2話 虎と花

 荒野をバイクが走っている。藍色のペンキを塗ったぴかぴかの、空よりも

輝くあおいバイクだ。

 バイクは行く、道無き道を。何人なんぴとの足跡も知らぬ固い砂地をパッパッと散

らし、薄い轍わだちを残して進む。その疾走は歌と共にあった。

「~~♪ ~~♪」

 歌の主は後部座席に腰掛けた少女だった。少女は運転手の背に頬を預けて、

気怠けだるそうに歌っていた。その歌はまるで、言葉を覚えたばかりの幼子が看板

を読み上げているような案配で、雲間に光が差せば太陽を、風が巻き上げれ

ばつむじ風を、即興のままに歌い上げては荒野につらつらと流していた。

 それはこんな歌だった。

「暇ひまひーまー、ひまひまひー」

 つまり、アイである。

 アイは長い髪がなびかぬようにくるりとまとめて、男物の大きなコートを

きっちりと着込んで風から身を守っていた。その背丈はこの八ヶ月でだいぶ

伸び、また、顔立ちにも鋭いものが混ざり始めて少しだけ大人らしくなって

いた。だがいまは形無しだ。

「あー暇ですねー。もー暇ですねー♪ ねーアリスさん?」

「……うるっせえなぁ」

 暇人間の標的にされた不幸な少年――アリス・カラーはもう何度目になる

かも分からない叫びを上げる。

「こちとらお前と違って運転ってもんがあるんだよ!」

「だからそれ、代わってあげるって言ってるのに……」

「足が届かないくせになに言ってんだこのチビ助が……」

「なっ! それ言いましたね!!  言ってくれましたね」

 かくてワイワイギャーギャーと、騒音は時速四十キロで南下していく。二

人は一緒に旅をしていた。遙か彼方にある違う目的を目指して、今日も当て

無き旅を続けている。

 これは、そんな旅行記の一幕だ。


                 †


 十六年前、突如あらわれた神は言った。

「あの世はもはや満杯だ。この世もすぐに行き詰まる。ああ失敗した」


 その日から人は死ななくなった。


 心臓が止まっても肉が腐っても。死者はうごめくのを止めなかった。


 その日から人の子どもは生まれなくなった。


 工場の火が落ちたように、新しい人は作られなくなった。

 神様のいなくなった世界で人類は絶叫した。億の叫びは血を噴き出して。

瀕死に到るまで止まなかった。生きている人間はぐずぐずと減り、世に死者

蔓延はびこった。

 

