第37話・ガス窯焚きの日々

 自分たちの窯焚きは、月一回~二回のペースで行った。ろくろを使いこなすうちに、次第にむずかしい形も挽けるようになり、窯の中はいろんな種類の器でにぎやかになっていった。仲間の作品は大いに刺激になり、おたがいを成長させ合った。恥ずかしいものをつくれないというプレッシャーが創意を生み、競争意識は制作意欲を高めてくれる。ただ、全員が同じ道で競合しているわけではなかった。オレは成形のクオリティーを徹底的に磨いたが、ヤジヤジは粉引きの色味の出し方を、イーダさんはたのしさを、あっこやんは装飾技法の多彩さを追求し、それぞれに個性を伸ばしていった。だからこそよけいに響き合えたのかもしれない。

 窯のあつかいがこなれてくると、今度は自分独自の炉内温度、焼成環境が欲しくなる。低火度と中性雰囲気(酸化と還元の中間)が必要な粉引きを手がけるヤジヤジは、やがてひとりで窯を焚くようになった。夜中に陣中見舞いにいくと、窯を見つめる彼の背中は、まるで壁に向かって瞑想する達磨大師を思わせた。それは求道者の姿だった。彼は仲間内から完全に独立し、自分の道を歩みはじめていた。

 一方、なんでもしたがりのイーダさんとオレはチームを組み、作品にワラを巻いて焼き締める「緋襷(ひだすき)」や、高温の窯から真っ赤に焼けた作品を取り出して水の中で急冷して締める「引き出し黒」に挑戦したりして、作風のバリエーションをひろげていった。そんな新しい挑戦をはじめるときのイーダさんは、還暦を迎えたおっちゃんとは思えないはしゃぎっぷりだった。子供の無邪気さを持ったこのひとは、いつも周りを楽しませてくれる。また、はっとさせてくれもする。彼のピュアな一生懸命を見るとき、オレはいつも笑いだしたくなるような、けれどほろりと泣きたくなるような、そんなまぶしさをおぼえた。このひとのまっすぐさには、打たれるものがあった。

 あっこやんもすごい。このママさん陶芸家は、学校が終わるとひとり息子のりょうちゃんを幼稚園へ迎えにいくために、一目散に車で帰っていった。常に時間に追われていた。主婦は忙しいのだ。ところが窯焚きになると、彼女はいつも膨大な作品をワンボックスカーのトランクに詰めこんできて、周囲の度肝を抜いた。このオレは間違いなくクラスで最も多くの時間をろくろ挽きに費やしているろくろバカのはずだったが、あっこやんはそんなバカと等量の作品数を持ちこむのだ。他のだれにもありえない仕事量だった。学校帰りに息子を幼稚園に迎えにいった後、洗濯や食事の準備、後かたづけなどの家事をこなし、すべての主婦業を終えたその後で、黙々とろくろに向かっているらしい。作品はへんてこで、職人技と対極にあるイレギュラーな方法論を駆使した仕事が多かった。作風は実験的・・・というよりは、ギャンブル的と言わざるをえない。そここそが強みだった。このひとは自分の心に素直なのだ。失敗を恐れない。やりたいと感じたことをやり、そして愚直にやりつづけるという、強い武器を持っていた。オレはそんな彼女の制作態度を尊敬した。

 さて窯焚き時は、たいがい酒盛りになる。関係のないクラスメイトまでが見物に(偵察に?)やってきたりして、それはたのしい時間だった。一昼夜もの長い間、ライバルたちと意見交換ができるのも、窯焚きの重要な一面だった。クラス内の他のグループが隣で焚くこともあり、そんなときはにぎやかな宴会となった。ただ、腹の探り合いは間断なくつづいたが。

 オレたち四人は、クラス内でもケタちがいの勢いで窯を焚きつづけていた。一目置かれた存在だった、と思いたい。小、中、大とある三基の窯を独占、ということもあった。大きな窯になると、器なら300からは入る。焼いた作品は遠くの友達にばらまいたり、フリマで売ったりしたが、廃棄することも多かった。この場合の廃棄は、再生ではなく、本当に捨てるという意味だ。焼かれた陶器は二度と土には戻らないのだ。残念だが、仕方がない。失敗というわけではなく、腕前が加速的に進化しつづけるために、ひと月もたてば、過去につくった大傑作が相対的に凡庸なものになっているのだった。

 学校内に小型プールのような陶器廃棄場があり、駄作品はそこに持っていって供養した。三畳分ほどのコンクリートの箱は、数知れない陶片でいつも満杯になっていて、職人の卵たちは「破壊された過去の自分」を成長の代償としてそこに見た。その無惨さを目にすると、次回こそは一個もここに葬ることがないように、と新たな決意がわいてくる。ただそれは、自分が成長をつづけるかぎり無理な話であり、現在が過去になりゆく以上、自分は成長過程としての駄作を生み出しつづけなければならない、というジレンマをはらんでいた。つまりそれをしないためには、一刻も早く完全無欠のものを焼けるようにならなければならないのだった。

 かくて、窯焚きには気合いがみなぎり、窯出しには緊張が張りつめた。

 ヤジヤジは何度もの焼成経験を重ねるうちに「自分の将来を決定づけるなにか」をつかんだらしく、張りつめ方が尋常でなくなってきた。その頃つくっていた「御本手」と呼ばれるピンクの斑紋を浮かびあがらせた粉引き茶碗などは、すでにプロの仕事としても一級品に見えた。材料の配合を心得た上に、炎を自在に操ることを覚え、御本の出具合もコントロールしようかというほどに腕を上げていたのだ。来る日も来る日も泥にまみれて研究を重ね、ゴリゴリゴリゴリと鉱物を摺りつぶし、数知れない組み合わせで調合を試み、寝不足の目を血走らせて炎の前でデータを積み上げ、ついにたどり着いた境地だった。

 窯出しの日には、彼の気合いが乗り移ったような凄みのある作品が扉の向こうに現れた。そんな日のレンタル窯は見物人(クラスメイト)でごった返し、あちこちから驚嘆の声があがった。ヤジヤジは、疑いもなくトップランナーとなった。

 ところがその帰り道、奇妙な発言を聞いた。それは前を歩くふたりのクラスメイトが何気なく発した言葉だった。

「やっぱお金があるひとはちがうよねえ」

 オレは耳を疑った。

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