第17話 自虐、それは天国へのメッセージ

ミユキの葬儀や納骨など神事を済ませ一段落してから、部屋に残された遺品の整理を始めた。

テーブルをひっくり返した時に付けた傷や欠けた茶器、その一つ一つの陰影がその時の動画として蘇ってくる。

心に錆び付いた傷が水垢のようにこびり付いて剥がれない。その都度思いに浸りながらミユキの遺品を片付けた。

ミユキが肌に付けていた宝飾品は純一が会社に持ち帰りテーブルにしまい込んだ。(それは誰にも渡せない)

ミユキの遺品は総て実家に届け、不要な物は処分した。そしてクリーニングを済ませ約束に準じて販売先にマンションの引き渡しを済ませた。

そして総てを終了させて自宅に戻ったのは日曜の晩だった。

妻は半年振りに戻った夫に普段とまるで変わらぬ穏やかな態度で迎え入れた。

妻が台所で夕飯の支度中純一が背中越しに声を掛けた。

「ミユキが亡くなったよ」

無言のまま、無反応にしていたが、一瞬ニヤリとした横顔が目に焼き込まれ、純一の背筋にゾクッと悪寒が走った。

人は境遇で立場が違う。自分の敵は最後まで仇でしかない。

如何に悲しい終焉を迎えても慈しむ心の幅は持ちえないものと痛感させられた。

それ程純一が持ち込んだ問題は重く憂鬱なものだった。

時間の経過と共に生活のリズムは全てなだらかな流れにより戻していった。

家庭生活も何処にでも見られる子供たちの賑やかな嬌声が溢れる団欒に包まれていた。

その日純一は仕事が押して11時を回った辺りに帰宅した。

夕飯の準備を済ませ優子は子供達が2段ベッドで寝静まった脇で日常の育児疲れにうとうとと微睡んでいた。

純一は無防備な妻の唇に口を重ねた。

不意の襲来に一瞬驚きの眼差しを向けたが迎合も拒止もしなかった。純一自身たいした認識も持たず曖昧な懺悔の気持ちから生じた行為に引っ込みがつかない状態に陥って、半ば惰性のように身体を弄った。妻は脇で眠る子供達に神経を張りつめ身体を堅くし純一の成すが侭に任せた。

「愛してる」

「嘘ばっか」

「何故だ、お前を嫌いに成った事など一度も無いさ」

「口は都合いいわ、何とでも言える」(あの女が消えない癖に)言葉を飲乾し、一向に会話が噛みあわない。

まるで凍土に杭を打ち込むような無機質な旋律に身体が硬直し虚しく時間が過ぎた。

そして最後まで血脈の溶解が計れない侭終焉を向えた。

女は半端な同情ほど毛嫌う。

純一の思惑のブレを見逃すほど妻は鈍くない。純一の曖昧な施しが心を傷つけ気持ちを殊更硬化させた。

そして妻は耐え忍んでいたかのように事の終了時、トイレに駆け込むと30分近く閉じこもって純一の全ての一献まで体内から排泄した。その行為に優子の無言の決意が込められていた。

妻の笑顔は全て子供達に向けられ、純一に対し目を合わす事さえ避けた。そして生活の営みのなかでも密かに抵抗を示した。

純一の下着は割箸で掴み家族の物とは別に洗濯した。また食器も分けて洗い子供達の物と一緒にすることは無かった。

愛情の全てが子供に注がれ、子供の為に成ることなら何でも進んでした。

書道、水泳、エレクトーン等の各習い事は元より子供の健康の為にと栄養士の勉強まで始めた。

両親から子へ縦回線は豊な慈愛が注がれたが夫婦間の横回線は遮断され、いびつに変形した家族の絆が形成された。

全てが一段落ち着きを取り戻した頃営業の流れでミユキの墓地に足を伸ばしてみた。

高台に位置した墓地から望む海の青が突き抜ける無限の群青の秋空を写し空気と水、青と青の美しい色彩いが穏やで清々しい気分に導いた。

墓石を丁寧に掃除し切り花を供えて線香を焚くと煙が優しくゆらいだ。

目を瞑って手を合わせるとミユキと出掛けた佐島マリーナでの情景が茫洋と浮かんだ。

その時閉じた瞼の裏側でたおやかな心とまるで違う異物が体内から沸き上がり混乱しだした。

ヨット上で睦みあいの情景が鮮明に甦ってきたのだ。

しかもその時のミユキの秘部の感触が淫靡に臓器に響きだし、まるで違う生き物が生を受けたように急激に成長をとげ容積を限界まで膨張させた。

純一は戸惑いを感じた。(一体どうした。神聖な墓標を前に何に感じている。馬鹿な、何故だ)

意識が混濁しイツしかズボンから性器を引きだし海上でのボートのシーンに埋没していった。

ギリギリまで切迫した嫌悪から一気に開放され驚くほど活きよいよく白濁の乳液が墓石に飛び散った。

茫然と佇んだまま訳もなく涙が溢れ出て精神が錯乱していた。

雲一つ無い快晴の只中この状況を傍で覗いたら変質者の何者でもない。然し純一は感じていた。

これはミユキの霊がそうさせたに違いない。


その事を機に純一はある決意を胸に麻布病院を訪れた。

その決意を外科医に告げると頑なに拒止された。

「我々医師は病気の根絶が使命です。柴田さんのご要望で手術はお受けできません」

「しかし精神的な安息がそのために得られるのなら患者を救うことになりませんか」

「それは無理です。健康な身体にダメージを与えて精神が安定することは有りません。柴田さんのお考えは不健全です。

もう一度考え直して下さい」

「判りました」

純一はこれ以上の問答が無駄と諦めざるを得なかった。

そして訪れた先が派手な広告を打ち上げていた整形外科医院だった。純一はその病院で自身の睾丸を切り取り塩漬けにしてミユキの墓に収めたのだ。

身体を傷つけミユキへの思いを刻む事と雄の機能を終焉させることで自身が決めたミユキへの誓いを果した。

手術の後遺症は整形外科医の技術に問題が有ってかその痛みは数年に渡って続いた。

然しその痛みをミユキからの魂の交信として受け止め、その痛みに浸ってもいた。


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