第2話 精神心理研修

 国立A大学の大教室にユカはいた。精神心理研修。会場には精神科の教授とそのとりまき、厚生労働省の役人、県や市の福祉関係者、そして国家資格である臨床心理カウンセラーがいる。この研修はユカにとっては義務であり出席しなければ資格の更新ができない。会場には200人ほどのカウンセラーがいる。ユカは最前列に座り、研修が始まるのを待っている。時間は午後1時少し前。予定では5時に終了する。ユカは資料を机の上に置き、ペットボトルの紅茶を 口にした。

 ユカは資料の目次を見る。

1.診断基準の変更について

2.投薬基準の変更について

(休憩)

3.こころの健康増進法案について

4.精神障害者手帳の自動化について

(休憩)

5.精神科医療の今後(麦林教授)

6.一億総笑顔社会に向けて

 こころの健康増進法案。先月の国会で成立した新しい法律だ。これで18歳以上の成人は、3年に1度の心理テストが義務付けられる。施行は来年の4月からだ。

 こころの健康。ユカはこの言葉に頭の中で苦笑する。鬱は心の風邪と言われだした2000年代。それ以降、診断基準はどんどんと変わった。新しい病名が追加 され、患者は増え続けた。転機は2020年だった。精神病が、「精神の病気」と「心理の病気」の二つに区別された。日本は、DSM(精神障害の診断と統計マニュアル)や、ICD( 国際疾病分類)という国際標準から離れて、独自の精神科医療の道を歩むことになった。それにしても、日本の体制変更は驚くほど迅速なものだった。

 臨床心理カウンセラーは国家資格となり、こころの病気専門医制度ができた。精神科と心療内科が単なる名称の違いではなくなり、それぞれの役割と対象範囲が明確に線引きされた。精神科医には精神科医の、心療内科医には心療内科医の年1回の講習会まで義務付けられた。表向きは自殺者を減らすことと、国民のこころの健康の増進だ。しかし、真の目的が精神科医療と製薬会社、さらには精神福祉関係者の利権の拡大であることは誰の目にも明らかだった。それだけではない。障害者就労という美名のもとで、労働基準法に縛られない安価な労働力の創出という狙いもあった。産業界がこの法律に賛成したのも、それが理由だった。

昔の精神科が扱っているのは、統合失調症と躁うつ病(双極性感情障害1型)、そして認知症である。双極性感情障害2型は概念から否定され、うつ病に吸収された。

 一方、心療内科は、うつ病のほか、発達障害で括られる一覧の疾患、境界性人格障害などを扱う。取り扱える薬も精神科のように自由ではない。もしろ、カウンセリングや認知行動療法といった心理療法に重点がおかれる。心療内科の患者が精神科に入院することはなくなった。その代わりに心理センターができた。その位置づけは病院ではない。訓練施設だ。従って入院患者数には含まれない。ある意味で抜け道だ。わずか3年の移行期間で、日本の精神科医療は劇的に変わったのだった。

 研修が始まった。資料は誰もが持っているパソコンで見ることもできるし、大型スクリーンでも見ることもできる。この情報化の時代に教室で研修をする必要がどこにあるのだろう。ユカはそんなことを考えながら話を聞いていた。

発達障害と境界性人格障害の範囲が広がる。診断項目が大幅に変わる。これを聞いて、タケルがなぜ県立心理センターにいたのかを、ユカはようやく理解できた。

 正常と異常を決めるのは科学ではなく権威だ。精神科医療にどれほどの科学的根拠があるというのか。要は社会的に都合の悪い人間を病人として扱うことで排除しているだけではないのか。ユカは以前からそういう考えを持っていた。しかし、仕事が仕事だ。そんなことは決して口にしてはいけない。問題意識を持っていたら仕事の邪魔になる。ユカはそういう割り切りのできる自分を、大人という言葉で許していた。

 ふと、隣に座っている60過ぎの男性に目が行った。深く椅子に座り、目を閉じている。眠ってはいないのだろうが、最前列に座って目を閉じるとは相当な勇気だ。白髪で、デニムのパンツにジャケットというラフな格好。堅苦しい研修会にはおおよそ不似合だった。ユカは今まで隣のこの男性に気づいていなかった自分に少し驚いた。それにしても退屈な研修だなと思った。ただの原稿の棒読み。アドリブはもちろんないし、興味の持てるエピソードの一つもない。聞いたことを丸暗記すること。重要なのはただそれだけのようだ。

