第16話  異変





「安心しろ。体調を崩して寝ているだけだ。最も絶対安静だがな」


そう恵美からいわれることで祐輔と宏太はようやく人心地つくことができた。

あの出来事で気を失った志弦は現在彼女の部屋に寝かされている。

顔色は相変わらず青白く、何かにうなされているのかひどく苦しそうにしていた。

連絡を受けて来てくれたのか池田もそばに待機していた。


「そう心配するな。以前もこういうことはあったから問題ない。お前らは部屋で休んでいろ」


そういって有無をいわさず部屋を追い出される。

自分の部屋に戻り、どっかりと座布団に腰を落ち着かせゆっくりと息を吐く。

顔をぺしぺしと叩くと少しは気分が落ち着いたような気がした。


「宏太、大丈夫か?」


返事はなくうつむいたままだ。

最初に宏太に知らせた時は神社に戻るまで獅子奮迅の活躍を見せてくれたがその反動か、神社についてからはひどく静かになっていた。

祐輔も最初はひどく気が動転していたが、宏太のひどい落ち込みようを見てその分しっかりせねばという思いもあって多少は落ち着きを取り戻していた。


「疲れたろ? ちょっと寝てろな」


促されるままに宏太はよろよろと布団に入る。


「ごめんな。おっさん……」


ぽつりとそうこぼして静かになる。

静かになったあと、祐輔はやるさなさからぽつりとこぼした。


「……ごめん。俺のせいだ」


言葉は誰に聞かれることなく虚空へ溶けていった。

それからしばらくぼーっとしているとノックの音がして祐輔は現実に戻される。

ドアを開けるとそこにいたのは朱美だった。


「色々と大変だったみたいね」


祐輔は黙って頷くことしか出来なかった。


「ところでこんなこと聞くのもどうかと思うんだけど――今回のことは事故だったのよね?」

「え?」


予想だにしない言葉に思わず祐輔は固まった。


「別に深く考えなくていいわ。ただ少し気になっただけだから、気のせいならいいのよ」


そういってすぐ部屋をでていく。

不穏な発言に不安を感じるが、すぐにそれを祐輔は否定した。

自分が志弦をあのおばちゃんと会わせてしまったからこんなことになってしまったのだ。

おそらく公園のときの腕輪の接触も原因のひとつにあるだろう。

その事実へに言い訳できる要素など他には存在しない……はずだ。

朱美の発言により不安が増す。何を信じればいいのかわからなくなる。

なにより一番苦しいのが、その事実を恵美へまだ伝えられていないことだ。

ぐるぐると思考の檻に囚われているうちにいつの間にか祐輔は眠りに落ちていた。
















目が覚めると外はすでに日が落ちて暗かった。

部屋に宏太はいない。喉の渇きを覚えた祐輔は、台所へと向かう。


「――私は反対だ」


不穏さを感じさせる恵美の声がドア越しに聞こえたことでドアノブに伸びる手が止まった。


「しかし志弦が今のような状態になってしまった以上、おそらく何かあった可能性は高い」

「だが知ってしまえば、さらに予期せぬ事態が起きてしまう可能性が高い。ただでさえ島田君の異能は不可解な点が多い。余計な知識を与えたくない」


自分の名前が聞こえてきたことで、鼓動が高鳴る。

聞いてはいけない。頭ではそうわかっているのだが、祐輔はどうしてもその場から動くことができなかった。


「恵美のその気持ちはわかる。だが志弦はどうする、これ以上事態が悪化すれば、残念ながら前回と同じ方法を取らざるをえなくなぞ」

「それは私もわかってる! だが島田君の異能に解決の可能性があるのは確かなのだ。くそっ、もっと時間があれば……」


テーブルを叩く音が聞こえてくる。

同時に志弦は休んでいれば大丈夫ではなかったのかと、祐輔は体を不安で震わせた。

不安にかられて後ずさる。そのまま気付かれないうちに部屋に戻ろうとしたとき、ちょうどドアが開き出てくる恵美と鉢合わせてしまった。



