第16話

 ヌーの大きな手で肩を叩かれて、ヴァイオレットはやっと我に返った。突然駆け出してしまったから、追って来たらしい。他にも数人の仲間が集まっていた。

 動こうとしない心をなんとか誤魔化して、彼らに事情を説明する。コードリッカであった出来事。白い紙を残して消えてしまったギイド。ここにいるだろうと信じて、帰って来た事。どうにも言葉が続かなくて、それはひどく冗長で、分かりにくいものになってしまったけれど。

 聞き終えて、ヌーが自慢の豪腕を組み、同じく太い首を傾げる。

「つまりーー旦那がどっか行っちまった、て話か??」

「——……そうじゃないの」

 少し考えてから、ヴァイオレットはうつむきがちに首を横に振る。自分でも上手く呑み込めていない事を説明している気がした。

 事情を察した仲間が二人、ギイドの部屋に入って中を調べ始める。部屋の主がいない間に勝手に入ってあちこち見るなんて——それがギイドの部屋だからなおさら、ヴァイオレットは心の奥がざわつく気がした。しかし、それを注意する気持ちもまた、湧いてこない。

 ぼんやりと、その作業を眺める。

 結論から言えば、そんな心配をする必要がない程、この部屋には何も無かった。

 きれいに整えられた寝台。それは持ち主の性格を考えると不思議ではない。机の上には魔神に関する資料がまとめて置いてあるものの、どの引き出しを開けても、何も入っていなかった。筆記具はもちろん、衣服や下着——そんな普通に生活していれば当たり前に必要になるはずの物までが、無い。

 そもそもギイドは、いろいろな物を自分の影の中にしまって、そこから取り出していた。しかしここまで何もないのは、やはり不自然だった。

 そしてその代わりのように、特に隠すでもなく、最後に開けた箪笥の一番下の引き出しに、水晶の塊が入っていた。滑らかに削り出されているわけではない、岩がこびり付いたままの、少し濁りのある原石だ。

 渡されたヴァイオレットには、直ぐに何の為の物なのか、分かった。

 その水晶は、魔法で使う媒介だ。例えばどこか遠くの場所からこの水晶を中継にして、白い紙の人形に魔力を吹き込み、形を持たせて操るのに使うような。

 ヴァイオレットの中で往生際悪く認めようとしなかった部分が、疑いようのない証拠を目にして言いくるめられてしまう。

「わたしたちがずっと接していたギイド様は——幻だった……」

 自分の声が、遠く聞こえた。



「ここじゃ話がしにくい。

 他の連中にも聞かせた方がいいんじゃねえか」

 そう言うヌーの提案で、とにかくも場所を居間に移した。

 呼び掛けられて集まったのは、十五人ほど。現在この一味に所属しているのは恐らくこれで全員だろう。はっきりと分からないのは、誰かが管理しているわけではないからで、また、いつも決まった顔ぶれがいるわけでもないからだった。その時々により新しい者が加わったり、いつの間にか抜けたりしている。「組織」というにはあまりにもいい加減な有り様なのが、〈ここ〉らしさだった。

 一通り事情を聞いた面々が、ざわざわする。

 ヴァイオレットはその中心にいて、ぼんやりと話を聞いていた。膝の上には水晶がある。ギイドの魔力が残る、水晶だ。菫色の瞳をそれに落として、白い指先で意味なくなぞる。なんとなく手放せないでいた。

