第33話・立ち位置

 新学期にはいると、製造科のクラス内の雰囲気が変わっていた。仲のいい者同士で日本各地の焼き物の里を巡ったり、窯元を訪ね歩いたり、そうでない長旅をしたりした土産話が、日焼け顔の間を飛び交う。その笑顔はきらきらと充足の輝きをこぼした。だけどかつて瞳にみなぎらせていたはずの気力は、それと引き換えにほころびて見える。張りつめていたものがずいぶんゆるんできたな、という印象だった。

 ちょうどこの時期は、訓練でどの程度力を注げばいいかというさじ加減もわかり、かしこい立ち回り方を覚える。さらに、社会人時代には考えられなかったような長い夏休みをもらい、うっかりと遊ぶことを思い出させられるのだ。ハーフタイムで緊張を切ると、次のピリオドにはいるときにボルテージを上げるのが大変だ。息抜きは仕方がない。だがそのたわみ方はあまりに顕著で、オレは当惑するしかなかった。とにかく、クラスが唐突な筋肉弛緩と血流不足におちこんでいた。夏休みは、その大きな原因のひとつだった。

 一方、オレはというと、ますます追い立てられていた。もう半分終わっちゃった、という焦燥感に尻を噛まれて、手足をやみくもに動かさずにはいられない。そこで新学期早々、自分を張りつめっぱなしにするため「昼休み野球部」をリタイアし、フリーランスになった。野球部の集まり自体はテキトーなものなので、別に取り立てて引退を宣言するほどのことでもないのだが、とにかくその手のしがらみを断ちたかった。自由に行動できる身になりたかったのだ。義理は時間を拘束する。オレは常に陶芸のことを考えたかったし、その意味で昼休みの時間は貴重すぎた。メンバー不足にいつも泣いている野球部を離脱するのは心苦しかったが、あと半年間という限られた時間を考えると、一分一秒をもっと有用なものにしなければならない。そして、昼休みを使ってやるべきことを、オレは見つけたのだった。

 現実社会から切り離された学園生活は、自由で楽しくて、すばらしく愉快で、ぬるま湯のように心地よかった。しかしその空気はもの足りなかった。入校当初には確かに存在していた競争主義も、春がすぎると、いつの間にか個々のレベルが落ち着いてマイペースが蔓延し、ひりひりと刺激し合う緊張感はうすれていった。クラスの空気は平穏そのものだ。さらに夏休みによって、一部から制作のテンションが決定的に感じられなくなった。自分だけがリアルな人生に追いつめられて焦りまくり、駆り立てられているように思えてくる。

 クラスに温度差ができつつあり、それがわずらわしい問題をはらみはじめていた。オレは、家でただのひとつも作品をつくらないクラスメイトに「今度ろくろ貸してよ」と頼まれても、「それはろくろなしででも作品を何個かつくってからだろ(バカ)」と憤懣を覚えずにはいられない。そうして鼻白まれ、呆れられ、友達をなくしていく。どうしてこう波風を立てずにいられないのか、自分でも呪わしく思う。だけど、そんなナマケモノどもに大切なろっくんを貸すなんて、あ・り・え・な・い。死んでもイヤ、と心底思っているのだからしょうがない。ろくろはおもちゃではなく、商売道具であり、大げさに言えばパートナーなのだ。自尊心の問題だ。

 だがクラスメイトの目にその姿は、これ見よがしと映っていたにちがいない。確かにオレには、周囲によき影響を与えたいといういやらしい企図もあるにはあった。クラスの停滞を見るに見かねて「もっとやれよ」と言いたくなったし、すばらしい伸びしろをもつ人物がくだらない遊びにかまけていると、背中を小突きたくもなった。だけどそれは考えてみれば、実に厚かましい話だし、大きなお世話というものだった。ひとにはひとのペースがあり、やりたいことの優先順位があり、また他人が口をはさめないそのひとの人生があるのだから。そして今思えば、だれもがきっと自分の容量の中で精一杯にやっていたのだ。オレの必死と彼らの必死との間に密度の差があるだけで、それはだれかにとやかく言われる筋合いのものではなかった。愚かにもそんな簡単なことが、熱病にかかったオレには理解できず、次第に自分から居場所をなくしていった。

 オレは友達とつるんで遊ぶよりも、一切の時間を陶芸にあてることを選択した。新たに昼休みに「道具つくり部(未公認・部員一名)」を立ちあげると、孤立は決定的なものとなった。これは、昼の休み時間をひたすら道具づくりに費やす、という崇高かつイヤミなコンセプトをかかげた部活動だ。一意専心、修験道をゆくと決めたわけだ。これをするために野球部に不義理をはたらき、自由の身となった。オレの陶芸に対する熱は、ついに休み時間をも浸食しだした。変人の誕生、というわけだ。

 若葉家の裏山から切りだした青竹を細く割り、竹べらを削り出したり、木片に空けた小穴に水糸を通してシッピキにしたり、松マキを削って小刀をつくったり、帯鉄をげんのうで叩いて鋼にし、グラインダーとヤスリで研ぎ出してカンナにしたり、太い針金をU字に曲げ、細いワイアをわたして弓にしたり、木材を細工して団子ゴテや柄ゴテ、内ゴテ、牛ベラ、叩き板などをつくったり・・・考えつくかぎりのありとあらゆるものを手作りした。

 図面を見た通り=「考えナシ」に道具をつくらされていたあの春の日とは、意識も意欲もまったくちがう。作品の制作は、道具づくりの時点からはじまると知ったのだ。ろくろでつくりあげる器形を想像し、作行きを意図したうえで、さかのぼって制作プロセスを組み立て、適合する道具を導きだし、それをどんな形にすれば効果的かを考えながら、材木にナイフをあてた。道具の形状は、器の完成形のイメージから逆算的に決まる。そして器の形もまた、道具の形状によって決まる。道具づくりは、「便利」以上の意味をふくんだ大切な作業なのだ。

 訓練場の機械や工具を自由に使用できるのは昼休みしかないため、時間いっぱいかけてそれらを貪欲に使いたおした。実はこの作業は、陶芸教室を開業したらどんな道具がどれだけ必要か?という考えからはじめたのだが、最終的には30年分はまかなえそうなほどもたまった。道具はどんどん進化し、増殖していく。つくるほどに、さらにつくりこみたくなる。うまくできればまたつくりたくなるし、もっといいものを、もっとちがうバリエーションをつくってやろうという欲もでてくる。着想を発展させ、発明に結びつける。これもまた創作なのだ。

 ただ、休み時間にまで訓練場でヤスリをかける姿は、野球部の連中からは「裏切り者」と後ろ指をさされるものだったかもしれない。だけど逆にこちらには、内心ひそかに、この熱がクラス内に伝染しないかな?という魂胆もあったのだ。目覚めてくんないかなー、という。このスガタを見習いたまえ、という。焦んなくていいのかキミたち、という。学校を出た後にほんとにその器量で大丈夫なのかよ、という、なんというか親心と申しましょうか。いやそれよりも、ダラダラ遊ぶよりも楽しいことがあるのに、と、今しかできないことなのに、と・・・。しかしそれこそが誠にいらぬお節介というべきもので、傲岸不遜、迷惑千万な考え方だった。

 ついに道具つくり部にひとは集まらなかった。活況を呈す卓球部やテニス部の歓声を窓の外に聞きつつ、変人はひとりきり、作業場の片すみで晩夏をすごした。

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