第五章「アイズ・アンド・ノイズ」

第十三話「アイズ・アンド・ノイズ①」

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私は生まれた時から妙な力を持っていた。

何というか、私はこれが普通だから説明しづらいのだけれど、とにかく私には視界が『三つ』ある。


 一つは他者と同じ『現在』。今を生きる私たちを取り巻く世界のことだ。

 残りの二つはそれぞれ『過去』と『未来』。現在を構成する要因となったあらゆる出来事が発生した今に至る筋道と、自分たちが生み出したあらゆる出来事によって拓かれる新たな道である。その三つが、私には


 ……よく「疲れないのか」と聞かれるけれど、生まれた時からこうなのだからそこのところはよくわからない。ただそれでも答えが欲しいというのなら、私はノーと答える。別に疲れない。むしろ色々計画を立てることができて便利なのだ。


 ……とは言いつつも、別に常に三つというワケではない。基本的には、一つしか開けていない。その方針をとるようになったキッカケは単純で、なんとなく、真新しいことをしてみたくなったからだ。……そして、そちらの方が楽しいことに気付いた。昔とか未来とか、そういった今の自分からしたらあやふやなものを確定させるのは生きていくにあたっては退屈極まりないことである、と結論が出たからである。


 だから私は、見え方すらも制限を設けることにした。ただ過去未来が見えるのは面白くない。ということで、いくつかの情報がそろった時に見えるようにしよう、と。そう決めたのだった。


 ぶっちゃけ、これでこの件についてのお話はほぼ説明できてしまったのだけれど、それじゃあきっとあやふやで面白みに欠けるのだろう。面白くないのは退屈で嫌だと言った私がそれでは締まりがない。だから、「しっかりと締めておかなければ」と思ったので、ちゃんと回想していこうと思う。どうもこの後、彼が来るようなのだ。なんとなくだが、これについてしっかりと復習しておいた方がいい気がしたのである。よーし、うまくまとまった!





 二崎市の西側に、観崎かんざき町という小さな町がある。都市開発はほとんどされず、昔ながらの家屋が建ち並んでいる風景は、あたかも自分がタイムスリップしたかのような錯覚さえ抱いてしまう程だ。その観崎町に、とりわけて古い屋敷がある。そしてその家には、ある噂がまことしやかに囁かれ続けていた。

 

 ――あの家の人間には、魔物の血が流れている。と。


 それが真実か虚構かは判断が付かない。が、その家系では何故か、生まれてきた子供が幼いうちに死ぬことが多い。それは事実である。実際に届け出が出されている。だが、その届け出の件数は妙に多い。二崎の文献を紐解いてみても、そのことについて記述されている。ここまでくると奇妙に過ぎる。故に、さすがに何度か調査も行われたという。……だが、特にこれといった異常は見つからなかったそうだ。何でもない家系で、家族もみな健在で、おかしな点は何一つなかった、と。


 なお、それでも疑いを持って探りに行った者の行方を知る者は一人としていない。




第一節


 二〇一五年、七月。夏休みを目前に控えた二崎高校では、期待に胸を膨らませる者、膨大な量の宿題に戦慄する者、そして、既に夏休みモードに移行している者と実に多種多様である。そんな中、俺こと神崎カイは一人、部室で唸り続けていた。


「いや、うるせえよ」


 補足。一人というのは、唸っているのが俺一人というだけの話であり、他の部員もしっかりいる。ちなみに今俺にうるさいと言ったのは、寺生まれの高杉である。坊主頭がとてもよく似合っている。ちなみに夏服ではなく学ランだ。


「……ムネナガ。暑くないの、それ」


 連日うだるような暑さなので、学ランを見ているだけでも汗がふきだしそうだ。いや、ふきだしている、確実に。


「法衣、あるだろ? お寺関係の行事があるときは夏場でも着るわけだがよ、ヒジョーに暑いんだなこれが」

「……それで?」

「だからよ、日ごろから学ランを着ることによって暑さに慣れようって寸法よ」 

「……それも修行?」

「おー、そうしとこうかな」


 なんと。別に修行のつもりはなかったらしい。その忍耐強さには感服の極みである。

 と。


「あのさぁ高杉。お前の言いたいことは分かるんだけどさぁ。それでもねぇ、見てるとそれだけで暑いんだよ!」


 向かいの席に座っていた崎下トオルが叫び出した。うむ、言いたいことも言いたくなる気持ちも俺だってよくわかる。だがしかし。


「あのよ崎下。お前の言いたいこともよーく分かる。ヨークシャーテリアが可愛いぐらいにはヨーク分かっているつもりだ。……けどな崎下。それでも俺はよぉ、お前さんのその右目を隠すほど長い前髪の方が暑苦しくってシャーねえんだよ」