 まだ始まってから30分も経たないがユカは相当な苦痛を感じていた。眠気を晴らすために、また紅茶を飲む。気合いを入れようと、要点をまとめる。講師が境界性人格障害のクラスタFについて話し出す。笑顔の不在。それがこのクラスタの最大因子だ。その説明を聞いていてユカは唖然とした。社会適応を装いながらも、内部に葛藤を持ち、どこかでそれを発散している人。それはユカ自身ではないか。これが心の病気なのだという。そんなことになれば、国民の過半数が病人になるのではないのか。これを程度の差で判定するというのは、あまりにも無謀だと思った。それにしても、私自身も注意しないと危ない。ユカは寒気を感じた。

 休憩時間になり、席を立とうとした時、隣の男性に声をかけられた。

「新藤ユカさんですね」

「はい」

「私はこういう者です」

男性の名刺には、佐藤大作という名前と住所だけが書かれている。聞いたことのある

名前だった。確か、精神科医だ。


「どうして私の名前を・・・」

「いえいえ、心理士の名簿に写真入りで出ているじゃないですか。私は全員の顔と名前を覚えました。顔と名前を覚えるというのは、仕事上の習性というか、今では趣味のようなものでして」

 ユカは慌てて鞄から名刺入れを取り出し、名刺を渡した。あまり渡したくはなかったが、名刺を持ち合わせていないと嘘をついても簡単に見破られると思ったからだ。

「ちょっと外でお話ししませんか」

 ユカには特に断る理由がなかった。

「はい」

 多少の笑顔を作ってそう言った。建物を出ると一面が芝生の庭がある。ところどころにベンチが置かれている。二人はベンチに座った。

「今日の研修は退屈ですね」

 佐藤氏は宙を見つめて、ぼそっと喋る。ユカはどう答えるか少し迷う。そして無難なことを言う。

「ええ、でも研修なんてそんなものです」

「本当に退屈ですか?」

 ユカには佐藤氏の真意がわからない。

「佐藤さんは退屈ではないのですか?」

「そうですね。退屈を通り越していますかね」

「どういう意味ですか?」

「まあ、それを言うにはまだ早いでしょう」

 佐藤氏はそう言うと、ユカの目を見た。怖い目だった。まるで顕微鏡ですべてを見ているような目だった。鍛え抜かれた者だけが持つ特有の眼差しとでもいうのだろうか。ユカは柔らかく目をそらした。

「佐藤さんはどういうお仕事をされているのですか?」

「ふふふ。今日は、ただ資格を継続するために講習に来ているだけです」

「そうですか。では普段は何をされているのですか?」

「散歩、友との語らい、読書、手紙を書く、好きなことを気ままにやっています。運よくお金には不自由していないもので」

「それは羨ましいです」

 ユカは本心からそう言った。

「心理センターでのお仕事は大変なんじゃないですか?」

「いえ、仕事ですから大変だと思ったことはありません」

「ほう、まあカウンセラーというのは自分を騙すのも仕事のうちですからね」

 佐藤氏はそう言って少し笑う。ユカは不愉快になるが、もちろん表情には出さない。それはカウンセラーの習性のようなものだ。感情にフィルターをかけること。それはカウンセリングの時でなくても基本的な技術として要求される。一種の職業病だ。

「佐藤さんはカウンセリングをされないのですか?」

「昔は個人でやっていましたがね。今はカウンセリングとしてはやりませんね」

 微妙な言い回しだった。

「なんだか私には想像もできないような世界にいらっしゃるみたいですね」

 ユカがそう言うと佐藤氏がまたユカの目を見る。

「そうかもしれませんね。みんな夢を見ている。新藤さんも本当の世界を見たいですか?」

「本当の世界?」

「そうです。メディアが作り上げた虚構ではない本当の世界」

「佐藤さんは、そういう世界にいらっしゃるのですか」

「さあ、どうでしょうね・・・」

「でも、どうして臨床心理カウンセラーの資格をお持ちなのですか?」

「これはね、とても価値のある資格ですよ。貴方にもそれがわかる時がくる」

 確かに難易度は高いが高収入には結びつかない。もっとも、営業力のある人は個人で開業して稼いでいる。有名カウンセラー、人気カウンセラーは高収入だ。しかし、多くの場合、開業しても収入が安定しない。また、この業界では個人で開業したことはキャリアとはみなされず就職には不利になる。価値のある資格。 それがどういう意味なのかユカには意味がわからなかった。

