第六章「PPP」

第十九話「ポイント・ゼロ① 幻肢痛現象」

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 ――その話は荒唐無稽で、意味不明で、その上実に理不尽なものだった。

 その、つまり。神崎カイの話は、私こと風宮アケミにとっては悪夢のような話であり、――いや、『ような』ではなく、事実悪夢そのものであった。


 ……でも、それでも拭いきれない思いがその悪夢にはあった。私にとっての救いは、確かにこの夢の外側にあるのだけれど、それがどうしても認め難い。――何故なら、今の私自身を、私は好きなのだから。現状に屈せず、絶望せず、ただ前に向かって進もうとする今の私が、とても頼もしく見えたからだ。


 ……だから私は。この悪夢の外側に救いがあるのだとしても、それでも、この悪夢の中で希望を掴み取りたい――――そう、思ったのだ。

 

 それが、神崎カイの我儘に対する私からのささやかな反抗の動機である。




1 「ある世界の話」


 ――そこは、一面の荒野であった。草木すら生えず、目に映るのはただただ荒野、そして廃墟。……ここに、かつて人々が生活していた市街地があったとは、到底思えない。


現在は二〇一五年、三月。長く続いた『影衛かげえの夜』は、五年前、ようやく終結した。――町に、大きすぎる爪痕を残して。


 発端は、密かに執り行わなければならなかった儀式を参加者が明るみに出してしまったという、ある種のカリギュラ効果めいた出来事であった。その結果、当事者たちでは制御が効かないほどにまで儀式は暴走し、結果として、この町『二崎市』は滅びてしまったのだ。

 

 そんなある時、とある施設から脱走者が出た。それは十代後半の男女二人。恐ろしいまでに上手く噛み合った運命の歯車。その噛み合う瞬間を、二人は見逃さなかったのだ。

 二人の名は、それぞれ神崎カイと黒咲アイ――と言った。



 二人には、少々不思議な力が備わっていた。一般に、超能力と言われる力の一種である。彼らの場合、外側に作用する力というよりも、寧ろ己の内側に働きかける能力であった。どちらかというと瞑想に近い。結果的に、神崎カイは能力を応用して自分だけでなく他者にも使用できるようになったのだが、それはあくまで結果であり、本質ではない。本人はそれこそが真の力であると考えているが、あくまでも彼自身の内より出でた側面の一つでしかない。

 とにかく、この二人はそういう方向性の超能力を持っているのだ。


 そんな二人は、とある施設から脱走してきた。この世界ではそう珍しくない、世の明るみに出てしまった超能力者を保護という名目で捕縛し研究する組織が管理する施設から。


 そして今、二人はオートバイで荒野を疾走していた。行く当てなどなかったが、それでも二人は幸せなのだった。

 


 二人を乗せたバイクは、荒野のはずれにあるガソリンスタンドまで行き、そこで停車した。ガソリンが足りないという理由もあったが、何よりも、二人は疲労していたのだ。

 

「いらっしゃい」


 極端に商店が少なくなってしまったこの町――だった土地――では、一つの施設が複数の機能を持ち合わせている。大型ショッピングセンターというよりは、縮図といった方が正しい。


「ランチ、ある?」

 カイが店主の男に聞いた。


「悪いな、今日のランチは終わっちまったよ」

 本当に残念そうに、店主はそう言った。――ただし、そう見えただけである。


「おかしなことを。まだ正午過ぎじゃないか」

 心底奇妙そうに、カイはそう言った。――ただし、こちらもそう見えただけである。


 アイは、カイの後ろにしがみついている。……まるで何かを警戒するかのように。

 ――再び、店主が口を開いた。


「ああ、それでも、お開きなんだよ――もっと収益が出そうなんでな」

 そう言った店主の口は、金欲に歪んでいた。


「知ってた。これで八件目」

 カイは、さして驚く様子もなく、背後から迫ってきた男たち――拳銃を持っている――に、振り向くことなく黒い靄のようなナイフを射出した。


、殺意が」


 おかしなことを言うガキだ――店主はそう思いたかった。普段ならそう思っていたことだろう。だがしかし、目の前の少年、神崎カイは実際にそうとしか思えない動きをしたのだ。彼の周りには黒靄が――とぐろを巻いた龍が如く渦巻いている。その黒靄からナイフが発生して、背後の刺客を仕留めたのだ。


