第13話 会社の窮状

会社の綻びは意外な処、社内の脇腹から沸き起こった。

それは社内経理鈴木美和の婚約者田原が架空請求をでっち上げ、彼女の預金口座に入金させていた事に端を発した。

担当局長が廻りを意識し、内々に聞かされた実情、その額は三億を越えその額の大きさに恐怖を覚えた。

10年以上昔、口座開設は自由に気に入った名称で開設ができた。当時鈴木はフォルツェノーベという個人口座を作って眠らせていた。その名称に全く疑問をもたれず、3年に渡って入金が続けられていたのだ。

田原自身が書き上げた企画書に基づいた架空請求をでっち上げ、いずれ収支のバランスが合わなくなる、いつ発覚してもおかしくない内容だった。

三億もの巨額を3年間、一流企業の監査をスルーさせた大胆さ、それを許した企業の緩さに驚きよりも呆れた。

しかし呑気に傍観者でいられるほど関わりは甘くない、会社の経理の女が舞台では当然の如く疑惑の対象とされた。先方は事件調査プロジェクトを編成し会社に乗り込んできた。純一の会社は一切関わりなかったが、神経がすり切れるほどシリアスな対応を要求された。

鈴木と田原のメール交信内容や請求書と現物見本のエビデンス調査など、まるで税務調査のように綿密でしつこい検査がくりかえされた。

営業上うんざりするほど邪魔な作業だったが純一に疚しさは無かったし、存続を計るため全面協力せざるを得なかった。

そして可成りの時間を費やして会社としての関わりが無いことは証明された。

しかし純一は鈴木をどこかで信じ、庇ったため彼女の処遇を決めあぐねていた。其処が唯一最大の失策になった。

結論を訝る間に相手が不満を持ち、ごく自然に取引量を減らされ、結果として営業取引停止という最悪の状況に陥った。

然しこの事件に不可解な疑問が残った。

事実究明だけを謀った会社側の真意、3億もの疑獄にもかかわらず、刑事事件として告訴もせず、民事で賠償請求もおこさない。社会的体面を意識し一切を伏せたのだ。

また誰しもが少なからず饗応などに抵触しているらしく、下手に騒ぐとカウンターで跳ね返ってくる。現実に田原の捨て鉢な暴言で幾人もの人が巻き添えを食らって疑惑の対象になり降格させられた。そして告訴しないと踏んだ田原の強かな読みが的中し食い逃げおおせた。