「じゃあ、あの人は本物じゃなかったってことか?」

 戸惑いの色濃く、一人がみんなを代表するように疑問を口にした。それを呼び水に、何人かが言葉を重ねる。

「ここにはもう、帰ってこない?」「なら、どこに行ったんだよ」「ていうか、本当はどこのだれなんだって話だろ」「俺たち、騙されてたのか?」

「——裏切られたんだよ」

 ふてくされたような強い言葉に、ヴァイオレットは肩を震わせた。水晶を手の中に握り込む。

 事態が呑み込めず、いったいなんなのかとただ声を上げていた面々も、その言葉に静まりかえった。

「だってそうだろ。誰も知らなかった。ずっと騙してたんだ。その上、俺たちに一言もなく消えた。逃げたんだ。これが裏切り以外のなんだ」

「——コードリッカで失敗したから?」

 別の一人が探るように言った。

「そういうことかも」

「大事件になって、でも上手く行かなかったから」「そういうの、全部俺たちになすり付けようとしてるんだ」「なんだそれ」

「結局、そういうヤツだったんだろ」

「俺たちには大事なコトなんにも話さなかったし」「こき使うだけこき使ってな!」「そのくせ重要なトコは自分でやってたっけ」「何だと思ってんだ」

「単に、信用してなかったってことだ」

 口々に罵り始める。他の何人もがそれに同意する。

 険悪な空気が満たす中、

 ヴァイオレットの口から言葉がこぼれ落ちていた。

「————ちがう……」

「何が違うって」

 トゲのある声が、直ぐにヴァイオレットにも向けられた。彼らの声はずっと耳に入っている。ヴァイオレットは膝の上に視線を落としたまま、続けた。

「ちがう——ううん、そうなの。

 そうだけど、そうじゃない」

 黒髪を揺らして首を振り、己の言葉を否定する。何を言っているのか、自分でも分からない。頭に思い浮かぶままを口にしていた。言わずにはいられなかった。

「だってあの方は、何も信じない——」

 それが全てだ。そんなのは、はじめから分かっていたはず。

「騙すも、裏切るもない。

 そもそもそういう関係じゃないもの。

 あの方は誰も信用しないんだから。

 信用しない代わりに、誰の信用も求めなかった。

 みんな勝手について来ただけ」

 だから裏切られたと感じるのは、筋違いだ。

 ヴァイオレットは顔を上げた。自分に言い含めるように言葉を紡ぐうちに、声に力が戻るのを感じた。

 ヴァイオレットがこの一味に加入してから、まだ一年も経っていない。だから結成当初の事情は、聞きかじった程度しか知らない。

 ギイドは始め、人手を必要としていただけだったらしい。自分の目的があって、計画があって、一人では無理そうだったからならず者を集めた。資金や資料を集める為に、強盗やなんかを働いていたそうだ。

 それはその場かぎりの仲間で、仕事が終われば分け前を渡して直ぐに解散していた。ところが、ギイドの技量なのか人柄なのかを気に入って、側に居座る者が現れ始めた。いつしかそんな人間が増えて、一つの組織のようになり始めて、そして現在のこの場所を本拠として活動するようになった。それもほんの三年ほど前の事なのだとか。

「もしかしたらこの〈家〉も、ギイド様にとっては財宝を隠しておくための場所でしかなかったのかもしれない。より遠くに自分の人形を作るための、中継点でしかなかったのかも……」

 いつからそうだったのかまでは、分からないけれど——。

 ヴァイオレットはうなずいた。

 そして今度はしっかりと口にする。

「わたしたちは別に、裏切られたわけじゃない」

 それに、ヴァイオレットの手の中にある水晶には、まだギイドの魔力が残っていた。今は他に思い付いた事があって、そちらを先に片付けているからここに姿を見せないだけで、また戻ってくる気持ちがあるのかもしれない。そんな風にも、思う。

「そんなのは屁理屈だ」

 一人が言って、さっさと立ち上がった。見上げれば、彼の表情は怒っているようなのに、ひどく冷めた目をしていた。

「切り捨てられたのには違いない」

「…………」

 それだけ言って、部屋を出て行く。

 ヴァイオレットの言葉に息を詰めたように静まっていた室内が、再びざわついた。

「……確かに、そうだよな」「今いない、てことは……いらない、てことだろ」

「結局、正体は分からないんだし」「そんなヤツ、気持ち悪ィよ」「付き合いきれねえ」

 一人、また一人とまばらに出て行く。

 ここにいるのは普通の生活が出来なかったはみ出し者や、世間に顔向けできない犯罪者ばかりなので、仲間内にさえ素性を明かしていない者が多い。そんな無法者たちにしても——そんな彼らだからこそ、生身ではない、紙一枚の魔法でできた幻影というのは、気味悪く感じるようだった。

 仲間だった人たちの言う厳しい言葉。それがいちいち胸を刺す。そんな自分が、ヴァイオレットはひどく情けなかった。堪らない。

 感情的に去る者がいる一方で、ずっと難しい顔で話の流れを聞いていた者たちもまた、立ち去り始めた。

「悪いが抜ける。どっちにしろ確かな頭がいないんじゃ、組織として成り立たないだろ」

「そんなところに長居しても、意味ないからな」

 そう言う彼らは、ここに盗賊団のようなものとしての体裁を求めていたのだろう。組織の中に身を置くことで、日々の糧や庇護を得ようと考えていたのだ。

 最後には、単純に日が浅く未練のない者も去っていく。

 ヴァイオレットは彼らをただ見送った。ここに居るのも個人の意志なら、ここを去るのも個人の自由でしかない。ここは、そういう集まり。ヴァイオレットは彼らを束ねなければならない立場ではないし、ここにいる誰もがそうなのだ。

