第十七話「アイズ・アンド・ノイズ⑤」

幕間


 崎下アカリが目を覚ますと、そこには無数のブラウン管テレビが広がっていた。部屋の隅々まで埋め尽くすほどのブラウン管テレビ。そのほとんどが砂嵐の画面を映し出している。それ以外は、どうやら壊れてしまったようで何も映してはいない。そんな部屋の真ん中にたった一つだけ置かれた、異物めいた椅子に彼女は縛り付けられていた。


「――――、いやまあ、こうなることは知ってたけどさ」


 とはいえ彼女の顔に焦りの色はない。彼女は過去と未来が見える。それが焦らない理由である。

 とはいえ、薄気味悪い部屋に連れてこられたものだ、と。彼女は思った。なにせ明かりがテレビだけなのだ。薄気味悪い上に薄暗いとなると、こちらの気分も滅入るというものだ――彼女はそんな独白をした。


「でも、この先の事はおぼろげなのよね」


 彼女は不思議なことを言った。過去と未来を見通せる彼女が、一体どうして先のことを見通せないのだろうか。その答えはすぐに判明した。


 ――そう、この部屋だ。彼女は決定された過去と未来を見ているわけではない。彼女は、

 故に、観測している過去と未来はそれこそ無数。それらが、現状実現可能となる条件を満たすことで、彼女の脳内に流れ込んでくるのだ。……ならば、今の状況がこのまましばらく続く可能性も存在する。それはつまり、このノイズに塗れた部屋に幽閉されるという可能性があるということだ――そう、それを観測してしまうこと自体が危険なのだ。

 

 そう言った理由で、焦らず、しかしそれでいて困ったものだと思考を張り巡らせていたアカリだったが、その考え事はアルファルドの入室によって中断された。


「お目覚めのようで何よりだ」

「睡眠薬使っておいてよく言えるね」

「なるほど、それもそうだな」


 アルファルドは笑う。だが真剣に話を続けるつもりはないらしい。せわしなく歩き回り続ける様からそれが見て取れる。それをアカリはどうでもよさそうに眺めている。こちらも話を聞いていない。正直なところ、未来が全く確定しないということが初めてなのである。故に、話を聞いてやるほど暇でもない、現状を楽しませろ――というのが彼女の考えである。


「――何も話すことはないと?」

 アルファルドが口火を切る。沈黙は五分ほどであった。


「うん。お兄さんに話すことは特にないよ」


 淡々とした、面白みを感じさせない声で少女は話す。齢十二にしてこの淡泊さは中々ない。だがそれも当然。今までありとあらゆる事象を観測してきた彼女にとって、この世界に流れる時間など些末な問題なのである。嫌でも経験は蓄積される。その過去と未来の奔流をコントロールできるようになった頃には既に、彼女は今の精神状態になっていた。なっていたからこそコントロール出来るようになったとも言えるかもしれない。


「そうか。残念だ……君ならば私の崇高なる世界に溶け込めるやもしれぬ、と思ったのだがな」


 右手を鼻先に当ててアルファルドはそう言った。サングラスに隠れた目は窺い知れない。


「――一つだけ。一つだけ聞きたいことができたわ」

 数秒の後、アカリがそう言った。


「――なんだね」

 言ってみなさい、とばかりに、アルファルドは右手を差し出す。それをどこか哀れみを感じさせる視線で眺めてから、彼女は口を開いた。




「アルファルドさん――――そこでもあなたは一人なの?」




 アルファルド――孤独を意味するその名は、まさしく今の彼にぴったりの名前であった。


幕間、了。




1/


「――一つだけ。一つだけ聞きたいことができたわ」

 数秒の後、アカリがそう言った。


「――なんだね」

 言ってみなさい、とばかりに、アルファルドは右手を差し出す。それをどこか哀れみを感じさせる視線で眺めてから、彼女は口を開いた。




「じゃあこの世界は――――かしら?」




第七節


 捜索すること三時間。目的の建物を二崎市内の工場地帯で発見した。


「行くか」


 決断は既に済ませてある。長々やる必要はない。ただ、アルファルド・リゲルゼンが周辺に潜んでいる可能性はある。数年前の話だが、国内で工場地帯がまるで紙が裂けるかのように崩壊したという事件があったが、あれは十中八九能力者の手によるものだ。そういうことも有り得るので、細心の注意を払って進んだ。


