十一章 会話

 流石にこの極寒の中、ずっと外に突っ立っている訳にもいかない。

 久保は先程警察と一緒に訪れた仮説駐車場に足を運び、大きく欠伸をする。

 夜になれば車の中でも寒さは変わらないだろうが、風が吹き込まないだけありがたいだろう。おまけに今はしんしんと雪が降っている。

 湯山の家で眠る前までレンタカーの置かれていた付近を見て、久保は皮肉な笑みを浮かべた。

 燃えカスになった――それでもまだ原型は留めていたが――レンタカーは久保が確認を取ると、速やかにレッカー移動された。車中には特に何も残していなかったので、被害はレンタカーだけと言ってよかった。それでも弁償させられれば大損害を被ることになるだろう。

 ――金ないんだよなあ。

 久保は高校を名目上卒業し、そのままフリーターになって『師匠』に拾われたという身の上である。ライターの仕事だけで食っていける程の収入はないし、今もアルバイトを掛け持ちしている。そんな状態で車一台を弁償するだけの金があるはずもなく、親に泣き付くしかないという未来を思って自嘲する。

 ――なら、とっ捕まえるしかないよなあ。

 放火犯を挙げて、損害賠償を全て持ってもらう。これがベストだろう。言ってしまえば久保は被害者である。それが弁償するという話になるのか――契約書をきちんと読んでいないのでそこは判断しかねるのであった。

 どの辺りが行動に移す頃合いか、久保はじっと探っていた。

 久保には火清会の手の者を焙り出す奥の手がある。だが、それは目的の人物以外をも刺激してしまう、危険なものだった。

 根津村で火清会という言葉が禁忌になっているからと言って、その中に信者がいないとは限らない。

 壱師や、本来の目的で来た見物客の中に信者が紛れているというのは考えにくい。火清会は他の宗教に異常なまでに排他的なのだ。火之迦具土を祀るという名目上、神道にはまだ寛容だが、仏教を始めとした異教徒や、風祭のような土着的なある種神仏習合的な儀式には容赦しない。

 それでも、放火犯が単独犯であるとは限らない。複数の信者が徒党を組んで押し入ってきている可能性もある。そんな中でこの奥の手を使えば、久保はたちどころに袋叩きにされるだろう。

 それだけではない。仮にこの村内に信者がいないとしても、禁句である火清会の名を口にすれば、それを契機に私刑が横行する可能性もある。禁忌に触れるということは、そういった危険を呼び覚ます恐れもあるのだ。

 ポケットの中に手を突っ込み、車のキーがきちんと入っていることを確認して苦笑する。

 これはお釈迦になったレンタカーのキーではない。まゆらが乗ってきた車のキーだ。

 湯山の家を出る前に、こっそりまゆらの鞄を漁ってくすねてきた。我ながら卑劣なことをしたと反省しているが、何せこちらは命が関わっている。

 だが今からまゆらの車の中で見張りを続行しようとは思わない。残された最後の足を潰されれば、久保は完全に退路を断たれる。先刻の放火を鑑みるに、相手は確実に久保を狙っている。ならばわざわざターゲットを絞らせるような真似はするものではないだろう。久保がまゆらの車の中に居座らない限り、相手にはそれが久保の足だとはわからない。最終手段はきちんと取っておくものだ。

 他の車の様子を見るふりをしてまゆらの車の場所を確認した久保は、次に風溜となっている神社へと向かった。

「久保さん――こっちへ」

 境内に入るとすぐに坂部が久保を見つけ、人気のない場所へと引っ張っていく。

「どうしました? 『ひとけ』と『にんき』ってどちらも同じ漢字ですよね。文脈で判断しろなんていいますが、この場合はどうでしょう。そもそも人気のない場所は人気がないですからね」

 久保の言葉に怯むことなく、坂部は声を潜めて話し始めた。

 寝ている間に火野家で起こったことを聞き終えると、久保は適当に上辺だけの言葉を吐き出しながらその実頭の中で冷静に状況を分析していった。

「その、日奈子さんですか? 彼女についてはまゆらちゃんに話した方がいいと思いますよ。それにしてもありがたいなあ。早速スパイ紛いのことに手を染めてくれるなんて。それなら俺も期待に答えなくちゃなりませんね。では行ってきます」

「は?」

 坂部は素早く踵を返した久保を思わず呼び止めた。どこに行くのだと聞かれる前に、久保の方から話す。

「元から弱っていて、昨日樒の実を飲まされたというお爺さんのとこですよ。あ、そういえば場所がわかりませんね。教えていただけますか?」

 坂部から千葉の住所を聞いた――湯山の家のすぐ隣だった――久保は、足元が悪くなる一方の道を軽快に進んでいく。

 久保の地元では雪は年に一回積もるか積もらないかである。そういう訳で雪道は歩きづらさより先に心が躍る。全く子供の思考回路で我ながら笑ってしまう。それでもこの状況に不平を言わずに進んでいけるのだから、あながち悪いことばかりでもないだろう。

 千葉の家は湯山の家に負けず劣らずの広大な屋敷だった。母屋の外れには小さな蔵があり、それが一層屋敷の格式を高めているようにも見える。祭具を保管する鍵取り蔵は風太夫である湯山家の管轄だそうだが、屋敷の敷地内には建っていなかった。つまりこの蔵はあくまで千葉家個人の所有物ということだろうか。