 ちなみにヨークシャーテリアの性格は、堂々としていて自信満々勇敢聡明、おまけに独立心が強いのだという。犬というより狼の方がイメージに近い気がする。あくまで個人的に、であるが。そういえばヤギリ先輩も狼が好きと言っていたが、案外人畜無害そうな外見の人の方が気高かったりプライドが高かったりするのだろうか……などと、俺は一人思索にふける。なんてことはない。ムネナガとトオルの話に付き合うのが面倒になったからだ。何ならもう既に口喧嘩ではなく取っ組み合いになっている。お互い本気ではないようなのでいつも通りのウォーミングアップめいた取っ組み合いなのだろう。元気なようで一安心である。これなら執筆のネタ探しにも協力してくれるやもしれぬ。なにせいいネタがないのだ。ネタ自体はあるのだがインパクトに欠ける。折角の夏休み直前号なのだ。背筋の冷える怪談ネタの方がよかろうて。そう思ってネタを探したり考えたりと俺の脳内はオーバーワークでオーバーヒート直前号なのだった。文字数思考が暴走しているぜ。暑すぎるぜ。


「先輩ー。だいじょーぶですかー」


 耳元で後輩の穂村原ほむらが声をかけてきた。入部当初はしおらしくおしとやかなお嬢様っぽかったのだが、その本性はアグレッシブ・ジャーナリストだった。その方がうちの部活としては、ネタが豊富という意味合いで重宝する人材ではあるのだが、悲しいことにほむらはその積極的取材行動を部員にまでぶち込んできたのだ。こまる。とてもこまる。プライベートもクソもない。


「あのさ、ほむら」

 延々と囁き続けるほむらに耐えかねて、思わず声を出す。


「あー、やっと反応してくれましたー。無視なんてひどいですよ先輩ー」

「あのな、俺は今超絶集中して考え事してんの。だからさ、ちょっと待ってほしい。今話しかけられても生返事が関の山だから」

「そんなことないですよぅ。先輩なら器用にマルチタスクこなせますって」


 何故か自信満々のほむら。お前は俺の何を知っているというのだ。出会ってまだ三か月とちょっとですよ?


「もー、なんでそんな目で見るんですかー。睨まないでくださいよぅ」

「睨んでるわけじゃない。疲れているだけだ。瞼が重いんだ。というワケでちょっと外出したい。なんかないかな、面白そうなネタ」


 それを聞いたほむらがニマニマしだす。……これは、何か素敵なネタを持っているに違いない。


「やっぱり、先輩やる気満々だったんですね! いいですよー。今私、すっごいネタ持ってますから! 夏の定番、その名もズバリ、怪談!!」


 ズバリという程でもないところをズバリというほむら。だが今欲しかったネタがズバリ怪談だったので、とてもありがたいわけなのだが。あ。俺も言っちゃったよ、ズバリと。


「でかしたほむら。……で、どんなネタ?」

「ふっふっふ、それはですねー」


 もったいぶるように、いや事実もったいぶって、ほむらは言葉を切る。ただでさえ焦らされるのは苦手なので、この暑さの中で焦らされるのはそれだけで苦行だ。ムネナガはすごい。改めてそう思った。


「頼むほむら、はやく言ってくれ」

 普通にお願いする。暑くて仕方なかったのだ。なぜこんな時に室外機を点検しているんだクーラーが使えないじゃないか……!