「聞かれてしまっていたか。 ……ならお前にいわないといけない大事な話がある」



恵美が意を決して口を開く。




「実はお前の異能は――」




そして唐突に照明が落ちた。

真っ暗になか、窓から差し込む月明かりが薄っすらと部屋を照らした。


「……停電だと?」


焦った恵美の声が漏れる。

同時に池田が素早く動き、棚から懐中電灯と冷蔵庫からペットボトルを取り出した。


「この停電はどこか不自然だ。嫌な予感がする。島田、念のため宏太と朱美を呼んできてくれ」


手早く恵美に懐中電灯を渡す。

そのとき波が来た。

空気がまるで波打って、その波紋が何度も体にぶつかるような感覚が祐輔を襲う。


「結界が破られた。なぜ奴らが襲ってきた……」


その波が来た方向を睨みながら池田がいった。




「――敵襲だ」




波乱の始まりだった。













急いでこの場にいない朱美と宏太を呼び出す。

志弦は以前として意識を取り戻すことはない。

彼女が動けそうにないので、祐輔が背負うこととなった。


「戦闘が始まる前に聞いておく。これはお前の差金か?」


池田の手のひらから伸びた水の刃が、朱美の首筋にそえられる。


「そんなはずないでしょ。あたしがただのきれいなお人形だってのはあんたのほうがよく知っているんじゃない?」


その光景に動じることなく朱美は自嘲気味に笑った。


「そうか、ならいい。まずはお前らが逃げる時間を稼ぐ。宏太、手伝ってもらえるか?」

「おう、任せろってんだ!」


やる気満々に宏太は拳を鳴らした。


「島田と朱美は恵美の指示に従ってここから脱出しろ。恵美、志弦を頼む」

「もちろんだ。島田君、宏太、これを」


恵美から発動機を渡され、それをつける。



「来たぞ!」



池田の見ているほうに視線とやると月明かりのなか闇を纏いながらこちらに向かってくる黒装束の人達がいた。

月明かりが差し込んでいるがその光を通さないほど濃い闇を纏っているのかその姿をはっきりと見ることは出来なかった。

五人いたそれは、静かに各々、影の刃や触腕を構え祐輔らに襲いかかった。


「ここは俺らが食い止める、いけっ!」


池田の合図と同時に恵美が先導して駆けていく。

それを敵が追おうとするが、すかさず池田と宏太がそれを阻んだ。

長い夜の始まりだった。

恵美の背を祐輔は無我夢中になって追う。

背負った志弦の重みがこれが現実だということを嫌でも理解させたれた。


「ここから山道に入る。足場が悪いから転ばないように気をつけろ」


恵美に案内され、山道に入る。

道のようなものはあるものの、木の根や大きな石などが多く暗いため足元がおぼつかない。傾斜もあるため転ばないように注意が必要だ。

中々先に進めないことをもどかしく感じながら、気をつけしばらく進んだ。


「危ないっ」


朱美の唐突な声が聞こえたのはそのときだった。

樹の上から何かが落りてくる。

先頭にいた恵美にそれは向かっていた。

朱美はとっさに周囲の闇を体に纏って、地を蹴った。

落りてくるそれに体当たりをかまして、恵美への軌道をそらした。

落りてきたのは先ほどと同じ、黒装束の者だった。

元は同族だった者からの反撃であったことからか、黒装束から僅かな動揺が見られる。

その隙を見逃すことなく朱美の出した影の触腕が黒装束を吹き飛ばす。

背後の樹に叩きつけられたせいか肺から空気の漏れる音が聞こえた。

すかさず朱美は触腕で黒装束を樹ごと拘束しようとするが、黒装束の者が出した影の刃で断ち切られた。


「助かったぞ朱美!」


恵美がいったと同時にライトをつけ、体に光を纏う。

しかし夜であり月明かりとライトしか光源がないせいなのか以前見たものよりその光は頼りないように見えた。