だがそれはあくまで人間の話。

 人の世が終わっても、生き物たちの世にはなんの関わりもなかった。草木

は昨日と変わらぬように花をつけ、連環は人だけを残して巡っていた。

 そのはずだった。


                 †


「だいたいアリスさんはそう言いますけどね、私だってこれでずいぶんと成

長してるんですよ? 背だって伸びたし、体重もめきめき増えてます、それ

に――」

「まて」

 それは二人がいつもと同じように口げんかをしていた時だった。

「……なにごとですか?」

 アイはすぐに浮ついた雰囲気を捨てた。彼の声にはそれだけ本気の成分が

含まれていた。

 バイクが速度を落としてゆっくりと進んでいき、アイは警戒の理由を知っ

た。

 それは虎の死体だった。

「わ」

「あ、こら」

 トンっとシートを突いて、アイはバイクが止まる前に飛び降りた。殺しき

れなかった速度を走る力に変えてタンッタンッと跳ぶように駆けてたどり着

く。

 ずいぶんと古びた虎だった。死後の事もあるが、生前からしてすでに十数

年と生きてきた老虎だったのだろう。毛皮はすり切れ、肉は落ちくぼんで天

然のミイラになっている。

「こいつ、なんでこんなところで死んでるんだ」

 チンッチンッと音を立てるバイクを引きずって来たアリスが言う。この辺

りは荒野と言っても砂漠側に近く、虎のような大型肉食獣はもっと南にいる

はずなのだ。

「私、虎って初めて見ました」

「そうか」

「ええ、まあ死んじゃってますけど」

「そうな」

 ひゅるるると、冷たい風が荒野を駆けた。アイはかがんで、アリスは突っ

立って、どう扱っていいのか分からない時間を持て余している。

「……埋めてやるか」

 やがて、アリスがいった。「そうですね」アイもこっくりと頷いて、尻を

払って立ち上がった。バイクまで戻って携帯用のショベルを取り出す。残念

ながら一本しかないので分担することはできない。アリスが溜息をひとつ吐

き、テントと寝袋をおろしはじめた。どうやら今日はここで野営となりそう

だ。

 ざく、ざく、と荒野の固い土を掘り返す。アイは、力は強いのだが体重が

軽いため、こういった作業にはあまり向いていなかったが、それでも昔より

は大分早く穴を掘れた。

 日が大分傾き、一番星が輝く頃、アイは墓穴を掘り終わった。

「終わったか?」

「いえ、もう少し」

 こういった死体には素手で触らない方がいい。アイは『ごめんなさい』と

呟きつつ、ショベルの背を使って死体を突き落とした。

「ふぅ、これであとは埋めるだけです」

「そっか、お疲れさん。ほれ」

「あ、どうも」

 アリスがお茶を淹いれてくれた。アイの分、アリスの分、そして死んでし

まった虎の分。

「ま、虎がお茶なんか飲むはずないけどよ」

 三つ目のカップを墓前にことりと置いた。それがなんだか、アイには嬉し

かった。

「ふふ、それ言ったら、虎さんにはお墓だっていらないと思いますよ」

「だな」

 どこかままごとめいた時間が流れた。必要のない葬儀、必要のない墓穴、

そして必要のない悲しみが、時間に溶けて流れていった。

「俺がやろうか?」

「いえ」

 お茶を一口だけ飲んでから、アイは作業を再開した。ショベルを手に取り、

掘り返したばかりの土をすくいあげる。

 ひょっとすると、これは虎の葬儀ではないのかもしれない。

 それは過去、二人が弔うことなく置き去りにしてきた死者たちの代替だっ

たのかもしれない。ならば、まさしくこれは葬儀だろう。死者を殺すための

墓守の儀式ではなく、生者が明日を生きるために必要とした、自らのための

慰撫いぶの儀式。

「……では、埋めます」

 そして、アイはくらい土を虎の体にかけた。そのときだった。


「ううむ、なんじゃさっきからうるさいのぅ」


 と、言って、虎が大きく伸びをして、ひからびた舌を宙にさらした。

「ん~~よく寝たわい。なんじゃ人間か。めずらしいな」

 アイはびっくりして言葉も出ない、アリスもお茶を取り落としながらも銃

を抜いている。

わしは虎じゃ。よろしくの」

 こうして、二人は世にも珍しい喋る死んだ虎と出会った。


                 †


 この世界では、ちかごろ人が死ななくなった。

 心臓が止まっても体が腐っても、人々は止まらず動き続けた。なかには

真っ二つになっても動きまわり、骨だけで歩き回る人すらいた。

「でも、さすがにこんなの、初めて見ました」

 無駄になってしまった穴のふちに腰掛けて、アイは言った。

「うむ、儂もであるぞ」