 そんな俺の魂からの叫びを察してくれたようで、ほむらが口を開いた。


「……ズバリ、魔物との混血の家です」

「ほほう……」


 魔物との混血――中々に興味をそそられる響きだ。そんな伝奇チックな一族がこの町に住んでいようとは……。うむ、それは是非とも確かめてみたいものだ。

 しかし、視界の端で何故かトオルが顔を引きつらせていた。


「どうした、トオル」

「なんだぁー? 崎下おめえ、怪談ダメなのかぁー?」


 ムネナガがものすごい勢いでトオルをおちょくる。……いや、アレは案外本気で疑問符がついているのかもしれない。


「いや……いやぁーははは。そうなんだよ、僕ね、怖いのすごく苦手! だからさ! そういうオカルティーなやつはやめてほしいかなー、なんて!」


 ものすごくビビりにビビる崎下トオル十七歳。そのビビりに伴う体の震えは、なんとなくブルドッグを思わせる。うむ。何というか震えすぎだよね。もはやこれで一本書けそうだ。


「崎下先輩ー。もしかして――」


 ワンテンポ遅めに問いかけだすほむら。いやおそい。なんでまたこのタイミングなんだ。今更怪談が怖いんだろー……とかいうタマじゃないだろほむら。お前はなんていうか、こう、もっと、こう、なんか、ああ暑い! ボキャブラリーが貧困になる! ――ああそうだ、出てきた出てきた! ほむら、お前は、もっと事態を面白おかしい方向にもっていくタマだろ――――!


「その一族を知ってますよね?」

「………………………………うん」


 ――よかった。そういうタマだった。焦るわもう。

 ……よし。


「でかしたほむら。後は部長たる俺の仕事だ。――トオル。教えてくれ。その一族について」「それ手柄の横取りじゃないっすか?」「んなこたぁない」


 いい感じに雰囲気を和やかにする俺とほむら。しかし、トオルは俺から目をそらした。こんだけクッソ暑いのにアイスブレイクすらできなかった……だと……?


「いやいやいやいや」

「なんだ、何をそんなにごねるんだ」

「いやぁ、その、ね? なんていうか、サ。ここじゃ、ね?」

「ここじゃ話せないのか」


 トオルは激しく首肯する。そうか、そんなにも秘匿せねばならないことなのか。


「じゃあよ崎下。どこでならそのオカルト話を話してくれるってんだ?」


 崎下につっかかるムネナガ。別に怒っているわけではないのだ。ただただテンションが上がっているだけなのだ。そういうヤツなのだ、高杉は。


「はいはーい、提案でーす」

 ものすごく勢いよく手を上げながらジャンプするほむら。ぴょんこぴょんこ跳ねるさまは妙にかわいい。愛玩動物か何かなのだろうか。


「ほむら。言ってみてくれ」

「やめろよ神崎ィィ!」


 崎下が断末魔めいた叫び声をあげているが、そこはそれ。俺たちは既に、オカルトモードに入っているのであった。


「えー、てすてす。マイクのテスト中でございます」

 演技らしきことをするほむら。圧倒的わざとらしさである。


「そういうのいいから」

「ふーんだ、神崎先輩はいつもこうだ。……わかりました! すぐ言います! だからその新聞丸めたやつ構えるのをやめてください!」

 瞬時に構えた新聞ソードを、これまた瞬時に下ろす。


「ほんとすいませんでした先輩方。……えーとですね、崎下先輩の家に遊びに行くってのはどうです? なんなら泊まり込みで」

 自分が女の子であることを度外視しているとしか思えない発言である。根は乙女チックらしいのだが、さて。


「何? 何なのみんなして! マジで僕の家に来るの!?」

「ああ」

「そーだぜ」

「そうですねー」

「うっそだろおぉぉ!?」


 残念ながら俺たちは乗り気だった。こうなっては止められない。止められるのはそれこそ崎下家のご両親だけである。

 結論は同じだったようで、トオルはスマートフォンを取り出して家に電話をかけ始めた。


「あ、もしもし母さん? 今いい? ……うん、ええとね、なんか今日、部活の奴らが家に泊まりたいらしいんだけど……うん、金曜日だからね今日。まあかといって忙しいだろうし三人来るし難しいよね――――え、いいの? マジで? うっそおおお!? …………ああうん、分かった。でもいいのかな。ほら、■■の――」


 突然声のトーンが低くなったのでよく聞こえなかった。……いや別に盗み聞きしていたわけではないのだが、そこまでは普通に聞こえていたので聞こえにくく感じただけなのだ。ムネナガとほむらも聞こえなかったようだ。こちらに顔を向けてきた。俺の手にかかれば二人の感情はよくわかる。そういう特技が俺にはあるのだ。