 想像以上。店主はカイのあまりの速さに愕然とした。この店主含め、二人が脱走した組織からの依頼で、多くの刺客が襲いかかってきたが、カイはこれまでも一瞬で片を付けてきた。だがそれもそのはず、そもそもカイは、その組織では精鋭の戦闘要員として活動していたのだから。特殊能力すら持たぬ者に後れを取るはずがなかったのだ。


「…………っ」

 店主の叫びは、ほとんど声になっていない。そこにすかさずカイが迫る。


「ここ、しばらく使わせてもらうから」

 そして――


「じゃあもう――あんたに用はない」

 手に持った黒い剣を振り下ろした。




 翌日。深夜帯に襲撃はなかったので、カイとアイは良く眠ることができた。そもそも、アイの能力を具現化させたという、少々回りくどい結界を張った今のスタンドを一晩で攻略することなどできないのだが。


「……それでも、持って一週間かな、この結界も」

 組織が本腰を入れ始めたら、陥落してしまうのもまた事実。カイのつぶやきは、放浪の旅を続ける意味合いを含んでいた。


「神崎君」

 一人思案に耽るカイに、アイが声をかけた。


「ん、どうした黒咲」

「今度は……どこまで行くの……?」

「――――」


 アイの問いかけは、カイの心に深く突き刺さる。分かってはいても、それでも尚、突き刺さるのだ。


 それでも。


「海まで行こうか。潮風がきっと気持ちいいから」


 神崎カイは、それに屈することは無かった。

 ただただ、黒咲愛という少女を新天地へと連れて行きたいという思いだけを胸に抱いて。




2 「ある追跡者の話」


 その男は、『雀蜂ホーネット』と呼ばれている。その名が示す通り、彼に二度刺されたら最後、相手は死ぬのだそうだ。アナフィラキシーショックと呼ばれるものである。その効力を持つ魔槍――かつては魔指――を所持していることが、彼をホーネット足らしめている理由である。


 ――そう、魔槍である。彼は、そのような尋常ならざる武具を所有しているのだ。超能力とはまた違うそれは、人の手によって作り出されたものだった。


 ――名は『叡智術式ツール』。人類の科学技術によって、超能力にカテゴライズされる現象を固体化した代物である。……言うまでもなく、これは神崎カイの能力を利用したものだ。


 実用化には至っておらず、ホーネットに与えられた魔槍は試作品である。

 その魔槍を振るいながら、薄暗い研究室にてホーネットは目の前の老人と言葉を交わす。


「俺の能力のリーチを伸ばせたのはありがたいぜ。今までは指先からだったからな。……けどよ、俺自身からは能力を抽出されちまったわけだ。そこらへんはどう考えてんだ――神崎さんよ」

 問われた男、神崎ツヨシは表情一つ変えない。


「元々暗殺には不向きな性格であろう。だが能力は上々だ。……であれば、君に合った武器を持っていた方が有効活用できるだろう――と、そう思ったのだがな」

「けっ、確かにそれもそうだな!」


 わかってたっつーの――と付け足しながら、ホーネットは研究室を後にする。

 その直前。ツヨシが告げる。


「二崎エリアだけを虱潰しに捜索すれば良い――――奴らでは、脱出は不可能だからな」

「許可された俺らだけの特権ってこったな」


 残忍な笑みを浮かべながら、ホーネットが返答する。

その表情は、獲物を追うハンターを思わせるものだった――――。



 ホーネットが部屋を出ると、通路に、半裸の巨漢が立っていた。逆立った黒髪と、苦悶を刻み付けたかのような容貌から、男が只者ではないことを思わせる。言うまでもなく筋骨隆々である。