「もし困ったことが起きたなら私に手紙をください。電話でもいいですよ。新藤さんに伝えたかったのは、それだけです。それでは」

 そう言うと佐藤氏は立ち上がり建物の方へと歩いて行った。

 困ったこと? ユカは不快に思った。まるで自分が困った事態に陥ることを予言されたかのように感じたからだ。改めてもらった名刺を見る。住所は打出小槌町。政財界の大物が住む海沿いのお屋敷街だ。佐藤。そう言えば地元には佐藤という国会議員がいた。親戚かもしれない。しかし、よくある苗字だ。それにしても、あの深い眼差しはなんだろう。そして、本当の世界とは何だろう。ユカは、スマホで「佐藤大作」を検索した。一冊の著書が見つかった。「カウンセリングの根本」20年以上前の本だ。B医科大学准教授となっている。

 ウィキペディアにも情報があった。現在は社会福祉法人の理事長。父も祖父も元代議士。男兄弟はなく、妹が一人いる。大地主でもある。大作自身は、42歳の時に、突如大学を辞めている。いったいどんな暮らしをしているのか。ユカは中古しかない「カウンセリングの根本」をネットで発注した。750円だった。

 次の講義は「こころの健康増進法案について」だ。ユカの隣にいるはずの佐藤大作氏がいない。

 政府はストレスという便利な言葉で、こころの健康が損なわれる原因を説明する。症状は、まず睡眠に現れる。休養、栄養、運動が推奨され、一度診断されると、そのレッテルは一生ついてまわる。

 全国的に導入された企業のメンタルヘルステストでは、職場の問題児がターゲットにされた。テストの結果と無関係に、会社は問題児に精神科産業医の診察を受けさせ、心療内科または精神科の受診を命令した。受診した人間は100%の確率で患者となった。会社は都合の悪い社員を排除するため、休職から退職という絶対の手段を持ったのだ。それならば、単に解雇される方がどれだけマシだったか。何しろ、心理障害者あるいは精神障害者というレッテルがついてまわるのだ。

 障害者手帳取得の推進もそうだ。昔は障害を隠して就職することも可能だったが、今はそんなことはできない。就職したあとで障害者であることが分かりトラブルが頻発した。そして、裁判が起こり障害者であることを隠したことが詐欺罪にあたるという判決が出た。今では一般の労働力市場とは別の障害者の労働力市場ができている。そこは労働基準法が適応されない安価な労働力市場であり、そこに目をつけて儲けようとする企業も少なくない。

 今回議論されているのは、従来は自主申告だった障害者福祉手帳を、医師の判断で自動交付するというものだ。働く力のある人間が豊かで勤労意欲がなく、働く能力のない一般採用されない人間が貧しく仕事に飢えているという捻じれ現象。絶対的な労働力不足のなかで、何としても労働力を確保しないといけない。生涯現役という言葉で高齢者雇用を一般化し、安価な外国人労働者を受け入れて、それでもまだ安価で使いやすい労働力が欲しいのだ。そこで目をつけたのが800万人以上いる障害者だ。この中の労働力市場人口を増やすこと。それだけではない。心理障害者という新しい領域を作って、障害者を増やそうとしているのである。

 一度障害者になるとマイナンバーシステムに登録される。年金額も納税額も、すべて一元管理され瞬時に調べられる。障害者手帳を持つということは、健常者手帳を失うということだ。一般就労には健常者手帳のコピーが必要なのだ。

 資料によると、来年の政府のスローガンは「一億総笑顔社会」らしい。ユカはタケルの顔を思い出して溜息をついた。

 結局、2回目の休憩が始まっても佐藤大作は帰って来なかった。次は麦林教授の講演だ。「精神科医療の今後」。麦林教授は典型的な御用学者だ。厚生労働省の政策に、あとづけで医学的理由を作る名人。精神科と心療内科の分離でも大いに活躍したらしい。ユカは缶コーヒーを買いに教室を出た。