「……ああ、分かったよ母さん。その考えには完全賛成はできないけど、なんとかやってみるよ……じゃあ、とりあえず電話切るよ」


 トオルが電話を終える。その表情にはどこか諦観めいたものが含まれているように思えた。


「いいのか、トオル」

「ああいいよ、神崎。――ただし、話を聞きたけりゃおとなしくしていてくれよ。……くれぐれも、深夜徘徊とかしないでくれ」

「承知した。……じゃあ、今晩向かわせてもらうよ」


 俺がそう言うと、何故かトオルは半目になる。ジト目というやつだ。トオルがやっても可愛くない。


「あのさぁ。君たち僕の家知ってるのかい?」

「「「あ」」」

「やっぱりか。……ああいいよもう。放課後一旦帰宅して、また学校に集合しよう。隣町とはいえ中学までは別校区だったもんね」


 というワケで。なんやかんやで俺たちは崎下家に遊びに行くことになった。

 まあ残念というか当然というか。遊びに行くだけでは終わらなかったのだが。




第二節


 俺が住んでいる地域はトオルの住む観崎町とは二崎高校を挟んで逆方向にあり、名前は月峰町という。こちらは都市開発が積極的に行われており、その際にちょっとした発掘物金目の物もあってそれなりに発展していった。


 ……とはいえそれは一九八〇年代の頃の話であり、俺が生まれたころにはバブル崩壊による不景気も重なってかそれほど盛況した様子もなかった。――おっと。誤解がないように補足をしておこう。盛況していないというのはあくまで都会と比較した話であり、県の財政面では中々の潤いを保っているそうだ。その潤いが施設よりも名産品の方に回っているため気づきにくいだけだったりする。


 今の話にはあまり関係がないことではあるが、ムネナガの家……つまりお寺も方角的には観崎町の方である。が、観崎町はムネナガの住むところよりもさらに向こう側にあり、小中学校、つまり義務教育時代は完全に校区外であった。ムネナガの住む地区がギリギリ中学校の校区だったのだ。


 ……まあなんというか、二崎市は割と東西に長い市だったりするのだ。複数の市町村が合併をして今の二崎市が構成されている。俺はなんとなく、それを惑星が誕生する状況に似ているなと思った。別に深い意味はないのだが。


「せんぱーい、お待たせしましたー」


 二崎高校の校門前で待っていると、初めにほむらがやって来た。大きめのスポーツバッグを持っている。別にそれはいいのだが、形状が明らかに角ばっている。直方体タイプの固形物、それも結構でかいものが入っているとしか思えない。なんだアレ。


「ほむら。……それ何?」

「双六です」


 いやいやいやいや。なんで?


「アレか? 人数集まるから持ってきました。……的なやつ?」

「ご名答。さすがっす先輩。エスパーですか?」


 なんでこんなにハイテンションなんだろうこの子。あとエスパーはほぼ正解です。いや、つーか知ってるよね君。教えたし。


「……それよりほむら。ムネナガ知らないよな?」

「知らないですよー。集合時間まであと十分ほどですけど、いつもゆっくりなんですか高杉先輩」

「うん、まあ」

「へー、なんか意外です」

「そうかなぁ。あいつ、いつもこんな感じだと思うぞ」


 あいつは基本的にライブ感を大事にしすぎながら日々を満喫している。故に、大体その場のノリで行動を起こしがちだ。高頻度で、突然の思い付きによって面白おかしいことを提供してくれるため全く飽きない。面白いやつなのだ。

 ――が。思いつくタイミングが毎回ランダムなので、若干遅刻することがある。誤差の範囲なので別にいいのだが、それでも、もう少しだけでいいから気を付けてもらいたいものだ。


「わりー、待たせた」


 などと言っていると、件の男がやって来た。……ああ件と言っても生まれてすぐに予言を言って死んでしまう人面牛のことではない。そんな補足しなくていいだろう……と言いたいところだが、この町は妙に都市伝説の類が多いのだ。流石に件の目撃例はないが、メジャーな人面犬さんは今に至るまでに何件か見た人がいたのだという。故に、今のような感じで迂闊に件など言おうものなら「え、今の件はどの件?」などというくだん連打が始まりかねない。それは少し面倒くさい。


 それはともかく、ムネナガは五分遅れだった。まあ何とか誤差なのである。思いつきで追加要素を持ち込んでくる割に速いので黙認されていると言い換えてもいいだろう。……それはいい。それはいいのだが。


 ――何故かムネナガのエナメルバッグも角ばっていた。……何? 逆に俺だけなの?


