第9話・タックル

 エテ高戦は、終盤にさしかかっていた。

 ファーストスクラムを組んだときから、トイ面の男の眼が気になっていた。オレの左フランカーというポジションは、スクラムの左外縁部に組み付く。すると、大男たちの筋肉がミシミシときしむ音を右耳に聞きながら、敵方右フランカーの顔を真正面に見ることになる。じっとにらみつけると、相手もすごい形相でにらみ返してくる。イチガンケイ・・・ヤツをそう名付けてみた。髪をトサカのように逆立たせ、歯を剥き、シャープに絞り込んだ体躯で飛び出しに備えるその姿は、まるで軍鶏だ。しかしヤツのいちばんの特徴は、左目の目頭から目尻までを真一文字に走る、太い血管だ。まるで赤い矢が瞳を貫いたような、狂気を宿した赤目。とにかくオレには、ヤツが独つ眼のニワトリに見えたのだった。

(一眼鶏・・・イチガンケイ。ピッタシだ)

 スクラムが散開しても、ヤツはオレを徹底マークし、しつこくまとわりついてくる。こけーこっこっこっ。こちらも負けずに追い立ててやる。しっしっ。局地での個人対決でも消耗戦だ。取っ組み合い、ケズり合う。歯ぐきにぬるい鉄の味を噛みしめつつ、ボール獲得のために小さな主導権の奪い合いをする。言葉は交わさなくても、むき出しの闘志でやり合った。それは敵味方たがわず、ピッチ上の全員がそうだった。気力を振り絞っての総力戦となっていた。

 ついに味方陣内の守備がほつれた。ほころびを裂いて突っ込んできたのは、イチガンケイだ。ボールをかかえ込み、突進してくる。不意に、ぎらついた充血眼に射抜かれた。こちらも射返す。このとき、ふたりの接触が運命づけられた。飛び込みどころを定めたヤツは、狂気を背負って向かってくる。くわーっこここっ。オレを蹴散らし、一直線に突破をはかろうというのだ。

「このやろー、なめんな・・・」

 逃げ場はない。覚悟を決めた。こちらも全開加速する。こうなったらベクトルの太さ勝負だ。気合い値をレッドゾーンに振り切らせ、正対した。抜いたら勝ち、抜かれたらおしまい。試合の流れがこのワンプレイで決定するという局面だ。

「んなろーっ!」

 思いきり、左肩でコンタクト!こめかみすれすれに敵の足を迎えにいき、下半身に肩深くで当たる。最も効果的に破壊力を伝える角度だ。肉を切らせて骨を断つ、カミカゼタックル。しかし不思議と恐怖はない。合宿中、そんな訓練をずっと積んできたのだから。ただし、動かないサンドバッグを相手に、だ。生身の人間で試みるのははじめてだ。

 どすうっっ!

 ヤツの腰骨の芯を食う感触があった。後にも先にもそれ一回きり、という乾坤一擲のタックルが突き刺さった。勢いを生かしたまま、さらにもう一歩、深く踏み込む。同時に、目の前にある二本の足を両腕でパックし、引き絞る。灼熱の校庭で、百万回反復した作業だ。体に染みついている。さらに押し込んでイチガンケイの爪を地面から引っぱがすと、硬く重い筋肉塊が宙に浮く感触があった。空中で足首を刈り取り、そのまま体を浴びせて、巻き倒す。

「ぐうあっ・・・」

 ヤツはトサカから落ち、そのまま密集に飲み込まれた。耳をつんざく大歓声が沸き起こる。危機は去り、再びわやくちゃがはじまった。

 オレは破壊の感触に恍惚した。ところが、なぜか動けない。痛覚が一本、また一本と電気信号を送ってくる。やがて激痛が襲ってきた。痛みの元をたどって、左鎖骨が折れていることに気がついた。タックルの強烈な負荷に、細い鎖骨が耐えられなかったのだ。左鎖骨と頸動脈と交わるあたりが、見る見るうちにピンポン玉を飲み込んだように腫れはじめる。猛烈な痛みに歯を食いしばり、思わず横たわった。

 場内は騒然としている。プレーがいったん切られ、グラウンド内に担架が運び込まれる。

「大丈夫かあっ!?」

 救急の係員ががなり立てているのが聞こえる。ところが、担架にのって運び出されたのは、チキンの方だった。ヤツはトサカを垂れ、腹をかかえ込んでうめいている。腰か背骨か、あるいは内臓か、そのへんをやってしまったらしい。ひとしきり大騒ぎした後、静かに戦場を後にした。安らかに眠るがいい。

 そして、芝生上に倒れ込んだオレを見下ろしているのは、いろはだった。

 ざぶうっ・・・バッシャア・・・

「こらっ。いつまでも倒れてるんじゃないのっ!」

 ヤカンの水をぶっかけられた。

「ぶはっ・・・な、なにすんだよおっ」

「魔法の水よっ」

 しおれた花にも水をやれば、もうしばらくの間はもつだろう、ということらしい。すばらしき古典医学よ。

「さ、もう大丈夫。戦ってきなさいっ」

「大丈夫・・・ったって・・・あの、ホネ・・・」

「いけっ、よしやす!」

 久々に耳にする、上官の命令だった。ぱちんと目が覚める思いがした。そうだ、戦わなきゃならない。動かない左手を右手で持ち上げて、再びピッチへともどった。

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