第六話「ナイトミスト③」

6/


「―――!!」

「…………何してんの?」


 なんつーか、屈辱だった。

 私はただ、台所に残っていた食器類を洗おうとしただけなのだ。そしてスポンジを取ろうとしただけだったのだ。……だというのに、目線の先のカウンターに――――


「なんであんなとこにニンニク置いてあるわけーーーーーー!?」

「ああニンニク苦手なんだっけ、吸血鬼って」


 私が知識として持っていたばっかりに、ニンニクはしっかりと弱点となっていたのだった。




「そんで、驚いた拍子に蛇口を引っ張っちゃって?」

「…………」

「ホース状にしちゃって?」

「…………」

「ぶちまけちゃったと」

「……そうよ」

「へー」

「…………」


 洗面所の扉を隔てて、クソうざい口調で尋ねられる。……女物の服はないようなので、とりあえずコイツの服を借りることになった。

 ……ありがたいんだけど、何故か素直に感謝しきれない。どうすればいいのだろうか。……うむ。――――うむ。


「あのさ……」

 それでも、今晩は色々と助けてもらったわけなので。お礼ぐらいは言っておかないと。そう思って声を出したのだが。


「……あれ」

 一向に返事がない。

「神崎君?」

 ――ダメだ。何も声が返ってこない。……まさか。戦いで傷を負って、それで倒れてしまったのではないか……?


「神崎君…………!」

 勢いよく扉を開ける。まだ上しか着ていないが知るものか。このまま助けられないよりずっといい…………!


「――って、あれ?」

 そこには誰にもいなかった。……その代わりリビングの方から、


「まだ起きてるっぽいしさ、ちょっと進堂さんから服借りてくる――って、なんで上しか着てないんです?」


 などと、気の抜けた声が聞こえてきた。

 ……なんつーか、屈辱だった。

 足を吹き抜ける風が冷たいのは、下を穿いていないだけが理由ではないと思った。

 

 ……あ。パンツは穿いていましたよ?




「……で、ホントにいいの?」

「いいわよ。そこまで進堂さんのお世話にならなくたって」

「そっか」


 結局、私は神崎カイの服を着ることにした。そしてリビングでテレビを見ていた。……といっても垂れ流しだ。テレビからは、高校生らしき男子が空を飛んで戦っている様子が流れている――もしかしなくてもアニメだ。


「便利だなぁ」

 神崎カイがそう呟く。……一体どの口が言っているのだ本当に。


「アンタ飛べるじゃない」

「親父が憑依すればな」

「それじゃダメなの?」

「それじゃあ俺が飛んでいることにはならない。親父が憑依した時点で、飛んでいるのは俺じゃなくて俺の体を使っている親父だからな」

「……屁理屈じゃない、それ?」

「俺はそう思っているんです」


 そう言って、神崎カイは寝転んでしまった。……ここで寝るつもりなのだろうか。


「――ああ、寝るのなら俺の部屋使っていいよ。別に、しばらくいてもいいから」

「……え?」

「あの工場よりはマシでしょ」

「そりゃまあ、そうだけど……」


 ……それでも、一つ屋根の下に高校生の男女二人が寝食を共にするというのはどうなのだろう。――というかそれよりも。


「アンタその、いるでしょ。えーと、黒咲さん」

「黒咲が、何?」

「いや、これはちょっとまずいんじゃない?」 


 なんというか、こう。略奪愛的な、そういう風に取られかねないというか、なんというか……。


「確かに風宮さん綺麗だけど、俺は黒咲を優先するから」

「!?」


 急に綺麗とか言われたーーーーー!? あと純粋! そして一途!