 どことなく老賢者に似た威厳を持つ虎が言う。

「流石の儂も、人間の言葉を話せるようになるとは夢にも思わんかった」

「あはは、おそろいですね」

「うむ、おそろいじゃな」

 つん、とアイと虎は拳と拳を軽く当てる。

「しかし、お嬢ちゃんは儂を怖がらないのだな」

「と、いいますと?」

「いやなに、道中、幾人かとも出会ったのだが、みな、儂の姿を見ると逃げ

てしまってな。まあ、気持ちは分かる。儂も生きている時分なら、こんな気

色悪い化物、逃げるか打ち倒すかしただろうからな。それこそそこの小僧の

ようにな」

「あーそーですねー」

 たき火を囲んだ最後の方角、油断なく銃を構えて座り込んだアリスが言う。

「そう、そうなんだよ。普通そーするべきなんだよ。ちょっとでも異変を感

じたら、とりあえず逃げるのが賢いやり方ってもんなんだよ」

「うむ、全くもってその通りだ。それが草原での掟でもある。むぅ、お嬢

ちゃん、おぬしの親はそんなことも教えなかったのか? 不憫ふびんな子よのぅ」

「……それがなんで異変の元凶に心配されてんだよホント」

「失礼な人達ですね」

 一人と一頭がまったくおなじ性質の溜息を吐いた。

「別に、私だって人は選んで仲良くしているつもりですよ? ま、今回は虎

さんですけど。以前にもライオンさんと仲良くなったこともありますし。い

いでしょう」

「その選び方が雑だっつってんだよアホめ」

「むむ、そういうこと言いますか。 あーそーですね! 私がもーちょっと

まともな子だったらアリスさんなんかとは一緒にいないでしょうからね!」

「あ! てめぇそういうこと言うか! っていうか頼んでねーだろ!」

 わいわいぎゃーぎゃー。

「ほっほっほ、若い者はよいのぅ」

「――こほん、失礼」

 十分間ほどの言い合いが続いて、二人の戦いは終わった。勝敗は言わずも

がなだった。

「それで、あなたはどうして喋れるんですか?」

 アイはワクワクしていた。動いている人の死者など何千人とみてきたが、

虎のそれとなるとちょっと記憶にない。肉体改造をしてそれっぽくしている

者ならいたが、目の前の虎はまったく、本当に虎そのものに見える。

「はん、生きてる虎なんか見たことなかったくせに」

「ちょっと、アリスさんは黙っててください。で、どうなんですか?」

「さあ、分からん。気付いたらこうなっとった」

「心当たりとかないんですか?」

「どうせ変な物でも食ったんだろ。拾い食いが当たり前みたいな連中だしな。

おいアイ、お前も気をつけろよ」

「もう! アリスさんってば!」

「むむむ。そう言われてみればひとつあったのぅ」

「え、あるんですか」

 若干引き気味のアイ。まさかの正解を引き当てて困惑するアリス。そんな

二人に虎は言った。

「儂は人を喰った」

 彼は人喰い虎だったのだ。


                  †


 儂も若い頃は歴戦の大虎として吠え声も知れてな、ねじれ大樹から丸々谷ま

でを縄張りとしてブイブイ言わせたものじゃ。

 ところが寄る年波には勝てなくての。先日ついに最後の縄張りさえ奪われ

てしまったのだ。

 なに、同情はいらんよ。儂とて若い時分にはそうしてきたのだ。とにかく

儂は放浪した。縄張りを失った虎などむなしいばかりでな、いつもなら見向

きもしない小さな獲物や毒の匂いすらするむくろに口をつけた。だから、そのなき

がらを見つけたときは心が躍ったよ。

 それは、人間の領域に近い森でのことだった。そのころの儂は飢えに耐え

かねてそんなところにまで顔を出すようになっていた。

 うむ、死体がな、あったのだよ。

 性別? とし? ちょっと、そういうのは分からんな。なんだと小僧。で

はお主が最近喰った肉の歳は? 性別は? ほれ分からんじゃろ。生意気言

うな。

 とにかく、死体の話だ。

 今思えば奇妙じゃったな。いや、死体ではなく、状況がだ。

 儂がついたときにはすでに虫や鳥、むじなや狐までいて肉を漁っていたのじゃ

が、どう考えてもそんな小物共に人間などれるはずがないのじゃ。場所も

変だった。そこは人間共の猟場ではなく、普段なら入り込まない場所なのだ。

 だが当時の儂はとにかく餓えていての、たまらずそれに口をつけた。

 あれはうまかったなぁ。やわらかく、噛めば噛むほど味がしみ出て、ホカ

ホカと湯気を立てる肝臓は絶品だった。

 あ、それで思い出したが奴さん、たぶん女か子供だろう。なぜって人間の

雄、とくに大人の肉は独特の臭みがあるからな。ふむ、ちょうどお主らとお

なじ年頃ではないかな?