「合図は送る。それでいいか?」


 確認を取りつつ視線を後ろに送る――返事は了承。それだけ視認したので、俺はそのまま目的の建物へ入った。




「――――これは」


 アカリちゃんとアルファルドを見つけた時、同時に目に入ってきたのは破壊だった。絶叫し、怒り狂いながら部屋の備品を投げて破壊するアルファルド。そしてそれを、哀れみを伴った視線でアカリちゃんが咎めている。――破壊。破壊、破壊。アルファルドは破壊を繰り返した。それはまるで、彼のこれまでの人生を象徴するかのようだ。破壊――そして孤独。それがこれまでのアルファルド・リゲルゼンだった。


 アルファルドの暴走はなおも続く。その暴走は止まらないのか。その孤独は続くのか。それは分からない。というかそもそも


「興味ない」


 悪意はすぐには消せない。確かに早く消せる人間もいるだろう。だが俺、神崎カイには無理な相談だ。もとより、そうやって障害を取り除いてきたのだから。守りたいもののために排他的に行動してきたのが神崎カイなのだから。


「今日の出来事は――あの喫茶店も必然だったんだ」


 アカリちゃんの言葉は、その全てに意味があった。その全てがここにつながっていた。俺がいたからこそ、この展開は有り得たのだ。


「破壊対象を識別するそのノイズ。その秘密、無理やりだが理解した」


 破壊――孤独。

 排他――孤独。

 俺の立場としてはあまり当てはまらないが、突き詰めれば孤独に行き着くのだろう。


 拒絶――孤独。

 侵入――孤独。

 アルファルドの能力は突き詰めれば『拒絶』。

 そして俺の能力はその逆を行き『侵入』。


 拒絶の先には孤独があり、侵入の先にも孤独がある。前者はひとりでに孤独の道を進み、後者は踏み込まれた者による糾弾により孤独となる。そうなっていない俺は幸運だろう。

 だがそれを続ければ、アルファルドと同じ道を辿ってしまうだろう。


 ――そう、同じ。方向性が違うだけで、俺とアルファルドの能力は似通っているのだ。互いに何かを感知し何かを拒絶、或いは侵入する。そしてこの二つの能力には共通した弱点がある。


 それを突くのは俺ではない。その役割は、俺のものではない。


「――さて、はじめるか」

 尚も荒れ狂うアルファルドを凝視する。視界の端では、アカリちゃんが頷くのが見える。


「カイさん、この人とは後でお話しさせてね」

 それに無言で頷き、ノイズの解析を始める。


「俺にできるのは侵入だからな。悪く思うな、アルファルド・リゲルゼン」


 それに気づき――いや、初めから気付いていたのだろう。アルファルドは俺に向けて右腕を突き出し、そこにもノイズを発生させる。


これなるはイグニッション害為すものを砕く牙ダストファング我に安寧をもたらす嵐ノイズストーム其の真中から貴様を討つバリスタ・リゲルゼン


 ノイズは、視認できるほどの濃度となり、巨大な槍となっていく。その轟音は耳をつんざくかの如く、この建物全体を軋ませる。

 部屋の壁は意味をなさず、皆悉く崩壊していく。その破壊は全て、俺に向けられている。つまり、今起こっていることは全て余波にすぎない。アカリちゃんは、この男の触れてはならない部分に触れてしまったのだろう。或いは、わざと触れたのか。いずれにせよ、今この男は全力を以って俺を屠ろうとしている。それをアカリちゃんはと言っているのだ。


 ——全く、無茶苦茶な話である。この部屋の状況を察するに、彼女は未来を視てはいないだろう。つまり、俺の勝利は確定していない。その上で、俺を信じているというのか。俺が秘策を持ってきたと信じているのか。


