第6話 美琴さんとの出会い

マンゴーに似た匂いが鼻腔の奥まで届いた後、甘い香りが部屋中に広がった。棲家では決して匂うことがなかった香水の香りだ。僕の視線に映る一人の女性、扉を閉めるか閉めないかの間際、僕をチラッと見てから挨拶した。関田さんが太い声で挨拶を返して、鏡さんはスマートに立ち上がって女性へ近付いた。そんな場面を見つめながら、僕は鏡さんや関田さんよりも、女性の仕草に心を奪われてしまった。


部屋に入って右側の棚に、僕の知らない見知らぬ機械が目に映った。後から知るのだけど、それはタイムカードと呼ばれる機械だった。女性は床を滑らせるように歩いて、タイムカードを手に持って差し込んだ。その仕草に無駄な動きはなく、白鳥の首を思わせるような美しい姿だった。思わず見惚れてしまう。


美琴みこと、すまねぇけど、しばらくボウズを部屋に泊めてくれるか。今日から働くことになってな」


鏡さんの指示は絶対なのか、美琴と呼ばれる女性は表情を変えることなく頷いた。そしてタイムカードを確認してから透き通るような声で、僕に向かって話しかけるのだった。


「よろしくね、僕ちゃん」と。


そんな状況に唖然としていたのだろうか、僕は女性へ返事を返したのかも覚えていなかった。ただ目の前に居る関田さんが、鼻で笑ったような顔が見えたことだけは、はっきりと覚えていた。


これから何を知り、何をしていくのかわからないが、これだけははっきりとしていた。僕の人生は今日をもって、目まぐるしく変化するということであった。まずはここでの仕事を理解すること。


僕が今日から働く場所は、トルコ風呂と世間から言われている風俗店だった。

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