 ……なんじゃその目は。なぜ距離を取る。傷つくではないか。

 あー、あー。そういうあれか。安心せい。今の儂はもう誰も喰おうとは思

わんよ。遊びで命を奪う人間と一緒にするでない。

 結局、それが儂の最後の食事となった。

 崖を越えようとしてあっけなく、儂は死んだよ。

 なに、嘆くような事ではない。老虎はいつも、消え去るのみなのだから。

「ところが、儂はいまもこうして動いている」


                 †


「それが、人の肉を食べたからだと、あなたは言うのですか?」

 すっかり夜になった荒野でのこと、アイは三杯目の紅茶をふーふーしなが

ら言った。

「うむ、ほれ、最近の人間共はなぜか、死んでも動き回るじゃろ? そんな

バッチィ肉を食ったもんだから、儂までおかしくなったんじゃろう」

「はあ」

 なんだか目の回るような話だった。元、人喰い虎で、喋って、そして死ん

でいる。要素だけ取り上げるとなぜそうなったのかさっぱり分からない。

「アリスさんはどう思います?」

「ま、妥当だな」

 大分警戒心も薄れてきたのだろう。アリスが言った。

「俺も、やっぱりその死体が原因でこんなことになったんだと思うぞ。……

ただ、なんなんだろうなこれ。死者の特性なのか、それとも願いの領分なの

かがまったく分からない。『死んでから他者に喰われる事で発動。効果は動

物に思考能力と発声能力を持たせる』ってどんな願いを抱けば発生するんだ

よ。いやまあ、世の中変態も多いから、そういうのもあるかもしれないけど。

なんかもっとシンプルな願望があると思うんだよなぁ。っていうか人間が食

べたらどうなるんだ? ……ぶつぶつ……」

「で、あなたは結局どうしたいんですか」

 アリスが自分の世界に行ってしまったのでアイは話をもどした。こうなる

と長いのだ。男子って本当にこういう話が好きだと思う。

「うむ、その前にひとつ、儂からも聞いていいかな?」

「ええ、いいですよ」

「ありがとう。では、嬢ちゃんはもしかして墓守という連中ではないかな?」

「え」

 墓守。それは死してなお動き回る死者たちを終わらせる奇跡の人々、終わ

りなき終わりを終わらせる、死の御使いだ。

 驚いた。確かに、アイは墓守だが、すでにその特徴である服もショベルも

手放している。外見から判断することなど不可能なはずだった。

「ふむ、匂いがな」

「匂いって、私のですか?」

「そうだ、連中には独特の共通した匂いがあってな。嬢ちゃんからもそれを

感じるのだ」

 すんすん、と手の甲に鼻を近づける。アイは、常人よりも何倍も鼻が利く

のだが、それでも墓守の匂いとやらは分からなかった。関係ないが、最近は

旅暮らしでお風呂にも入れていないから、ちょっと香りがつよい。アイはな

んとなくアリスから距離をとって、とっておきの香水をちょっとだけつけた。

「すまんがお嬢ちゃん。儂を埋めてはくれんか?」

 言われたアイがびっくりしてしまうほどに、虎は簡単に言った。

「えっと……」

「なに、気に病むことはない。獣は輪廻りんね に還ることをいといはせんのだから」

 どうやら虎には虎の倫理があるらしく、彼は自らが終わることを切に願っ

ていた。

「生まれ、喰らい、死に、喰われ、世界はそうしてできているのじゃ。思え

ば人とは哀れな生き物よの。もはや獣に還ることもあたわず、神への道を進

むしかない……ほんに、哀れな種族よ」

「あ、いえ、とりあえずそういうの置いといてですね」

「なんじゃい。良い話しとったのに」

「できないんですよ」

 困惑して、アイは言った。

「それが、すでに虎さんには弔いの土を掛けたんですよ。でも効いてないん

です」

「……なんじゃと?」「へ?」

 これにはアリスも驚いていた。「本当です」アイはもう一度実践してみる。

通常、墓守が死者を埋めるには弔いの心、そして一握いちあく土塊つちくれがあれば事足り

る。アイは過去の経験を思い出して、同じように土を掛ける。

「……どうですか?」

「うむ、くすぐったいだけじゃのぅ」

 が、やはり駄目。

『……なぜに?』

 三人の声がすっかり重なり、三つの小首が傾げられた。謎はさらなる謎を

呼び、事態は迷宮入りの色を見せ始めた。そのときだった。

「ほーほーほー。その疑問には我らが答えよう」

「グルルルル。それはだな、お主が体の一部、すなわち」

「ハラワタしか喰わなかったからだニャー」

 

