第23話・焼成

 夜がふけて、炎は完全に根を張った。マキを飲みこむ窯の食欲がじょじょに加速していく。それにしたがって火力が増す。ほの暗かった炉内は、目を細めなければならないほどにまばゆく輝きはじめる。湿気を帯びてしょぼんとしていた窯が、はち切れんばかりに膨張していくようだ。

 炎はよどみなく行進し、焚き口からエントツへ向かってスムーズに流れていく。すべてが順調だ。しかし焼き物はこれだけではつまらない。試練を経ない器は素直に育ちすぎ、面白みのない子になってしまう。逆にいろんな質の炎と対決すれば、複雑で奥行きのある風貌を手に入れられる。そこで、窯内の温度が900度を超えるあたりから、単純な素通しになっていた焚き口からエントツまでの間に人為的な障害物を与える。人類が初めて土器をつくって以来15000年の間につちかった、炎の飼育法だ。

 たとえば、エントツの中途に細長い横穴をうがち、板を差しこんで、煙道を半分フタで閉じるようにする。ギロチンのような構造だ(この装置をダンパーという)。同時に、焚き口も鉄板でふさいでしまう。内部は半密封状態となる。するとマキを飲み込んだ炎は、行き場を失って太っていく。炉内圧が高まる、という状態だ。そこでこんな現象が起きる。窯内への空気の供給がストップしたため、燃焼を媒介する酸素が欠乏し、炎は壁のすき間というすき間から外に舌を伸ばして、空気を渇望しだす。不完全燃焼で、炎の色は怨念がこもったように鈍くにごる。それでも酸素が足りない。すると、進退極まった炎はなんと、作品の素地(土)から酸素を強奪しはじめるのだ。このかっぱぎにより、土はサビ(酸化)色を抜かれ、いい具合の肌に焼きあがる。簡単に言えば、作品から酸素をしぼり出す操作だ。この焚き方を「還元炎焼成」という。

 一方、焚き口をオープンにし、煙道もクリアにしてやると、エントツは窯内の熱い空気を素通しに外に吐き出す。エントツの太い引きは、焚き口からどんどん新鮮な酸素を窯内に取りこむ。早い循環で酸素がゆきわたった炎は、どんどんマキを食べてすくすくと育ち、透きとおって完全燃焼する。これが「酸化炎焼成」だ。

 この二種類の炎の質をコントロールして、陶芸家は自分の作品に好みの色や雰囲気、質感をつけるのだ。しかし人間が完全に自然を飼い慣らすことなどできない。完全に御しきったと思っても、窯出し時に予想だにできなかった状態が出現することもありうる。というよりも、ほとんどがそうだろう。炎のいたずらは人智を超える。それはうれしい結果かもしれないし、がっかりするような結果かもしれない。そうした意味でも、陶芸は自然とのケンカであり、共同作業ともいえるのだった。

 炉内温度が1000度を上まわると、焚き口付近は尋常ならざる熱さとなる。焚き口はぶ厚い鉄板でふさがれているが、それがブリキのようにベコベコにゆがみはじめる。窯焚きはこの熱との闘いでもある。ここまでくると、マキをくべるのも大変な作業だ。炉内のマキが燃え尽きるタイミングを見計らって、鉄板を開けては新しいマキを放りこむのだが、焚き口が開くとすさまじい高温の放射に襲われる。灼熱の苦行だ。初夏でも長袖で皮膚を守らなければならない。焚き口からこぼれ出る炎は、したたる汗を焼いて塩の結晶にする。

 ぐんぐん温度を上げる攻め焚き。こうなると命がけだ。額と口元をタオルで覆って、目だけを露出する。ゴーグルを用意する者もいる。ほとんど左翼ゲリラだ。軍手を二枚重ねにした手にマキを握り、リーダーの合図を待つ。リーダーは、炉内に残る熾き(おき。今まさにまっ赤に焼けきっている炭火)の量を火の大きさで、炎の質をその色で見極め、供給するマキの量と落とし場所を指示する。マキくべ係はそのナビゲーションに従い、素早く、的確な位置に、適正な量を投げこまなければならない。炎が燃えさかるその向うには、作品を並べた棚が間近にそそり立っているため、マキの落としどころを間違えれば大惨事だ。スピーディーにして慎重、かつギリギリを狙う大胆さが要求される。

「オリャー、入れろ~」

「左にあと五本、中央に一本」

「あちー!」

「よっしゃ、閉じて」

 一気呵成のオペレーションが終わると、再び鉄板が閉じられる。その間約10秒といったところ。あわただしく怒号が飛び交ったマキくべ作業の瞬後、打って変わった奇妙な静けさが訪れる。だれもが耳をすます。たった今放りこまれたマキに火がまわるパチパチという音を、ぶ厚いレンガ壁越しに聞くのだ。緊張の面持ちで、パイロメーター(温度計の表示装置)に示される炉内温度を見つめる。

ーマキがきちんと仕事を全うしてくれますように・・・ー

 それは厳かな時間だった。マキがくべられると、炉内は一時的に酸欠となり、還元状態におちいる。エネルギーを放出したがる新入りのマキと、今までかつかつでやり繰りしてきた酸素量との需給バランスが崩れ、不完全燃焼を起こすのだ。焚き口から冷気も入り、温度は落ちていく。しかしやがて、異物とみられたサラなマキにも酸素がゆきわたってついに燃えだし、炉内の炎になじんで一体化する。透きとおって伸びる健康な炎が、温度をぐんぐんと上げはじめる。完全燃焼の酸化状態。二歩さがって三歩前進。このくり返しで温度をゲインしていき、炎の質もコントロールしつつ、マキ窯では作品を焼きあげていくのだ。

 一夜と一昼をまたいで翌夕刻、メーターが目標の数値を表示した。1230度。窯内の温度が最高点に達したのだ。いよいよ焼きあがりだ。しばらく温度をキープした後、焚き口や煙道がレンガなどによって封じられた。さらにレンガ目も泥でふさぐ。激しい焼成によって生じたヒビやすき間も、同様に修繕する。完全密封状態だ。以降数日間、窯内に残った熾き火にいぶされる純粋な還元状態という環境の中で、作品は寝かされ、熟され、ゆっくりと冷えかたまり、長かった炎との闘いで焼きつけられた勲章を結晶化させていく。

 そして人間も、愛しい作品との再会を待ちわびることになる。この冷却時間の長いこと、窯開けの日の待ち遠しいことといったら・・・。今度は人間のほうが焦がれ、手を尽くしたわが子の姿をはやく見たい歯がゆさに身を焼かれることになるのだ。

 窯に作品を入れるという行為は、つまり創作の最終段階を自然にゆだねるという意味に他ならない。作意を越えた解釈が、炎という自然物によってもたらされる。その人為の届かない偶然にひとは焦れ、期待し、不安に感じ、また憧れる。祈るばかりだ。それが焼き物のいちばんの楽しみであり、苦しみなのではないだろうか。そんなことを思って、作品を持たないオレは、閉じられたマキ窯の前でわが子との邂逅を心待ちにする人々の顔をうらやましくながめた。


 図9・※1がダンパー。ダンパーの他に、ドラフト=通称「バカ穴」という装置もある(2)。これはエントツ付近に穴をうがって、レンガで閉じたり開けたりし、煙道に抜ける空気の引きの強さを調節する機能を担う。ストローの途中に穴を開けると吸えない現象を応用したもの。図は、マキ窯を後方から見たところ。3は焚き口。

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