第36話・レンタル窯

 学校では窯焚きの実習がはじまっていた。校内の窯場には、ガス窯と電気窯でそれぞれ大きさのちがうものが数基ずつある。これらを使って、素焼きや、酸化焼成、還元焼成など、いろいろな焼き方を学ぶのだ。そして今後は、常時といっていいスパンで窯が稼働しつづける。訓練生は、これまでの成形実習でたまりにたまった作品群を窯詰めしたり、釉薬をかけたり、窯焚きをしたり、窯出ししたり、あるいは検品したりする人足として、順ぐりに窯場に狩り出さることになった。

 オレはここぞチャンスとばかりに、アパートの部屋でろくろ挽きしたものを窯に忍ばせた。こっそり焼いちまえ、というわけだ。学校の窯では原則、学校でつくられた「製品」しか焼けないことになっている。だからこそこそと、人目を忍んで、でなければならないのだ。この秘め事は、多かれ少なかれクラスのだれもがやっていた。

 ところが、うっかり者がいた。彼は愚かなことに、まだ完全に乾燥しきっていない半ナマ状態の自作品を、窯内のこれ見よがしな場所に置いてしまったのだ。

「だれの仕業ですかーこれはー」

 規律絶対主義、融通知らずのしゅが先生は、目ざとくそれを発見し、ここぞとばかりに糾弾をはじめた。

「私物を学校で焼かないようにって言ってるでしょー、いかなー」

 そして見つけた作品を、なぜかむちむちのほっぺにペタペタとあてはじめる。やわらかい顔のお肉がフワフワと揺れるのを見て、クラス中に悪寒が走った。

「しかもこれまだウェットじゃないですかー。こんなじゃ破裂しちゃいますよ、いかなー」

 ペタペタ、ぷるんぷるん・・・どうやら肌にあてることによって土の乾燥状態がわかるらしい。ひんやり感じるのは、素地に水分が残っている証拠だという。しゅが先生は、まるで鬼の首を獲ったかのように悦に入っている。ペタペタ、ぷるんぷるん・・・

「いかなー、こうすると湿気がわかるんですよー。いかなー」

 ペタペタ、ぷるんぷるん・・・

ーそれにしても、いつまでやってんだよ・・・ー

 気の毒なのは、これを制作したクラスメイトだ。彼は作品の水けよりも、脂っけの方を心配したい気分だったろう。

 この厳格な管理者のお手柄により、窯に自作品をまぎれこませるのはさらに至難のワザとなってしまった。ろくろのイワトビ先生は「まあええやないか、ちょこっとくらい」という寛容な態度だったが、なすび顔の看守によるパトロールは強化される一方だ。

「ダメですよ。これは決められたルールなんですよ、いかなー」

 いじわるしてんじゃないの?と思えるほど、しゅが先生の戒律への盲従っぷりは断固としたものだった。この網をかいくぐるのはきびしい・・・

 しかしどの道、アパートで挽く点数が増えてくれば、窯のすき間を利用した寄生戦法で対処しきれなくなるのは目に見えている。なにしろ粘土を個人的に100キロ単位で買いこみ、ひたすら毎晩挽きつづけているのだ。腕前が上達すると、ろくろは爆発的に作品を増殖させる。失敗作をごっそりと再生にまわしたとしても、焼きたい成功品はじわじわとたまる一方だ。

 そんな膨大な点数を、いつまでも生乾きのままで寝かしておくわけにはいかない。ただでさえせまい部屋なのに、このまま作品が増えつづければ、すぐに身動きがとれなくなってしまう。なのに学校で焼くこともできない。となると、当然「自分で窯を焚こう」と考えるようになる。そこで便利なのが「レンタル窯」屋だ。さすがに焼き物の町だけあって、レンタルDVDやレンタカーはなくても、レンタル窯はあるのだった。

