第十五話「アイズ・アンド・ノイズ③」
幕間
すっとんきょうな声を上げる数十分前、彼女――穂村原ほむらは意識を自身の頭毛一本に移し、崎下邸内を飛行していた。その際に発火現象が起こるため、もし見た者がいたのなら、それを火の玉と誤認しただろう。故に、便宜上『火の玉』と呼称する。
火の玉は飛行する。当然目的があっての行動である。行く先は邸内奥地にある何か。カイの見立てでは住居だという。ほむらもその見立てには賛同している。わざわざメイドが林に向かうこと自体が奇妙なのだ。加えてあちらに居住区を未だに設けるメリットも考えにくい。……そして、奥地に住むことを奇妙と捉えるほむらは見たのだ。――その、件のメイドが、何か料理を持っているのを。
『これはまた、奇妙な話ッス』
彼女の声は、周りには聞こえない。彼女が言葉を発しているにも関わらず……である。そのからくりは彼女の状態にある。彼女は今、カイの父親であるツヨシに近い状態なのだ。あちらは霊魂となった今もなお現世に留まっているのだが、ほむらの場合は、魂を一時的に炎に変化させることができるのだ。それによって、霊体に近い状態になっている。その結果、ツヨシと同じように適性を持つ者たち――カイや、ムネナガ――以外には存在を認識できなくなっているのである。ただし、炎自体は実際に炎として発生したものであるため、火の玉は残ってしまうのだが。
そうなると髪の毛が焼失してしまうという問題点が発生してしまうが、そちらは問題ない。髪の毛はあくまでも本体から魂を移動する際のとっかかりにすぎないのだ。肉体から魂を一時的に移動させる行為は難易度が高い。肉体につながった状態の魂に単独行動をさせるわけなので、そもそも無理がある行為なのだ。ほむらはそれを逆手にとり、自身の一部である髪の毛に移動させることで、疑似幽体離脱の負担を軽減させたのである。
ちなみにこの一連の動作は計算した結果ではなく、ほむらが直感で行ったステップである。
……そんなこんなで飛行すること数分。彼女は目的地周辺に到着した。つまりは林である。必然的に木々が増加するので、ここからは火が燃え移らないように注意しなければならない。
『むむぅ……考えてみれば当然ですけど、燃え移ることを失念してましたね……』
自身の無計画ぶりを嘆きつつも、ほむらは林を行く。ふよふよ移動する様は、微妙に愛嬌がある。
――――と。その時、不意に物音がした。
『――むむ?』
かさり、と。それは乾いた音だった。おそらく、何かが落ち葉を踏みつけたか……或いは何かが落ち葉に落下したのだ。
正直なところ、ほむらは恐怖した。そもそも人間というものは、正体不明に恐怖する。それは太古からの本能、または都市伝説の類や妖怪の伝承からも見て取れる。現在霊体に近い状態であるほむらもまた例外ではなく、その得体のしれない物音に気を張り詰めさせているのである。
『なんスか……誰かいるんスか? いるなら来ないでほしいッスよー』
聞こえていないだろうにほむらは声を上げる。だが、その行為にも意味はある。今の物音の主が、この声を聞き取れる可能性があるからだ。このまま隙だらけの状態を見せ続けることで相手の油断を誘えるかもしれない。その際、視界の悪い夜闇では音による情報が有力にもなりうるのだ。
怯えつつも罠を張り巡らせているほむらの心中を知ってか知らずか、物音の主はその声に釣られたかのように距離を詰め始める――というよりノータイムに近い。そしてその都度、落ち葉が乾いた破砕音を生み出す。
――ビンゴ。ほむらは心でつぶやいた。それは勝利の確信か。だが拳大の火の玉で、果たして迎撃はかなうのか。
その疑問への解答は、迫りくる何者かによる一撃を以って証明された。
それは弾丸を思わせる速度で彼女に迫る。その速度は襲撃者の体にとっても尋常な速度ではないようで、彼女に到達するまでの一秒間に何度も軋む音を響かせた。
それほどまでの殺意を持った攻撃。それは邸内奥地への侵入者を確実に始末しようとする、はっきりとした守護者の意思にも思える。それほどの強い感情を殺意へと変貌させてほむらに迫ったのだ。
――その一撃を。
『あーもう、素性と事情を確認しないで攻撃しちゃダメっスよ』
「ギ、ガ――――ッ!?」
反撃するでもなく、彼女はそれを受け止めた。
……襲撃者の影は小さなもので、小動物と思われる。ほむらはそう分析した。
『ギガってなんスか。バイトっスか? いや、アルバイトじゃなくって容量の方なんスけど』
焼け焦げた小さな襲撃者を見下ろしながら、火の玉はそんなことを呟いた。