然し、売り上げの5割近くを占めていた顧客の喪失は純一の会社に途方もないダメージを与えた。

そして、こうした状況は循環し連鎖するものだ。

マンションを購入したゼネコンも偽装事件が発覚し、社会問題に発展し、一瞬にして倒産に追い込まれた。

最近この会社との取引量を急速に伸し、金額も一桁上がっていた。

その売掛金が全て回収不能になって一気に会社の業績と資金繰りが悪化した。

一端リズムが狂った零細企業は軌道を越えた角度で滑り落ち前月比50%、80%ダウンに陥いる。雪崩が樹木をなぎ倒す勢いに抗えない。

純一は無名企業が社会での冷遇を門前払いの厳しさや、6ヶ月間売上げゼロを経験しその恐怖は充分理解していた。

無名企業の新規開発など目隠しして針に糸を通すに等しい作業だ。

訪問先で必ずされる質問にいつも苦虫を噛みしめ、口内に渋味が拡がる思いがした。

「御社の最も得意としている分野は何ですか」

零細企業に特別優れたものなどハナから期待してない。

「特殊機能以外で当社に必要な会社は既に何社も揃っていて現状絞込みにかけているところです」

始めから準備された断りのセリフは嫌と言うほど聞かされた。

元来何処より優れた技術や特長があれば今頃中堅に成長している。

純一が強いて特長として挙げれば「純一自身の粘り」この一点に尽きた。どれ程叩きのめされても諦めない。

踏まれ、刈り取られてもジッと我慢し、いつしか根を張る雑草そのものの生様だ。

今その全て刈りとられ、経費の自粛を徹底させた粘りの時間に突入した処だった。

今は繁忙期に集めた社員6名を擁していたが誰一人新規の顧客獲得をしてくる営業マンはいなかった。

純一は全員を集合させ窮状の打開策として営業利益の35%を給料に該当させ、オール歩合制に移行する事を示準した。

35%が事務運営費、残りの30%が経営者の収益になる最もオーソドックスな配分方なのだがこの提案に一瞬空気が凍てついて何一つ反論も、賛同の声も湧かず沈黙が続いた。

純一の独演はひたすら空砲じみて、自身の鼓膜に響くだけ、砂に釘を打ち込む虚しさで話しを続けた。

翌日物の見事に全員の辞表が純一の机に並んでいた。

純一は余りに嵌まり過ぎた結果に可笑しくなり一人吹出してしまった。

「分かった、それだけ皆は自信が無いわけか。そう言う人達がこの会社を支えてくれる筈がないな」

皮肉を込めて言ったが、その言葉に反論して一番古株の高橋がほざいた。

「僕らにも生活が有りますから」

「その生活は、自分で稼げぐことだ、会社が面倒みることじゃない」

「でも会社は生活をみる義務が有ると思うのですが」

「なるほど、この考えじゃ会社は立ち行かなくなるわけだ。トイレットペーパーからスリッパまで自分が稼がなきゃ、何処からも金は湧いてこない全て稼ぎで賄われる。社員は稼ぐ義務があるんだ。会社の原理ぐらい理解していると思った」

彼らが営業として完成しない決定的な資質を純一は見抜いていた。

依頼された仕事は生真面目にこなすが客先に問題提起や提案を起すことは天地が替わってもない。

それ以前に顧客と食事の経験さえ無く、相手の懐も判らず仕事が受注できる訳がない。

そして最大の問題点は彼ら自身の責任が存在しない事だ。

他社に取られようが、見積りで負けようが、全て問題点が相手方、得意先の事情としか考えない。

毎日呆れる程定期的に外出するが、決った客先、決った内容以外受注したためしが無く、幾らふかしてもクラッチが滑ってエンジンに動力が伝わらない空吹かしを続けていた。理由を問い質すと有る意味、言訳の天才でも有った。

営業気質という特殊機能が備わっていないと残念な事だが人の天分は努力が実を結ぶ事に繋がらない。

然し純一自身の資質に問題が有ったのも事実だ。

何でもこなす器用さが、頼む以前に処理してしまう。人を成長させるに不向きで、経営者として最も重要な教育を怠った

そして誰一人完成させず窮状を向えた。

純一自身充分過ぎるほど承知し、弱点が判っているから人に意見出来ない。負のスパイラルに嵌まっていた。

純一は既に引き留める意欲が失せ、この社員ゼロの状況でミユキに助けを求めた。

「ミユキ全員辞めちゃた。笑っちゃうね、ミユキにお願い出来るかな」

「いいわよ、手伝うわ」

「電話番と伝票の打ち込み位の簡単な事で良いんだ」

「分かった。帳簿は自信ないけど、留守番の足しくらいになるかも」

「ミユキなら充分だ。本当は営業の手伝いをお願いしたいけど、體も大事だし、気侭にしていいから」

其処からたった2人、修羅の営業活動が開始された。

ミユキが初めての経理に戸惑いながら過去の帳簿を研修の積もりで辿りだすと思わぬ疑惑が浮上がった。

領収書の内容と地域日時の整合性に疑問が生じていた。

得意先も下請けも無い地域の飲食代が計上され、期日はばらけているが通しNoが繋がっていたり、購入した備品が会社で見たこともなければ何も残ってない。1回の額は小額だが遡って集計しその金額に驚いた。

未だ3週間足らず帳簿をまるで知らないミユキが過去の不正を炙出した。

経理の鈴木と営業の高橋が絡んでいた様子が輪郭を表した。

その内容をメモ書きし曽井弁護士(純一の顧問弁護士)に持ち込んだ。

「柴田社長これは背任横領の罪になる。ただ警察に持ち込んでも小額で取りあわないだろう。私の方から内容証明を送っておくよ。懲戒解雇処置をすると言えば多分慌てて弁済金を振り込んでくるだろう。奴らも汚点を作ると就職に影響するからな」

「幾らでも金が戻れば助かります。先生お願いします」

依頼して暫くすると、先生から連絡が入った。

「柴田社長、彼等それぞれが私の口座に入金してきたよ」

純一は呆れた。

まさか弁護士自身の口座に振り込ませると考えてなかった。

それでも一応ケリが付き、弁護士費用を棒引きされ僅かな回収が出来た。

然しそれが運営の助けになる程傷は浅くない。

そして、安く狭く汚い事務所に移転し経費を極限まで絞り込んだ。

銀行借入れも億を越え、未決済手形も5000万円に達し、純一の仕事は営業より資金繰りが中心になった。

純一の友人川島雄一が運営する「日得商事」が同じ中小零細で、彼は申告決算書をコピーの切り張りで改ざんし融資を引きだしていた。活きるためなら私文書偽造も何の躊躇も持たない。