 自動販売機の横のベンチに佐藤大作がいた。ユカは会釈をする。

「麦林の話など聞いたら人間が腐るぞ」

 佐藤大作はドスの効いた声でユカに言った。

「どうしてですか?」

「腐った話をまじめに聞くと腐る。それだけの話だ」

「それで、私にどうしろと」

「知らん。好きにしたら良い。腐りそうになったら私に電話しなさい」

「ハイ」

 ユカははっきりと返事をし、缶コーヒーを買って席に戻った。

 麦林教授は紺のスーツにネクタイ、銀縁の眼鏡というスタイルで登壇した。

「今日は皆さんに本当のことをお話しします。もちろんオフレコです。まあ、漏れたところで完全情報化社会です。こんな話がメディアで流れるはずもありません。そういう意味で皆さんは幸運だ。こんな面白い話が聞けるのですからね」

 麦林教授は、そう言うとニタリと笑った。

「精神科医療の今後と題してお話するわけですが、未来を知る近道は過去をしることです。精神科医療の歴史は思想犯を合法的に監禁する目的から始まりました。そして、脳科学と薬学を駆使して人間を改造する夢を見た。そんな時代がありました。脳科学は今も未知の分野です。ときどき新しい神経伝達物質が発見され、新しい薬ができます。まだ、その程度なのです」

「昔は統合失調症の長期入院で精神病院は儲けていた。それが脱・入院の流れになり儲からなくなると、認知症を精神科の領域に取り込んだ。また、TPPで薬価にアメリカが介入するようになって、処方箋では儲からなくなった。そこで、心療内科に独立性を持たせ、心理療法で売上拡大を図った。しかし、それでは売上が安定しない。そこで、障害者手帳の自動取得という流れになっている。一度患者になれば半永久的に患者になってもらうということです」

「この背景には当然ながら、それぞれの時代、それぞれの社会があります。1945年の第二次世界大戦終了以降は豊かになるという目標がありました。それがピークを迎えたのがバブル時代と呼ばれる1980年代。しかし、1992年にバブルは崩壊し、失われた30年が来た。人口減少、少子化、高齢化、老々介護、老々医療。成長の時代から貧困化の時代になった。世界が変わればルールが変わる。厚みのある中間層などという浮かれた時代に戻れるはずもない。現代の思想は貧しさに耐えて働こうです。富裕層は資産税のターゲットにされる。豊かな人間は働かないという前提から、貧困を強いる政策をとることになる。障害者手帳の自動取得による、障害者増加政策。これもその一環です」

「精神科と心療内科を分離したのはですね、これはもう恣意的です。診断云々より前に、働けない人は精神科、働けそうな人は心療内科です。発達障害だけではなく優秀な人材はたくさんいますよ。ただ、ある環境に適応できなかっただけだ。こういう優秀な人材を障害者就労という形で安価に利用できるというのは、社会的に実にメリットが大きいのです」

「まあ、社会問題はこのくらいにして、医療の話をしましょう。まずは二大精神病と言われる、古典的な統合失調症と躁うつ病。まあ、口の悪い医者は昔、治らないから精神病領域なのであって、治るならば精神科領域ではなくなると言い放ちましたね。その通りです。この病気、昔も今も治療法などありません。マニュアルに従って薬を処方しているだけで、効果などありません。まあ、多少はありますが、予防効果のある薬などどこにもありません。薬は気休めです。いや、医者の飯の種ですね。もっとも医者も貧困化政策の対象です。処方箋で儲けられなくなったのは、皆さんご存知の通りです」

「次に心療内科領域のお話をしましょう。これこそ、皆さんが直接関係するところです。ひとくちに臨床心理カウンセラーと申しましても、それぞれ専門が違う。方法も違えば、考え方も違う。しかし、根本のところは共通していなければならない。では、根本とは何か」

 麦林教授は、そこまで言うと喋るのをやめ会場を見渡した。ユカは自分のカウンセラーとしての根本が何かを考えた。クライアント中心主義。クライアントの主体性を尊重すること。そんなことを考えた。

