九章 化けの皮

 迂闊だったと久保は自分を呪った。

 久保は悪目立ちしすぎた。いや、村内で非難の目を向けられるように仕向けるのはある意味久保の計算だった。今回の悪目立ちというのは、また違う。

 駐車場の車の中で張り込みを続けていたというのがまずかった。恐らくそれで久保は相手に目を着けられた。村の中で聞き込みを行うよりも、ある意味ではこちらの方が危険だったのかもしれない。

 結果、久保のレンタカーは放火された。

 その車に長い間外に目を光らせて乗っていたということが、相手に久保がその手の者だと悟らせてしまったのだ。

 そして久保が車から離れ、湯山の家で睡眠を取っている間に、何者かが火を放った。

 昼間は行動を起こさないという判断は甘かったということになるだろう。実際あの仮説駐車場には人気がなかった。そこで見張っていた久保が消えたことで、犯人はさぞ自由に動けたことだろう。

 久保がそのことに気付いたのは、アラームで目覚めた後、午後六時過ぎだった。

 まゆらに何故起こしてくれなかったのかと文句を言ったが、どれだけ起こそうとしても目覚めなかったのだと逆に文句を言われた。自分の睡眠のあくどさには呆れてしまうばかりだ。

 事件を知るとすぐに警察に車の借り主の確認と事情聴取を受けた。流石に部外者の車が放火されたとあっては、警察に連絡しない訳にはいかなかったらしい。

「まゆらちゃんは車?」

 警察から解放されたのはもう八時を過ぎた頃だった。湯山家の茶の間で遅めの夕食をいただいている中、久保は既に食べ終えて炬燵に座っているまゆらにそう訊いた。

「そうだけど、一緒に帰る? レンタカーが駄目になっちゃた訳だし」

「放火ね。放火。ああ、契約はどうなってたかな。こんなことになるならきちんと読んどけばよかった。損害賠償こっち持ちだったら困るなあ。一番は犯人さんに金払ってもらうことだけど。それで俺はいざとなったらこの村から逃げなきゃいけなくなるのね。その時はまゆらちゃんの車使わせてもらえない?」

「って、え? ちょ、ちょっと待ってよ。それだと私どうやって帰ればいいの?」

「まあまあそう言わずに。こっちは最悪命の危機なんだよ。なんなら塩小路さんに泊めてもらえばいいじゃない」

「命の危機って――ずっと疑問だったんだけど、久保君が取材で来たってことは――」

 しっ、と久保はまゆらの言葉を遮る。

「それは禁句にしておいてもらえないかな」

「それが――命に関わるの?」

「そうなるね。この村においては」

「もしかして、放火とも関係ある?」

「火が大好きな連中だしね。有り得ると思うよ」

 有り得るなどというレベルではない。久保は確信している。

 久保は火清会をこき下ろす記事をカストリ紛いの雑誌に書いている。

 火清会――それがこの村の中における禁句である。

 三日前、久保の師事するライターの許に、ある情報が入った。

 久保はその情報に興味を持ち、真偽を確認するためにこの村を訪れた。

 だが、『師匠』はアンチ火清会のタカ派ではあるが、あくまでフリーのライター。本来そのタレコミがもたらされる大手の出版社から流れ流れて彼の許に辿り着いたことになる。

 つまり、業界の中では結構な数の人の目に触れた情報ということになる。マスコミにも強力なパイプを持つ火清会関係者がその情報を見逃したとは思えない。

 久保と同じように、風祭の見物客に紛れて火清会の手の者が訪れていてもおかしくはない。

 火清会はただのカルトだと久保は断じている。表向きこそ真っ当を装っているが、その実は会長である高山孝明を崇め奉るだけの狂信だ。実際、火清会本部のあるD県青川市では過去に信者による寺院への放火が何度も起こっている。報道では火清会信者という情報は伏せられていたが、久保達には公然の秘密も同然だった。

 そして、情報によれば、ここ根津村では火清会の名は絶対に出してはならないのだという。

 その理由は――久保はまゆらにも話していない。この情報の扱いには慎重を要する。迂闊に口にして墓穴を掘る行為だけは避けたかった。

 風祭の再開は放火事件もあり危ぶまれたが、予定通りに行われることになった。犯人を挙げるのならばこれが最後のチャンスだろうか――久保は自分で考えて自分で苦笑した。

 久保は警察ではない。正義心なども持ち合わせていないと自負している。ただ火清会を侮蔑するような記事を書ければ満足という、最低の人間だ。

 だから最悪、犯人は捕まらずともいい。これはひょっとすれば火清会の手の者の犯行ではないのか? ――と読者を煽れればいいのだ。

 だが――久保はうっすらと脂汗を浮かべていた。相手は恐らく久保をターゲットに定めた。まずは足であるレンタカーを燃やし、次には久保自身を狙いはしないか――。

 そう考えれば、犯人を挙げておくことは最善手のような気もする。無論今までの活動を行ってきた上で、久保は火清会から命を狙われる覚悟はとっくの昔に決めているが、ここまで個人的に狙われるのは初めてだったし、予想外だった。