「残念だが、その槍を貫くことはできない。俺に悪意は消せないからな」


 自分の悪意も、アルファルドの悪意も。俺には消せない。――だが。

 それでも俺は、右腕を突き出す。奇しくも、俺とアルファルドは戦闘スタイルまで似通っているらしい。


「馬鹿め! そこまで至って尚、俺への攻撃を止めぬというのか! それは蛮勇というのだ小僧ォ!」


 尚も勢いを増す嵐の巨槍。最早それは人の成せる業ではない。アルファルドは、真実人間から乖離し始めている。


「――それが孤独の代償か、アルファルド・リゲルゼン」

「然り! 俺は孤高だ! 最上だ! 人の身で至れぬ極致を、ただひたすら追い求めた! その果てに人としての肉体を保てなくなろうと一向に構わん! 俺は強くなった! 俺は誰よりも強くなったのだ! もう誰も――俺を傷つけることなど出来はしない――――!!」

「そうか。言いたいことは分かった」


 聞きたいことは全て聞けた。これで全てのピースがそろった。――あとは、突破口を開くだけだ。

 今にも放たれようとしている巨槍。それは――


「――ならさ。アンタはどうして?」

「――――――」


 その一言だけで綻びを見せた。


「アンタは孤独を求めているようで、実際は孤独を忘れたくて走り続けていたに過ぎない。アンタは孤独が嫌だと叫びながら、孤独に突き進む道を選んでしまったんだ。――アルファルド・リゲルゼン、その結果がこの矛盾だ。孤独を目指しながらアンタは、自分を理解してくれる人、つまり孤独を分かち合える人を渇望していたんだ。その嵐からも、その叫びが聞こえてくる。アンタはまだ人間だ。矛盾を抱えている内は、どうあがいても人間だ。人の心を持った生命だ。――だから」


 形を保てなくなっていく巨槍とノイズ。それでも俺の体など容易く抉り取るだろう。

 ――だが。


「俺が砕く――――――!」


 綻びがあるのならば、その障壁は意味をなさない。破壊に至るプロセスを認知できた解法を導き出せた今、障壁を切り崩すことは容易だった。元より俺の能力は、障壁を破壊することに特化した能力なのだから。


 生じた障壁を縫うように、漆黒の鎖がアルファルドに向かって流れ込み、そして突き刺さる。そこに、アルファルド自身から流れ出ている魂の叫びを逆流させる。


「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお………………ッッ!!!!!!」


 巨槍の轟音さえ掻き消すほどの絶叫。アルファルドはこの瞬間、自らの感情に激突し、意識を失った。




「容赦ないね」

「ひどい言われようだ。俺が君に何をしたっていうんだ」


 アルファルドの意識喪失を確認して、アカリちゃんに「大丈夫?」と聞いた結果、以上のやり取りがあった。解せぬ。


「でも、ありがとね。カイさんが昨夜の言葉をちゃんと聞いてくれたから、私は助かったんだよ。あの時点で分かっていたのは、そこまでだったから。それ以上先は、この部屋の影響で観られなかったから」


 俯きつつも顔に微笑を浮かべながら、アカリちゃんは俺にそう言った。

 ため息。流石に今回は気を張りすぎた。

 ――と、その時、俺の携帯電話が鳴り響いた。これは――親父からの電話だ。


「もしもし」

『カイだな?』

「どうした親父」


 電話の向こうの親父はなんだか機嫌が悪そうだ。


「あー、もしかしてアルファルド?」


 正解のようで、ため息が聞こえてくる。


『その口ぶりから察するに、倒したんだな?』

「うん、倒したよ。死んじゃいないけど」

『そいつの執念は並々ならぬものだ。すぐ向かう』

「あ、いいよ。この件に関しては、こっちに任せてほしい」

『何? おいカイ、ちょっと待て! 繰り返すがそいつの執念と気迫は並大抵のものでは――』


 親父が言い終わらないうちに、背後から物音が聞こえ、振り返るとアルファルドが立っていた。その姿は苦悶に満ちており、眼光は赤く輝いている。


「まだ……だ、まだ――終われない」


 アルファルドはこちらに右腕を突き出し、再びノイズを発生させようとしている――いや、体には既にノイズが発生している。予想以上の速さだ。――これはまずい。これほどの生命力をアルファルドは持っていたのか。俺はまだ回復しきっていない。先ほどの集中力はすぐには出せない。


