1話 子爵の悩み

『大陸南方のフラーズのある貴族が大陸中央の国サンデルを攻撃する』


 このような噂が平民貴族を問わず諸国の間でまことしやかに囁かれるようになって二週間。大陸に伝播していった噂は徐々に尾ひれをつけ、大げさなものへと変わっていく。


『間もなくフラーズとサンデルは全面的に戦争状態となる』


 その噂に慌てるのは当事者のサンデルはもちろんのこと、フラーズや周辺国の人々も例外ではなかった。


「結局どっちなんだろうな?」

「何が?」

「最近の噂だよ、俺達どうすんの?」


 仮に噂が真実とした際フラーズ軍の指揮を執ると考えられる最有力候補、フラーズ北東の街ウィルゼールを治める貴族とその配下の間で今後の進退についての会議がなされていた。


「どうもしないさ、いつも通りのことをやるだけだ」

「そりゃそうだけどさあ」


 一人はソファーにもたれ掛かりいかにも気怠そうな雰囲気を醸し出す短い緑髪の青年。手持無沙汰なのか足の関節をソファーの端にかけ膝から先を宙づりにして動かしている。

身だしなみもかなり無頓着なようで紺色の系統でまとめた衣服も所々皺が見え、ズボンに至ってはベルトの美錠まで外れている。


「もし俺たちでサンデル攻めるんだったら今のままじゃ数が足りないだろ。量より質で今までやってきたけど国一つ落とすには無理があるぞ?俺が言うのもなんだがあの時の徴用試験は失敗だったんじゃないか?」


 そんな倦怠感を全開にした男、ロイの姿からは考えられないほど饒舌な台詞回しに机に向かい筆を執っていた相手の男も手を休めロイの方へ向き直る。

 ロイより二回り背が高く、瞳を覆わない程度の白髪に白亜のロングコート、正直なところ衣服のセンスとしては壊滅的だがそれの印象をたやすく吹き飛ばす彫像のような美貌を持つ男、フラーズ王国子爵位、アマト・フリューゲル。


「数だけ揃えても意味はないさ。今までならばともかく、これからは生き残る力が必要とされるだろう」


 兵力の増強を遠回しに進言したロイに対しアマトは慎重な構えを見せている。

数年前の台頭以来フラーズの領土拡大に最も貢献している貴族という事実から急進的な思考をで行動する男だという印象を持たれることも多いが実のところは従来と尺度は違えど真逆の慎重派である。


「それさ、最近よく言ってるけどどういう意味なんだ?」

「少しはそのましな頭で考えることだ」


 ロイは曲がりなりにもフリューゲル領の序列二位であり、アマトが不在の際には彼が先頭に立って指揮を執るのだが未だにその器が育っていない。


「それに、今の私はそれとは別件で悩みに悩んでいるんだ」

「……ああ、アレね」


 アマトの言葉にロイが何かに気付き手元にあった一本の縄をぐいと引っ張る。括りつけられていた先は部屋の扉の取っ手部分。半開きだったそれは勢いよく内側に向けて開いていく。


「うわっととと!?」


 解放された扉の先から一人の少女が倒れ込んでくる。

 整えられたピンク色の長髪、探検家のような活発な印象を与えるノースリーブとハーフパンツ。そして何より目を引くのが頭についた狼の耳と体の後ろでパタパタと動く犬のような尻尾。

 亜人と呼ばれる種族の少女。フィリアだった。


「……フィリア、君はリムとの実戦訓練じゃなかったのか?」

「はい!でもアマトさんたちがお話ししていたので覗き見していました!」

「涎をたらしながら?」


 ロイにそう言われて初めて自分の口元に手を当てる。

それでようやく気付いたらしいが構うことなくフィリアは話し続ける。


「いや~、実はアマトさんの目線がこっちに時々移ってきて、もう、なんていうかこう、ね?」

「男なのに分からないわけじゃないから困る」

「おい」


 これがアマトの目下の悩みだった。

 このフィリアという女、生来の不幸や猟奇的な奴隷としての扱いという境遇を乗り越え、数週間前にウィルゼールの徴用試験を受け、アマトとの一騎打ちで奇跡的な形で勝利条件を満たし、アマトの護衛としての新しい人生をスタートさせた。

それまでならシンデレラストーリーとして読み物などの形で後世に残される美しい展開なのだが、彼女はそれからが問題だった。

 アマトの護衛、というものは文字通りの役目に加えて普段の生活に置いてアマトのみの世話も兼ねるものだった。

それに乗じてフィリアはこれ幸いとアマトの寝込みや休息中にベッドの中に潜り込む常習犯と化していたのだ。

幸いにアマトが休息、睡眠中でも意識を完全に手放すことはほぼ無かったため現在は未遂でとどまっているが、何度鉄拳制裁を受けようとも懲りずに繰り返している。


「分かったから君は早く行ってくるんだ」


 一方で被害者のアマトはそれによって精神的な疲労がたまっていた。

仮にも自ら近くで彼女を見据え、彼女の幸福を願った身としてどうしても儀礼的な対処であしらうことしか出来ていない。


「いやですー。今日はアマトさんと一日中一緒にいるんですー。たまにはこうしたって天罰は下りません!そうでしょう?」

「適度な息抜きは必要だし根を詰めすぎるのは良いことではないから言っていることは間違っているわけではないね。でも」

『ふぅん?』


 執務室に木霊する女性の声。それによって傍若無人な態度を取り続けたフィリアが一気に凍り付く。


「それは今ではないかな」


 フィリアが背後の気配に気づきおそるおそる振り向くとそこに現れたのはリム・フリューゲル。

アマトとロイの中間の、女性としては非常に高身長で異邦の服装を身にまとう不思議な魅力を感じさせる美少女だ。

実力者が数多くそろうフリューゲル軍の中でも屈指の戦闘力を持ちながらアマト同様にその出生は謎とされている。

また、アマトの寵愛を受けている唯一の女性としてもほぼ領地内だけではあるが知れ渡っている。

 そんなリムがフィリアに現在、射殺すような目線を向けている。そんな威圧感もあってかフィリアには普段よりさらに大きく見える。


「言い訳は?」

「えー……………………と、英気を、養いに」

「あ、そ」


 端からリムは聞く耳を持とうとしない。棒立ちのフィリアの頭部で動く右耳を鷲掴みにして無理やり部屋から引きずり出す。


「いだだだだ!リムさん!?耳が!!耳がちぎれますって!」

「ごめんねアマト君。騒がせちゃって」

「いや、うん……気にしないでくれ」


 リムが強引にフィリアを連れて行き一難は去ったが、アマトの心は畑を荒らされたかのようだった。


「……うらやましいが大変だな」

『痛い痛い!せっかくのアピールポイントがあああああ!!』

「……本当に大変だな」

「その心底同情する顔をやめろ」


 態度はともかくとして真面目にフラーズの今後について語ろうとしていた二人だったが既にそんな空気ではなくなってしまったらしく白けてしまったのかロイは部屋を去ろうと立ち上がろうとする。


『いた』

「…………」

「…………」


 その時、ロイが床に足を付けた時。床下から人の声が響いた。

偶然ではないのか?そう考えた二人だったがロイが確認の為にと同じ場所をかかとで強く踏みつける。


『むぎゅう』


 今度こそ聞き間違いではなかった。

 床の木製の板を剥がすと、そこから黒いゴシック調の衣服を身にまとった黒のロングヘアーの少女が顔を表した。


「……おっす、……シたい」


 アマトの心労はまだまだ続くことになる。

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