「ホラ先輩ー。アレ絶対双六ですってー」

「お、なんだほむら。お前さんも持ってきたのか双六。奇遇だな」

「ですねー」


 などと言いながら笑い合う二人。双六って二つもいるんでしょーか。

 そんな具合で俺が一人頭を悩ませていると、自動車が校門に近づいてきた。黒塗りの、どこからどう見ても高級そうな車である。この学校の関係者なのだろうか。


「うわー、すげー車っす」

「ぱねーなー。俺、こんな車乗ったことねえよ」


 校門の前に止まったその高級車を見ながら、ほむらとムネナガがやる気のない感嘆の声を上げる。それはもう既に感嘆とは言えなさそうであるが気にしてはいけない。まあとにかく、驚きつつも他人事として受け取っているのだ。それは俺だって同じである。若干浮世離れした状況が目の前に現れているとはいえ、自分にとっての優先事項ではないので割とどうでもいい……といった心境なのだ。


 そんなこんなでその車をぼんやりと眺めていたのだが、今更異常に気が付いた。

 俺たちは校門で待ち合わせをしているとは言ったものの、校門の前では邪魔になるだろうということで少しだけ横にずれて突っ立っていたのだ。……となるとこの状況はいったい何なのか。どうしてこの高級車は俺たちの前で止まっているのだろうか。もうこれ一時停止とかそういうレベルじゃなくなっている。


「……神崎先輩。何やらかしたんですか」

 小声でほむらがそんなことを言い出した。


「知るか。俺が聞きたい」

 当然心当たりなどあるはずもないので俺は速攻で否定した。……となるとこれはムネナガか。ほむらではない。こやつはすぐ顔に出る。だが今回はマジに困惑しきっている。だから絶対違う。逆にムネナガは大体いつも表情だけはあまり崩さな……いや、笑う時だけは思いっきり崩れる。だがそれぐらいのものだ。つまり、今回はいつも通りポーカーフェイスを発動しているとも考えられる。


「ムネナガ。お前じゃないのか」

「んーにゃ。俺も知らねえよ。車内の様子もよく見えねえし、ホント誰だろーな」


 その言に嘘はなさそうである。ムネナガの立場になって考えてみれば、そのことはすぐにわかった。別に特技を生かすこともない。


「じゃあ、なんだこの車は……」


 結局謎は深まるばかりである。この謎高級車は一体どこからの回し者だというのか。そして俺たちとの関係は……? などとミステリアスな雰囲気が醸し出されていたところで、高級車の助手席の窓が開いた。


「やあ、待たせたねみんな。――さ、乗りなよ」


 自動で開く後部ドア。別にそこは驚くほどではない。最近は割と普及しているわけだし。驚いたのはそこではなく、開いたドアの先に広がっていた光景である。

 何故か座席がソファだった。材質がソファの物だったのだ。しかも、どうあがいても高級素材である。――明らかにオーダーメイドであった。

 そして何よりも驚いたのは言うまでもなく


「崎下。超セレブやん」


 そっちの方だった。


 ◇


「はい、着いたよ」


 車で移動すること三〇分。開発の進んだ月峰町とは打って変わって、ここ、観崎町には田舎情緒あふれる非常に幻想的な光景が広がっていた。風景を見ているだけで心が洗われる、そしてほんの少しだけ寂しさと懐かしさの入り混じった不思議な気持ちになる――そんな風景である。……そういうのを、ノスタルジーというのだろうか。


 月峰町以上にセミの鳴き声が響き渡る。これで夕方にひぐらしでも鳴いてみろ。俺はもうたまらなくなる。ムネナガとほむらは宿題に畏怖を覚えるらしいが。まだ夏休みは始まってもいないというのに不思議なものだ。本能的な焦燥感なのだろうか。


 それはそれとして、崎下邸は――それはもうすごく……豪邸であった。庭は、庭というか庭園で、屋敷の大きさとかに関しては横にものすごく広い。要するに、ものすごく立派な武家屋敷なのである。ボキャブラリーが貧困になるほど圧倒されてとにかくすごい。そしてそこかしこに林があり、離れも何軒か建っており、なんというか、敷地面積広すぎなのである。


「ほらほらみんな。早く出てきなよ。セバスチャンが車をしまえないじゃないか」

「――――!?」


 思わず目を見開く。……セバスチャン!? 運転手の執事っぽいおじいさんが!? どう見ても日本人だがセバスチャンなのね!?