彼は自動車メーカーのサービスキッド納入業者で新車サービス品の毛叩きや、セーム革、カーワックス等をバッグに詰めて販売していた。然し過当競争で余分なサービスが省かれ、壊滅的に需要が逼迫していた。他にもう一社苦境業種自転車販売チェーン店「中川輪業」が加わりこの2社が融通手形の度壺に嵌まっていた。

2社では融通手形のカモフラージュに限界が有り、川島が純一に融手交換話しを持ち込んできた。

純一は商道徳の禁じ手と行詰りの顛末を恐れ躊躇していた。

しかし銀行の支店長が資金繰りの保全に「紙が必要だ」と言い出し暗黙の了解で融通手形の持ち込みを指示してきた。

しかし3社グルミの融手は1社の焦げ付きで3社が同時倒産に追い込まれる。

誰かが不渡りを出せば、振出手形と交換手形の同時決済を迫られる。自社手形でさえアタフタしているのに相手先の決済など出来るわけが無い。

この状況が好転することは真夏に雪が降るよりも確立が低い。

間違いなく何れかが転げ落ちるのは時間の問題だった。

そして一番先に焦げ付かせたのは純一だった。

銀行の支店長が窮状を限界と判断し決裁の融資を拒んだのだ。

当日純一はミユキとのマンション生活で自宅に居なかった。しかも前夜銀行に呼ばれ資金繰りの打開策が暗礁に乗り上げマンションには深夜2時過ぎに帰り、翌日起きられず10時半に会社に着いた。

早朝銀行から自宅に不渡りの通告を入れたが、電話口にでた妻は

「自宅には帰っていません」と答え、純一が夜逃げしたと大騒ぎなっていた。

会社の前には銀行の次長や不渡りを食らった債権者でごった返していた。

何も知らされてない純一とミユキは玄関先を埋め尽くした取引先に躊躇したが、さしたる準備もしないまま集団に分け入ると

「何処いっていたんだ」誰ともなく大声で怒鳴られた。

「何処にも行っちゃいねえよ」むかっ腹が立って反論した。

「不渡り出して、偉そうな口きくな」他の債権者が叫んだ。

もみ合いの最中銀行の次長が出てきて実情を告げた。

「今回、融資を打ちきった。今日決済の手形を不渡りにしました」

携帯も、電話も鳴り続け、順次不渡りが発覚し、その都度雑音が増えていった。

対処を迫る者、怒鳴る者、狭苦しい事務所は怒号に包まれ、玄関の外まで人が溢れ出していた。

先ず、この騒動を収める事が先だ。騒ぎは時間が経てば収まるが彼等も必死だ。

何かしらの解答を持ち帰らないと今後彼等自身の問題になる。

純一は覚悟を決めて逆提案をした。

「皆さん、今日は不渡りを出し、ご迷惑をお掛けして心からお詫び申し上げます。私から一つお願いが有ります。

皆さんには必ず返済をお約束します。その代わり皆さんに振りだしている今後の手形を買支えて下さい。

必ず返済をお約束します」

「これだけの債権者の負債をどう返済するんだ」まるで信用しない者や

「俺らが買支え、アンタが生き延びる気じゃねえのか」

批判する者の罵声に

「考えて下さい。もしこのまま、僕が倒産しても、ここに有る事務用品位しかもっていけるものは無いのです。

それより少しでも金を返済させたほうが、得策じゃありませんか。それが嫌なら後は成り行きに任せるしかありませんね。

それで良ければここに有る物をご自由にお持ち帰り下さい」

立場は逆だが聞き分けの悪さにムカッときていた。

「あんた、何開き直ってんだ。少しは責任感じて殊勝にしたらどうだ」

「しおらしくしても迷惑を掛けることに変わりないでしょ。むしろ元気に、返済に前向きの方が、誠意が有ると思うのですが」

純一は不思議と落ち込まない自身にみなぎるものを感じてた。

そこに銀行の次長が割って入り口を挟んだ。

「柴田社長の会社はうちから、1億融資しています。もしこれに猶予を付ければ回転すると思います。

柴田社長のアイデアは皆さんにはマイナスじゃ無い感じがします」

それは銀行にも当て嵌まる。このまま倒産すれば融資の1億は元より、手形の割引等全て回収不能になる。

川島や中川の会社は間違いなく連鎖倒産に巻込まれ、今迄割り引いた彼らの融手まで焦げ付く。次長は咄嗟にそのことを頭に描いた。次長の一言で方向が定まった。

純一がこの最悪の窮状で闊達に物事に立ち向かう姿にミユキは強烈な衝撃を受けた。人は苦境時に真価が問われ修羅にこそ信じがたいエネルギーで輝きを見せる事が有る。ミユキはその光臨に触れビリビリと感受した。そしてミユキが純一に感応し同じ目的に走り出そうと決意したのだ。