「勝ちを拾ったのは……どうやら私の方のようだな」


 苦痛に耐えながら、アルファルドは右腕に小規模ながらもノイズの刃を作り出している。


「――――」


 万事休す。この言葉を使うのは初めてかもしれない。携帯から響く親父の声すら耳に入らない。それほどの絶望感が目の前に広がっていた。


「ああそうだ――俺は一人が嫌だったんだよ! だというのに、誰も今まで俺の周りにはいてくれなかった! 誰も俺を理解などしてくれなかった! その気持ちがわかるのか!? 恵まれたお前たちに…………ッ!!」


 心からの慟哭をほとばしらせるアルファルド。俺でさえ直視するのに困難が伴う現状。その中で、彼女アカリちゃんだけが彼の眼前に立ってみせた。


「同じ立場じゃない以上わかるはずがないわ、アルファルド。でも、貴方が求めるのなら、私は友達になることはできるよ。それじゃダメかしら」

「友達――?」

「ええ、友達よ。友達にならなれる」


 アルファルドに対して笑顔を見せるアカリちゃん。それは本心によるもの。心からの言葉だ。心の底から友達になろう、と。彼女はアルファルドに提案したのだ。同じ孤独かはわからない。それでも大きな力を持った者同士に通じ合う何かがあると信じた、そんな彼女の行動だった。


 だが、しばらくの沈黙の後、その提案に対してアルファルドは首を横に振った。


「……そう、どうして?」


 意外そうな、そして残念でならないといった声色で、彼女はそう言った。彼女は、未来を視なかったのだ。彼が、アルファルドがどんな答えをくれるのか楽しみにしたかったのだ。


「その提案はうれしい。でもね、その提案は聞き入れることができないんだ」


 そう語るアルファルドは穏やかな表情で、目には涙を浮かべている。


「友達じゃ――もう満足できないんだ。君のような人を、俺は初めて見たんだ。そんな、人の身に余る力を宿して、それでも絶望しない君のような人に、もう二度と会える気がしない。――だからね、俺は、友達じゃなくて――ずっとずっと永遠に君が欲しいとさえ思った。だが考えてみればそれはもう叶わない話だ。君を傷つけてしまった私には、そんな資格などない。ないんだよ……」


 そう言いながらも、アルファルドの目は再び狂気を帯び始める。


「だというのに私は――渇望してしまう。君が欲しいと。そして同時に湧き上がってしまう。私を拒絶した君が憎いと。止められないほどに、どうしようもないほどに、今の私は、君を殺したくて仕方がないんだ。君を殺して私の思い出の中に閉じ込めてしまいたくなるんだ――――それを私は、どうしても否定したくない」


 そして、アルファルドは震える右腕をアカリちゃんに向けた。――もう、限界だったのだ。アルファルド・リゲルゼンの心は既に崩壊寸前だったのだ。それが今、砕け散ったのだ。


「だから私は――――」

 アルファルドの右腕から刃が打ち出される寸前、


「――もういいアルファルド、休め」


 俺は、ギリギリまで渋っていた合図をトオルに送った。



 一瞬置いて。石礫が弾丸のごとき速さでアルファルドの右肩を貫いた。ノイズは機能しなかった。


「驚いたよ。まさかこの僕が、妹を殺そうとしたヤツに対して殺意を抱かず攻撃できるなんてね」


 射手であるトオルがこちらに向かって歩いてくる。丁度アルファルドが足元にいる。貫かれたのは右腕だけなので、普通に息はある。


「……何故、殺さなかった!?」

 アルファルドは痛みに呻きながらトオルを激しく問いただす。


「だから言ったじゃないか。殺意を抱かず攻撃したって。……うん、正しくは攻撃ですらなかったね。こともあろうに僕は、君を憐れんだんだ。気持ちはどうあれ、君はアカリを純粋に好きでいてくれたみたいだからね」


 ――アルファルド・リゲルゼン。彼の恐るべき能力の正体は『自身に対する敵意による攻撃を抉り取る』というものだった。故に、排他的な考え方をしている俺では突破が困難であった。

