七章 余計な客人

 睡眠不足だが、かえって頭は冴え渡っている。

 所謂深夜テンションというやつが持続して、眠気を吹き飛ばしているのだろう。久保若葉はそう自己分析する。

 今後のことを考えれば少しでも睡眠を取っておいた方がいいようにも思われるが、この調子では布団に入っても目が冴えたまま一睡も出来ないに決まっている。

 風祭の見物客達の車が停まった仮説の駐車場。昨日この村を初めて訪れた時には何故ご丁寧に駐車場が用意されているのかと訝ったのだが、祭の話を聞いて合点がいった。調べてみれば奇祭と名高い風祭である。それを知らずに訪れた久保は、だがちゃっかり駐車場を利用させてもらっている。

 レンタカーの中から駐車場中に目を光らせているが、怪しい人物は今のところ見当たらない。

 まあ、見た目から怪しい人物などそうはいないものである。言動がおかしい人間というのなら久保にも思い当たる人物がいるが、なかなかどうして挙動だけで目星をつけるのは難しい。

 昨夜の火事にはガソリンが使われている。引火性の高いガソリンはセルフサービスのガソリンスタンドでも、普通のポリ容器に入れることは禁止されている。使用、運搬する際は専用の容器が必要になる――が、それはガソリンスタンドでの話。一旦車に給油されたのなら、その車を容器と考えてしまえばいい。

 つまり、人目のない場所で車の給油口からポンプを差し込み、簡易な容器に移し替えてしまえば、それでガソリンを楽に持ち運ぶことが可能になる。

 放火犯は限りなく外部の人間の可能性が高い。つまりは風祭の見物客に紛れていることになる。電車も通じていないこの村に赴くには一時間に一本あるかないかのバスを利用するか、久保のように車を使って向かうしかない。

 そしてガソリンを用いたということは、自分の自由に出来る車を使ってこの村に訪れたことの証左となる。

 犯人は昨夜、見物席を抜け出し、この駐車場でガソリンをペットボトルか何かの容器に移し、湯山の家の裏山の祠に火を放った。

 見物客に紛れているのなら用意されたこの駐車場を使わないのは不自然である。故にもし次の犯行が行われるのであれば、犯人はこの駐車場に姿を現すはずだ。ガソリンを入れたままの容器を持ったままというのはあまりに危険すぎ、犯行を重ねるのであれば逐次自動車からガソリンを抜きにくると考えられる。

 久保は一応駐車場に停めてある車全てを外から確認したが、外側からポンプの類を見つけることは出来なかった。無論車は施錠されているし、トランクや座席の下など、外からは見ることの出来ない場所に隠すのが当然ではあるが、念には念をである。

 今こうして見張っているのも、念のためという部分が大きい。太陽が短い出番を懸命に果たしているおかげで、真冬にしては閉め切った車内は外よりは過ごしやすい。真夏なら熱中症で死んでいるだろうが、真冬の陽光はまだ大人しい。少し大人しすぎるくらいで、エンジンをかけていない車内はやはり凍える寒さだった。何なら練炭でも焚いて暖を取るか――などと考えて久保は一人で笑った。

 とにかく、陽の出ているこんな時間から放火を企てる程、相手は浅はかではない。

 スマートフォンを取り出し、ちょうど正午に差しかかる頃だと知る。

 フキナラシの期間中、見物客のためにおにぎりや豚汁などを有料――といっても格安だ――で振る舞っていたそうだが、中断された祭を見るために残った見物客が多かったこともあり、今日も用意されているらしい。

 一応、久保は三日分の食料と水は持ってきている。だが温かい食べ物は魅力的だ。骨身に染みる寒さの中、身体の芯を温めてくれる汁物を啜るのも悪くない。

 だが――久保は昨日のことを吟味し、この案は却下した。久保はあまりに村民の心証がよくない。そんな男がのこのこと出ていって、振る舞われる食事を貪るのは穏やかではない。

 それに、久保を客人として迎えてくれる家もある。見えている地雷を踏むのはその実久保の好むところでもあるのだが、ひとまずは大人しくしておいた方が賢明だと判断した。

 車から出て、外気の寒さに身震いする。施錠して、久保は村の中へと向かった。

 湯山の家は古く、その上大きい。この大きいというのが重要で、それがあるために古いという部分が家の威厳を高める作用をもたらす。手入れも行き届いており、古さがマイナスに働く要素はどこにもなかった。

 玄関で知った靴を見かけ、久保はその客用の部屋を覗いた。しかし目当ての人物はいない。

 とりあえず飯をいただこうと思い、台所の方へと向かう。

 台所と、そこから続く茶の間――ダイニングというよりは茶の間だ――へ向かうと、湯山の孫の嫁である由美が所在なさげに右往左往していた。

「どうも奥さん。どうかされましたか? 往ったり来たりで往来、ザッツオーライという訳ですか」

「あ、すみません、お昼はちょっと待ってください。お祖父さんとまゆらさんが何か話し込んでいて……」

 そう言って由美は廊下の先に見える座敷の襖の方へと目を遣る。

「確かに客人の分際でご当主より先にただ飯をかっ食らう訳にはいきませんね。待ちますとも」

 久保は茶の間に置かれたかなりの大きさの掘り炬燵の、一番下座の位置に潜り込む。じんじんと温かい炬燵に入って、自分がいかに寒い場所に居座っていたのかを実感した。

 由美がすぐに熱い煎茶を淹れてくれた。茶葉をケチらずに淹れたらしく濃い味がして、一層身体が温まるのを感じた。

 暫くそのままくつろいでいると、徐々に眠気が襲ってきた。一時的に緊張から解き放たれたことと、温かい炬燵の中に下半身を預けていることが生理的な欲求を加速させているのだろう。