 ばらばらといなくなる。

 残ったのは、半分以下だった。




     ▽ ▽ ▽


「で、これからどうするよ」

「これから……?」

 不意にヌーに問い掛けられ、ヴァイオレットは小さく首を傾げた。

 ヌーはここに根城を定める前からギイドにつきまとっていた一人だ。どっしりと椅子に腰を下ろしたまま、出て行く気は微塵も無いらしかった。

 他の人はどうなのだろう。

 ヴァイオレットは残った人物を一人一人見渡した。薄暗い室内で、なんとなく居心地悪そうにしているのは、他に行く宛がなくて残ったからか。未だ戸惑いと不安を露わにして、どうしていいか分からない、直ぐには決められない、といった顔もある。

「オレたちはバカだから。

 嬢ちゃん決めていいぞ」

「これから……——」

 ——ギイド様を探しに行く。

 真っ先に思い浮かんだそれは、口にできなかった。喉に息が詰まったような心地がする。

 本当に気軽に言って、しかも思考を丸投げに待つヌーを改めて見て、ヴァイオレットは菫の瞳で二度瞬きしてから考えた。

 他に何ができるだろう……。

 視線を少し下、明かりや持ってきた資料の乗る、雑多な卓の上に据える。まとまらないまま、口を開いた。

「ギイド様はいないけど……。あの方が、一度失敗したくらいで諦めるとは思えないの」

「おう。だな」

 周りで聞いている面々も、同意してうなずく。

 コードリッカの魔神は復活させられた。けれども面倒な人や思い掛けない人に阻まれて、上手く行かず、ギイドは斬られて消えてしまった。魔神も再び封印された。だからあれは失敗。でもギイドは、そんな些細な事で信念を曲げない。上手く行っていた時だって、もう次の事を見据えていたくらいなのだ。

 世界を滅ぼせるような力は、〈魔神〉以外には考えにくい。きっと今もどこかで、その手掛かりを求めて動いているだろう。

 あの方が諦めないのなら——、

「わたしはそれを手伝いたい。今まで通り、少しでもお役に立ちたい。

 魔神の鍵とか、封印の在処とか——。まだ掴めていないこと、いっぱいあるでしょう。だから、そういうのを、もっと調べておくのはどう、かしら……?」

「いいんじゃねえか」

 帰ってくるかどうかも分からないのに。

 ヌーは至極簡単に——絶対に何も考えていない様子でうなずいた。それから首を傾げる。

「しかしその手のことは、全部旦那任せだったからなあ」

「おれたちなんも知らねーよー」

「言われたとおり盗って、襲って……」

 ヌーの後ろから、大きな背中にのし掛かるようにして真鍮色の頭が顔を出す。にやけた孔雀石色の瞳、弛んだ口元。ヌー以上に何も考えていなさそうな男は、チャボだ。

 その後に続いて、脇の椅子に腰を下ろしたのはハッカ。聞き取りにくいようなぼそぼそした声で言う。ほったらかしに伸ばした銀の髪の下にある表情は、いつもほとんど変化が無く、何を思っているのか読み取れない。

 ヴァイオレットはうなずいて、持ったままだった水晶を置き、代わりにギイドの部屋にあった資料の束を手にした。

「それはわたしが。

 これを見て、考えてみる。

 少し、時間は掛かるかもしれないけれど……」

 ギイドの考えや見ている世界が知りたくて、そして少しでも助けになれればと思って、ヴァイオレットも神話や魔神を調べてみたことがある。だから普通の人よりは詳しいつもりだ。この資料だって、読み解けないということも、ないだろうとは思う。けれどそこから手掛かりを探すとか、みんなに指示を出すとなると、話は別で——。

 そういう意味では、ヴァイオレットも完全に、ギイドに頼りきりになっていた一人だった。以前なら、とにかくギイドのやる事に従って、言われるままついて行けばいいと思っていた。だから、それがどういう意味を持つ行動なのか、あえて考えてみもしなかったのだ。