 それを嫌そうな表情でホーネットは見ていた。正直なところ、今すぐ立ち去りたいと彼は思った。


「……アギト、せめて上着羽織れよ……」

「――――何故なにゆえ

「暑苦しいからだよ。まだ春だってのにな」

「――――――」


 暫しの沈黙。この時ホーネットは自宅へ帰りたくて仕方がなかった。


「……お、おい、アギト」

「――――――承知」


 言うや否や、アギトと呼ばれた巨漢は傍にあったロッカー室に入り、数秒後に黒いジャケットを羽織って戻ってきた。


「……いやまあ、上着を羽織れとは言ったけどよ……」


 だからと言って本当に裸ジャケットで戻ってくるというのもどうなのだろうか……とホーネットは内心ぼやきつつ、任務に向かうために歩き始めた。


「――――戦か」

「そーよ」


 アギトの呟きに生返事気味に返して、ホーネットはそのまま通路を出て行った。


「――――――」


 それをアギトは目で追って、暫くしてから目を閉じた。……まるで、何かに祈りを捧げるかのように。

 ――数秒後、アギトは目を開けた。


「――――その心構えでは滅びるぞ、ホーネット」


 それだけ呟き、アギトもまた外に出て行った。




3 「ある戦闘の話」


 カイとアイがスタンドに立てこもった翌日の正午、そのスタンドは大爆発した。当然刺客――今回は能力者だ――の手によるものである。だが、能力の範囲をスタンド全体に張り巡らせていたカイはそれを一瞬で察知し、そして脱出していた。スタンドに止められていた他の車両ではなく、ここまで乗り回してきたバイクに乗り込み、脱出したのだ。——発信機とか付けられてたら困るしな――というのがカイの見解である。


「神崎くん……大丈夫なの、これ」

 さすがに不安になったのか、アイがカイに問いかけるがカイは「余裕」と涼しそうに答えるのだった。


 背後からは追手が装甲車に乗って追いかけてきているが、カイが地面に仕掛けておいた精神撹乱マインドチャフ地雷――カイの能力によるものである――が直撃して戦闘不能状態に陥っていた。


「これで奴らは、しばらくあの靄を俺たちだと誤認するだろう――さ、行こうか」

 背後の状況だけ確認して、カイは海を目指してフルスロットルでバイクを疾走させた。




 それは三十分走り続けた時だった。二崎荒野を疾走する二人の前に、ライダーが一人向かってきた。片手には長物――――黄と黒の二色が纏われた槍である。


「はっはァ! 槍もって乗り物乗ってるとよォ! なんか武将っぽいよなァ!」


 ライダー――声からカイは男性と断定――は以上のことを叫びながら突き進んでくる。


「うるさいな」

 煩わしそうにカイは答える。――当然のごとく数本のナイフを射出しながら。


「おうおうおうおう! ライダーなめんなよ……!」


 それを見事なドライブテクニックで全回避し、男は二人に肉薄する。それをカイは即座に生成した障壁で防御する。そしてその障壁はバイクに装備され、存在を持続させた。突貫する勢いを利用した強力無比なる魔槍の刺突――それを凌いだ障壁は、まるでトロイア戦争にて大英雄ヘクトールの槍による投擲を受け止めたアイアスの盾の様である。


「次はこちらの番だな――」

 そうして攻撃行動に移りながら――カイは恐ろしい情報を読み取った。


 ――その槍、あらゆる物を二突きで滅す魔の槍なり。


 瞬時に回避行動をとるカイ。その読みは正しく、鉄壁かと思われた障壁はたった二突きで崩壊した。


「く――ぉお……!」


 バランスを崩し倒れそうになるバイク。だが共に乗っているアイを守るべく、カイは執念でハンドルを切って体勢を立て直し同時に襲撃者から距離を取り戦況を仕切り直した。


「おー、やってみるもんだなオイ! さすがは支局長から神崎の名を授けられただけはあるぜッ!」


 げらげらと笑いながら襲撃者は尚も突貫してくる。それから逃げるようにカイはバイクを疾駆させる。戦いは剣戟めいたものからチェイスへと変遷した。


 荒野を駆ける二台の鉄騎馬。それを駆るは現代の騎兵。だがそのバトルフィールドは現代の日本だとは到底思えない『かつて都市だった荒野』である。巨大な爆心地を思わせるその戦場は、五年前終結した『影衛の夜』と呼ばれる能力者同士の儀式めいた闘争が如何に苛烈で、そしてその暴走が如何に凄まじいものであったのかが否が応にも窺い知れる。


