第7話「七難八苦に七転八倒」

 結局『ぷれんてぃ』でポチの情報は一切得られず、マスターに「あの”捜し屋マーク”が犬なんぞ捜している」という情報を与えただけだった。

 顔が広くて情報通なマスターだが、さらにというオマケがついている。 

 『ぷれんてぃ』をあとにして約30分。

 マスターのおしゃべりは、恐ろしい勢いで拡散しているであろう。でもマークは(まあ、いいや)と思っていた。そこから何かしらの情報が得られるかもしれない。とっととポチを見つけて、休暇を楽しみたいもんだ。

 行く当てもなく、今はただ愛車の黄色いハマーで街を流しているだけ。助手席にはカコ。いいかげん疲れたのか、一向に進まない犬捜しに飽きたのか、黙りこんだままカーナビでテレビ番組を見ている。時折、チラチラとマークのほうを見ては小さくタメ息をつく。『捜し屋マーク』も大したことねーなとでも言いたげだ。それならそれで結構。他を当たってくれ。

 マークとカコは、目と目で険悪な会話を続けていた。


 あづさと祥介は、病院の待合室にいた。ここは地上10階建て、病床数約350の総合病院である。

 ”ゴールド”によると思われる第二の事件の容疑者は、何の関係もない通行人にいきなり切りかかって3人に重軽傷を負わせたあと、自らの腹を刺してこの病院に搬送されてきたのだが、現在は緊急手術を受けており、二人はそれが終わるのを待つしかない状態だった。違法薬物を使用し、罪もない人々を傷つけるような奴など、どうなってもいいというのがあづさの本音ではあるが、今は『ビッグ』に繋がる手がかりが一つでも欲しい。彼に死なれては困る。

 手術開始から、もうかれこれ一時間。あづさたちは他に誰もいない待合室で、無言のまま時を過ごしていた。それぞれが、これからもっととんでもないことが起きるかもしれないと憂慮しながらも、それがどんなことかは当然知る由もなく、結局何もできないことに歯がゆさを募らせていたのである。

 自動販売機で買った紙コップのコーヒーは、すっかり冷めきってしまっている。あづさはその残りを一気に飲み干し、紙コップを握りつぶした。

 と同時に、待合室の照明が突然消えた。いや、待合室だけでなく、ガラス越しに見えるフロア全体の照明が落ち、あちらこちらから悲鳴が上がった。どうやら、病院全体が停電を起こしているらしい。

「な、なんだ!どうした!」

 祥介が、椅子を跳ね飛ばして立ち上がった。

「落ち着いて、津上くん。予備電源がすぐに作動するはず」

 あづさが言った通り、数分で照明が戻ってきた。

 わずか数分とは言え、医療機器に問題はなかっただろうか?入院患者への影響の有無は?そこまで考えて、あづさはハッとした。

「手術室!!」

 あづさと祥介は待合室を飛び出した。


「平和だねぇ・・・」

 ただ街中を走らせているだけのハマーの車中。気まずい空虚な沈黙を打ち消そうと発したマークのセリフは、事態をさらに悪化させる結果を招いた。

 カコの冷たい視線が、言葉よりはっきりと、さらには言葉など必要としないほどはっきりとそれを表している。

 テレビだけが、明るい笑い声を発していた。


「なんてこと・・・」

 あづさは扉が開け放たれたままになっていた手術室に駆けこんで、言葉を失った。手術台の上は無人になっており、執刀していた医師も、その助手たちも、白衣を鮮血に染めて倒れていたのである。

「先輩・・・」

 祥介は今にも消え入りそうな声を、やっとの思いで発した。

「津上君!!」

 ハッと我に返ったあづさは、うつぶせに倒れている医師に駆け寄ると、躊躇なく血だまりに手を差し入れて彼の体をひっくり返した。そして頸動脈に手を当てる。

「まだ息があるわ!人を呼んできて!」

「は、はい!!」

 祥介は足がもつれそうなのをなんとか踏ん張り、手術室から駆け出て行った。残ったあづさは全身が血に染まっていくのも気にせず、倒れている者たちの脈をとっていく。全員にまだ脈がある。

「津上君!早く!」

 早く手当てしなければ、助かる命も助からない。

 しかし、あづさの絶叫に応えたのは、看護師たちの悲鳴とガラスの砕ける音だった。あづさは血の海となっている手術室から這い出し、声のした廊下の奥に目を凝らした。しばしの沈黙と、それに続く銃声。あづさは拳銃を抜いた。

