


「命を賭けるってことは、賭けるなりの命の価値を持っている者だけがいえる言葉だ。おっさんがそれをしてもただの無駄死になるだけだよ」

「でもさ、俺はやりたいんだ」

「……あれは習得しようとして覚えられるものじゃないし、死ぬ可能性のほうが遥かに大きくてとても危険なんだよ。物覚えが悪いおっさんが仮に時間までに習得に成功して無事ですま


せられるとはどうしたって思えないね」

「俺の不出来さは俺が一番身をもって思い知られてる。だけど、いまここで俺が諦める理由にはならない」

「バカじゃないの! なんでおっさんはそこまでやりたがるの? このままゆっくり休んで事態が落ち着くまで待つだけでいいじゃん。誰もおっさんを責めたりしないよ、しょうがない


ことだからって見て見ぬふりすればいいだけじゃないのかよ?!」


次々といいようにいわれて祐輔はようやく、これほど志弦のことを助けたがっている自分がいることに気づいた。

彼女が被害者だとか、姉に頼まれただとか様々な理由が浮かんでは消えていくが、どれもしっくりとこない。

少しのあいだ考えて、ひとつだけいえることがあった。


「あのときの言葉がいまも胸の奥で燃えているんだ」


田淵にいいようにいわれ、もう嫌というほど思い知らされたときに、ようやく自分の本心に気づくことが出来たきっかけになった言葉。


『祐輔さんは頑張り屋さんなんです。どんなに辛くても諦めない。あなたがどなたか知りませんが、何も見ていないあなたにそんなことをいわれる筋合いはありません』


彼女のおかげで祐輔は自分の本当の気持ちに気づくことが出来た。

何をしてもダメな自分でもがんばっていいのだと思えた。

彼女のおかげか、いつもは自分を責めてばかりいたのに今は不思議とひとつの思いが浮かぶ。

やり遂げたいと、どうせダメだと言い訳をするのはやめて前に進んでみたいと思うのだ。


「あの子がくれた言葉の礼をまだ返せていない。だから行かないといけない。うまく言葉にすることが出来ないけど、やりたいと思うんだ」

「……志弦姉ちゃんは神社の本殿に密封されている。その道を守るのは翔兄ちゃんだ。姉ちゃんの所に行くために翔兄ちゃんとの戦いは避けられないないだろう。どう考えたって無理だ


ってわかるだろっ!」


あまりに必死な様子の姿の宏を見て祐輔は思わず笑ってしまう。



「宏太さ、間違えた宏だったな。お前さ、女に戻ったせいだか知らないけど、ずいぶんな弱気になったな。いつものお前だったら絶対こういうはずだ。『可能性があるなら俺は姉ちゃん


のこと助けるのを絶対諦めない』ってさ」

「そりゃあ、ボクも考えた。でも成功できる見込みは限りなく低い。おっさんは本当にやる気なの? こんなの誰だって失敗するからやめておけっていうよ」

「やる。俺はもう決めた、志弦を助けに行くよ。俺は諦めたくないんだ」


黙って宏は祐輔の言葉を噛みしめるように聞いていた。


「あのときはただただ必死だった。恵美姉ちゃんもおっさんも死なせてたまるかって、こんな運命は認めないってさ」


絞り出すように宏は話しを始めた。


「だからあの言葉をいえたんだと思う。今思うにあのとき言葉にして形にしたのは異能ではなくボクそのものだったんだ。あのときボクは世界とひとつになっていた。理屈とかうまく説


明出来ないけどそうとしかいえない」


ヒントをくれたのだと気づいた祐輔は静かに礼の言葉をのべた。


「ありがとな」

「お礼なんかいらない、代わりに聞かせてよ、おっさんの言葉を。そんな大口を叩いたんだ、いつもダメなオッサンだってたまにはイイ所を見せてくれ。 ……そしたらボクも姉ちゃん


を助ける協力をしてやってもいい」

「いいのか?」

「うん、だからいまここでおっさんの覚悟を形にして見せてくれ。志弦姉ちゃんを助けるためにはおっさんの詠唱がないと話にならないんだろ。なら失敗は許されないし悠長にしている


時間もない。それだけはわかっているよね?」

「……わかった。いますぐやってみるよ」


どきりと鼓動が高鳴る。

思えばいつも祐輔は失敗ばかりを恐れていた。

不安に反応してとたんに震えはじめる手を押さえる。

失敗できない。プレッシャーに負けないように口の端をかみながらその場に正座して目をつむった。

目をつむる行為に特に意味はない。集中できそうだと思っただけで初めたことだが、いくら考えても出てくる自分の言葉などひとつもなかった。

目をつむったせいか、どれほど時間がたったかわからない。

ひたすらに集中しようとするがうまく行きそうな気配はなかった。

何も起きぬままただ時間が過ぎていく。

次第に時間の感覚も曖昧になっていき、体感では何時間も時間がたったような気さえ祐輔はしていた。

結局、自分はどこまで行っても何も出来ないのかと、絶望と諦念が脳裏を過ぎったとき、自分の手になにかが触れる感触がした。


「ったくおっさん。見栄張りすぎ、こんなに手震わせちゃってさ。無理ばかりしちゃってるんじゃねえよ」


触れた宏の手はひんやりと冷たかった。


「ボクさ、おっさんに伝えたいことがあるんだ。気恥ずかしいから一度しかいわないからよく聞いとけよ」


宏がぎゅっと祐輔の震える手を包み込んでくれる。


「おっさんなら出来るよ。ボクは信じてる」


すっと宏の言葉が祐輔の心に染み込んでいく。

宏が自分のことを信じてくれている。それがわかるだけで、体を支配していた不安と焦りが消えていくのがわかった。



――俺自身を表す言葉ってなんだろう。



幼いころからなんの取り柄もあるわけでもない。

好きなこともやりたいこともない。

なんとなしに生きてきて、うまくいかないことの連続だった。

そして異能という才に偶然ながら恵まれるが、結局それは周りに迷惑をかけるばかりでいいことはない。


「本当にろくでもない奴だな、俺は……」


考えを整理したところで思わず苦笑してしまう。

うじうじとしながら、自分に出来ることはないのだと思っていた。

だが祐輔は志弦の言葉で気付かされた。

それでも何かになりたがっている自分がいるということに気づいたのだ。

心がざわめく。

魂が吠える。

考える必要などどこにもなかったのだ。

言葉が湧き出てくる。

本当に欲しいものは常に自分のなかにあった。


『一歩進んで二歩戻り、三歩進んで五歩戻る。ため息一つ、彼方見据えて』


言葉を紡ぐなか、祐輔は不思議な音を聞いた。


『――それでも俺は前に進むよ』


心地よく響く音、自分がずっと聞きたがっていた音。

魂が燃える音だ。祐輔は直感的にそれを悟った。

命が燃えている。叫び声をあげたくて震えている。

これははじめの一歩。自分が自分であるための一歩だ。








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最弱の変革者 ~ダメオがちっとはましになろうとする話~ 猪飼御然 @eggs

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