悪意


『すみれちゃんだけ幸せなんて許さない』

そう私に言ったのは妹の恵理佳。

恵理佳が家に引き取られてきた一週間後に言われた言葉。


愛人の子供。そのレッテルが恵理佳を傷付け、歪んだ性格を形成した。そう私は思っている。

15歳で母親を無くし、悲しみを癒す間もなく、父親の家庭に放り込まれた恵理佳。

父は家に帰らない人。


そして母となった私の母は勝手気ままに過ごす人。

そんな家だから、私は妹が出来た事が嬉しくもあった。

でも、嬉しかったのは私だけだったみたい。母は恵理佳を引き取った事により、身内から尊敬され、父は母に文句を言えない立場へと追いやられた。


母の男遊びが更に酷くなったのは言うまでもない。


そして父は週に一度ぐらいしか帰宅しなくなった。

帰宅すれば、恵理佳に小遣いをあげ、機嫌を取る。

多少なりとも、恵理佳の今の境遇を不憫に思っているのかもしれない。


そして、私は事ある毎に恵理佳を誘うが、一蹴される。

いつか心を開いてくれるんじゃないかと、気にかけているけど、恵理佳は私に懐いてはくれなかった。







太陽の日差しが肌を焦す季節になってきた。

8月に入り、私の長期休暇まであと少し。

お盆休みを含み12日間の休暇申請をした。


斉藤課長は嫌な顔をしたけど、普段休みを取らない私の有給は貯まっている為、認めざるを得ない状況のお陰ですんなりと申請は通った。

休暇中の引き継ぎ一覧を作り、課の皆に渡す。


新人達の分はタイムスケジュール的に作成した。細かなスケジュールを作成したのは先輩達に気を使っての事。

そのお陰で、先輩達から嫌味を言われる事もなかった。


なんで私がここまでやらなきゃいけないのかは不明だけど、私に文句がこないようにする為だと、自分を納得させた。


「すみれさぁん。誰と一緒に行くんですかぁ?」


日比野さんの猫なで声は、たまに母を彷彿とさせ背筋に嫌な汗をかく。


「大学の時の教授とね」


そう久美教授が全てのアテンドをしてくれている。


「大学教授!!いいなぁ~男性と旅行ですかぁ」


教授と言えば男性。って思考回路らしい。


「ううん、教授は女性だよ」

「なぁ~んだ」


日比野さんは興味を失ったように、去って行った。

分かりやすい日比野さんに苦笑してしまう。

日々の仕事に加え、休暇中のスケジュール作成、毎日が残業になっているけど、『古城の為なら』と頑張れる。


古城だけが私の生きがいだから。


高宮瑞希に助けられてから、足立さんと接触はない。

彼の姿を見かける度に、隠れるように逃げてきた。

残業が続く最近は特に気をつけて周りを確認しながら帰っている。


家に帰れば恵理佳が休暇の邪魔をしようと私に色々と訪ねてくるけど、今回のアテンドは全て久美教授にお願いしているから、勝手にキャンセルされる事はないだろうな。

子供じみた嫌がらせ。


でも、それは恵理佳が私に存在をアピールしているように思える。

『私を忘れないで』

そう私には聞こえてくる。




「ね、すみれちゃん。今回の旅行男と行くんじゃないの?」


そんな風に恵理佳が言ってきたのは、出国の前夜。

珍しく父が帰宅していて、母も恵理佳も揃っての夕食中。


「今回は久美教授と一緒だよ」

「オマエはまだ大和さんの娘と一緒に遊んでいるのか」


父は嫌悪を露わにする。

でも、反論はしない。

うっかり反論なんてしたら明日の旅行が危うくなるかもしれないから。



「あら、今回はどこに行くの?」


何度も母には言っているのに……聞いてなかったのね。


「チェコに行くの」

「チェコねぇ……お土産は何かしら?」


まだ行ってもいないのにお土産の話をされても。


「チェコは天然素材を使ったボディケア系が豊富みたいだから」


そう、チェコは古くから自家農園で栽培したり、天然素材を材料に、石けんやエッセンシャルオイル等を作っている。

天然素材を使ったボディケアは中世の時代から受け継がれてきた伝統的なモノだと聞いたことがあった。

プラハを流れるヴルタヴァ川沿いに、今でいう公衆浴場や蒸し風呂もあったと言う史実が残っている。