 命が惜しい訳ではない。久保は随分前に自分はもう死んだも同然だと割り切っている。

 だが、顔の見えない相手に脅されている気分は非常に不愉快だった。

 つまりは、久保が満足したいのだ。この村を混乱に陥れようとする――自分以外の――人間は晒し上げて法の裁きを受けさせなければならない。

 その結果久保は記事をよりセンセーショナルに書くことが出来る。テレビや新聞では犯人が火清会の手の者である事実は当然伏せられるだろうが、久保の書く記事では今回の情報と絡めて大々的に取り上げよう。

 久保には奥の手がある。だがそれを行えば、久保はこの村で殺される可能性すらある。

 それに――久保にはまだやらねばならない仕事がある。

 情報の提供者を見つける――これは非常に重要だった。

 久保は村の中の長老格ではないと踏んでいる。タレコミという行為を犯したということを考えれば、年寄りだとは考えにくい。そして、何故今になってその情報を流したのかという疑問を考えるに、情報提供者は、最近になってその事実を知ったということではないか。

 つまりどの程度かは断定出来ないがある程度若く、火清会に反感を覚えている者と見ていいだろう。

 とにかく、情報提供者と直接会い、確認を取って裏を取る手助けをしてもらえれば上々だ。

 それに、情報提供者はある意味で今、非常に危険な立場にある。

 村内の秘密を外に漏らしたその人物が明らかになれば、久保の想定する最悪の結末と同じ運命を辿る恐れもある。それ故久保も細心の注意を払って行動せねばならない。

 まずは村中にタブーについて聞き回っている人物がいるという情報を流すことには成功した。これであわよくば向こうから接触してきてくれないかとも思ったが、そこまで甘くはなかった。

 村の中で火清会について知らないという人物に情報提供を頼むことに成功したが、実際これは危ない橋だった。相手がもし火清会についての禁忌を刷り込まれていたら、そこから一気に燃え広がり、久保が村の中にいられなくなった可能性もあった。ある程度若いことからその恐れは低いだろうと踏んではいたが、我ながら危険な賭けだったと思う。

 それで普段と様子の違う人間を見つけだし、接触を図るという手立ても出来た。

 祭が終わった後も久保は情報を得られるまでこの村に居座るつもりでいた。元々祭のことなど知らずに訪れた身である。

 だが、犯人はどうか。祭という格好の隠れ蓑を活用しない手はない。ならば行動を起こすのは、今日の祭が終わるまでの間ではないか。

 何を起こすか――昨日はこの家の裏山の祠に放火。今日は久保のレンタカーに放火。放火放火と続いたからには、最後まで放火を貫くか。

 この二日続いた放火は、二つとも警告を意味している。

 一つ目は村内に。

 二つ目は久保に。

 だが一つ目はあまり意味がなかったようにも思われる。村の中では誰かが情報を流したことを誰も知っている様子がない。つまりはこの警告はタレコミ元だけに対する警告にしかならなかった。

 しかし恐らくは、湯山のような長老格はそれが火清会によるものだと気付いているだろう。謂われのない警告を受け、彼らはどう判断するのか。久保はそれを確かめようとしたが、結局は風祭の続行が重要だという湯山の意見に封殺されてしまった。

 だからだろうか。次に狙ったのが、より明確な個人――久保に絞られたのは。

 湯山の裏山の祠への放火が、あまり効果を上げなかったのは事実だ。湯山は風太夫として風祭の続行を貫いた。火事もすぐに消し止められ、不安を煽るには不十分だったはずだ。

 あるいはそれで犯人も気付いたのかもしれない。流された情報が村内には広まっていないことに。

 故にそれを明確に知っていて、ハイエナの如く情報を漁りにきた久保にターゲットを絞ったのか。

 久保は小さく笑い、まゆらに怪訝な顔をされる。

 警告してくれるとはいい度胸だ。自分の行っていることがれっきとした犯罪だということにすら目が向かない狂信者風情が。

「楽しくなってきたなあ。これだよ。このスリルと、まるで理解出来ない相手と向かい会う精神的ギャップ。それを乗り越えることもなく、ただ不満として積もっていくだけ。話せば話す程、見れば見る程不愉快になっていくんだよね。でも、それがとんでもなく楽しい」

「久保君――あんまり無茶はしないでよ?」

 まゆらの言葉に、久保はにんまりと口角を吊り上げて応える。

「さあて、それじゃあお祭りを楽しもうとしようか。再開は日付が変わってからだったよね」

 ごちそうさまでしたと手を合わし、名残惜しいが炬燵から抜け出す。

「って、まだ九時前じゃない。こんなに早くから何するの?」

「色々とね。近くに布団があったらまた眠っちゃう可能性もあるし、炬燵もそういう意味では危険だからね。社会がみんなを悩ませるということだよ」

 欠伸を噛み殺しながら玄関を出ると、知らない内に雪が降り始めていた。

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