「――コホン。……いやでもアンタ、進堂さんを意識しちゃうわけでしょ? だからさぁ、その、別に私が自意識過剰とかそういうわけじゃないんだけどさ。……なんかの拍子にアンタが私を意識しちゃった場合、どうすんの?」


 内心アタフタしつつも、どうにか整合性のあることを言えた。大事なことなのだ。やはり、ちゃんと確認を取っておかないと――――


「ああアレ冗談だから」

「はーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?」


 近所迷惑なのは百も承知なのだが、叫ばずにはいられなかった。……なんだか今日は、ずっとコイツに踊らされていた気がするのだった。


「……ぁー、もういい」

 しわがれた声と共に席を立つ。何故かフラフラだ。


「ん? どうした?」

「いやいい、もうどうでもいい。アンタの部屋で寝るわ、もう」

「それがいい。雨戸は閉めといたから、日光浴びてさようならパターンはないはずだよ」

「ああうん、ありがとー……」


 最早返事をする気力すら失せていた私は、生返事だけして二階へと上っていきました。……うふふのふ。能力いらないんじゃないの、あいつ?




0/2 Knight Mist


 ……暗い、夜だった。

 月すら霞む、霧の夜だった。

 泣きながら夜道を歩いたことを覚えている。


 ――霧は続く。どこまでも、どこまでも。まるで自分が逃げているみたい。永遠に続くかのような霧の中を、まるで怖い怪物から逃げるように。

 ――いや、逃げているのだ。怖い。この気持ちは紛れもなく恐怖だ。……そう、恐怖。


 だから自分は、恐怖それから身を守るためにこの鋼を纏ったのだろう。

 ……それが鋼ではないと、知っているのに。





7/


「じゃあ風宮さん。留守番よろしく」

「ふふん、それくらいお安い御用よ」

「うん、じゃあ任せる」


 それだけ言って、俺は学校に向かって歩き始めた。……ちなみに風宮さんは、玄関の影に隠れて必死に日光から身を守っていた。ちょっとだけかわいかった。


「……む」


 そのまま歩いていると、見知った人物に出くわした。その人物は、眼鏡をかけた男性で、俺と同じ二崎高校の制服を着ている――一つ上の、先輩なのだ。


「おはようございます、ヤギリさん」

 背後から声をかける。


「――! ……ああ、カイ君か。元気かい?」

「ええ、おかげさまで」

「よせよ、僕は何もしていないさ。そう、何も」

「そんなに謙遜しないでくださいよ」

「いいんだよ、別に。困ったときはお互いさまさ――じゃ。今日、日直だから。僕はお先に向かわせてもらうよ」


 そう言って、ヤギリさんは走っていった。ここから二崎高校までは数分の距離なので、自転車でなくともなんら問題ないのだ。


「……それにしても。驚きすぎじゃないかな、ヤギリさん」

 ビクッとしすぎだと思う。それなりに長い付き合いなのだ。だからあんなに驚かれるとは思っていなかったので、少し意外であった。


 ◇


 放課後。俺は普段通り新聞部の部室にやって来ていた。俺が部長なのだから、やはりきちんと顔を出さなければならないと思ったからだ。

 ……で、部室に入ったのだが、そこにはムネナガしかいなかった。


「――――あれ、ムネナガだけ?」

「おう、他は各々の用事だ」


 ――そういえば、黒咲は病院、トオルは妹の世話とか言ってたっけ。


「……む」

 では、ほむらは? 彼女だけ、何も聞いていない。どうしたのだろう。


「ムネナガ。ほむら、知らない?」

「あー。あいつなぁ、さっき一瞬来たかと思えば、理由だけ告げてまた走って行っちまった」

「走るほどの理由か――何?」


 能力を使えば記録を読み取れるだろうが、それでは面白くない。やはり直接聞けるのならそれに越したことはないのだ。


「えー、……聞きてえ?」