「いいですか。臨床心理カウンセラーは国家資格なんですよ。根本は簡単なことです。根本とは国の決定に従うことです。当たり前の話ですよね」

 麦林教授の言葉にユカは引っかかった。これから何かまた新しい展開があるのではないか。今の政権は、一億総笑顔社会などと言い出す頭の悪い連中だ。障害者手帳の自動交付など人権問題だ。マスメディアは国連が出している勧告すら報道しない。いったい、政府は、いや麦林教授は、どんな次の一手を考えているのか。とにかく自由主義とは正反対の方向に進んでいることだけは間違いない。ユカは一刻もはやく心理センターに戻ってクライアントの顔を見たくなった。

 講演は本当に聞く価値がなかったとユカは思った。佐藤大作からは人間が腐ると言われたが、檀上にいるのは本当に腐った人間なのだと思った。話は、いかに精神科医療がでたらめで、心療内科の診断が無意味かという話に終始した。そして、話の締めは、GDPに占める医療費と福祉費の内訳と推移予想だった。麦林教授は初期値理論という言葉を使った。就職の時点で、どの会社に入ったか、どんな資格を持っているかで所得は決定されるという理屈だ。貧困化は全体に及ぶが、この初期値の比率は保たれるべきだというのが、麦林教授の、いや政府の思想のようだ。

「目標は精神障害者、心理障害者を人口の20%にまで増やすことです。これは、財界からの強い要望でもある。なに、ニート100万人時代ですよ。簡単なことです。念のために繰り返しますが、これはオフレコですよ。クライアントの増加が約束されている皆さんは幸運です。給料も緩やかに増えるでしょう。私たちは、そこまで設計しているのです。どうぞ、安心してお仕事を続けてください。それでは、みなさんお元気で。ご清聴ありがとうございました」

 やっと終わった。ユカはほっとした。最後は「一億総笑顔社会に向けて」の施策説明だ。笑顔で支えあう社会と言えばきれいだが、どんなに辛くても笑顔で耐えるというのは大変なことだ。医療、看護、介護が連携して緻密なネットワークを作って行く。必然的に管理社会の傾向が出る。需要が増えるということは、市場が増えることだが、供給サイドは民間企業ではない。行政の出先機関と化したいくつもの社会福祉法人が主役だ。そこには助成金のからくりと、表には出ない利害がある。マスコミが調べようにも調べられない世界。ユカもそういう世界の一員なのだ。

「みなさん、まず一番いい笑顔をしてみてください」

 ユカは驚いた。悪質な宗教かネットワークビジネスの説明会かと思った。しかし、笑わなければいけない。笑えない。こんな発言に笑うわけにはいかない。それでもユカは反射的にいつもの笑顔を作った。われながら、プロだなと思った。

「みなさん、素晴らしいですね。笑顔は笑顔を生みます。まず、その笑顔を忘れないでください」

 ユカは笑顔を作れた自分が悔しかった。私はいつも優等生なのだと思った。それは凡庸でつまらない人間と同義語だ。平凡であることを嫌う自分。ユカはそれを意識した。

「先ほどの麦林先生のお話にもありましたが、一億総笑顔社会の鍵を握るのはニートです。いまの日本には彼らの労働力が必要です。彼らは勤労の義務を守っていません。医療の対象ともなっていません。彼らが自由でいられるのは、親がお金を持っているからです。今度の国会で、ニートが強制的に医療の対象となる法案が可決されます。まずは全ニートからヒアリングをして、その結果を分析します。おそらく、ほとんどが心療内科領域の患者になります。そして、障害者手帳を持った労働力として働いてもらうことになります。おそらく、多くのニートが適応障害でしょう。しかし、一般就労は無理でも、週2回あるいは、週3回の障害者就労なら可能でしょうし、それに適した仕事がある」

「いいですか、患者が増えることは臨床心理カウンセラーの仕事も増えるわけです。つまり、給料も増える。良い話ですよね」

 嘘をつけ、忙しくなるだけで給料は増えない、それが現実だろうとユカは思った。いまどき、大企業の正社員でも、公務員でも、給料は日本の黄金時代の半分以下だ。お金があるのは各組織のトップクラスだけ。いまは貧困の時代なのだ。そんなことは誰でも知っている。だから、支えあうしかないのだ。