「そうなの。じゃお友達の分もお願いね」


母のお茶仲間への分もお土産リストに加えなきゃ。


「本当にその久美教授と行くの?本当は男と行くんじゃないの?」


恵理佳のその言葉に父は私に視線を向けた。


「男の人と行く訳ないでしょ?」


そう口に出せば父は安心したようにため息を吐いた。

恵理佳はどうにか私の旅行を邪魔したいらしい。


でも、父は久美教授のお父様に頭は上がらないらしく、久美教授との旅行に関しては文句を言って来ないのが現状。



「恵理佳も一緒に行きたかった?」

「な、なんで私が……」


言葉を濁す恵理佳。

恵理佳は私に構って欲しいだけなんだと思う。


「チェコまで半日も飛行機に乗るなんて耐えられないわよ」


そうチェコまでは片道13時間前後かかる。

今回はオーストリア航空を使い、ウィーン経由のフライト。乗り継ぎが上手くいかないと17時間程かかる場合もある。


そんな事まで調べてある恵理佳はやっぱり私に構って欲しいだけなんだろう。

どんな意地悪をされても恵理佳は可愛い妹。

恵理佳はバツが悪そうにダイニングを出て行った。



一緒に旅行をするほど、仲が良くなりたい。

でも、恵理佳が心を開いてくれないとそれも無理なのかもしれない。




「すみれ、くれぐれも大和会長の御嬢さんにそそうがないようにな」


父は社長の仮面を私に向ける。


「はい」


そう一言返し、私も自分の部屋へと戻る。

母は私たちに興味無さそうに携帯を弄り、誰かとのやりとりに夢中。

父はお手伝いさんにお酒を要求し、リビングへと向かったようだった。



バラバラ過ぎる家族。

でもこれが私の家族。






「じゃ、行ってきます」


誰も見送りに来ていない玄関に向かって声を掛ける。

今日から10日間プラハへ滞在する。

自宅前に呼ばれたタクシーのトランクに大きなスーツケースを乗せ、私は後部座席に乗り込んだ。


電車移動を考えていたのに父が勝手に手配をした黒塗りタクシー。


『伊波物産の娘が大きなスーツケースを引っ張って歩くなんて恥ずかしいだろう』そう言い、秘書に電話をした父。

秘書さんの手配でタクシーは時間ピッタリに自宅へと来た。


父は見栄っ張り。

私の持つ物にも口を出す。

アクセサリーを始めバックや洋服。


母はそんな父の見栄を利用し、贅沢三昧に過ごしている。

それが良いか悪いのかは分からない。


でも、父は私に対し、過分にモノを言う事は確かだ。


後部座席に座り、大きなバックの中からファイルを取り出す。

今回行く、城の城内図と近郊の地図。

既に心はチェコに飛ぶ。


中でもチェスキー・クルムロフ城は私が行きたかった城の一つ。

城主が変わる度に増改築が重ねられた城。

ゴシック、ルネサンス、バロック、ロココ、各時代の建築様式が入り混じる。

優美な宮廷劇場、外壁のだまし絵、牢獄として使われていた地下室。


どれをとっても私の興味をそそる。

外壁のだまし絵の裏にあると言われている秘密の扉。

地下室に隠された秘密の部屋。


城が隠す秘密を探し、なんの為に作られたのかを探る。

それが私の古城研究のテーマだった。


渋滞もなく時間通りに空港に到着した。

タクシーを降り、久美教授との待ち合わせ場所である第一ターミナルの南ウイング出発ロビーを目指す。


これから出国する人であふれかえる成田空港。

帰国する人、旅立つ人、それを見送る人。沢山の人が行き交う。







「良かった。やっと会えたね」


背筋が凍りつく。

その声の主を私は知っている。

そして、このセリフを聞くのは二度目。

私の目の前に、にこやかな笑顔で立つ足立さん。

彼の手にはスーツケースが握られている。


その姿に安堵する。出張の前にたまたま会っただけ。

そう思った。



そう、今はそう思った。


「こ、こんにちわ」


震える声で挨拶をした。


「待ってたよ」


待ってた?どういう事?


「すみれちゃんを待ってたんだ。さ、一緒に行こうか」


一緒に?

足立さんは私のスーツケースに手を伸ばそうとした。


「ちょ、ちょっと待ってください」


何なのこの人は?