 ……わたしに、できるだろうか……。

 また不安が顔を出す。

 黒髪を大きく揺らして、頭を横に振り、考えを払い除ける。ひとつ、うなずいた。

「とにかく、やってみる」

 今はそれしか言えない。

 するとそこへ翼の音がして、頭上から鳥が降ってきた。卓の上にある、魔法の明かりが灯された角灯の横へ着地する。ぱかりと嘴を開いて「ジェー」と一言。

『そういうことなら、私の知識を提供してもいいぞ』

 ヴァイオレットは瞬きする。

 すっかり存在を忘れていた、アルグだ。

 どこにいたのかと思えば、部屋の内にある、背の高い食器棚——中身は食器の他、大部分が酒やツマミ、それから物騒な物の数々——の上で、一部始終様子を窺っていたらしい。

 他の面々も驚いた顔で、卓の上に現れた異様な存在感を放つ赤い鳥を見た。

「なんだあ、こいつ。どっから入った?」

 ヌーが巨体を乗り出す。

「——鳥だね」

「鳥とはいえ余所者よそもんだ。迷い込んだ余所者の末路は、みんな同じだ。

 捕まえて食おう!」

「今日のゴハンは焼き鳥だ!」

 大きな手の平を突き出して、鳥の首根っこを狙う。無人島に住む彼らにとって、「余所者」とは根城に入り込んでしまった野生動物のことだ。

『またか!』

 アルグは「ぎゃっ!」と鳴いて嘴で応戦しつつ、舞い上がった。三人掛かりなので退き下がったところを回り込まれ、それも危うくかわして天井まで飛ぶ。隅へ行けば、さすがの大男も届かない。

 慌ててヴァイオレットが割って入った。

「待って待って!

 そのトリは食べちゃダメ」

 正直、夕ご飯に食べたいモノでもない。

 ハッカが首だけで振り返る。

「——ヴァイオレットさんの鳥?」

「ち、ちがうっ!

 でも食べないで。いちおう人間だから」

「「??」」

 さらに他の二人も動きを止めて、振り返る。その顔にはありありと疑問が浮かんでいた。

 ヴァイオレットは長く息を吐いて自分を落ち着かせ、それから説明した。

「呪いでそんな姿にさせられているけれど、元は人間の魔法使いなの。アマランジル・アルグカヌク。『賢者』と呼ばれた魔法使いよ。知らない?」

 黙っているのもどうかと思ったので、思い切って名前も言う。その名前を聞いて、横で見ていた何人かが息を呑むのが分かった。こんなところでも、やはりアルグの名前は絶大な意味を持つらしい。しかし——。

「アマ……なに?」

「知らん!」

 チャボが首を傾げ、ヌーが腕を組んで威張る。呆れたハッカがもそもそと付け加えた。

「アマランジル・アルグカヌク。世界三大悪党の一人。魔法院に睨まれてて、指名手配中。

 ていうか二人共。こんな有名人知らないで、よくこの業界でやってられるね」

「へぇー、すごい人なんだ。

 それって、すごいんだよな?」

「三大悪党て言ったら、あの帝王と並ぶんだぞ。そりゃすげえよ。

 おい! すげえヤツなんだなあ、トリ!」

『……そんな本物の大悪党と一緒にされたくはないが。それとは別に、なんだかバカにされている気分だぞ』

 ——ギイドの目的を阻んだ張本人だというのは、言わない方がいいのだろうか……。

 ヴァイオレットはそのやり取りの外でまじめに考える。

 「賢者」がかぎ回っていて鬱陶しいとは、以前にギイド本人が言っていた気がする。それに気付かない方が微妙なのではないか。これ以上面倒が増えたら手に負えない——。

 ヴァイオレットは話を続けることにした。

 未だ警戒しつつ、それでも卓の上に戻ったアルグに向き直る。

「協力してくれるの?」

『うむ。ギイドが不在で来た甲斐がない。コードリッカで新たに仕入れた情報があるから、検証できれば私としても好都合だ』

「……なんだか、怪しいけれど?」

 このトリは口が旨い。こちらの人手を利用するだけ利用して、手柄だけかすめ取る気かもしれない。

「おお! 鳥としゃべっとる!」

「魔法使いって、べんりぃーー」

 まじめな話をしているのに……。

 ヴァイオレットの力が抜けそうになる。

 アルグは気にせず嘴を上下に振った。

『信用が無いのは重々承知だ。

 とりあえずそっちの資料を優先して、気が向いた時にでも私は構わない。動く事典だとでも思って、便利に使ってくれていいぞ』

 というより、その資料を私も見たいのだが——と言う。

 つきまとう気ではいるらしい。短い時間ではあるものの、このトリの強引さは充分に学んだつもりだ。

 ヴァイオレットは考えるのを止めた。

 ため息を吐く。

 なんだか疲れてしまった。

「……もう、いいわ。好きにすればいい。

 とにかくわたしは、これを読まないといけないから。もう、行くね」

「手伝おうか?」

 立ち上がったところで、そう言ってくれたのはハッカだった。ヴァイオレットは首を静かに横に振る。

「ありがとう。でも大丈夫。

 これくらい、一人でできるから」

 言葉にしたら腹が決まった。

 ヴァイオレットは手の中の資料と向き直る。

 やらなければならない。

 これが今、わたしにできること。

 気を持ち直して、私室へ向かった。

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