「今回のニート調査の鍵は自宅訪問です。これは公式には発表しませんが、本人のメンタルヘルスだけでなく、家庭状況の視察、調査を含みます。調査結果は、当然マイナンバー・システムと連動させます。徹底した資産課税で、そういう家庭の豊かさを奪います。そのお金で、私たちは潤うわけです」

 ユカは寒気がした。父が資産家の家系だからだ。今回はターゲットがニートだっただけで、贅沢税がこれ以上強化されたのでは、今の給料では暮らして行けない。特にグランドピアノは手放さないと仕方なくなるだろう。そうすると、ストレスの発散場所がなくなる。ユカは嫌な連想をした。

「私たちは金持ちだけの自由を許しません。より公平な社会を目指しているのが日本です。ニートはある意味で特権階級です。私たちは総力をあげて、この特権階級を破壊します」

 ニートが特権階級とされる時代。それが現代の暗さだ。その中で笑顔で支えあうことを強要する。道徳が重視される。優しさが重視される。ある意味で優しい社会。しかし、どこにも逃げ道はない。

「ニート調査には臨床心理カウンセラーがあたります。もう一人、社会福祉士がつきます。私たちの県のニートは約1万4千人。臨床心理カウンセラーが900人ですから、一人平均20人を調査することになります。まあ、来年の話ですが、楽しみにしておいてください」

 確かに楽しみだなとユカは思った。人に会うのは好きだし、知らない世界を見るのも好きだ。ただ、尋常な調査ではなさそうだ。きっと、ニートを全員、心療内科の患者にしなければいけないのだろう。真の狙いは、安くて質の高い労働力の創出。精神科医療はそのための道具であり、利権システムの一部なのだ。もちろん、臨床心理カウンセラーとして働いているということは、その利権システムにぶら下がっているということ。そう思うと、作り笑顔はできても、本当の笑顔が無いように思う。ユカは不安に思うと同時に、まじめに考える自分を責めた。そしてすぐに、自分を責めてはいけないと思った。ユカはこの研修で揺れている自分を強く自覚した。

「では最後に皆さん、一番いい笑顔をお願いします」

 最前列のユカは、ちらっと後ろを見た。不気味な顔、顔、顔。最後には市の福祉課長がお礼の挨拶をした。福祉課長は、喋りながらも笑顔を絶やさなかった。

 すべての講義が終わり、ユカは佐藤大作を探したが見つからなかった。教室の出口で同じゼミだった山口裕美子に会った。その周りには数人の知った顔があった。

「久しぶり。これから飲みに行くんだけど、一緒にどう?」

 悩み無き顔が並んでいた。いったい、どんな会話をしろと言うのか。ユカはとても耐えられないと思ったし、無理をする理由も見つからなかった。

「残念だけど、これから用事があるの。ごめんね」

「そうなんだ、心理センターに言ったエリート様の話を聞きたかったんだけど、流石に固いわね」

「ユミちゃんは今、何してるの?」

「大学のカウンセラーをやめて、今は普通に心療内科で働いてる」

「またメールでも電話でもちょうだい。だいたい日曜日は暇だから」

「ああ、日曜日は厳しいな。主人も子供も家にいるから」

 ユカは一瞬焦ったが、ここで言葉に詰まるようではカウンセラーではない。

「幸せそうね。ごめん私、急ぐから。またね」

 ユカはそういうと踵を返して駅へと向かった。県立A大学からユカの降りる駅まで、電車で20分。帰り道のコンビニで、缶入りのハイボールを2本とつまみの缶詰を買った。

 家に着くと、夕食の用意が出来ていた。

 「ただいま」

 両親はすでに食事を食べているところだった。

 「お帰り」

 「ごめん、晩ご飯は後にするから」

 まず服を着替え買ってきたハイボールを飲んだ。そして、一息ついたところでピアノ室に入った。乱れていた。ミスばかりで苛立った。10分もせずにピアノ室を出たユカは、自室で2本目のハイボールを飲んだ。アルコールを入れてから、夕食を済ませ、シャワーを浴び、ベッドに入った。家族との会話はない。眠りはすぐに訪れた。

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