恵美は黒装束との距離を一瞬で詰めて腹部に拳を打ち込む。

黒装束はふらりと膝をつくが、倒れる前に持っていた棒状の物を空に向かって投げた。

上空でそれは破裂し、夜より暗い闇を辺りに撒き散らした。

それが味方への合図を送ったということは見てすぐにわかった。


「まずいな……」


恵美は少し悩むような素振りを見せ、その後覚悟を決めたのか、きれいな笑顔を浮ベていった。


「私と朱美はここに残って時間を稼ぐ。島田君、すまないが志弦を頼んだ」

「えっ、でも、俺一人では……」


思わず弱音が漏れる。

今の状況で自分が圧倒的になにも出来ないということがわかりきっているからだ。


「残念ながら光量が少なく、一度能力を解除すればこれ以上の出力は望めない。だが光を纏ったまま逃げるには目立ちすぎる。そういうことだ」

「いいからさっさと行きなさいよ。こんないいオンナのお願いが聞けないっていうの?」

「私は別に……まあいい。このまま山を下って、明石蛍子という人物を尋ねろ。そこなら安全だ」


詳しい場所を説明される。

祐輔は必死にその場所を記憶しながら、ようやく覚悟を決めた。


「安心しろ、私と朱美で追手を倒したらすぐそちらを追う」

「はあ、同族の相手なんて気は進まないわねえ。まあ逆らえないからしょうがないけど」


けだるそうに朱美はそういうとその肢体に濃厚な闇を纏った。


「あと祐輔にひとつだけいっとくわ。あたしに忘れていた思いを蘇らせたのはあんたなんだから、ちゃんと生き残りなさいよ。でないと割にあわないわ」

「やれやれ、なんの話なのか私にはよくわからないが、女を泣かせるものじゃないぞ島田君」


その会話を最後に二人と別れた。

背後から聞こえてくる戦闘音を尻目に背負っている志弦を落とさないよう腕に力を込めながら足を進めた。

一心不乱に足を進める。

足元が暗いせいか、何度も転びそうになるがなんとかこらえつつ先へ進んだ。

夜の山はひどく恐ろしい、すぐ下には街があるはずなのにそれをまったく感じさせないほど闇は深かった。

緊張と慣れない山道のせいか、祐輔は疲労が蓄積しているのを感じる。

志弦をおぶっている腕の感覚もなくなってきていた。

それでも訓練で多少は体力がついたのか動くことはできた。

しばらく進むとようやく街の明かりが見えてくる。

幸いながらみんなが奮戦してくれているのか敵が追ってくる気配はない。

もう少し山を下れば人里につけると、祐輔はほっと息をついた。

少し風が出てきたのか木々がざわめく。

逃走により火照った身体にとってそれは非常に心地よかった。

その風に気を取られたせいかかふらついてしまい、足元にあった木の根につま先を引っ掛け前のめりに倒れる。

風が強くなってきたのかよりいっそう木々がざわついた。冷たい風を肌に感じた。

祐輔は倒れこみながら、志弦を地面にぶつけないように顔面から倒れようとするのが精一杯だった。

無様に転ぶ。地面は腐葉土の香りがした。

思い切りぶつけた鼻の痛みをこらえながら起きあがる。



再度、志弦を背負い直そうと腕に力を込めると右腕が肩の付け根からぽとりと落ちた。



まるで元からついていなかったかのように自然と落ちた。

体から離れたせいか右腕についた盟約の腕輪が静かに砕けた。













恵美と朱美は追手の黒装束二人によってジリ貧に追い込まれていた。

夜なこともあって恵美に火力はない。

朱美の術は黒装束と同じ闇を扱うものであるため、生半可な攻撃は敵に吸収されてしまう。

互いに決定打がなく膠着状態に陥っていたそのとき、朱美の盟約の腕輪が砕けた。


「なっ」


腕輪が砕けた。それは盟約の主側になにかがあったことを意味する。


それはつまり二人は――


気が動転したせいか、黒装束の触腕をもろに食らってしまう。

そのまま背後の樹に叩きつけられ、触腕でなし崩しに拘束されてしまった。