 玄関のチャイムを鳴らし、暫く待つ。

 坂部の話によると、千葉は孫には恵まれていないらしい。それ故宗佑を可愛がっていたそうだが、果たしてどうか。

 玄関には白髪の混じった髪の男が現れた。千葉の次男で、達雄たつおというらしい。

「夜分にすみません。久保若葉といいます。実は先日こちらのご主人に助けていただきまして、是非一度お礼をと思っていたのです。ですが昨日倒れられたと聞きまして訪問は遠慮させていただいていたのですが、快復なされたと聞いてこうして押しかけて来た次第です。ご迷惑でなければご主人に一言お礼を述べさせていただきたいのですが」

「は、はあ……」

 達雄は面倒くさそうに顔を顰めたが、文句は言わずに久保を家に上げてくれた。久保を座敷で待たせると、達雄は父親にお伺いを立てに一度引っ込んだ。

 出された濃い煎茶を啜っていると、達雄が怪訝な顔をしながら戻ってきた。

「父は自室で寝ています。まだ起き上がることは出来ないようなので、失礼ですがそちら様から部屋に来ていただくようにと、父が」

「勿論です。突然の訪問でご迷惑をおかけしているのはこちらなんですから、失礼だなんてとんでもない」

 達雄に連れられ、座敷のさらに奥にある廊下を進み、目当ての部屋のドアを見つける。古くどこまでも和風建築な家の中、ドアノブの付いたその扉はまるで異界への入り口のように見えた。

「この部屋です。あまり刺激はなさらないようにお願いします」

 久保は会釈で答え、達雄が廊下を戻っていき、角を曲がって姿が見えなくなるとドアをノックした。

「入れ」

 ドアノブを引いて中に入る。

 壁一面が書物でいっぱいの本棚で埋め尽くされた、立っているだけで押し潰されそうな圧迫感を感じる狭い部屋だった。しかもよく見れば窓が一つもない。いや、元はあったのが本棚で覆い隠されたのか――。

 千葉幸雄はその部屋の端に無理矢理捩じ込んだように置かれたベッドに横になっていた。

「あんたか。昨日村上の火事について聞き回っとった命知らずの馬鹿が」

「ははは、あながち間違いじゃないですね。実際昼間車に放火されました」

「ふん、目立つことをするからそうなる。あんたが連れ込んできたのか?」

「半分正解ってところですかね。俺についてきたというよりは、別々の目的で行き先が一緒だったというだけです」

 千葉は鼻を鳴らすと、まあ座れと肘掛け椅子を指し示した。

「しかしすごい部屋ですね。元は書斎ですか?」

 椅子に深く腰かけた久保は壁を埋め尽くす本棚へと目を移す。日本の文化人類学の研究本から、海外ミステリーの原書まで、実に幅広い種別の本が綺麗に分類されて並べられている。

「俺ァ昔から本が好きでな。息子共はまるで興味がないんで、今は一人でこうしてここに引っ込んどる。まあ、ここの本が気に入った奴もいるが――」

「火野宗佑さんですね」

 久保が言うと、途端に千葉の目が鋭くなる。

「誰から聞いた」

「坂部俊郎さんです。幼馴染だそうで、色々と教えていただきました」

「坂部の坊か。あいつも罪な男じゃ」

 千葉は咳払いをして、で――と凄む。

「俺に何の用じゃ」

「年が明けるというのはめでたいことだなんて言いますが、あれは実際実家に帰る口実が出来て嬉しいんじゃないでしょうか。盆と正月が一緒に来たようだなんて言いますし、お盆も帰省ラッシュですからね。そういう俺は実家暮らしで肩身が狭い思いをしてまして、親戚連中が来るとちゃんと職に就けと小言を言われる訳です。まあライターなんて肩書持ってますが、要は半分フリーターですからね」

「宗佑の話か」

 久保の支離滅裂な言動に怯まないどころか、何を問い質そうかというところまで見抜いている。年の功という奴か――と久保は白旗を揚げた。

「そうですね。この正月に帰省なされた火野宗佑さんに、あなたは何を話しました」

「それがこの騒ぎの原因――か」

「そういうあなたも自分で騒ぎを大きくしているじゃないですか」

 千葉は咳き込みながら笑う。

「ただの馬鹿かと思えば、存外面白い奴じゃ。どこまで気付いとる?」

「さあ。手の内は明かさないというのが俺のポリシーでして。ご想像にお任せしますよ。しかしながらあなたが火野宗佑さんに話した内容は気になります」

 千葉は低く笑いながら、ゆっくりと身体を起こす。

「あんた、確かライターとか言っとったな」

「ええ。フリーの、それもカストリ紛いの雑誌にしか載らないような駄目ライターですが」

「なら、どこまで書く気でおる」

 久保は暫時黙考した。

 千葉は長老格であることに間違いはない。ならば、久保のネタにする火清会について話しても、苛烈な攻撃には遭わないはずだ。

「火清会について――だけ」

 千葉は声を上げて笑った。

「あんた、相手が俺でなかったら死んどったぞ」

「でしょうね。だからあなたには話しました」

「随分と買い被られたもんじゃ。いいじゃろ。話してやるわ」

 そうして千葉は、久保に全てを語った。

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