今度はふくろうと狼と猫が現れた。


                 †


 集まってきた動物たちはやはり死んでいた。

「つまるところ、我々もまた彼の人間を喰ろうたもの達なのじゃ」

 妙に知的な梟が言う。

「そしてまた、同じように埋葬を望むものでもある」

 戦士のごとき重々しい声の狼が言う。

「で、他の墓守に頼んだりしたんだけど。やっぱり埋葬されなかったんだ

ニャー」

 あんまり深刻そうじゃない猫が言った。

「それでさ! それでさ! とりあえず皆で集まることにしたんだ

チュー!」

 猫が怖くてアイのかかとに隠れている鼠が言った。

「は、はあ、そうなんですか……」

 いつの間に集まってきたというのか。辺りは博物館の有様だった。アイは

頬を引きらせながらもなんとか頷く。たき火の周りには虎、梟、狼、猫、

の他にも鼠や鼬いたちや烏なんかもいてワイワイガヤガヤと賑やかだった。

 その全てが死んでいて、やはり喋った。彼ら彼女らは虎と同じようにくだん

死体を口にしたのだという。

「なんだかとんでもないことになってきたのぅ」

「そうなー」

 仲良くなぜだかちょっと仲良くなり始めているアリスと虎が言う。

「ちょっとそこ、他人事ひとごと禁止。……それで皆さん、方法は見つかったんです

か?」

『よくぞ聞いてくれた!』

 あ、これまずいやつだ。と、アイはすぐに思った、だがもう手遅れだった。

 梟が滔々とうとうと自説を述べはじめ、即座に狼が反論する、狐が意地悪く上げ足

をとり、鶏が三つ前の会話をほじくり返す。こうなると他の者達も黙っては

いない、虎がおずおずと質問を発し、アリスが設定の隅を意地悪く突く。

「つまりな、これは埋葬する部位の問題なのじゃよ」

 最終的に勝利したのは梟だった。

「たとえばここに、腹から二つに引き裂かれた死者がいるとする。そうなっ

たとき、墓守は上半身と下半身のどちらを埋めれば埋葬できる?」

「えっと……上半身、ですかね」

 いや、でもどうだろう。アイは返答に窮してしまった。

「では、上半身をさらに二つに分けてみよう。その場合は? さらにその半

分。半分。半分。と分けていったとき、墓守は何所どこを埋めれば埋葬したと言

えるのか?」

「そうか! 心臓じゃな!」

 したり、と虎が地面を叩いた。

「えー、そうか? 人間だったら脳じゃないのか」

 こういう質問をするのはアリスだ。彼はいつの間にか狐、狼連合の一員と

なっており、楽しそうに議論に参加している。

「いや、脳ではないぞ。そこを喰ったのは儂だからじゃ」

「……ああ、そうですか」

「おおい! だれか心臓を喰ったものはいないか!? いたら前に出よ!」

 虎がカルルと喉を鳴らした。右から順番に答えていく、「私は右腕」「俺

は足」「ずいかな」「血。うまかったなぁ……」アイはどう反応していいのか

本当に分からない。

「えっと、じゃあ、はい」

 そしてついに、一本の腕が上がって、心臓を食べたらしい獣がアイの目の

前に歩いてきた。


「それは多分、僕って事になるのかな」


 それは、ひょろりとした人間の、少年だった。


                  †


「……えーっと」

 アイもアリスも、ポカンとしたまま何も言えなかった。