「ぶ、ぶくくく……セバスチャンだなんてそんなベタな」

 小声で、そして笑いを何とか押し殺しながら呟くほむら。俺は君の勇ましさに驚くよ。まあこれは勇気でも勇猛でもなく蛮勇だと思うのだが。


「ははは、驚かれるのも無理はありませんね。ええ、私の名前は白柳セバスチャンと言います。よろしければ、どうぞお見知りおきを」

「それは――失礼いたしました」

 とても紳士的なセバスチャンさん。俺はすぐさま非礼を詫びた。


「いえいえ、どうかそう畏まらないでください。いつもトオル坊っちゃんと仲良くしてくださっている方々ですから、私としてはそれだけで嬉しいのですよ」


 人間ができているとかそういう次元じゃないかもしれない。なんかオーラ出ている気がしますもの。ほむらにいたってはもう泣き出しそうである。さっきからずっと小声でごめんさいごめんなさいと言い続けている。


 ちなみにムネナガは車に酔ってダウンしている。今のうちに読書感想文を片付けるとか言って車内で小説『五百円ハンター』を読みだした結果がこれなので、自業自得ともいえる。ちなみに五百円ハンターは伝奇活劇ライトノベルだそうだ。名前から中身が全く想像できない。


「……ぅぉぉぉぃ崎下ぁぁぁ」

 ゾンビか何かかと思う程にムネナガはかすれた声を上げる。訂正。これはゾンビである。いや喩えだけどさ。


「何、吐くの? 吐くなら外のトイレを使ってよ? 今日の清掃時間はまだのはずだから」

 冷静に指示を下すトオル坊っちゃま。その清掃とやらもきっとメイドがするに違いない。このブルジョワめ!


「かたじけねえ……」

 そうかすれ声で呟いて、ムネナガは屋外トイレに向かって歩いていく。さっきまでの威勢はどこへ行ってしまったのか。


「ちゃんと流しておいてくれよ。流石にゲロを拭かせるわけにはいかないだろ、君も」

「ぉっヶー」


 最早たどたどしい発音でムネナガは返事をした。そしてトオルのメイドさんに見せる優しい気配り。まあ当然と言えば当然なのだが、こういうところで育ちが出るように思える。


「ちなみに拭く羽目になるのは僕だから、マジでちゃんと流してくれよ」


 これひょっとして家がクッソデカいだけで、家事全般だいたい崎下家の皆さんで分担してるのかもしれん。


「ほえー、あっちにもこっちにも建物とトイレがありますねー」

 いやトイレはそこまでないから。


「今のは突っ込んでほしかったです先輩。――いやトイレはそこまでないから……みたいな」

 したよ。たった今心の中で。


「先輩なんでそんなに冷たい態度をとるんですかーーー?」

「ところでトオル。ちらほら見える離れにも人は住んでるのか?」

「ひでえ! ひでえです先輩!」


 この仕打ちは、いったんクールダウンしなさいという俺からのメッセージだったのだが。逆効果にならないことを祈る。


「で、何、神崎? 離れが気になるの?」

「有体に言えばそうなるな。だって五軒はあるだろこれ」

 住み込みで働いている人の居住区だとしてもだ。五軒もいるのだろうか。


「ああアレね。二軒しか使ってないよ。あとは老朽化を理由に使っていない」

「ああそうなの」


 比較的新しい建物は手前の二軒なので、そこが従業員の居住区なのだろうか。いやはや、少しもったいない気もする。


「もちろん、古い建物も使っているよ。老朽化というのはつまり、現代の生活を送りづらいって意味合いでね。あくまでも居住区としては使っていないというだけなんだ。だからちゃんとそれぞれ役目があるんだ。例えば――あれは物置、それは物置、……で、あっちにあるのが――」


 それぞれの用途について語り出すトオル。……まあなんというか、色々言いたいことはあるのだけれどこれだけは言わせてほしい。


「全部物置じゃねーか」

 やっぱ物が増えると物置の数もそれに比例するのかもしれない。真理っぽいことを心の中で思い浮かべた俺であった。


 ◇


「で、今日明日は土日だからどっちも泊まっていくってわけだね」

「ああ。そうさせてもらえるとありがたい」

「分かったよ。父さんも母さんもいいって言ってるし」

「いやー太っ腹っす崎下先輩! こんなステーキ食べたことないっす!」


 午後七時。七月とはいえ流石に暗くなってきた外の風景を眺めながら、俺、ムネナガ、ほむらは崎下家の豪華な夕食をいただいている。ちなみにバイキングだ。ホテルかここは。……などとあまりの衝撃的な夕食風景に圧倒されてしまった。思いっきり日本家屋だったのに突然現れたパーティールームらしき部屋に圧倒されたともいう。


