第12話

「うん? どうもしないよ。昨日寄らなかったから電話してみただけ」

 母が電話に出てくれたにホッとして、コーヒーを一口飲んだ。

「あんたにしちゃ珍しいことするわね。そうそう、昨日お姉ちゃんの夢を見たのよ。二人でお花見に行ってね。桜の木の下でお弁当を食べて――」

 母は楽しそうに話していた。

 その様子に安心して、「そうなんだ。私も誘ってくれたらよかったのに」とおどけて言ってみた。その途端だった。

「あんたはまだ駄目。孫たちも絶対に来させないわよ。お姉ちゃんと二人で十分だから」

 急に早口でまくし立てる母に驚きながら「分かった、分かった。私は会社から見える桜を眺めながら一人でお弁当でも食べるわ」と言い、もう時間がないから今夜寄るねと約束して電話を切った。

 母は、生きていた。

 そのことに安心しながら、急いで残りのコーヒーを飲み干して会社へと向かった。


 午前中、なかなか片付かない仕事に追われ気が付けば正午を過ぎていた。

「咲いていない桜を見ながら一人でお花見、か……」

 二階の窓から桜の木を眺めたその瞬間、パトカーがこちらに向かって走ってくるのが見えた。

 まただ。また、あの嫌な感覚が――首の後ろがチリチリと熱くなる。

 考える間もなく、私は走り出していた。

 そのときにはもう、私には分かっていた。母が川にうつぶせで浮いていることも、川岸に靴が揃えてあることも――。

 そこには、すでに何人かが集まってきていた。

 私は黙って川を見た。

 その瞬間気を失った。

 倒れる間際に誰かの声が聞こえてきた。

「川岸に靴が揃えられていたことから自殺だろうって」と……。


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