ミユキは振出手形の明細や事業計画を作成して債権者に説明しやすいような一覧表にまとめ、心強いパートナー役としてサポートした。

怒濤のような一日の全てを終息させたのは7時を廻った辺りだった。この時点で融手仲間、川島と中川から連絡が入った。

当然の事だが怒鳴り口調で可なり興奮していた。

「不渡り出したって、本当かよ、一体どうするつもりだ」

「銀行に不意打ち喰って引導渡されたんだ。俺にも手が打てなかった」

「あんた、簡単に言うけどなアンタが不渡り出せば俺たちも持たないぜ」

「今日債権者に提案したけど、2発目を抱えさせて会社は潰さない積もりだ」

「銀行が融資止めたら無理じゃねえか。通常じゃ銀行無しじゃ回転しねえだろう」

「いや、銀行の次長も承知している。方法は考えている。明日銀行に来て欲しいのだが」

その晩ミユキが言い出した。

「純一さん、私営業手伝うわ。このまま事務所に居ても仕事にならないし少しでも回わって、何か得られれば多少の役に立てると思うの」

「身体大丈夫かよ。仕事は取り返し効くけど、ミユキは替わりが居ないんだ」

「大丈夫。さしあたって具合が悪い訳じゃないから。今、純一さんがどの位大変か理解出来ているのは多分私だけ。

私が頑張らないと純一さん潰れちゃう」

純一はその言葉に目頭が熱くなり不覚にも一滴頬を伝わった。

それ程その言葉が嬉しかったし、心に滲みた。

「有り難う、ミユキは僕の魂だ。ミユキが居るから多分僕は復活できる。本当に感謝しているよ」

甘えるように、ミユキの肩に手を廻し、力を込めて抱きしめた。

今の状況で営業に廻れる余裕はなく、次の不渡りを出さないために奴隷のように彼等の指示に従うしかない。

そうした状況に対応させられ、翌朝4時起きして都下の工場に向かった。そして金銭貸借書を作成し、用件を済ませ10時に銀行に戻ってきた。

既に川島・中川は深刻な顔付きで次長と話していた。

「済みません今朝一番で債権者に呼ばれて1件用事を片付けて来ました」

中川が言った。

「本当に全部上げるなんて出きるのかよ」

「やるしかないでしょ」

「ま、いいや、それより俺たちを、どうする積もりだ」

「僕には解決出来ないのでここに来てもらったのです。次長確か、川島さんの分2000万と中川さんが800万でしたね。それを銀行さんがそれぞれに貸し付け、手形を買い戻して、その借入金の返済は川島さん、中川さん経由で僕が返済する方法は無理ですか」

「簡単に言われちゃこまるよ。焦げ付いた先に貸しだすのは銀行常識じゃ有り得ない」

「でも貸出先は僕じゃないし、融資の対象としてお二人なら与信とか通りませんか。それにこのままだと銀行さんに割り引いて貰った分も不渡りにしちゃう。最悪僕が返せなくなってもその間何らかの準備が出きると思うのですが」

「柴田さん、返せなくなるなんて冗談にも言って欲しくないね」次長は不快感を露にした。

「勿論、僕が言い出した以上責任持ちます」

川島も中川も口を挟む余地がなく、神経を張りつめ事の行方を見守っていた。

この状況では銀行の出方しだいで命運が決る。

純一の提案が通れば一命は取り留められる。祈る思いが純一にも伝わって、内心馬鹿にしていた。

(偉そうな割にノーアイデアが)