 学校の近くのガス炉メーカーが、大、中、小と三基備えたガス窯を「一日ナンボ+ガスの使用量」で貸してくれると聞いて、さっそく偵察に向かった。そこの社長は、アイドルグループが手作りの村をつくる人気テレビ番組で、登り窯の制作を指導しているという名物オヤジだった。絶倫顔の社長は、女生徒にセクハラ気味(法的にアウトなレベル)に接しつつも、懇切丁寧に窯のあつかい方を教えてくれた。説明を聞くと、なんとか自分の手にも負えそうだ。そこでヤジヤジとイーダさん、あっこやんに呼びかけ、四人でひと窯を焚いてみることにした。

 ガス窯は素焼きにしろ本焼きにしろ、三日間借りておけば事足りる。窯詰め(本焼きの場合は+釉薬がけ)、焼成、冷ましに、それぞれ一日ずつあてればいい。土、日で窯詰め&焼成という面倒な作業をすませ、月曜日一日を冷ましにあてて学校帰りに窯出ししよう、ということになった。

 レンタル窯に予約を入れた土曜日。各自に作品を持ち寄ると、それぞれに顕著な個性があるのがわかって面白かった。学校ではだれもが創造性をおさえて制作しているので、個別の作風を見る機会がない。おたがいの指向を開陳し合うのは、秘密の交わし合いをするようなものだった。

 ヤジヤジはいろんな経験を積んで、粉引き作家を目指そうと心に決めたようだった。粉引きとは、色みのある土に白泥の化粧がけをし、透明釉をほどこした器で、粉を吹いたように見えるためにこう呼ばれる。粉引き作品は、白の色味が命だ。そこでヤジヤジは、家で何種類もの白化粧土を調合し、作品より多いほどのテストピース(各種化粧土と釉薬をぬりつけた、色味実験用のピース)を用意していた。

「なんだかすいませんね、つまんないものばかりで」

 確かにテストピースはつまらない。しかしそこにこそ彼の凄みがつまっていた。今日ここで焼く器作品は、デモンストレーションと割りきっている。本命は、テストピースなのだ。ヤジヤジはその色味の中に世界観を見据えている。楽しいことは後まわし。この着ぐるみのようなおっちゃんが、深夜に目を血走らせて乳鉢で土の微粉末を摺る姿を思い、ちょっとした畏怖を感じた。このひとは来る日も来る日もそんな作業をしつづけられるのだ。だがその執念は、言いかえれば夢でもある。テストピースの膨大な量は、そのままヤジヤジの夢の大きさだった。

 一方、天真爛漫おじさん・イーダさんは、

「娘たちに使わせるんだ、てへへ」

とのんき顔。想像に頬をゆるませつつ、織部(緑釉を部分的にかけて、余白に鉄絵を描いた器)のコーヒーカップを大量に運びこむ。作風は彼の自然体とよくマッチして、奔放だ。なにより「つくりたくてしょうがないんですぼく」という楽しさが反映されているのが魅力的で、見習いたくなる。

 一児のママ・あっこやんは、とにかくいろんな技法を食い散らかしたような不思議な作品群を持ってきた。彼女は、表現に対する好奇心をあふれ出させるひとだ。彼女の行動力は、自分の中に芽生えた興味を決して見過ごさない。文献やギャラリーで知った方法論を咀嚼して自分の表現に取りこみ開花させる、才能というよりは冒険心を持っている。その眼力と引き出しの多彩さには舌を巻いた。オレは窯焚きを通して、この三人から影響を受けつづけた。

 三日間の素焼きを終えると、翌週の本焼き前に釉薬がけ大会が待っている。レンタル窯屋のせま苦しい窯小屋の中で釉薬と作品群をひろげ、乾燥コーナーや絵付け場もしつらえると、足の踏み場もなくなった。四人の大人たちは、そのせまいスペースを迷子のアリのように行ったり来たりして作業した。釉薬は、釉薬屋さんに無理を言い、1リットル単位の小分けにして売ってもらったものだ。その液体をタッパーに移しかえ、ささやかな量をオタマですくってはちょぼちょぼとかける。巨大なオケにためられたたっぷりの釉薬をじゃぶじゃぶ使い放題、という学校の環境のすばらしさを思い返し、ため息が出た。

