第20話 別れ

 昼食をとっているドミニオンズの食堂。

 今日はやけに人数が少ないことにアザエルは気になっていた。李美耽、ベルゼバリアル、馬火茂、毛手碓、ラマシュ、魔遊がいないのだ。

 アザエルは嫌な予感がしていた。また李美耽が新人いびりをしているのではないか? と。EDENから六人にメッセージを送るが返事がない。

 ほかの隊員も異変に気付いており、ただならぬことが起きているに違いない、と噂していた。

 安堂博士はというと、気が付いているのか、いないのか。普段通りに食事をとっている。

 煮え切らない思いのアザエルは、捕虜のアスドナのための食事をシェフから受け取ると、食堂を後にした。

 72階のホールに来たアザエルは、床に血痕があるのに気づいた。一瞬ギョッとして立ち止まったが、血痕はずっと点々と廊下に続いている。そして血痕は魔遊の部屋の前まであった。魔遊の部屋のドアは半開きになっていた。

 アザエルは魔遊の部屋にノックもせずに入った。そして後ろ手にドアを閉める。

 ベッドの上に魔遊がうつぶせになっている。シーツが血に染まっている。

 アスドナの食事を机の上に置くと、アザエルは魔遊に呼びかけた。

「魔遊、大丈夫か? なにがあった?」

 魔遊はアザエルの言葉に体を起こした。

「いや、無理するな。横になっていろ。李美耽か?」

 魔遊の焼け焦げた戦闘服を見てアザエルがたずねた。

「ああ。馬火茂から、李美耽がメガフロートにいるからと言われ、ラマシュと一緒に行ったら、毛手碓が待ち構えていた。俺に恨みがあったみたいだ」

「今、ここにいるということは。倒したのか?」

「そうだ。ラマシュを殺されて怒りがおさまらなかった」

「ラマシュが死んだのか……」

 アザエルは絶句した。

「李美耽とベルゼバリアルの攻撃を食らって、怪我をしてしまった。だが、何とかやっつけて逃げることができた。ああ、馬火茂もいたな。どこにいったのか……」

「李美耽とベルゼバリアルをふたり同時に殺したのか?」

「分からない。俺の智力を送り込むことはできた。死んだかどうかは確認してない」

 魔遊の言葉に呆気にとられるアザエルだったが、得心する部分もあった。

「俺も以前から、ドミニオンズ隊員の中に、良からぬ考えを持ち結束する、という悪癖があるのは分かっていた。分かっていたが、どうすることもできなかった。特に李美耽たちのグループは陰湿で、魔遊のように智力の強い新人隊員が入ってくると、新人いびりをしているようだった。直接は見たことがないが、話には聞いたことがある。これまで何人の有望な新人が消息不明になったことか。それは全て李美耽たちの仕業だったのだな。俺の力不足だったのだな。博士にも相談したことがあるが、強いパワーズ同士が戦って勝ち残ることでさらに強いパワーズが生まれる、と言って話にならなかった。李美耽以外にも、結束したグループもいて、そっちもコソコソしているようだ。こんなドミニオンズの名を汚すような連中がいるようでは、隊も先が見えている」

 アザエルは残念そうにうつむいた。

「俺はここに来た初日から、その陰湿な感情を感じていた。ここの隊員みんなが俺のことをよく思ってないことは分かっていた。ああ、ラマシュは違っていたか……」

「ラマシュはいい奴だった。明るくて、屈託がなくて。誰にでも優しく接することのできる奴だった。なぜそのラマシュが死ななければならない? このドミニオンズは、セラフィムを育てることに力を注ぎすぎて、人間的ではなくなっている。その結果、心のケアができず対人関係が悪くなったのだろう。みんな表では平静を装っているが、頭の中ではドロドロしたものが渦巻いているはずだ。魔遊はそれを感じ取っていたのだな。だから、組織に認められないと浮いた存在になっていしまって、その場にいられなくなってしまうわけだ」

 まさに魔遊のことを指していた。ドミニオンズ隊員と魔遊との確執は、まさに命がけの戦いにまで発展したのだ。

「ドミニオンズ隊員たちは、自分こそがセラフィムだと、選ばれた民であるという選民思想が強いんだ。そしてARK社上層部もまた選民意識が強いようだ。セラフィムを手なづける存在として君臨しているからだ。なぜプリンシパリティーズのメタトロンを殺害したのかというと、メタトロンや彼と結びついた富裕層もまた選民思想が強かったから、邪魔だったんだ。これは俺の憶測に過ぎないがきっとそうに違いない。医療室は何のためにあると思う? あそこはパワーズの智力を高めるために作られた実験室だ。訓練と称して人体実験を行っているんだ。智力を上げることと引き換えに、精神が崩壊するものもいる。いくらセラフィムのためとは言えやりすぎだと俺は思う。そのやり方に俺は何度も博士に抗議した。だが、まったく通らなかった。ここはARK社という組織であり、上層部で決まったことは変えられないんだ。その頭の堅い連中が俺は嫌いだ」

 アザエルは不満をぶちまけると、そこで言葉を切った。

「だから、俺はドミニオンズを抜けて、ヴァーチャーズに寝返ろうかと考えている。元々ドミニオンズの隊長であるという立場に疑問を感じていたが、アスドナに話を聞いて気持ちが変わった。そして今魔遊から話を聞いて、決心した。俺はヴァーチャーズに行く」