「ほら、早くしないとフライトの時間になっちゃうから」


足立さんは胸のポケットから航空券を私に差し出す。


『SUMIRE INAMI』

そう書かれている航空券が私の眼下に。


「有給取るのに苦労したよ」


足立さんはそう言いながらも嬉しそうな顔を見せた。

思考がついていかない。

私の目の前にあるのは私の名前が入った航空券。

その行先はグアム島。


「すみれちゃんが有給を取るって聞いてね。オレも一緒に取ったんだよ」


どうしよう。足立さんの言っている事が理解できない。


「ほら、すみれちゃん恥ずかしがり屋でしょ。オレがエスコートしてあげないとね」


足立さんは当たり前の様な顔をしながら、どこか誇らしげで。

戸惑う私を余所に勝手に盛り上がっている。


「な、なんで私の旅券番号知ってるんですか?」


そう、航空券を取るにはパスポートの番号が必要になるはず。


「ん?そんな事、簡単だよ」


足立さんは思いもよらない事を言い始めた。


「すみれちゃんの部署の日比野さんに頼んだんだ」

「日比野さん?」

「そうだよ。彼女めっちゃ協力的でさ」


そこからは私の思考が及ばない話に突入した。

数々の遭遇は日比野さんが協力していた事が判明した。そして私の旅券番号も日比野さんが教えていた。

入社して1年が経った頃、海外視察と言う名の社員研修が有った。イタリアのミラノ工場への視察。

その際、パスポートのコピーを会社に提出していた。


人事経理課の社員ならば、そのコピーを見る事が可能。


「痛い出費はしたけど、彼女にはお世話になったから」


高級ブランドのバックと引き換えに、私の個人情報は売られていた。


「まだ時間あるから軽く食事でもしようか?」


足立さんは嬉しそうにそう言いながら、私の肩に手を掛ける。

私はそれを受け入れる事を出来ない。


さっと避ける。



「すいません。私は別に予定があるので……」


足立さんを横目に久美教授と待ち合わせしている南ウイングを目指す為に身体の向きを変える。


「何言ってんの?オレと一緒に行くんだよ」


足立さんは私の事などお構いなしに、無理やりスーツケースを奪った。


「ちょっと、ちょっとやめてください!!」


足立さんからスーツケースを奪い返す。


「何怒ってるの?」


訳が分からないといった風の足立さん。


「私はチェコに行くんです。足立さんとは一緒に行きません」


みるみるうちに表情が変わる足立さん。


「いい加減にしろよ。オレが下手に出てればいい気になりやがって」


低い声で脅すように凄む足立さん。


「オレと一緒に旅行するの了承済なはず。そう妹の恵理佳ちゃんから聞いてるよ。だから無理に有給まで取ったんじゃん」


まさかの言葉。

ココで妹の名前が出るとは思わなかった。


「恵理佳……なんで恵理佳を知っているんですか?」

「向こうから話しかけてきたんだよ」


足立さんの返答に驚きを隠せなかった。

私の住所を日比野さんから聞き出し、何度も家まで来たと言う。

自宅の前で恵理佳に会い、今回の有給の話を聞いたらしい。


「姉思いの妹さんだよね。すみれちゃんが恥ずかしがり屋なのも恵理佳ちゃんから聞いたんだ」


敵は日比野さんだけじゃなかったんだ。

恵理佳も今回の件に噛んでいた。


「ほら、ぐずぐずしているとフライトの時間になっちゃうよ」


足立さんはイライラを隠すように、作り笑いを私に向ける。


「いえ、でも……」


これ以上言葉が出ない。

足立さんの笑顔に隠された素顔が怖すぎる。

でも、ココで負ける訳にはいかない。


「すいません、どういう話でそうなったかは分かりませんが、私は足立さんと一緒に行く事は出来ません。申し訳ありません」


足立さんに深く頭を下げた。


「は?今さら何言ってんの。そんな事通用すると思う訳?」


ドスの聞いた声が頭上から聞こえる。


「ココに居るって事は全てを了承してる訳でしょ?今さら勿体ぶんなよ」


怒りを露わにする。


「いい加減にしろよ。我慢の限界ってもんがあんだよ」


足立さんの妄想なのか?それとも恵理佳の入れ知恵なのか?

誰が悪くって何でこうなったのか?