 だが、ここで眠ってしまっては恐らく夜まで目覚めない。食事を取るべき場所である茶の間で高いびきをかくのも考え物である。

 大きく欠伸をする。半分程残って冷めてしまった濃い煎茶を一気に煽り、もう一度欠伸をする。

「眠そうですね」

 台所で昼食の用意をしている由美が苦笑しながら言う。

「ええ、昨日の祭を見てましたから。しかし確かにあれはすごいですよ。風狂三平なんていう人がたくさんいるのも頷けますね。グランダー武蔵ですよ」

「なんですかそれ」

 楽しげに笑う由美に、久保はどうも調子を狂わせられる。自分の妄言は一笑に付すどころか、一蹴して唾棄してしまうものだと自負しているからだ。それは決して他人を楽しませるものではない。混乱させて、呆れさせ、煙に巻くためのものだ。

 ――時々いるんだよなあ。

 由美のように、その人の良さで久保の言葉を面白い冗談と受け取ってしまう人間。久保が真っ当な精神を持っているのならこういった人間には感謝すべきなのだが、彼の場合はその逆、どうにも苦手なのである。

 自分は放逐され、軽蔑され、嘲笑されるのがちょうどいい。久保はそう思って生きている。師事している人物もいるが、その人に対してもこの態度は崩さない。馬鹿にされるように、いつでも見捨てられるように、頭のおかしい人間であると相手に認識されるように。

 ただ、この身の置き方は、実際楽しい。滅茶苦茶な言動をして相手が困惑すると、してやったりの感慨がある。このキャラに徹することに苦痛がないどころか、愉悦に浸っている部分さえあるのだ。

 そういう意味で、由美のような人間は二重の意味で久保の苦手とする手合いだった。

 何度目かの欠伸を噛み殺していると、廊下を歩いてくる足音が聞こえてきた。

「由美さん、お昼にしようか」

 湯山が穏やかに笑いながら茶の間に現れ、一番上座の席に座る。

「あ、久保君。もういいの?」

 湯山の後ろからまゆらが続き、久保の隣に潜り込む。

「一時休戦というやつだよ。腹が減っては戦は出来ぬというけど、戦をしても腹が減るだけだよね」

「はあ……」

 付き合いは長いが顔を合わせる時間はそれ程多くなかったまゆらには、久保の言葉はいつも通りの効果を発揮する。

 湯山の長男夫婦――一成かずなり恵美子えみこと、その長男夫婦――誠司と由美が揃い、賑やかな昼食が始まった。湯山は随分前に妻と死別しているとあっけらかんと話していた。これだけ家に家族が残っているので、寂しい思いはしていないという。

 確かにこれだけ明るい食卓なら、寂しさは微塵も感じないだろう。それに孫まで結婚して定職に就いているのだから、家も安泰である。

 久保は温かい味噌汁を啜りながら、ますます眠気が強まっていくのを感じた。腹が膨れたのが拙かったかと思ったが、もう遅い。

「助手さん、眠そうですな」

 湯山が久保が欠伸を噛み殺すのを見て笑う。

「皆さんに言われます。聞いた話では風祭の見物は眠気との戦いだそうじゃないですか。こんな時間まで――から戦っている俺はさしづめ敢闘賞といったところですか」

「一度お休みになった方がいいんじゃないですか?」

 由美が久保の顔を見て心配そうに言う。

「そうですよ。今夜も樒の舞いから続きをやるんですから。当然ご覧になるんでしょう?」

 恵美子がそう言って、皆がしきりに頷く。まだ村に残っているということは、見物に残っていると見做されるのは当然だ。久保の本来の目的を果たすいい隠れ蓑だが、それは他の者にも同じことが言えた。

「そうですね。ではお布団をお借りしてもいいでしょうか」

 昼食を食べ終えて片付けが済んだ後で、久保はそう言った。

「はいはい。じゃあお部屋にお布団敷かせてもらいますね」

 由美がそう言って久保が使っている客間に向かう。布団の用意くらい自分ですると断ろうとしたが、布団は別の部屋に仕舞われているからわからないでしょう――と至極真っ当なことを言われ、大人しく引き下がった。

 布団はどうも先程まで干されていたらしく、太陽の暖かさが残っていた。掛け布団の下には毛布、敷布団のカバーの下には電気毛布まで敷かれている。

 これだけの眠気があれば、電気毛布に頼らずともすぐに寝付ける。久保はスマートフォンのアラームを午後六時に設定して、深い眠りへと落ちていった。

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