次長が支店長に状況説明のため、席を外すと中川が言った。

「アンタ、頭良いね」

川島が口を挟んだ。

「そんなこと感心している場合じゃねえだろ」

「でも銀行もこれを呑まねえわけにゃいかねえんじゃねえか」中川が言った。

純一は彼らの会話に入らなかった。

暫く時間がかかり、2時間ほど待たされて次長が戻ってきた。

「今回は特別支店長決裁で了解を取り付けてきました」

殊更、恩義せがましく言った。

2人は深々と頭を下げ安堵感が顔に滲み出ていた。

純一は(他に方法が無いのだ)当然の事と敢えて顔に出すこともなく淡々としていた。

次長はその態度が不服らしく

「ちゃんと返すことが前提ですから柴田さん頼みますよ。それから条件が有ります。柴田さん貴方のご自宅ともう1軒マンションをお持ちですよね。それを担保提供して下さい」

威圧的に、嫌みも込めた言い方で指示してきた。

この要求は純一に手痛い。

家族に影響が及ぶしミユキにも迷惑が掛かる。

全く手付かずで済まない事は察していたが、こうして突き付けられるとその重さがボディーブローのような鈍痛を感じさせた。

もし反発すれば彼らへの融資は取り消され、しかも強制執行を仕掛けてくる。

純一は従うしかないが、それなりの反骨を模索し腹を固め始めた。資金が充分な時、貸付を押し付け、不足すると融通手形まで指示させた銀行。

川島や中川が自分たちのピンチを救って欲しくて、持ち込んできた融通手形の根拠を忘れ、今は純一が全ての加害者として話しが進行している。

そのやり切れ無さに意識が反抗していた。

連日激務が続いたがそれから先は純一の思惑より事がスムーズに運んだ。

此方が逃げなければ追い込みようが無い。

率先して出向くと因縁の付けようが無くなるようで激励までされた。しかし中に手強い業者がいて手を焼く場面も有った。

その日純一は早朝から大阪の債権者に呼ばれ不在の時、留守を預かっていたミユキが銀行からの連絡を取った。

ある債権者が約束を無視して手形を決済してきたのだ。

金額は120万円で当座残高が80万不足していた。

ミユキは慌てて純一の携帯に詳細をメールしたが大阪に居る純一の状況で解決は土台無理だった。

しかも現在手形買い戻しの依頼をしている最中でこの件がばれると尚更、同意が得にくくなる。

ミユキは再度メールを入れた。

「此方で何とかします。社長はそのままそちらで折衝を続けてください」

ミユキは自分で解決しようと決意し、銀行に向かう途中債権者に携帯で電話を入れ折衝を試みた。

経緯は業者が半ばバクチで放り込んできた。

うまく金が引っ掛かればその金で決済させ、もし外れても不渡りを覚悟していた。

ミユキは先方の社長の約束違反に食らいついた。

「今日社長は出張で段取りが取れません。夕方には戻ります。今日の手形を何とか買い戻していただけないでしょうか」

「此方も、決済してもらわないと困るんだ。手形は約束事だ、ちゃんと決済しといてくれよ」

「無理です。以前了解頂いていたのに、いきなり振り込むのは約束違反です」

「口約束より手形の本来の形は約束事なんだ。あんたからとやかく言われる筋合いのもんじゃないわな」

「この件が原因で倒産すれば間違いなく他の方に迷惑がかかります。貴方が計画を妨害した事を説明することになります」

「脅しているのか。アンタも女だてらに良く言うな。でもなー、俺たちは被害者なんだ。勘違いしないでくれ」

「社長が説明した通り、お返しする予定は組んでいます。

本来こうした言い方失礼ですが、此方も客先として御社には貢献してきました。私の調査では今年度分で1000万を越えて発注しています。一度ご迷惑を掛けたからって人間としてそんなもんじゃないと思うのですが。御社にしてもいつも順調とは限りません。そうしたときに協力を願う事だって有ると思うのですが、ご理解いただけないのが残念です」

「ごちゃごちゃ煩い」大声で怒鳴り受話器を叩きつけるような音を発て、ガチャリと切れた。

銀行の玄関口で暫くやりあっていたがこの結果では銀行に頼むしか方法が無く、止むを得ず次長に面談を求めた。

以前使いで次長に面識は有ったがこうした交渉事は初めてだった。

「今日の決済分私の持ち合わせ30万しか用意出来ません。不足の50万の融資をお願い出来ませんか」

ミユキは自分の預金から引きだした30万を差し出し懇願した。

次長はミユキの申し出に半ば呆れた言回しで突き放した。

「銀行は不渡りだした先に融資は出来ない。相手先に買い戻しを依頼した方が早いと思うのだが」

「勿論、その折衝はしてみました。相手の方はこの状況を承知で決済に廻したって言ってきました」

「銀行の基本方針で融資は無理だ」

「社長が帰ってきたら必ず段取りをとります。このまま2発目を出すわけには行きません。今迄の返済でお解りのように此処まで順調に運んでこられました。今日の段階で今迄の努力を無駄にしたく有りません。必ず後日ご用意しますから一時借りをお願い出来ませんか」

