第3話・漂流

 まんまと念願の上京を果たすと、さっそく編集者に紹介された「某マンガ家」のスタッフとして働きはじめた。

 オレはアシスタントとしてはまるっきり知識ゼロのド素人だったが、持ち前の器用さとかしこさと感受性で、すぐに技術的なものはマスターした。とてつもない才覚といわざるをえない。そんなだったので、周りの先輩アシスタントの仕事っぷりを見ては、

ーなんでこのひと、こんなに描くのが遅いんだろ・・・?ー

とか、

ーヘタだなー・・・オレならそうは描かないのに・・・ー

などと生意気なことを考えていた。

 しかし最大の不満は、親分となったマンガ家そのひとが、ヘ・・・うまいわけではなかったことだ。そのうえに、ケ・・・経済的にひかえめで、いじわ・・・優しくはなく、つまり、とてもじゃないが師匠として仰ぎ見ることができない。しかも、四畳半一間に先輩アシ三人がデスクを並べ、オレはその足もとの暗がりにちゃぶ台を置いて背景を描くという、劣悪な環境。さらに時給300円で一日18時間勤務という、およそ法的に考えられない労働条件。食事は三度三度コンビニ弁当で、600円以内の制限つき。眠気と空腹に耐えつつ、しばしば、自分は雪の野麦峠を越えてやってきた職工なのでは・・・?という幻覚を、うつらうつら見ることがあった。

 24時間のうち18時間を拘束されながら、残った時間で自作品を描きあげたのは、我ながらあっぱれというほかない。その作品が、ある賞にひっかかり、オレはわずか3ヶ月でタコ部屋生活から開放された。この日をさかいに、新米アシスタント氏は、晴れて「マンガ家」様となったのだった。

 独立した当初は、そこそこ順調だった。何本か読み切りものを描きおろし、いろんな雑誌に掲載された。スピリッツ、アクション、ヤングジャンプ、少年チャンピオン・・・どこに載っても、トビラのキャッチコピーは作者を「俊才」とうたっていた。なんとオレをピタリと言い当てた言葉だろう、「俊才」。ところがここで勘違いがはじまる。オレは本当に自分のことを俊才(=才知の優れたひと)であると思いこみ、安心感にひたり、サボることをおぼえていったのだ。堕落した生活がはじまった。

 サボりだすときりがないのがフリーランスの世界だ。朝まで酒を飲んでグダグダになり、夕方近くまで眠るようになり、食うに困るとしぶしぶイラストや読み切りの原稿を描いた。つまりオレは、金がなくならないと原稿を描けないようになっていた。やがて編集部から足が遠のき、原稿でなくアルバイトで食いつなぐようになる。その生活は、ただただ凡百のプータローの姿だった。たまに連載もののような大きな仕事もしたが、自分自身が楽しめていないことに気づいた。楽しんで描かれていないものを読まされた読者が、楽しめようはずがない。連載はたちまち打ち切られた。なのに最終話を描きあげると、いつもほっとした。そもそもマンガを読まないオレは、この仕事が好きでもなんでもなかったのだ。今の生活に疑問を感じるようになった。

 そんなとき、陶芸という世界に出会った。きっかけは、「やってみない?」という友達につれられて、陶芸教室に体験にいったことだった。

「たのも~っ。ろくろをやらせてもらいたいのだがー」

・・・とは言わないが、看板を人質にかかえてドアを蹴り飛ばすような勢いで、オレは乗りこんでいった。どういうわけかオレは、いつも新たなことに挑戦するときは自信満々なのだ。たいした裏づけもなく、オレは自分を信じきっているのだ。

「まあ、ようこそいらっしゃいました」

 先生はオレより少々年上の女性で、トマトしか食べない、という怪人物だった。彼女は、この道場破りと見まがう無法な男をおだやかに迎えてくれた。

「ろくろをされたいようですけど、あなた、陶芸のご経験は?」

「ぜんぜん」

「ろくろをさわったことは?」

「いちども」

「・・・」

 あとから知ったことだが、陶芸では素人が最初からろくろを使うなどということはしない。手びねり成形によって、器のつくられる順序を知り、構造を理解し、造形に、用途に考えをおよぼし、はじめて技術としてのろくろ成形という選択肢が発想されるのだ。そこに行き着くまでのプロセスを全部はしょれば、ろくろ挽きは成形技法でなく、ただのアミューズメントになってしまう。

 しかし先生は物わかりよく、町の無法者にろくろを開放してくれた(事を荒立てるのがめんどくさかっただけかもしれない)。オレは生まれてはじめて、ろくろというものに向かった。

「では、まずね・・・」

「あ、いや、なにも教えないでください。ひとりで全部やってみせますから」

 この根拠のない自信はどこからわいてくるのか?ひとにはまったく理解できないかもしれない。とにかくオレは、自分の価値を決して疑うことができない。信じてみる。そうして力がみなぎっていくのだ。

 しかし、このときの態度は今思えば、自信ではなく、意欲から出たものだった。今でもはっきりと思い返すことができるのだが、ろくろ上の土と対峙したファーストタッチで、オレはある確信をおぼえていた。すなわち、

ーオレは将来、これを仕事にするにちがいないー

という直感を。

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