ほむらは、声を上げた直後に敵の正体を断定していた。わざとらしい言い回しに対してノータイムで近づいてきた時点で、こちらの声に反応したわけではないのだろうと断定したのだ。
――となれば敵は、宙を飛行する火の玉に反応したということだ。ノータイムということは、声を聴いていないに等しい。アレを聞いているのならば、むしろ立ち止まるはずだ。明らかに怪しさ全開だったのだから。
……などという前置きがあったわけだが、結局のところ攻撃を仕掛けられたところで痛くもかゆくもない――という事実を思い出し、ほむらは一人くつくつと笑っていた。
『まーでも水で消されたらマズいか。視力、なくなっちゃうし』
呟きつつ、ほむらは視線を下げていく。……そこには、焼け焦げた小動物が――――
『…………!?』
それは、小動物ではなかった。
それは、鉄の匂いを漂わせていた。
それは、生物ではなかったのだ。
『機械……?』
機械かどうか……それははっきりとはしない。だが、生物でないことは明らかだった。それは、間違いなく鉄で構成されていて、そして自由に動いていた。これで機械でないのなら何だというのか。
そう思いつつも、ほむらにはもう一つ可能性が浮かんでいた。超能力である。同類ならば、機械でないもの――例えば鉄屑ですら――を操ることができてもなんら不可解ではないと考えているからである。……実際、その敵は機械ではなかった。それは、錆びた螺子や鉄片だった。鉄屑という予想は当たりである。そしてそれが、さっきまでほむらを追跡していたのだ。――この時ほむらは、明確に殺意を向けられていると確信した。
『……うわぁ、予想以上にガチ殺意じゃないですかコレ……勘弁してほしいッス』
この先にある離れに近づこうとする者を容赦なく始末しようとする意志がはっきりと見えていた。先ほどの鉄屑、サイズは十五センチほどのネズミ型だったのだが、それが弾丸のごときスピードで迫って来ていたというのだから恐ろしい話だ。もし生身の体だったら――そう考えて、ほむらはゾッとした。
だが同時に、この屋敷には何かがある――と、確信がより克明になったのだ。
『とりあえず、これ以上見つからないうちにさっさと探っちまいましょうか』
どう考えても迎撃がこれだけとは思えなかったので、ほむらは先を急ぐことにした。
『ま、ヤバくなったら接続切ればいいんですけど』
この火の玉を放棄すれば何とでもなる。そして仮に視力がなくなったとしても、何かを燃やして取り込んでしまえば再生する。……彼女は自分の能力を理解しているので、こういった具合に冷静さを保てるのだ。
『さて……じゃあそろそろ向かいますか』
とはいえさっさと済ませたいのもまた事実。ほむらは離れへと急ぐ。
何度か鉄屑からの襲撃を受けたが無視した。これらでは自分を滅ぼせないと理解したからだ。――そして、難なく目的地へと到達した。
『案外余裕だったッスね』
そう呟きながら、ほむらは離れの外観を調べ始める――――何事も、まずは外堀を埋めることが肝心なのだ。それが彼女のポリシーである。
離れの外観は、他と同じで和風の家屋である。木造家屋で、築五十年ぐらいはありそうだ。
『うーん、電気も消えてるし、これといっておかしなところは見当たらないッスね』
これといっておかしな箇所があったわけでもなく、ほむらは若干落胆していた。
……だが、先ほどの襲撃の件もあり、ここに何もないということはとても考えられなかった。――そこで彼女は第二プランに移行することにした。
彼女は、通気口から中に入ることも考えていたのだ。そしてそれを第二プランと呼称し、彼女はそちらに移行しようとした。――その時であった。
こつこつ。
『…………ん?』
ほむらには、こつこつ、という音が聞こえた。それは、何度も聞こえた。
こつこつ、こつこつ。
『え? どこ……スか?』
離れは雨戸が閉められており、中を確認することができない。故にほむらは、注意深く音の位置を確認した。
こつこつ――叩く音だ。
こつこつ――軽く叩く音だ。
こつこつ――雨戸を、叩く音だ。
こつこつ。こつこつ、こつこつ。
それは、彼女の背後から聞こえてきた。離れではなく、背後から。
『――――は? へ?』
火の玉にこういう表現をするのも変な話だが、彼女は恐怖で固まってしまった。まるで氷漬けにされたかのように。だが無理もない、怪しいと言われてやって来た離れではなくその背後から物音がしたのだ。……予想が外れるのは、それだけで動揺が起きかねない。それに加えて、正体不明の恐怖が――背後にいる。ほむらは、以前読んだ本のことを思い出していた。そこには、怪物の条件がいくつか記されていたのだが、その一つに