 アザエルの決意に、魔遊は体を起こした。

「俺も行く。連れて行ってくれ。ヴァーチャーズがどんなところなのか分からないが、きっとここよりもマシだと思う。いや、今すぐにでもこんなところを出たい」

 魔遊の言葉にアザエルは笑顔になった。

「きっとそう言うだろうと思っていたよ。だから魔遊に話したんだ。きっと食いついてくるだろうと思ってね。で、どうするすぐにでも出発したいか? それとも傷を手当するか?」

「いや、怪我は大丈夫だ。心の痛みに比べたら大したことはない。すぐに行こう」

「そうか、分かった。じゃあ、アスドナを連れて、彼女にヴァーチャーズへ案内してもらおう」

 アザエルは冷めた昼食を持って、アスドナの部屋を訪れた。魔遊も一緒だ。

「今日は遅かったわね。このままお昼ご飯抜きかと思ったわ」

「すまないな。魔遊と真剣な話をしていたのでね」

 血を流している魔遊がアザエルの後ろから現れた。それを見たアスドナは大きく目を見開いた。

「血だらけじゃない、何があったの?」

「李美耽たちにやられた。ここでは新人いびりがある」

「そんな程度の低いことが行われているの? 一体ドミニオンズはどんな組織なのよ?」

 アスドナはアザエルを睨みつけた。

「俺の監督不行き届きだな。申し訳ないと思っている。だが、隊長の俺にも、もうこの組織は手に負えない。だからヴァーチャーズに行きたいと思ってる。だから案内してくれないか?」

 しばらく沈黙が続いた。アスドナは目が点になっている。

「何それ? 新手の罠? 裏切りと見せかけ案内させておいて、組織を攻撃するつもりでしょう?」

「いや、いやいや。これは本気だ。なんなら頭の中を読んでみろ……。ああ、マン・マシーンを装着してなかったのだな。じゃあ、医療室に来い。装着してやる」

 アザエル、魔遊、アスドナの三人は医療室に来ると、アスドナを椅子に座らせる。厳重に鍵のかけられたロッカーのひとつを開け、中からヴァーチャーズのマークの額飾りのマン・マシーンを取り出した。壁の棚からヘッドギアを取り出すと、マン・マシーンをセットし、アスドナにかぶせ、入念に位置補正する。そして装着ボタンを押すと、ピン状のマン・マシーンがアスドナの額の穴に差し込まれる。

 その途端アスドナは覚醒したかのように、EDENの情報が頭の中に入り込んできた。と同時に目の前にいる、アザエルと魔遊の頭の中をのぞいてみた。アザエルの言うとおり、ドミニオンズを裏切って、ヴァーチャーズに寝返ろうとしている気持ちに嘘はないとわかる。アスドナはヘッドギアを外した。

「あなたたちに嘘偽りはないことはわかったわ。それに、わたしの目的のひとつは魔遊を味方に引き入れることだったから、達成ね。じゃあ、こんなところ早く引き上げましょう」

「待ってくれ。友達に別れを言いたい」

 魔遊が声を上げた。

「そんなことしたら、わたしたちがここを脱走するのを教えるようなものじゃない。それはダメよ」

 アスドナは魔遊の言葉をさえぎった。

「魔遊、それは護のことか?」

 アザエルは魔遊を見た。魔遊の目は真剣だった。

「護に別れを言いたい。護ならきっと黙っていてくれる」

「そうか、お前がそこまで言うのなら、本当にそうなのだろう。アスドナ、それにな俺や魔遊がつけてるドミニオンズのノックヘッドは、調べれば誰がどこにいるのかすぐにバレてしまうんだ。だから、早急にヴァーチャーズのマン・マシーンに換装する必要がある」

「分かったわ。別れのあいさつは手短にね」

 魔遊はアスドナに感謝すると、護の部屋をたずねた。傷だらけの魔遊を見た護は驚いた顔をしたが、事情を説明すると納得してくれた。

「護。俺はドミニオンズをやめて、ヴァーチャーズに行く」

 魔遊は率直に言った。しかし護は驚いた様子は見せなかった。

「そうか、なんとなくそんな予感がしていたんだ。お前はここになじんでないなってな。俺はなんとかうまくやってるぜ。それにな、訓練で大幅に智力が上がって、もしかしたらオファニムに任命されるかもしれないんだ」

「そうか、オファニムになるかもしれないのか、良かったな。それとみんなとうまくやれているのなら、いいじゃないか。俺はダメだったけど」

 魔遊はなじみが成長していくのを心から喜んだ。

「今度会うときは、敵同士だな」

 護は不敵な笑みを浮かべた。

「そうだな」

 魔遊も笑みを浮かべた。そして友人の部屋を後にした。

「待たせたな」

 魔遊の部屋で待機していたアザエルとアスドナのところに戻った魔遊は、出発する気でいたが、アザエルが待ったをかけた。

「まあ待て、その血だらけで焼け焦げた服を着替えないか? どう見ても怪しいぞ」

「そうよ。傷口からばい菌が入るから、洗い流しなさい」

 年上ふたりに言われて、魔遊はおとなしくシャワーを浴びることにした。だが、早くこのARK社ビルから出たくて、気ばかり焦っていた。

 そして傷口を洗い流し、新しい服を着て、気持ちも一新して、アザエル引率の元ARK社ビルを出ていった。

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