第24話・器の中

 Fさんちでマキ窯焼成は体験できたが、若葉家の登り窯の完成はまだまだ先の話だった。オレは週末になると仲間とともに、つづら折りに曲がりくねった峠道をぬって、窯にかよった。そして火炎さんに率いられ、不屈の体力でもって窯を成長させた。

 季節は盛夏に突入していた。気象観測史上キロクテキ、とニュースが連日報道するほどの暑い夏だった。竹藪の草蒸す湿気の中での労働は、虫との戦いでもある。前夜に摂取した酒のコロンを発散するオレたちは、ヤブ蚊にとって格好の餌食だったにちがいない。山に踏み入るだけで、やつらはたちまち群れになって死角から接近し、皮膚のいちばん敏感なポイントを的確に狙撃してきた。蚊取り線香の煙にいぶされても、たくましい食欲に取り憑かれたヤブ蚊たちはまったく平気なそぶりで攻めたててくる。あまりのかゆさに仕事の手をとめると、足首や首筋などのむき出しな箇所に、火ぶくれのような虫さされの密集地帯が見つかった。呪わしい。血液くらいくれてやってもいいが、なぜやつらはかゆい物質を注入せずには食事がとれないのだろう?うまいものを頂戴しておきながら悪意の置き土産とは、盗人たけだけしいというものではないか。

ーやつらはかゆくなる物質でなく、気持ちよくなる物質を人間の体内に残していくような進化を遂げるべきだー

 そんな夢物語を思い描きながら、それでも一心にツルハシを振るった。

 また未踏の荒れ地を開拓していくと、ムカデなどの不気味な節足動物にもしょっちゅう遭遇した。それらはみなはち切れんばかりに肥え太り、しかもぎょっとするほど動きが速かった。精気のみなぎった顔でこちらを一瞥し、小バカにするように去っていく。そんなときオレは、この山が栄養そのものであることを知り、自分が手にする土の力を思った。

 穴を掘っては泥とレンガを積み上げていく地道な作業がつづいた。うだるような暑熱は、体力と気力をむしばんでいく。レンガを積む手元の継ぎ目だけを見つめていると、視野が狭窄し、朦朧として、果てしもない長城建設に駆りだされた奴隷人足の気分におちいりそうになった。しかし苛烈な陽射しがななめに傾き、山肌にやわらかい陰影をつける時刻になると、黙々と働きつづける奴隷たちは視線をあげた。そしてその日一日の労働が結構な質量をもって空間を埋め立てていることを知り、着実な成果に安堵した。薄暗がりに浮かぶ不細工な城をうっとりとながめる時間が、過酷な労働のなによりの報酬だった。

 窯づくりに参加したクラスメイトたちは、次々とリタイヤしていった。新しい労働力も補充されたが、しんどい作業に長つづきする者は少なかった。入れかわり立ちかわりのそんな中で少数の、しかし熱い中心メンバーが固定されていった。メンバーは、窯づくり作業それ自体を糧としていたが、その夜に太陽センセーが実地に示してくれる器成形の技術や、講釈をなによりもたのしみに通った。センセーからは、学校の勉強とは別次元の知識を教わることができる。手先の技能よりも、人間の根幹を形づくるような品位の高い見識を移植しようと心を砕いてくださるのだ。そんな珠玉の話を、むさぼるように体内に取りこんだ。

 太陽センセーは、桃山時代の茶陶にとりつかれたひとだ。桃山は、歴史上初めて日本オリジナルの陶芸を生んだ時代であり、空前にして絶後の文化的ピークである。桃山の製陶技術は、他の時代とは比べものにならないほどの高みに君臨しながら、またたく間に衰退し、その後ぷっつりと歴史上から姿を消した。だから謎だらけなのだ。土の在処も、成型方法も、釉薬の調合も、窯の焚き方もわからない。遠く時空をへだてた現代においては、もはや想像するしかない。だから誰もが必死にそれを探りだそうとする。推理、実験と比較、成果、そのフィードバックで陶芸の技術は革新し、同時に桃山という過去にもどっていく。最先端はすべて遺産の中にある。そのノウハウを盗んでやろうという途方もない熱意が、この分野のひとたちの意志の筋骨を形づくる。

 桃山時代の陶芸は深い精神性と結びついている。器の形そのものがダイレクトに美意識の本質を示しているのだ。だから自然と、桃山の陶芸に向かうひとたちはサムライの面構えになる。太陽センセーもサムライだった。

 ある日、センセーはこんなことをおっしゃった。

「器のつくり方はの、文献には記されてないんじゃ」

 失われた製法、それを探るのが陶芸家一生の命題。そんなひとの言葉だ。深くて重い。

「そうか・・・どこにも書き残されてないんですね?」

「いや、ところが、そうでもない。製法を書いたものは、今もいろんなところに、ある」

 瞳の奥に炎がひらめく。

「それはの、器の中に記されているのじゃ」

 センセーはそんな謎めいたことを口にした。先人は、秘伝をそんな場所に書き残したのだろうか?それとも器の中に文書でも隠したのか?頭をひねる。するとセンセーはカラカラとほがらかに笑って答えを明かすのだった。それは実にシンプルな方法論なのだ。

「つくり方など、割りゃあわかるワイ。陶片の断面を見ては想像してみりゃええんじゃ。俺が若いころは、よう古い窯跡で陶器を盗掘しては、がんがんと壊してまわったもんよ」

 内緒じゃがな、とひそひそ声でつけ足し、またカラカラと笑う。なんとやんちゃなサムライもいたものだ。

 それにしてもこの好奇心と行動力、やむにやまれぬ情熱ときたら・・・。破顔しておどけつつ野武士は、聞く者を静かに圧倒した。

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