「ああ。そこまでの事情なんだろ? なら気になるな」

「そーかい、まあこうなったカイは止まらんだろうし言ってしまうか」


 悪く思うなほむら……などと付け足しつつ、ムネナガは若干神妙な顔つきになってこう言った。


「追試だ」

「あぁ、納得」


 それはもう、実にシンプルかつ説得力のある理由だった。




「……で、話ってなんだ」

 椅子に座りお茶をすすりながら、ムネナガは俺に問いかける。


「ああ。話は単純――西洋騎士ナイトミストに遭遇した」

「おお、そりゃよかったな……って、その顔つきから察するに逃げられたか」

「そうだよ。残念ながら」


 肩をすくめてため息を吐く。思考を切り替えたとはいえ、やはり取材できなかったのは悔しい。


「で、俺に助力を乞いたい、と」

「いや、愚痴を聞いてほしいだけ」

「あー? 俺の価値ってそんなもん?」

「いやいや、気兼ねなく愚痴をこぼせる奴なんてムネナガだけだよ」

「あー、そう? じゃあいい。聞いてやる」


 要は本音で話せる友人なのだ、ムネナガは。小学校からの付き合いなので、かれこれ十年の付き合いになる。今年で十一年目だ。だからこそ、お互いの距離感がわかるし、その上で互いの境界線をある程度乗り越えることを許容しあえる。そういう関係だからこそ、己が内に秘めた事柄を吐き出せているのだ。……なお。ムネナガからの話題は、八割方失恋の話である。


「コホン」

 というワケで咳払い。自分の内情をぶちまけるわけであるから、一瞬の猶予が欲しかったのだ。


「俺のプライド的に、アカリちゃんの力を借りたくない。けど、割と打つ手なしなのは否めない。……なんとかなんないものか」

「……それ、俺に問いかけてるわけじゃないんだよな?」


 ムネナガが目を細めて言う。本人に自覚はなさそうだが、かなり怖い顔つきである。


「問いかけてないよ。実質これしか手がないんだ。正直使える手は使っていきたいんだよ。俺の能力が上手く作用していない以上、これがベストなわけだし」

「でも嫌だなーってことなんだな?」

「そういうこと。でもあの霧、記録にノイズを走らせるんだ。だから上手く読み取れないし、昨夜会った時にいたっては、二度会ったんだけど、二度目にはナイフに対して耐性を持っていたんだ。……そうなると、もう俺の力だけでは対処できない」


 興味本位であったが、よもやこれほどまで厄介な相手だとは思わなかった。霧を纏う何者か。これを晴らせるのは恐らく彼女だけだろう。


「なるほどなー。つまりカイ。お前はアカリちゃんが苦手だと言いたいわけだな」

「……認めたくないけど、そうなる。俺の内面まで全部見透かされているようで、どうも苦手だ」


 人のことを言えないのは百も承知だが、それでも苦手なのだからそれは勘弁していただきたい。


「ならよー、なんか別で口実作っちまえばいいんじゃねえ? アカリちゃんに会わせたい人がいるんだけどー……みたいな」


 そんな難しい話をムネナガがする。本当にそれは難しい。大体そんな都合のいい話が――――いや、一つだけあった。


「ありがとう、ムネナガ。いい案が浮かんだ」

「そーかいそーかい、そりゃあよかった。じゃあ今日はもう帰るのか?」

「ああ、そうさせてもらう。取材を再開させたいからな」


 新聞部を早退しておいて言うセリフではなかったが、そこはそれ。最終的に新聞部の記事ネタになってくれればそれでいいのだ。


 ◇


 帰宅する。……リビングにあくびをしながら入ると、なにやらいい匂いがしているのに気が付いた。


「――これは、カレー……!」


 間違いない。これはCurry riceの香り。俺の好物ランキングで常に首位を独占しているステキフードだ。つまり大好物なのだ。故に匂いで間違えることなど有り得ない。有り得ないのだが疑問が一つ。――何故カレーの匂いがしている?