「幾ら言われても無理だ」

次長は根本から融通が聞かない男のようで高圧的な言回しで突き放された。

ミユキもそれは察したが、このまま引き下がる訳に往かなかった。ミユキは懇願しながら涙が溢れ出し、それを拭いもせず、床に手を突いて土下座を始めた。

「お願いです、このままじゃ、倒産します」

唐突な行動に次長は一瞬驚いたが

「其処まで言うなら近所のサラ金で借りてきなよ」

「でしたら私がこの銀行でお金を借りられませんか」

「そうだな、あんたならパーソナルローンで50万迄引き出せるかも」

いつもの事だが次長はミズからアイデアを提案した事が無い。

「それが出来ればそれでお願いします」

次長は行員を呼びつけ、パーソナルローンの手続きを取らせて印鑑や必要書類を準備し再度来店することで収拾がはかられた。

純一が大阪での案件を済ませ、漸くミユキに連絡が取れたのは午後2時を廻った辺りだった。

折衝中メールで事の重大性が伝わって、可なり苛立っていた。

「ミユキどうした。不渡り出ちゃった。急いで戻るので銀行に待つよう話してくれる」

「一応話しは付けました。安心して還ってきて」

「本当かよ、ミユキが何かしたの」

「私の借入れで凌ぎました」

「ご免ね、大変な思いさせちゃったね」

捨て身で救おうとしている姿が想い浮かび息が詰まった。

しかしミユキが土下座した様子は後に次長に聞かされるまで知る義もなかった。

翌日2人はいつものように会社で事務整理の最中、昨日手形を決済してきた会社の社長が現れた。

ミユキが堅い表情で捉えたまま応接椅子に向えいれた。

「柴田社長申し訳ない。昨日星野さんに意見されました。私の不徳です」

そう言うと封筒に入れた100万の現金をテーブルに滑らせ差し出した。

「星野さんがおっしゃる通り、一元のお付き合いじゃ無いのに無礼な事をしました。20万不足していますが金商の一部にさせて下さい。星野さんご免なさいね」そう言うと深々と頭を下げた。