「正体不明っていうのがあったんだよね?」
『――――っ!?』
後ろから、声がした。自分の考えていたことを読まれた――いや、正確には、恐怖を紛らわせるために声に出そうとしていたことを先に言われてしまった。
――恐る恐る振り返る。……そこには、
「やっと――気づいてくれたね」
林の中に隠れていたもう一つの木造家屋があり、
「ねえ――こっちに来てよ……ねえ」
黒髪の少女が、縁側に立っていた。
「――――ねえ」
「あぎゃああああああああああ!?」
ほむらの意識は、元の肉体へと帰っていき、そして今に至るのであった。
幕間、了。
第四節
深夜の崎下邸に響き渡る叫び声。それが誰のものであるのかは言うまでもない。穂村原ほむらのものである。その声量は凄まじく、屋敷中から執事さんとメイドさんがどたどた走ってきた。―――失礼、スタイリッシュに走ってきた。
すぐさま部屋のふすまを開けてほむらの無事を確認し始める使用人の皆様。和室に執事メイドという絵面は、見慣れていないせいか違和感がある。
「大丈夫っす、大丈夫ですって!」
慌てながらもなんとか対応するほむらさん。
「ですが……ものすごい絶叫でしたので」
負けじと問いかける執事さん。
「それぐらいやべえ夢だったんです! そういうことなんです!」
さらにがんばるほむらさん。うむ、元気そうで何よりである。
「神崎先輩からも何とか言ってくださいよー」
それを聞いて我に返る。……もとはと言えば俺が頼んだこと。ここはフォローせねば。
「心配ないですよ。最近寝つきが悪いだけらしいので、彼女」
「……やはり心配です。そこまでうなされるとは」
……まずい。かえって話をこじらせてしまった感がある。すまないほむら。――ああ、ほむらからの視線が痛い。
「――セバスチャン。あとは僕に任せてくれ」
「しかし、トオル坊ちゃん」
「――いいから」
「――は。失礼いたしました」
トオルが割って入る。その声色はマリアナ海溝より深い。
使用人たちが部屋を後にするや否や、トオルの眼光は俺たちを射抜いた。
「君ら、僕に用があるんだったよね」
その口調は棘だらけだ。まるでケルトの伝承に登場する海獣クリードのようである。
「――おいカイ。おまえらまさか」
ムネナガは事の真相に辿り着いたようだ。――つまり、そこから察するにトオルは俺とほむらの行動を察知している。
「先輩――今思い出してるっす」
そう言って、ほむらは俺の体を手で触る――つまり、俺に能力を使えと言っているのだ。
――――ほむらの記憶から、先刻のものが流れてくる。
「……なるほど。――トオル、あの鉄塊はお前の能力か」
「いかにも。僕の能力は『物体に意味を持たせる』こと。色々限界はあるけれど、それでも監視カメラ以上の働きはしてくれるのさ」
トオルはほむらを視界の中心に入れながらそう言った。
「――じゃあアレか、トオル。おまえはほむらを殺すつもりだったと」
「まさか。ほむらが死なないのは知っていたからね。きつめの脅しをかけたのさ」
「うへえ、マジの殺意だったっすよ、アレ」
これに関してムネナガは、どっちもどっちだろ……と、後にこぼすのだが、それはまた別の話である。今重要なのは、ほむらが見た少女のことだ。あの少女はいったい何者なのか。
「――トオル。俺は今、お前にどうしても聞いておきたいことがある」
「わかってるよ――――アカリのことだろ」
アカリ――その名前に思い当たる節はない。そして、例の少女。ほむらの記憶に映っていたあの少女にも思い当たる節はない。――となれば答えは明白だ。
「ほむらが見た少女――彼女がアカリか」
謎の和服少女。その娘がアカリなのだろう。俺はそう問いかける。
それにトオルは「ご名答」と肩をすくめながら言い放つ。
「邸内奥地に封じ込められている彼女の名はアカリ。――そして、僕の妹だ」
「何?」
その可能性はゼロではなかったが、それでも実際に妹だと言われるとそれなりに衝撃を受ける。
「え、じゃあ魔族との混血っていうのは崎下先輩の家のことだったんすか」
「そういうことさ。……ほむら。神崎に言われたんだろうが、嫌なことなら先輩から頼まれても断るべきだぜ」
「別に嫌じゃなかったっすよ。ただまあ……殺されかけるとはさすがに思ってなかったですけど」
もっともな意見である。ただ、裏を返せばそれだけトオルが本気だったということだ。そこまでして俺たちからアカリという少女を遠ざけたかったのだろうか。――だが、それでは腑に落ちない箇所が一つだけある。