「とにかく、もうチェコに行くには遅すぎるようだから、諦めてオレと行くしかないよな」


足立さんの勝ち誇った顔。

時計を見ればフライト時間を過ぎていた。


チェックイン時間の1時間前に空港に到着したはずの私。

なのに足立さんに捕まってしまったせいで、時間はあっと言う間に流れていたようだ。

そしてフライト時間を表示する電光掲示板からウィーン行の便は姿を消していた。


どうして、こうなったのか。

久美教授の心配そうな顔が目に浮かぶ。

バックの中で静かにしている携帯。

きっと不在着信が山のように入っているんだろう。



「さ、オレ達の便も時間ないから早く行こうか」


足立さんは私の様子を嬉しそうな目で見ながら、北ウィングを方を指差した。


「なっ!なんで……」


足立さんの驚いた声に顔を上げる。足立さんの指差す方に、知っている顔が見えた。

眉をひそめ、不機嫌そうな表情を浮かべる男性。

私たちの方に歩いてくる。

指を差されているせいか不機嫌マックス。







「良いご身分だな」


開口一番、足立さんに不躾な言葉を吐く、高宮瑞希。


「み、瑞希課長。どうしてここに……」

「仕事だよ。オマエはどうしてココにいるんだ?」

「え、えっと……」


額から尋常じゃない程の汗を流す足立さん。


「たしか親御さんが危篤だから有給を。って無理に休んだよな」


足立さんの有給は正規ルートで取得したものではなかったようだ。


「で、伊波さんと一緒にいるのはどういう訳だ?」


高宮瑞希の視線に射られ、言葉無く佇む足立さん。


「親は……大丈夫だったので……」


消えそうな声で答える足立さん。


「それなら、明日の引率、オマエに頼めるな」

「い、引率?」

「ああ、新人研修の一環。ミラノ工場視察。オレは前乗りでこれから向かう。オマエは明日、新人達を連れてミラノ入りしてくれ」


そう私も入社して1年目に連れて行かれた海外視察。

それが明日から行われる。

渡航関係は大野主任の管轄。

私が夏季休暇を取得していたため、それに関する雑務は回ってこなかったから知らなかった。


「え、でも……」

「はっ、何?オレが納得できるような言い訳でもあるの?」


高宮瑞希は威圧感を押える事無く足立さんの正面に立った。


「ただでさえ、お盆前で忙しいの分かってるよな?そして海外視察研修で猫の手も借りたい状況なのも承知の上で、まだ何か言うつもりか?」


鋭い眼差しが足立さんに向けられる。


「オマエ、分かってないようだからハッキリ言っとく」


高宮瑞希は呆れたようにため息を吐出しながら言った。



「オマエがどう思っているのかは知らないが、どんなに策を練った所で、コイツはオマエになびかない」

「そ、そんな事、瑞希課長に言われる筋合い、ないですよ」

「本当にそう思うか?」

「社員のプライベートまで会社が関与するのはどうかと思いますよ」


足立さんは何かを閃いた様に、どうどうと言い退けた。


「オマエ相当のバカだな」

「ば、バカって!!」


足立さんはバカにされた事を単純に怒った。


「伊波すみれ。伊波物産の令嬢。オマエも知ってるだろ?」

「知ってますよ」


知っているのは当たり前。って感じで鼻で笑う足立さん。


「大事な取引先だって事も分かってるよな?」


高宮と大きな取引も多い伊波物産。


「その大事な取引先の御嬢さんに手を掛けたら、どうなるか考えた事あんのか?」


足立さんは訳が分からない。と言った顔をしている。


「どうせ、逆玉の輿ぐらいにしか思ってなかったんだろ」


足立さんは思惑がバレテしまったのを感じ、顔の色をなくしはじめた。


「でもな、その考えは間違っている」


足立さんはそう言われ、意味が分からないと言った風に首をかしげた。


「傷ものにする前で良かったな。コイツに手を出していたら会社から損害賠償を要求されていただろうよ」


その後に高宮瑞希はこう続けた。


「伊波の社長は娘を溺愛しているのは周知の事実。

それをどこの馬の骨かも分からないヤツに傷物にされたと知ったら、激怒すること間違いない。

それがウチの社員なら、ウチとの取引は中止。

年間数百億の取引をポシャル事になる。

そして娘を傷つけた慰謝料の請求。

他にも考えたらきりがない度、この伊波すみれはデッカイバックを持ってるんだよ」



ハッキリと言ってくれる。

しかし、高宮瑞希の言葉に嘘はない。


父は私を高く売るつもり。

だから私の身の周りいつも気にしている。


「そして、オマエがもう一つ見落としている事がある」


足立さんはまだあるのかと、うんざりしたように頭を垂れた。


「オレは高宮瑞希。分かるか?次期社長だぞ。

それに今はオマエの上司。

先日の醜態だけにとどまらず、今回の件、ハッキリ言ってクビに値するとオレは思っている」


足立さんは自分のしている事に初めて気が付いたといった風に深く沈んでいく。