「先輩!」

 祥介が医師と看護師を連れて戻ってきた。そして、彼も素早く拳銃を抜く。

 医師たちは手術室に駆け込み、治療を開始した。

 そして、また沈黙。

 あづさと祥介は目配せをして、銃声のした廊下の奥へそっと歩を進めた。

 1メートル…2メートル…廊下は10メートルほど先で行き止まりになり、左へと続いている。

 3メートル…4メートル…。

 あづさは立ち止まり、祥介を手で制した。そして、人差し指を立てて静かにするように促す。二人は耳を澄ませた。

 ズル…ズルズル…

 何かを引きずっているような音だ。近づいてくる。あづさと祥介は銃を構えた。


「ねえ、マーク」

「ん?」

 長い長い沈黙を、カコの方から破ってくれたことに、マークは正直なところホッとしていた。いつのまにこんな位置関係になったんだろ…。という疑問を持ちながらではあったが。

「あれ、なんだろ?」

 カコは流れていく車窓から、左斜め前方の上空を指さした。

「ん?」

 マークはカコが指さす方向に目をやった。白煙があがっている。

「火事か?」

 マークがそう言い終えるや否や、消防車のサイレンが背後から近づき、あっという間にハマーを追い越していった。

「行ってみよう」

 マークはアクセルを踏み込んだ。なにかイヤな予感がしていた。


 廊下の角から、男がフラフラと出てきた。手術着姿で、ほぼ全身を血に染めている。そして、ダランと下げたその手には拳銃が。

「止まりなさい!」

 あづさは男に銃口を向けた。しかし、男はあづさたちをうつろな目で見つめながら、さらには口元にうす笑いを浮かべながら歩き続けている。

「あれは・・・」

 男が握っている拳銃は小型のリボルバー。そして、その銃には白いロープが繋がっている。

「まさか・・・」

 男が角を曲がってきた。拳銃をランヤードで繋がれたままの警察官を引きずりながら。その警察官はおそらく、もう絶命しているだろうと思われた。ズルズルという音は、彼を引きずった音だったのだ。

「警護についていた警察官です・・・」

 祥介が悔し気に呟いた。

 ということは、あの血だらけの手術着の男が”ゴールド”の第二の容疑者・・・。自らの腹を刺して搬送されてきた男が、なぜあのように動き回っているのだろう。しかも警察官を倒し、片手で彼を引きずる怪力はどこから・・・。

 あづさは混乱していた。しかし、それが一瞬のスキを生んでしまった。

「先輩、危ないっ!」

 男が握ったリボルバーが火を吹き、祥介に突き飛ばされたあづさはその衝撃で我に返った。なにが起こったのか…目の前の光景に思考力が追いつくまで、数秒のタイムラグが必要だった。そして。

「津上君!!」

 拳銃が発射され、相棒が倒れている。撃たれたのだ。

「だ、大丈夫です…それより、奴を…」

 男は相変わらずうす笑いを浮かべながら、ゆっくりと近づいてくる。そしてまた、だらりと下げた拳銃をゆっくりと持ち上げた。

「先輩!撃ってください!」

「だめ・・・」

「え??」

「”ビッグ”への手がかりが・・・」

 あづさは目の前に迫っている男の額を一撃で撃ち抜くことも、心臓を射抜いて倒すこともできる自信があった。しかし、”ビッグ”に繋がる手がかりを失うのはいやだった。この男を殺してしまったら、また”ビッグ”が遠のいてしまう・・・。

「先輩!」

 祥介が絶叫した。しかし、あづさはかぶりを振るだけで銃を構えようとはしない。祥介は残された力を振り絞ってあづさをどかせたが、銃を振り上げる力はなかった。肩口から鮮血が噴き出す。

 そのとき、いきなり館内の火災報知器が鳴り始めた。けたたましいベルの音が、反響を繰り返しながら病院内の隅々にまで広がっていく。そして、スプリンクラーが作動し、あづさたちに大量の水が降り注いだ。

「先輩!いま死んだら、誰が”ビッグ”を捕まえるんですか!三好先輩の仇は誰が討つんですか!」

 ・・・銃声が響いた。

 男の額から血が噴き出すのを、あづさは水がしたたり落ちる前髪と、その先にある銃口の向こうに確認した。













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