「トオル。彼女に会わせる気がないのなら何故俺たちをここに招待した? そこが気になる」
そもそも会わせる気がないのなら、俺たちを態々ここに呼んで混血の話をするのはリスキーすぎる。故にそこが少し不思議であった。
「あのさぁ神崎――いや、いいや。こうなることはお互いに分かってただろうし、お前の好奇心が強迫観念じみていることも分かっていたしな」
「……崎下。俺はお前がアカリという少女を隠していたということが気になる。あの様子では学校にすら通っていないな」
「ああそうさ」
当然のごとくトオルは語る。その様はいささか不可解だ。
「奇妙な話だなトオル。彼女は何者なんだ。兄であるお前が学校に通えているというのに何故妹の方はそれができない」
「――分かってんだろ神崎」
苛立たし気にトオルが答える。
「――人に接触させられないほどの能力を持っているというのか」
「……そういうことさ。混血ってのはさ神崎。君らよりも能力の純度が高い分、君らよりも能力の制御が難しいんだよ。――ピンセットを使うべき場面でペンチを使うようなもんなのさ」
言いながらトオルは前髪に隠れた片目を晒す。
「――!」
「な、なんすか」
そこに眼球はなく、空洞があるだけだった。トオルは、隻眼だったのだ。
「僕は凝視した対象に意味を待たせる――だからね、単純に凝視する量を半減させることで弱体化させたんだよ。その方が生活は送りやすいからね」
なぜ今まで気づけなかったのか。不思議で仕方がない。だが、それも恐らくトオルの能力によるものなのだろう。
「トオル。その前髪にも何か意味を持たせたな」
「ああ。『僕以外は誰も触れない』……ってね」
汎用性が高すぎる。実際凄まじいものだ。
――いや、それよりも。
「話を戻すぞトオル。……結局、何故俺たちがここに来ることを許可してくれたんだ」
それが謎で仕方がない。
俺の問いにトオルは突然苦虫をすりつぶしたような顔をし始める。
「実に嫌そうだなトオル」
「当たり前だ。僕だってこの件に関しては反対だったんだからな――でも母さんがオッケー出しちゃって、それで僕もアカリとの接触を渋々承諾したわけだ」
「あり? そうなんすか?」
どんどん話がごちゃごちゃしていく。ではあの攻撃は何だというのか。
「神崎、お前こう考えているな――じゃあなんでほむらを攻撃したのか――って」
「当然だ。気になって眠れやしない」
言いながら俺は、既にすやすや眠っているムネナガを眺める。
「高杉パイセンすげー。よくこの状況で寝られるっすね」
ほむらはそんなことを言っている。さっきトオルに攻撃されたというのにとんでもない落ち着きっぷりである。割り切り力が高い。実にさっぱりとした性格である。いやさっぱりしすぎだろ。
トオルがとんでもない発言をしたのは、そんな微妙に空気が緩んでいた時であった。
「高杉な、僕の能力を看破しているから」
「え」
「マジすか」
……俺は、こういう時ムネナガが一番こわい。
閑話休題。
ムネナガの件も驚きだが、アイツの能力は『見えざるものを視る』というものだ。つまり、凝視系の能力同士相性が良かったとしてもおかしくはない。
ということで話を元に戻そう。
「……それで、トオル。お前どうしてほむらを攻撃したんだ。渋々とはいえ承諾しているのなら、攻撃する必要はないだろう」
「それはそうなんだけどな神崎。――実は今もさ、僕は敷地内に衛兵を放っている。これがどういう意味か分かるか?」
トオルの言葉の真意を読み取る――――能力を使うまでもなく、それは見えてくる。
「――侵入者、か」
「そうさ。……たまにいるんだよ、混血の力を狙ってやって来る輩がね。さっきも寝ようとしていたらセンサーに引っかかってね。……勿論、ほむら以外にだけどな」
どうも日常茶飯事のようだが、それでも自分が出向かなくてもいいのだろうか。
「……アカリちゃんのところに向かわなくていいのか」
「向かう気なんだけどな僕は。でもアカリのやつが、まだ来なくていい、お兄ちゃんのお客さんとひと悶着起こした方がかえって流れがよくなるっぽい……とか言い出してね」
「――? つまり、アカリちゃんの能力というのは?」
今のトオルの言は、おそらく――いや十中八九アカリちゃんの能力について語っていた。となれば、それについて聞いておく必要がある。
それにトオルは、簡潔にこう答えた。
「簡単だよ。――僕の妹は『過去』と『未来』が見えるのさ」
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