純一は昨日凡の経緯を聞いていたが今日の相手方の対応に少し驚き判断に迷っていると、ミユキが純一より先に口を挟んで嬉しそうに礼を言った。

「判って頂けて嬉しいです。有り難うございます」

「今後もお付き合いさせて下さい」業者が済まなそうにいった。

「此方こそ宜しくお願いします」純一も深々頭を下げた。

ミユキの気迫を込めた、抗議が相手の気持ちを動かし理解を引き出した。

暫くして純一が銀行に訪れた時にミユキの様子を聞かされた。

「社長、お宅は凄い娘さんを使っているんですね。まさか若い娘に土下座されるなんてびっくりしました。

しかも泣き出され何とかしてあげなきゃと思いましたよ」

現実は何一つ協力していた訳では無かったが恩だけは刻み込んで話した。

「本当ですか。何も聞いて無かったので。そうですか土下座ねー。」

以前松谷に土下座された事を思い返した。

土下座は究極の懇願手段なのだろう。

純一のため必死に戦ってた、思いが巡るとザワザワ身体に震えが来た。それ程思い詰めたミユキの光景が浮び胸を締めつけ、目頭に熱を帯びた液体を堪えるのに苦しんだ。


然しそうした熱意は2人の中を勘ぐる噂として拡がっていった。

其処まで真剣に協力している姿は誰がみても一対のツガイにしかみえな。

露骨な言い回しで冷やかし半分の嫌みを言われることも有った。

「股間の繋がりは轍の結束だ。どんな無理でも我慢できるし、無料奉仕は金の値じゃないですか」

その言葉には無反応を決めるしか無かった。

自分はいいが若い娘がこうした批判に曝されるのが不憫だった。

「ミユキご免ね、厭な噂が拡がってミユキがターゲットに成ってる」

「そんなの気にしない。本当の事だし、いいじゃない、言わせておけば」

「でもミユキがそんな目で見られてるの、俺のせいだ」

「純一さんのせいだから良いの。他の人なら問題だけど」

「そう言ってくれると俺は嬉しいが、ミユキに厭な思いさせるのは辛いな」

「大丈夫、私は平気よ」

まるで気にしてない様子で明るく跳ね返された。

いつも感じることだがこうした雑言にはまるで動じない不思議な腹の座り方をしていた。

幾つかの問題も丁寧にクリアさせ、殆ど収束に向かっていたが又しても難儀な業者が出現した。

第五興産という印刷屋で何方かと言えば乱暴な対応が得意な業者だ。

そこの大田原社長は業界ゴロそのもので、風采もパンチパーマがよく似合う、一見業界風(極道)を地で往く印象の男だった。

表向きは印刷屋だが手割や高利貸しまで手がけていた。

一時ピンク本を裏の伝手を使って大儲けしたと聞いていた。

以前純一が依頼した銀行のパンフレットの仕切り紙にピンクチラシが使用され大騒ぎになった。

お堅い銀行にピンクチラシの合紙がどれ程影響を及ぼしたかは押して知るべしだ。

感が鋭くピンク本が社会問題化し警察の手入れが始まる寸前で手を引きお縄に預からず済んだらしい。

「手形を買い戻すなんて厄介な事していたらいつまでたっても終了しねえぞ。

俺が手形ぶち込んでやるから、俺の会社で出直せよ」(俺に組に入れてっか)純一は苦笑いし聞いていた。

事実日本の法律は倒産天国だ。

幾ら巨額の負債を抱えても一旦倒産してしまえば返済不要で、自己破産でも掛けてしまえば全て免責になる。

純一は家族とミユキのためにあえてイバラの道を選んでいた。

「いや、銀行との話しついていますから。兎に角返済は約束します。何とか社長のところでも手形を買い戻して下さい」

「じゃ、白紙手形を用意してきなよ」

「手形は銀行で全部取り上げて会社に何も残ってないのです」

「じゃ、一緒に銀行行って貰ってこようや」

純一は手形の差し替えだけは阻止したかった。

期日無しの手形は相手の意志で会社の命運を握らせることを意味する。

然し彼の押出しは一枚上手だった。

仕方なく、銀行に出向くと次長を恫喝しその手管はヤクザそのものだ。

大田原社長の指示通り期日無しの手形を手渡して終了したが翌日本業の業界人(特殊だが)を連れてきた。

濃紺に減張りの強いストライブのスーツ、目にも眩しいぴかぴか光る純白のエナメル靴。100m離れてもアバレル関係と判る大きな顔にてぼこぼこ肌、目が鋭く坐っていた。しゃがれ声で

「小早川です。宜しくたのんます」

「柴田社長これから此処に毎日出勤させるので宜しく頼むわ」大田原社長が言った。

「えっ、毎日此処に」

「心配いらないよ。アンタの仕事手伝わせりゃなんかの役に立つさ、一応債務が終了するまで明日からお邪魔するよ」

翌日から極めて凶暴そうな新入社員を交えて事後整理に没頭した。ミユキがこの凶暴風采男に適当な会話を交え何の畏怖心も見せず応対していた。

純一が呆れて問い質した

「ミユキ、怖くないか」

「病院にあの手の患者よく来ていたから平気、同じ人間よ」

「凄いな、ミユキは」

「病気にからきしだらしないの。以外と意気地無いんだから」

笑って応えた。

純一は本心からミユキの神経の太さに感心した。

朝方小早川が現れると快活に挨拶しコーヒーを入れてあげていた。

「今日はお天気いいから表の方がいいですよ。たまに出掛けて来たら如何ですか」

「そうだね、お姉ちゃんの言う通り今日は出掛けるか」

「普段はどんなお仕事しているのですか」

「そうだね、不渡り出した会社の事務機の引き上げとか、焦げ付いた手形の売り買いなんかだ」

「じゃ内みたいな処がお客な訳ですね。でも余りお金に成らないみたい」ミユキはまるで同僚と話すように会話していた。

「星野さん、あんた、面白い娘だね」

そうして凡1ヶ月が過ぎようとした頃、この騒動もようやく静けさを取り戻し、純一も営業に立ち向かえる時間の余裕が生まれ始めた。そうした中その凶暴社員が言い出した。

「柴田社長、アンタこの状況じゃ資金がたらねーだろう。俺が大田原に掛合って資金出させようか」

「無理でしょ、元々、不渡り背負わせている現状からして」

「でも、復活して元が取れりゃ、ノーとは言えねえはずさ」

日常顔を合わせてるうち情が移ったらしく、妙な親切心が不気味だった。

久しくして顔を見せた大田原社長に小早川は純一の仕事内容を説明していたが、唐突に言い出した。

「大田原社長柴田さんに1000万位用意出来なえか」

「なに馬鹿言ってんだ。あんた何で此処に来ているか自覚しているのか」

「あんたも餓鬼みたいな言い方するな。この会社から回収が目的で俺を派遣したんだろう。だったら資金も出せねえ、復活も出来ねえじゃ俺がいても仕方ねえだろう。柴田社長や星野さんは一生懸命頑張ってるぜ」