そして朱美からの援護はなかった。


「うまくいったようだな、手間かけさせやがって。おい、朱美お前も手伝え」


黒装束の一人がいう。


「……ええ」


これほどあっさりと裏切られてしまうのか。

恵美は静かに絶望した。確かにいままで敵対する派閥同士だったのは確かだ。

だがたった数日しか生活をともにしていないが、初めて見たときから朱美が悪い人物ではないことはわかった。

決して届かないものを手に入れたいと望んでいる。朱美が恵美と同類だという予感があった。

今の能力者たちを取り巻く現状を憂いている同志であるとすら思っていたのに。

朱美は静かに恵美へと腕を向けた。















「は?」


間の抜けた声が響き、傷口から血が吹き出た。頭が焼き切れるかと思うほどの激痛に襲われ、祐輔は志弦を気遣う余裕もなくのたうち回った。


「まったくひと思いに終わらせてやろうと思ったのに、このタイミングで転ぶとか本当にお前は運がねえな」


激痛で意識を失いそうになりながらも、声がするほうを向く。

黒装束が一人いた。そいつは自らフードを降ろし自分の顔を露わにする。

それは元上司の田淵岩男だった。


「なっ、んで……」


息も切れ切れに言葉をもらす。

断面からでは血は大量の茨へと姿を変えてまるで枝垂れ桜のようにゆらゆらと揺れていた。

不幸中の幸いはそのおかげで大量の失血を免れているということだろう。


「スパイに決まってんだろ。本当に馬鹿だよな。この茨もまじで気持ち悪いし、お前みたいな奴見てると本当にイライラする」


田淵に蹴り飛ばされ、なすすべもなく転がる。


「とりあえず一人目だな。嬢ちゃんもさくっと処分して合流しねえとな」

「やめ、ろっ……」

「あーはいはい。大丈夫大丈夫、安心してさっさと死ね」


田淵の手のひらの上で闇がこねくり回され、一本の剣になる。

なんの躊躇もなく田淵は転がったままの志弦に振り下ろした。

月明かりを吸った黒い刃が静かに志弦に迫る。

激痛に苛まれながら全力で二人の間に入り、右肩の茨でそれを受けた。

茨の能力耐性のおかげか茨が刃を跳ね返す。

だがそれで体力を使い切り、祐輔はそのまま崩れ落ちた。

意識を保つのが精一杯でそれ以上はまったく動けなかった。


「健気なことだねえ。そんなに先がいいならお前を先にしてやるよ」


祐輔のほうに向き直り、剣を突き出す。



――結局最後までなにも出来なかったな。でも志弦さんをかばって死ねるんならまだましかな……



思い浮かぶのは走馬灯はなく、ただのいつもの後悔だった。

ただそれでも自分が出来ることが少しでも出来たおかげか、最後の気持ちは穏やかだった。

体の横から衝撃が走る。

予想外の方向から衝撃に祐輔はそのまま真横に吹き飛んだ。

そこから見えたのは――



剣に腹部を差し抜かれた恵美の姿だった。



剣先から血が滴る。田淵は驚いた表情で恵美を見つめていた。


「なんとか間に合ったようだな」


血を吐きながら恵美はそういった。

剣が引き抜かれると恐ろしいまでの血が恵美を染めた。

それでも構わず恵美が突き出した右手から紫電が散った。


「光縛式、闇縫」


そういうと紫電が糸のようにほつれ、田淵の体を縛り付ける。

田淵が動けないのを確認し、倒れた。


「……見、ろ」


切れ切れに言葉をもらし、恵美は静かになる。

祐輔は泣きながら血だまりに這いより茨を突き立てた。



――なぜ自分なんかを助けた。



自分を見捨てて志弦を助ければ、あとが楽なのは目に見えているだろうに恵美はそれをしなかった。

複雑な思いが胸の中で渦巻きながら、祐輔は深く沈んだ。











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