 だがトオルは、アカリちゃんを救い出したいという一心で行動し、その上で、アルファルドさえも救おうとしたのだ。そこに敵意は微塵もなかった。俺の計画では、俺の攻撃によってアルファルドの精神をかく乱し、ノイズを維持できなくなったところをトオルがとどめを刺す――というものだった。その計画は失敗に終わり、とどめを刺すことはできなかった。しかし、トオルはアルファルドの言葉を聞き、そして理解したのだ。アルファルドが純粋にアカリちゃんに惹かれているということに。年齢などは関係ないのだろう。ただ純粋に、崎下アカリという存在に希望を見出したのだから。


「だからさぁ、アルファルドさん? 交際は認められないけど、アカリの執事とかなら雇ってあげてもいいんだけど、どうかな?」

「!?」


 この驚きは俺のものだ。そりゃあ驚く。刺客をそのまま雇い入れるなんてどうなっているのかこの家は。


 そんな俺の疑問を予想していたのか、トオルは俺の方を見てこう言った。


「なあ神崎。アカリってさぁ、過去と未来観れるわけじゃん」

「ああ」

「お前の能力とちょっとだけ似ててさ、周りの人の過去と未来もある程度接点が増えると視えるようになるんだよ」

「おお」

「つまりね、それで害意があるかどうかもわかるからさ、面接もできちゃうってわけだ」

「…………」


 それでいいのか崎下家。


 トオルは「スゴイだろ、アカリ」とか言っているし、アカリちゃんはアカリちゃんで「能力は使いようよねー」などと別に困った風でもない。どうも他人の過去と未来は、許可さえ得られれば視るのに抵抗はない様だ。ていうかまさか、崎下邸の従業員って――いや、これ以上はいけない。聞かないでおこう。


「――いいのか?」


 アルファルドはアルファルドで蹲りながらサングラスが外れたことにより露わになった目を輝かせている。なんなの? もしかして困惑しているのって俺だけなの? 


「ああ、いいよ。アカリはそれを望んでいるみたいだからね」

「本当か?」

「うん。アルファルドさん、うちなら寂しくないよ。資格がないとか言ってたけど、私まだ傷ついていないし。貴方が言うのが私の心の話だとしたら、それこそなめるなって話だし」


 やたらと強気なアカリちゃん。――まあとにかく、こうしてこの事件は幕を下ろしたのだった。この後アルファルドは、めでたく崎下邸の従業員に就職できたのだがそれはまた別の話である。


 ……全く、写真からあれこれ記録を探った俺の三時間を返してくれ。結局、取引は蹴ったのだから。


「でもまあ、誰も死ななかったしいいか」


 色々言いたいことはあるのだが、とりあえず今日のところはそれで納得しておこう。みんな生きているのならそれでいいのかもしれないな……などと、なんとなく晴れやかな気分になるのだった。




2/エピローグ


 止まった時の中、神崎カイは夜の闇を切り裂き崎下邸にやって来た。目的は崎下アカリ。過去と未来を演算し観測できる眼を持つ少女だ。


 ……彼は、神崎カイは今、大きな決断を迫られている。――それは、この静止した世界に関わる事柄である。その心境はいかなるものか、それは当事者たちにしか分からないことである。


「あ。いらっしゃい、カイさん」

「夜遅くだけどよかったかな」

「ええ」


 この後交わされた言葉はとりとめのないものであったが、そこからは、この会話を引き延ばしたいという神崎カイの感情が見え隠れしていた。


「もう、そんなに引っ張っても仕方ないでしょ。カイさん、もう決まっているんでしょ、答え」


 崎下アカリの言葉に、神崎カイは苦笑を返す。


「ああ、そうだよ。もう、決まっている」


 伏し目がちに、彼はそう言った。何かを噛みしめるかのように。何かを眩しがるかのように。


「なら、自分を信じて。貴方の方法だけが答えではないけれど、でも、その選択は間違っていないから」


 その言葉を受けて、神崎カイはようやく顔を上げた。その表情は、決断をした、覚悟に満ちた顔だった。

 

 そして。神崎カイはその言葉を発した。



「俺は破壊する――――この、『偽りの楽園フェイク・ユートピア』を」




                         第五章、了。接続章に続く↓

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