第39話・カブトムシ

 土ぼこりにまみれながら、その場所からはいろんな季節を見た。春の陽光は、新緑の山肌を満たした。盛夏の陽射しは、山すその屋根の連なりを焼いた。秋口の夕暮れの柔らかな光線は、竹薮を横切ってゆっくりと消え入った。そんな風景をふるさとのようにしてすごすうち、若葉家の登り窯は次第に全容を現してきた。半年もの間、スコップやトンカチを振るいつづけ、またレンガを磨き、運び、積み上げつづけ、やっと完成の形が見えてきたのだ。

 最初、草蒸す斜面にうがたれたただの穴っぽこだった場所は、ひろびろと三段の階段状に整地され、今や子供の背丈ほどのレンガ壁が巡っている。まだ天井がないので、ちょうど銭湯の湯船が三つ並んだように見える。

 三連房の登り窯は、太陽センセーの指南で三つの部屋それぞれに工夫がなされ、まったくちがったものが焼けるように設計されていた。燃焼室も兼ねるいちばん手前の窯では、灰をかぶらせる焼き締めものを焼く。炎の通り道に特徴のある朝鮮ふうの穴窯となっている第二の窯では、酸化炎と還元炎によるふたつの影響をひとつの器に生じさせる「片身代わり」と呼ばれる特殊な焼き味をねらう。第三の窯には絵付けなどを施した釉薬ものを詰め、手前のふたつの窯からこぼれる炎によって効率よく焼きあげる。まさに一石三鳥の窯だ。

 三つの湯船の天井をレンガで閉じれば、いよいよ登り窯の完成だ。屋根の形状は、手前ふたつ(一の間、二の間という)がドーム型、最後尾の窯(三の間)がカマボコ型と決まった。レンガ屋根の築造は興味深い。つくり方はまず、重い屋根がのっかっても本体が崩れないように、レンガ壁ぐるり一周を鉄枠で締めあげる。これには、高熱による窯の膨張に備えて、という意味もある。壁がしっかりと固定されたら、竹の骨組みで仮屋根を形づくる。タテに割いた竹を壁のあちこちから対角へ渡してアーチ状にし、天井の空間を埋めながら、ゆるやかな丸みをつくっていくのだ。すると湯船に大きな竹カゴをかぶせたようになる。それを土台にしてレンガを積んでいけば、屋根は崩れることなく組み上がる。内側に隠れた竹の骨組みは、窯を焚けば燃え尽きる。骨組みがなくなれば、レンガ自体の重みで屋根のすき間ががっちりとふさがり、強固なキメとなるという寸法だ。よく考えられている。

 しかし簡単な作業ではない。やってみると、これがとてつもなく複雑で大変な作業だ。直方体のレンガの連結で、曲線を築くことはできないのだ。レンガ一個一個を削って厚みに微妙な勾配をつけつつ、しかも隣としっくり噛み合うように整形しなければならない。ドーム屋根とはいってもまん丸ではなく、素人のつくるデコボコイレギュラーな卵形だ。一様な形に削り出しても意味がない。すべてのピースをその箇所に合わせて、しかも窯の中に崩落しないようなくさび形に微調整してはめこんでいく。まるで大きな立体パズルを組み上げていくようなものだった。

 メンバーは、積みたい場所にいちいちレンガをあてがい、フォット感を確かめてはハツる部分を鉛筆でしるし、それを巨大な固定グラインダーで削り出した。このグラインダーというのがまたものすごいシロモノだ。メーカー製ではなく、手作りなのだ。それはサビサビ鉄骨のテーブルに大きな万力を固定し、その万力で巨大モーターを締め上げて固定し、そのモーターにまた無理やりドでかい研削盤(砥石)を噛ませて回してしまうという原始的なものだ。オレたちはそれを見て、なるほど庭に転がってるガラクタはこうして使っていたのか、と納得した。しかしそれと同時に、恐怖に震えずにはいられない。

ーあのポンコツマシーンのネジがどこか一カ所でも外れたら、それだけで腕や腹の肉は根こそぎ持っていかれるな・・・ー

「へーきへーき。そんなこたーありゃせんわ」

 太陽センセーはこちらの心配をよそに、からからと笑う。どこにそんな安心の根拠があるのか?若葉家ではこれが普通の状況なのか?だけどちょっとまて。太陽センセー手作りの電源のスイッチ盤は、触れるといつもびりびりと軽く感電する。どこまで信頼を置いていいのか、センセーには悪いが疑心暗鬼だった。それでも郷に入っては郷に従わねばならない。十字を切って、グラインダーの巨大な回転に立ち向かった。

 軟質な耐熱レンガは、噴煙のようなものすごい土ぼこりを吐き散らしつつ、角を落とし、姿を変え、屋根のすき間におさまっていく。何週間も、何ヶ月も、こんな作業がつづいた。メンバーは必死に頭をひねってピースを整え、ピタリとはまると歓声をあげた。こんな小さな喜びの積み重ねは、大きな達成感を予感させた。勾配をつけたレンガを一段、二段・・・五段、六段と積み上げていくうちに、壁はじょじょに内に傾いて切れこみ、脳天にぽっかりと開いた空間を埋め立てていく。

 やがてあらゆる方角から伸びてきたレンガの最前線は、ドームのいちばん中心に位置する最高点で結ばれた。最後に天頂部のレンガがくさびのように打ちこまれると、空は完全にふさがった。登り窯完成の瞬間。それは初秋の、とっぷりと日の暮れ落ちた夕刻遅くだった。

 ドームの石室を囲んで、みんな雄叫びをあげて喜び合った。出たり入ったりの代替わりをくり返したメンバーは、この時点で、片手に余るほどのわずかな人数に減っていた。ひやかしや思い出づくりで参加した人物たちが、長続きするような仕事ではない。残ったのは、初志を貫徹した熱い仲間だけだった。オレたちは、つなぎ材の泥にまみれた手でハイタッチをくり返し、石粉を厚くかぶった顔で笑い合った。しかし歓声がこだまとなったそのあと、奇妙な沈黙が横切る。そこでようやく、じんと深いものにひたった。春先からつくりはじめ、暦を半周以上してついに完成にこぎ着けたのだ。掛け値なしに、自分たちの登り窯だ。頭の中に虹が立つような気分だった。

 太陽センセーは満面に笑みをたたえていた。肩の荷を降ろした心持ちだったにちがいない。念願の窯を手に入れた火炎さんは、泣きまねをしてみんなを笑わせた。そのメガネの下のつぶらな瞳は、実際に潤んでみえた。みんな浮かれながらも、しんみりと感慨にふけった。ビールで乾杯し、言葉数も少なく、その夜は窯のかたわらでいつまでもすごした。

 できあがった窯は、三の間から伸びる長い長い煙道が山の斜面を伝いのぼり、やがて空へと向かうエントツが特徴的だ。三つ連なるコブのような背もたくましい。ツノを高々と掲げ、山をのぼらんとするカブトムシのように見える。窯は「かぶと窯」と命名された。

 さて、窯は完成したが、それはスタートにすぎない。甲虫つくって魂入れず、では意味がない。窯には炎という生命を吹きこみ、その真価を発揮させなければならないのだ。再びあのしんどい、そして楽しい楽しいマキ窯焚きがはじまろうとしていた。

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