 次々にかけてちゃっちゃと窯詰めしていく男どもに対して、時間をかけて最後まで苦闘しているのがあっこやんだった。釉薬をかけてはぬぐい取り、霧吹きで吹きかけては筆を走らせ、丹念に汚し、気ままに描き、表現にこだわり抜き、また熱中している。創作の悦びに囚われているのかもしれない。その姿をうらやましく思いつつ、はよせーや、とせっかちにイライラした。

 大人の分別と作家の身勝手が交錯する窯詰めがようやく終わり、そのまま本焼きにはいる。ここから一昼夜ぶっ通しだ。めんどくさくて神経をつかう釉薬がけ後の寝ずの番は、体力的にかなりしんどい。しかし楽しさの方がはるかに上まわっていた。みんな火を見ればハイテンションになれる種類の人間なのだ。

 窯神様に祈りをささげ、ガス管を開いて点火する。炎はすぐに窯内にまわり、たちまち温度は上昇した。マキ窯では考えられないペースだ。そのうちに上昇角が落ち着き、あとはガスの供給量と、ダンパー、ドラフトの操作で、温度と「炉内雰囲気」をコントロールする。

 炉内雰囲気とは、酸素量の調整、すなわち「酸化炎」「還元炎」のバランス操作だ。土の素肌に直接火をあてる焼き締めとちがって、釉薬をかけたデリケート肌の作品は、炉内雰囲気によってもろに色の影響を受ける。「酸化」とは、つまり大ざっぱにいえば「物質をサビつかせること」だ。たとえば鉄を含有した釉薬は、酸化炎によって鉄サビ色である黄色や赤になったり、また銅を含有したものだと緑青(ろくしょう)の緑になったりする。

 逆に「還元」は、作品の素地と釉薬から酸素を強奪し、サビ色を抜く。そのため鉄は、還元炎によって研ぎあげた刀のようなブルーになり、銅はあかがねの赤になる(原理的には、だが)。同じ原料を使っても、酸化と還元ではまったくちがった焼きあがりになるわけだ。だから炉内雰囲気のコントロールは非常に重要なのだ。

 炉内圧が高まる(つまり火がでかくなる)と、炎の体積が窯の容積を上まわるため、穴から炎の舌ベロが長々と飛び出す。「酸素をくれ~」と悶えているわけだ。還元雰囲気はこうしてつくりだされる。逆にエントツを素通しにして空気の流れをよくし、酸素を潤沢に供給してやれば、炎が透き通って健康な酸化雰囲気となる。それを手先で操作できるのが、燃料窯のメリットだ。自然現象とカンまかせのマキ窯とちがい、装置の操作精度が作品の出来を決定づける。炎のバランスの中に焚き手の創作意図をはっきりと打ち出すことができ、そのコントロールは腕の見せ所でもある。その分、失敗の言い逃れもできなくなるわけだが。

 色見穴から噴き出す炎の長さで炉内雰囲気の強弱(つまり窯の中の酸素量)を見ながら、一晩中、窯をいじくりたおす。あっちの穴をまさぐったり、こっちに障害物をこしらえたり、押しこんだり引っこ抜いたり、ビールを飲んだり、ガス圧をいじったり、つまみを食べたり、じりじりと我慢したり、ウロウロと右往左往したり・・・そうするうちに、作品は窯の中でとろんといい顔になっていく。

 色見のピースを小穴から出して焼きあがりを確認すると、みんなほっと胸をなで下ろした。しかしすぐに不安が襲いくる。作品の出来映えは、窯が完全に冷めて扉を開かなければわからないのだ。その瞬間まで、精根のつきた空っぽの頭には、反省と悔悟の念が押し寄せる。あのときこうしておけば・・・そのときナニしておけば・・・そんな不安定な心持ちだ。

 ねらしを終えた明け方になって火を落とすと、ようやく休息の時間が与えられる。だが現場では、気持ちが高揚して仮眠もできない。起きあがってパイロメーターの数字をのぞきこんでも、たいして温度が下がっているはずもない。作品に会えないもどかしさに焦れながらオレたちは、ついに一睡もできないまま、月曜のラジオ体操に向かうのだった。

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