第15話 運命

冷え症の彼女を暖めてあげたい。シチュエーションは『寒いわね』の一言から始まった。解けた髪の毛が僕の肩を覆い被さる時、それは自然の営みにも似ている。



場面は帰り道の配置されたときまでさかのる。店から商店街を通り抜けて、街灯がまばらな道へ出る。横を歩く彼女へ視線を移した時、寒そうな仕草で彼女は顔の前に手のひらを口元へ持っていく。真冬にはまだ少し遠い季節にも関わらず、彼女は指先を暖めるように吐息を吐いた。


「末端冷え性なのよ。可笑しいでしょう。まだ本格的な冬にもなっていないのにね。だからこの時期からロングコートにマフラーなんか巻いている女は滑稽でしょう」と口元を手のひらで隠しながら言った。


「でも、末端冷え性なら仕方ないかもしれないですね」とありきたりな返事を返した。


「僕ちゃんは寒くないの?そんな格好で……」


僕の格好と言えば、色褪せたジーパンに薄手の長シャツという格好だった。10月の終わり頃、確かに夜はだんだんと冷え込む季節である。薄着した格好を見て、美琴さんは何とも言えない表情をしていた。


「僕ちゃんのご両親は?」と前を向いたまま彼女が訊ねてくる。


「知りません。正確には生きているのもかもわからない。母は僕を生んで、すぐに施設へ置き去りました。だから僕は孤児院で育ててもらって、中学まで学校は行ったけど、そのあとは無理を言って一人暮らしでした。旗から見たら可哀想とか思われるけど、これまで特に自分が可哀想とか思わなかった。母の記憶も無いし、施設のおばさんは優しくて幸せだった。それに母を恨んだりなんか思ったこともありませんよ。昔は昔で、今は今で大変だから……」


「例えば……」とマフラーの先を揺らしながら彼女が呟いた。


「なんて言うか、今日の出来事は大変な事だと思って……」


「そうね、大変だったと思うわ」と過去を語るように彼女は言ってから、僕の腕をつまんだ。



「私たちはどうして生まれて生きる道を選んだのかしら?僕ちゃんがこの世に生まれた瞬間、運命を運命と知らずに風景として思い知らされる。でもね、僕ちゃんのお母さんや世の中で親となった人たちも、運命という権利を捨てる人も沢山いるの。それって余りにも身勝手で理不尽じゃない?」彼女の言葉に僕は頷いた。そして話しの続きを待った。


「運命なんて生まれた瞬間から決まらないのよ。これっぽっちも決まってないの。明日の自分を知らないことぐらいよ。それでも人は運命を信じてしまう。何故だと思う?」僕は首を横に振ってわからないと答えた。


「僕ちゃんが生まれた瞬間から親のシナリオで生きているからよ。だから僕ちゃんは孤児院へ置き去りにした。運命なんて親のシナリオであって、ホントは自分の運命じゃないの。それは仕方のないシナリオなのよ。誰にも避けられない身勝手な運命なの。ねぇ、僕ちゃんは寒くないの?」


「大丈夫です。だったら僕の運命のいつからなんでしょうか?」寒くもなかったし、彼女の話す内容が気になって質問だけを返した。


「運命ってね。恋を知って愛の難しさを心に感じた時よ。その瞬間から運命が始まるの。それまでは親のシナリオの中で運命を運命と思っている自分と、シナリオ通りに生きなければいけないのよ。それは悲しいことじゃない。ただ恋を知らないだけ、僕ちゃんの運命は恋を知って、愛の難しさを心に感じたときなのよ。ねえ、私の言いたいことわかる?」


僕は首を振って、わかるともわからないとも答えなかった。ただ彼女の澄んだ瞳と唇だけを見つめていたから……


「僕ちゃんの運命を変える場所に着いたわよ」と彼女が言った。



僕の目の前は道が開かれ、闇夜の一角にポツリポツリと部屋の明かりが灯る高層マンションが現れた。僕の腕をつまんでいた指先が離れて、彼女はゆっくりとマンションへ向かって歩いた。全ての物事が規則正しく動くことはないーーと、僕は彼女との数分の会話で知ったような気がした。赤いハイヒールの音と足音が付かず離れず共鳴するように、僕の恋する鼓動も運命を刻んでは共鳴していた。


僕の運命は、恋を知って愛の難しさに揺れ動くだろう。

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