純一はこのヤクザの何処に響いたか自分でもこそばゆい感じがした。

「お前なあ、俺の意志、勘違いしやがって、しょうがねえな」始め冗談めいた会話が次第に熱を帯びて論争になってきた。

「早く復活させるにゃ、無一文じゃしょうがねえじゃん」

「バカ言っちゃいけねえよ。幾ら不渡り喰ってるか、あんたも解ってるだろう」

2人共言出したら引けない、そうした人種の様で収拾が付かなくなった。

彼らは腕力が妥当な終結法で今にも殴り合いになりそうな雰囲気になってきた。

迫力がありすぎて仲介に入るのを訝ったが、純一が割って入らづを得なくなった。

「2人共落ちついて下さい。兎に角今は努力して返済出きるよう頑張っています。」

「だけどよう、俺は柴田さんが頑張ってるの見てたら。じっとしておれなくなったんだ」小早川が言った。

「有り難うございます。いずれにしても返済は僕の責任ですからチャンとします。」

「まあ、大分内容が良くなった様だし。まあ、俺たちも応援はしてくつもりだ」

人前での揉め事は己の主張を通さないとこの業界では引っ込みがつかないらしい。大田原も本音は落し所を探っていた。

騒動が沈静化し翌日からプッツリ小早川は来なくなった。

「あれ何だったんだ」純一がミユキに笑いながら話した。

「純一さんに翻弄されちゃったのだわ、きっと」

「俺は何もしてないよ」

「以外といい人みたいね」

そんな日常の狭間をミユキが昔獲得していた情報通信メーカーの定期物を復活させた。

その他にも一端途切れていた顧客から少しずつ仕事を復活させてきた。純一はその報告に只ひたすら感心するばかりだった。

ミユキの対応は顧客の要望を熱心に遂行するだけ、看護婦時代の夜勤の経験から夜中でも没頭しレスポンスの良さで信頼を獲得していた。

しかし純一が苦悩した開業当初の経験からして現実はそれほど甘くはない。

ミユキの熱心さが買われ収益に結びいたとすれば一見努力が報われたと判断せざるを得ないが、それ以上にミユキが女であり、

その容姿が無言の吸引力として作用していないと断言できない。必ずしも公平平等にこの世が推移しているとはいいがたい。

しかし、ミユキは女の武器を徹底的に否定する事を武器にした。女の武器は時として鼻につく、密度の濃い仕事の発注は場合によってはバーターで肉体関係を迫られる。ミユキは美しさや女である事を否定し、ひたすら仕事に打ち込む姿で好感を呼び起こし、ある種の同情と思いやりを引き出した。また、女を武器にしない事でバーターの対価「体」の要求から防御させた。

たった2人の会社は根本的に経費が軽微で借金さえ無ければ少し売りが上がればあっという間に黒字化する。

相乗的に純一も営業感が戻り決して大口では無いが確かな利益が得られる仕事がまとまりだして経費にゆとりがでてきた。

然し一番ボリュームの有る融通手形の返済がその余裕を吸収していた。銀行プロバーの一億円は塩漬けにし、融通手形分、返済回数を五年間60回、毎月末50万円を元本返済に優先させ、金利は尾っぽに廻すことに取決めていた。

その他の債権者には売上げに準じ現金を持ち込み償却していく。

純一は自宅もマンションもローンの支払いを止めローン返済額をこっそり別の銀行に積立始めた。

それは銀行に対し反骨のノロシだ。

銀行への返済は毎月末現金を持ち込み支店長や次長に状況説明が慣例化していた。

今日もその説明の最中次長が高圧的にマンションの売却を催促してきた。

「この状況で何のためにマンションを持っているのですか。ローンも有るし、売却すれば幾らかでも返済に廻せるのに」

土下座した女と住んでいる事への嫌みが籠もっていた。

「いやー、売りには出しています。買手が付かないので」

「じゃ此方で買手を用意しましょう」

純一は狡猾な言回しが感に触れカチンと音を発て、血が吹き上がるのを感じ、脇に置いておいたカバンを後に放り投げ怒りを爆発させた。

背面の壁にカバンがブチ当り大きな音を立て中の書類が散らばった。

「勝手にしたら、ぎゃーぎゃーうるせえな。こうして頑張って現金用意しても、誠意も何も解っちゃいねえ。

もう覚悟決めた自己破産するしかねえな」

余りの剣幕に支店長も次長も一瞬凝固したが支店長がこの様子に次長を怒鳴りつけた。

「次長お前何も解ってない。柴田社長がこうして頑張っている誠意が判ってない。自己破産するといえば我々には手の出しようもないのだ」

指示して言わせたのは明らかだが次長のせいにして深々と頭を下げた。

「申し訳ない。私達は社長の誠意は充分に理解しています。只、役目柄こうした憎まれ役も果さなきゃならない。

どうかその辺の事情をご理解下さい」

その状況に次長も合わせざるを得なくなり一緒に謝りだした。

純一の逆ギレの演技が壺に嵌まった。

時に大袈裟なアクションも有効打になるものだ。

「いやー、僕も裏切らないよう必死で頑張ってました。解って貰えないのが残念で」

「よ〜く解っています。我々も柴田社長を、応援をしています。兎に角頑張って下さい」

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