 それに対する答えは一つ――ここにカレーがある。それだけだ。つまりはカレーが調理されたという事実がこの部屋に存在しているということだ。だが俺は作っていない。ということはつまり――――


「風宮さん、ありがとう」


 曇りなき純粋なる心からの感謝の言葉を、俺はキッチンにいる同級生に贈った。

 それはしっかり届いたようで、


「……いいのよ、別に。なんか、その、カレー好きそうだから……晩ごはんぐらい私が作ろうかなって……それだけのことよ」


 思いのほか動揺なさっていた。

 ……だがここで、更なる疑問が浮上する。


「ところで風宮さん」

「ん、なに?」

 鍋の中身をかき混ぜながら、彼女はこちらを見る。


「どうして俺の好物がカレーだと分かったんです?」


 これが本当に謎だ。俺と風宮明美は、ほんの数日前まで接点すらなかった。だというのに何故、彼女は俺の好物を知っているのか。……もしやあのボイスレコーダーに聞いたのだろうか。


 などと、俺が頭の中を謎でいっぱいにしていると、キッチンの風宮明美が笑いだした。ますます謎だ。謎が謎を呼んでいる。このままでは無限ループだ。


「……何を笑っているんですか」

「え? 真顔て! いや、ぶっ! ぶくくくく、いやなんでって言われてもね、くっ、真剣すぎる! 面白いとこあるじゃない神崎君……!」


 などと言いながら笑い転げそうになっている風宮嬢。なんというかひどい。俺が真剣なのがそんなにおかしいのだろうか。真剣で何が悪いというのか。


「……いいから。教えてほしいんですけど」

「え? 笑ってる理由?」


 未だに彼女はひーひー言っている。信じられない。


「そっちじゃない。どうして俺の好物がカレーだと分かったのか、だ」

 敬語を使っているのが馬鹿らしくなってきた。こっちが真剣に考えているのにひどい話である。


「――ふぅ、落ち着いた。……猫かぶってない方が断然いいわね」

「そんなことはどうだっていい。早く教えてくれ」


 風宮明美がようやく落ち着いた。これでやっと謎が解明される。一刻も早くすっきりしたい。


「もー、急にガキっぽくなるわねアンタ。よっぽどカレー好きなのね」


 クソ、まずい流れだ。落ち着かねば。実際俺は、バカにされたり意味もなく焦らされたりするのが苦手なのだ。取材ならいくらでも我慢できるのだが、こういうなんでもないことでそれをされるのは我慢できない。今のように異常に冷静さを欠いてしまう。ここは直さねばならないところだろう。


「……そうだよ、俺はカレーが好きなんだ。でもそれを風宮さんに話したことは一度だってない。だというのにどうしてそのことを知っているんだ」


 包み隠さず、そして落ち着いて疑問点を口にする。すると風宮明美は至極当然であるかのように棚を開け、


「そりゃこんだけカレーが買いだめされてたら、好きなのかなーってなるでしょ」

「それもそうだった」


 大量のカレールウとレトルトカレーを背景に、至極当然と言えることを言った。




「それで、今からどこに行くの?」

 夕食を終え、食器を洗いながら風宮明美が聞いてきた。


「物知りさんのところ」

 洗濯物を畳みながら、俺は答えた。


「……物知りさんって、何よ」

 微妙に棘のある言い方。釈然としなさ過ぎたか。


「情報を渡すと、それに関するヒントを教えてくれる人だ」

「答えじゃないのね」

「ああ。答えじゃない。どうも、答えを言ってしまうと未来が確定してしまうとかなんとかでな、間接的な手助けしかできないみたいなんだ」


 単にヒントを使って奔走する様を見ているのが楽しい……とも呟いていたのだが。


「へえ、そうなんだ。……で、何しに行くの?」

「そりゃあ、西洋騎士と接触するための手がかりを得るためにだよ。風宮さん、リベンジマッチしたくない?」

「あー、そういうこと」


 俺は洗濯物を畳み終える。


「で、どうなんだ」

「そりゃあ――あのポエム野郎には、ひどい目に遭ってるからね。……あの天狗鼻、へし折らなきゃ気が済まないわね」


 彼女も、洗い物を終え、こちらに歩いてくる。


「なら決まりだな」

「ええ。その物知りさんのところに案内して」

「オーケー」


 取材をしたい俺、そしてとにかくすっきりしたい風宮明美。理由はともかくとして、利害は一致した。――ここに、対ポエムナイト同盟が結ばれたのだった。




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