 そんな悲劇の荒野にて、現代の魔術師とも言える男二人が激しい戦いを繰り広げている。


「オラオラオラ! 逃げてちゃ終わんねえぞォ!」

 一人は追う者。


「生きるためなら逃げることもある……!」

 一人は逃げる者。


 まるでサバンナ――そこで繰り広げられる肉食動物による狩りの様である。

 事実襲撃者の男ホーネットはまさしく狩猟者であり、カイとアイはまさしく逃げまどう草食動物であり、鉄騎馬の駆ける大地はまさしく狩りの荒野である。

 追撃は尚も止まらない。二度の刺突で確実に対象を滅する魔槍の担い手は獰猛な視線で二人を射抜かんとする。


 カイはカイで攻撃意思を薄れさせることはなく、漆黒の魔弾を振り向くことなく連射する。背後に迫る敵を目視していないにもかかわらず、その精密性は必中そのものである。

 その秘密はカイの能力にある――そう、記録である。カイは、実体化させた記録弾の中に、襲撃者――ホーネットの言葉、行動、武器魔槍の情報といったあらゆる記録を混ぜ込んだのだ。それらの記録にのみカイは回帰能力を付与し、記録の宿主たるホーネットにあたかも磁石かのように引き合わせたのだ。故に、カイの魔弾はホーネットに対してのみ必中の一撃となっている。魔弾のサイズは九ミリパラベラム弾相当であり、実際に拳銃で撃ち出した時とほぼ同等の速度を誇っている――当然、一発一発の威力もそれ相応のものとなっている。それほどの威力の魔弾が必中――それがどれほど恐ろしいものなのか。想像に難くない。


 ……だが、そんな魔弾の嵐を魔槍使いは全て撃ち落としていた。――槍は可変式だったのだ。担い手たるホーネットの能力発動の胎動に呼応するかのように、魔槍は姿を変えて円錐状の巨槍となった。これもまた、カイの能力の応用である。担い手の心理状態に呼応して最適の形態へと変化する――それこそが『叡智術式ツール』の特異性であり最大の強みなのだ。


 かくして、鉄騎馬の前方に展開された巨槍は全ての弾丸を滅ぼした。必中の魔弾とはいえ、現在疾走しているエリアは比較的廃墟や残骸といった遮蔽物が多い。そのため、必中を謳うためには、直線的な動きをしなければ自動攻撃はできないのだ。複雑な弾道を構築する自動攻撃は、カイですら困難なのである。


「――――」


 カイに言葉はない。今はただ、追撃をかわすべく疾走するしかないのだ。アイもまた、カイを信じてただ祈るしかない。


 だが襲撃者――ホーネットだけは勢いを増し続けている。このままいけば、あと数秒で魔槍は二人に到達するだろう。あのサイズならば、二撃はいらない。ただの一度屠るだけで良い。


「そんなら――ここで死んでくれや…………!」

 そのチャンスを逃すまいとホーネットは攻撃を仕掛ける。――それを。


「――なあ、アンタ。ここが以前何だったかわかるか?」


 カイは口元を歪めつつ迎撃することにした。


「何――――いや……そうか、ここは――」

「ここは数多の怨嗟が渦巻く、『影衛の夜』が生んだ地獄」


 この時、のホーネットはこう思った。


 ――退路を断たれた、と。


 追いかけていた筈なのに、どうしてか一瞬で立場が逆転していた。――そこまで考えてホーネットは、そもそも立場逆転など起こっていなかったことに気が付いた。


 バイクには既に、黒い影のようなものが纏わりついていた。


「――そうかい、初めから追いつめられていたのは俺だったってワケか」

「そういうことだ――アンタの名前は知っている。ホーネット、神崎ツヨシ直属の戦士。能力は不明だったが、分かってしまえばなんてことはなかったな」


 出会ってから一時間も経っていない。……いや、たとえ経っていたとしてもそれがなんだというのか。


「――想像以上だな、テメエ」

 バイクの制御を失い、ホーネットは敗北を認める。


「まあ、なんだ――一発で仕留められない時点で、俺からしたら三流だ」

「――ったく、手厳しいね、クソ」


 そう言いながら、ホーネットは黒い記録の夜に呑まれていった。

 それを見て、


「さあ、もうすぐ海だ」

「――うん」


 カイは特に何の感慨も浮かばせることなく先を急ぎ、


「フン」

 アギトは高台にて鼻を鳴らした。


「あそこか――全く、世話の焼ける男だ」

 遠くから戦況を俯瞰していたアギトだったが、状況を把握し行動開始を決意したのだ。


 ――この男こそ『最強』を冠する者。全てを喰らい尽す破壊にして破界のアギト。その――先ほどまで無感情だった目に、カイの姿が明確に映りこんだことを当の本人はまだ知る由もない。だが、これだけは言える。


 ――こと戦闘に関して、アギトを上回る者はこの時代にはいない。




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