「とにかく、今日は帰れ。やり直す気があるならば、明日の視察研修に引率しろ」


足立さんは自分の荷物を持ち、私たちに一礼した後、肩を大きく落としながら去って行った。




「で、伊波さんはどうしたんですか?まさか本当に一緒に旅行に行く気だったとか?」


高宮瑞希は意地の悪い笑顔を私に向けた。

私は事の顛末を掻い摘んで高宮瑞希に告げた。


高宮瑞希は時計を確認し、私に携帯を確認するように言った。言われたように携帯を確認すれば、久美教授から数十件にもなる不在着信と数件のメール。


メールには受付カウンターにチケットを預けた旨が記載されていた。それを高宮瑞希に伝えた。


「オレも時間が無いからあまり悠長な事をしてらんないんだけど」


そう言いながらも、一緒に受付カウンターへと向かってくれた。

そこで、久美教授が預けているチケットを受け取る。


成田発、ウィーン経由チェコ・プラハまでの往復チケット。


「チェコに行く予定だったのか?」

「はい、大学の教授と一緒に行く予定だったんです」


すでに出発してしまった飛行機。

このお往復航空券は水の泡となった。


「よし、とりあえず行くぞ」


高宮瑞希は時計を確認し、私の肩を押した。


「どこへ?」

「オマエ乗り継ぎくらい一人で出来るよな?」


高宮瑞希の歩調は長く、私は小走りでついて行くほかない。

若干バカにされた気がするけど、素直に頷いた。


「じゃ、一緒にくるといい」


高宮瑞希はそう言い、北ウィングの出発ロビーに私を引っ張っていく。

ミラノ行の出発カウンター。

高宮瑞希は係員と数回話をしたのち、財布からブラックの光を発するカードを手渡していた。



「ちょうどキャンセルで座席確保できたから」


意味が分かりません。


「あの……どういう事ですか?」


高宮瑞希は察しろと言ったような視線を私にぶつけてきた。


「とりあえず、荷物預けて受付しろ。話はそれからだ」


電光掲示板はこのミラノ行の便の最終搭乗受付を促している。

高宮瑞希の勢いに押され、もうどうにでもなれ。といった気分で言われたように搭乗手続きをした。

渡されたチケットは2枚。

一枚は成田からミラノ。もう一枚はミラノからチェコへのチケットだった。


「これって……」

「ああ、だから話は飛行機で聞くから」


背中を押されるように飛行機に乗り込む。

キレイなCAさんの案内で広々とした座席に腰を下ろせば、シートベルト着用のランプが点灯した。


隣をみれば、当たり前の様に寛ぐ姿の高宮瑞希がいた。

成田からミラノまでは12時間半のフライト。

ミラノからチェコ・プラハまでは1時間半。

ただし乗り継ぎに1時間半ちょっとかかるみたいだけど。


そんな事を調べていると視線を感じた。

その視線は隣に座る高宮瑞希から発せられている。


「……あの」

「ああ、勝手に手配してすまない」


そう言い、私に頭を下げる高宮瑞希。


「いえ、こちらこそありがとうございました」


助かった。その一言に尽きる。


「こちらの勝手で申し訳ないが、足立の件。周りには黙っていてやってくれないか」


実質の被害は今日のフライトを逃した事くらい。

きっと高宮瑞希が言っているのは、父にこの件を言うな。って事だろう。


「その代り、今回の航空券はこちらで持たせてもらうから」


先ほど、乗り遅れたチケット代と今乗っているチケット代を出してくれると言う。


「いえ、むしろ私がお支払しないと」


そう、今乗っている飛行機。この座席はビジネスクラス。

プラハまでの金額にすると50万以上はすると思われる。

払う払わないの押し問答が始まる。


素直に全てを出してもらうには申し訳なさすぎる。



「じゃ、この航空券だけオレが持つから」


そこがお互いの妥協点だった。

乗り遅れたチケット代は私。

今乗っているチケット代は高宮瑞希。


そして、私は足立さんの件を他に何も言わない事を約束した。

ただし、久美教授にだけは掻い摘んで話す事を伝えた。

そんな話が終わった所で、携帯をネットにつなぎ久美教授にメールを送った。


心配させてしまったお詫びと、乗り遅れてしまった件、そして今向かっている事を報告する。

プラハには現地時間で21時半に着く事を一緒に記載した。

元々初日はプラハに宿泊予定だったから、合流するのに問題はないだろう。


メールを送り、一息つく。

CAが持ってきてくれた紅茶を口に含み、隣をみるとブランケットを鼻までかけ眠る高宮瑞希の姿があった。

彼が助けてくれたのは会社の為。


でも、それだけじゃない気もする。

2度も助けられた。


彼は私のヒーローなのかもしれない。



そう思うと胸がぎゅっと痛くなる。

この間と同じ痛み。


今まで経験した事のない、二度目の痛みが胸を締め付けた。



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