 細長い手足、痩せこけた頬、少年は確かに人間だった。

 そう、人間なのである。

「なぁ、坊主よ」

 老虎が年長者に相応しい威厳ある声で言った。

「……共食いは、よくないと思うぞ」

 うんうん。とその場にいる全ての獣がコクコクと賛同した。アイとアリス

も『うんうんうんうん』と人一倍賛同した。

「えっと、いや、そういうことではなくてですね。……まいったな、実際に

見てもらったほうがいいか」

 少年は苦笑して、するすると上着を脱ぎ始めた。外套が落ち、シャツがは

だけ、病的なまでに痩せたからだと白い肌が晒さらされる。その中央、心臓があ

るはずの皮膚に、いまだ傷すら塞がっていない大きな手術跡があった。

「あなたたちが探している心臓はここにあります」

 獣たちがまじまじと近寄って傷跡を見た。すると傷の向こうでドクンドク

ンと、確かに脈打つ心臓がある。

「え、でもそれってあなたのではないのですか?」

「いいえ、これは僕の弟のものです」

 少年は語った。己が心臓を煩っていたこと、そして弟がそれ以外の全てを

煩っていたこと。

「彼はずっと言っていました。誰かの一部になって、その人を助けられるな

らどれだけいいだろうって。そして、いよいよ亡くなるときに、心臓を僕に

移植してくれたのです」

「……そうだったんですか」

 ぐすんぐすん、いい話だなぁ。と獣たちが感動している。

「と、いうことは儂らが喰ったのは、その残りか」

「はい、彼は心臓以外の肉体も、誰かの糧になることを望んでいました。で

すから獣葬を――獣たちに食べられてくことを望み、そのようにしました。

それが、まさかこんなことになるとは思いませんでしたが……」

 おそらく、他者を思う気持ちや死への恐怖、そういったものがない交ぜに

なって、このような能力となって発現したのだろう。解釈の仕方次第だが、

下手をすると彼はまだ『生きている』とさえ言えるのかもしれない。

「そうか、ではお主、儂らを喰ろうてはくれまいか?」

 やがて、虎が言った。獣たちの望みは変わらず自己の埋葬であり、そのた

めには少年の心臓を埋葬しなければならない。だが彼らは、すでに死んでい

る自分たちのために生きている彼を巻き込むことをうとんじ、再び一つに戻る

ことを望んだのだ。ところが、

「あ、それはちょっと無理ですね」

 少年は言った。

「僕、肉食べられないんで」

 獣たちと、そしてアイとアリスはあっけにとられた。少年は何所までも人

間らしく、自然の理に従わなかった。

「だから、少しだけ待ってください。僕が再び死ぬ日まで」

 虎たちに異論はなかった。彼らの時はすでに止まり、終わりまでの月日に

違いはないのだから。

「だが、それまで儂らはどうしていればいいのだ?」

「どうぞうちに来て下さい」

「うち?」

「ええ」

 そのとき、少年が合図を送った。すると彼の背後で光の柱が立ち上り、大

きなトラックを照らし出した。

「うち、サーカスなんですよ」

 かくて、死んだ獣達と少年は出会い、世にも珍しい死獣のサーカスとして

名を売ることとなった。

 その最初の客となった二人はその日、惜しみない拍手を皆に送ったという。

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