 ……とはいえ驚いてばかりではいけない。折角俺たちのために料理を用意してもらったわけだし、感謝していただくとしよう。というワケで食べてみた。ほむらの言う通りステーキもおいしいが、マカロニグラタンのおいしさが神懸っている。どうなっているんだコレ。思わずテイクアウトを考えてしまう程だ。


 ――ちなみにこの夕食、トオルの他には崎下家の人間が参加していない。そもそもこの家に住んでいる崎下家の人間は、トオルの他は両親だけらしい。そしてその両親も、今日はそれぞれの用事で出払っているらしい。むしろ、だからこそ招待されたのかもしれない。


「みんな遠慮せずにじゃんじゃん食べてくれ。もちろん、普段はバイキングじゃなくて普通に食べているんだよ。実際、僕だって弁当ごく普通だろ?」


 そういえばそうだ。今まで誰一人としてトオルがお金持ちだと気づけなかった。その秘密はこのブルジョワ感を周囲の環境に溶け込ませているからなのだろうか。


「うちは昔っからこうなんだよ。まだ身分制度が濃厚だったころからずっと、下々の者の気持ちを理解したうえで商売をやるんだー……みたいな感じで生きてきたみたいなんだ――ああ、下々の者っていうのは当時の認識だからね?」


「じゃあ何か? 崎下の家はよ、今も商売やってるってことなのか?」

 味噌汁をすすっていたムネナガが話に入ってきた。


「今はやっていないよ。土地の所有権があるってだけでお金が入ってきちゃって。その分はチャリティー事業や地域の事業で支援活動とかはやっているんだけど。まあなんというか最早地主でしかないんだよね、うち」

 どうなっているんだ崎下家は。それだけとんでもない土地を持っているのだろうか。


「この話はここまでにしておこう。今日はその話をしに来たわけじゃないだろう?」

 トオルが話題を変えた。……そうだ。俺たちは、トオルが知っているというある話を聞きに来たのだ。……そう、魔物との混血の家系の――


「その前にいいですか?」

 その前にほむらが話を遮った。彼女のことだ。何かしら気になることでもあるのだろう。


「高杉先輩。――肉食べてますけど大丈夫なんですか?」

 ……ああ。そっちね。お寺の人が肉食べていいのかっていう、そういう話ね。まあそうだよね、気になるよねそっちも。


「これ肉だと思うじゃん。――全部大豆の加工品なんだぜ」

 一瞬で答えが返ってきた。……なんだと…………?


「ほえー、そうなんスね」

「そーなんす」

 と言いながらクリームシチューをすするムネナガ。

 すぐさまトオルに視線を向ける。

「うん。ムネナガに合わせた」

 すごい。大豆ってすごい。


 ……って、いかんいかん。折角話題がオカルト寄りになっていたのだ。そっちに話を戻さないと。

 

 ◇


「――じゃあ、ほむらちゃんが戻ってきたら話を始めよう」


 トオルに促されて、俺たちは何故かお座敷に移動した。そして何故か明かりが蝋燭しか灯っていない。用意周到すぎるぞトオル。本当はノリノリなんじゃないのか。

 そしてほむらはお花を摘みに行っている。トイレの場所を聞いていたが、本当にわかっていたのだろうか。それは、彼女にしかわからないのである。




幕間


 穂村原ほむらは走っていた。ちゃんと教えられたトイレに向かって、である。


「遠い……もれる……」


 とはいえ彼女は割と限界であった。これ以上走るとダメな気がするのだ。故に歩くしかないのだが、それはそれで限界と言えば限界である。どっち道限界なのである。


「およ?」


 廊下の窓から外が見える。そこは別に何の問題もない。……が、一つだけおかしな点があった。


「あのメイドさん、なんであんな奥まで行くんだろう」


 ほむらは気になった。あの林の奥に何があるのかを。だが目下のところ、ほむらはそれどころではなかったのでこの件は後で先輩である崎下トオルに聞くことにしたのであった。


幕間、了。




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