決意

 冷たいものが頭のほうで優しく触れるのが分かって、ハヤテは目を開いた。澄んだ瞳と合った。

「……くん、ハヤテくん、」

「マユミ、ちゃん」

 意識が完全に戻った。起きてみると、そこはアパートの自分たちの部屋で、隣にはショウとダイチが横になっていた。マユミが三人の額に冷やしたタオルを乗せて看ていたらしい。

 パンドラが奥の部屋から出てきて、ハヤテを一瞥いちべつしてまた去った。その動作で、河原に倒れていたはずの自分たちが、パンドラの能力によってここまで運ばれたことを理解した。


「あ、ありがとう、看てくれて」

「本当にびっくりしたわ。三人とも、暑さにやられて倒れてるなんて」


 マユミはまだ寝ている二人のタオルを取り替えながら話を続ける。ハヤテはその動作を見つめながら、さっき声だけで体感した魔神の強さを思い返した。

 あれだけ怖さを見せつける部下をしたがえたり、壁のような厚みや、重みを音だけで与えてくる魔神。十年、いや百年、もっと修行しても、差は歴然と見えていた。そんな魔神と自分たちはまともに戦えるのだろうか。ましてや今、こんなに恐怖を抱いている時に……。


「ねえ、ハヤテ君、――何があったの?」


 マユミの声が急に耳に入った。また瞳が合った。彼女の瞳は、本当にきれいで、見ているだけで不安も、怖れもやわらかく取り払われてゆくようだった。


「何がって――暑さで――」

「思い過しかもしれないけど、……もっと怖いことでもあったんじゃないかって感じたから」


「……怖い、こと?」


 ハヤテは心の内を読まれた感覚になって、その驚きも一度まばたきをして隠そうとした。しかしマユミの瞳はハヤテをとらえ続けていた。ふと、少し前の出来事を思い出した。





 ハヤテにとっては三年前になる。自分が魔界で魔法使いの修行を始めた頃。


 魔法をより多く修得する為には、それを集積する精神能力メンタル・キャパシティが必要である、と魔導師ジンとユシトは毎日のように言っていた。

『いいかハヤテ、精神能力メンタルをどれだけ増やせるかが魔法修得の全てだ。

 もちろん、わしの作る杖にも出来不出来はあるが、魔法使いのキャパシティでそれはカバーすることができる。

 炎や雷の精霊が得意としている攻撃魔法は「暗黒魔界王サタン」が頂点に立ち司っている。扱いこなすには「知性・理性カリスマ」の能力が必要だ。

 また、風や聖光の精霊が得意な、防御や治癒の魔法は、自身が聖光の精霊でもある「聖女ホーリィ」が司っている。こちらには「優しさ・愛情ハート」が必要になるんだ』

『だからジンのようながさつな男どもはどかどか火の玉をぶちまけて、あたしのような繊細な女性は優しい魔法をよく使うってのが解るだろ』

 ジンとユシトは、冗談を混ぜながらハヤテに教える。


『キャパシティはどう増やすか。まず、自己で訓練を怠らぬことだ。を持つ自分自身がある程度力を持たなくてはならん。杖に頼らず、必ず自分を鍛えること』


『そして、たくさんの世界を見つめ、体感すること。今はあたしたちで十分だろうけど、いずれもっと広くて魅力ある世界を指先で転がしてるようなやつに出会う……出会わなくちゃならない。そいつらの世界に触れるんだ。自分の知らない世界を見るんだ……


「どうすれば、その人に会えるんですか」って?……ははは、人に出会うことも、その人がどんな世界を持っているか解るのも、みんなだ。他になんて言葉を使うこともある。


 だから、まずは広い心の視野を持たなくちゃならない。そして、出会ってゆく者のなかで、「こいつだ!」と思ったら、恐れずにそいつの世界に入っていくんだ。自分で決めたこと、あとでやばくなっても己で片付けちまえばいいさ。な、ジン』


『おまえは……昔っから……』

 少し口の悪い老婆(といっても魔界ではミセスくらい)と、その師のやりとりは、聞いていて飽きなかったし、何より重要な知識を漏らさず覚えられた。



 ほんの数秒、意識を旅させて、再びマユミの前に戻ってきた。やはり瞳は合ったままだ。

 はっとハヤテは、マユミに何か能力ちからがあると、自分より広い世界を持っていると確信した。初めて澄んだ瞳を見た時、この人なら、ユシトが言っていたように自分を試すことができる、と……。


 ハヤテは真剣なまなざしをマユミに向けた。


「君なら……信じてくれる……僕らは……」


 ハヤテは自分たちに今まで起こったことをすベて話し始めた。




 マユミは一つ一つ丁寧に聞き届け、その途中もけして驚いたりしなかった。澄んだ瞳には、何が巡っていたのかは、ハヤテにはわからなかった。

「ちょっと、用事を思い出したから、帰るね」

 話が終わって、マユミは静かに部屋を出ていった。その後すぐにショウとダイチを起こして、ハヤテはマユミに「話した」と告げた。もちろん二人がすぐに納得するわけがない。


「もうあの子は来ない! 誰がそんな話を信じるんだ?!」

「でも、でもあの子は違うと思うんだ、マユミちゃんは……あの瞳は、」

「ハヤテはすぐ直感で信じるから困る!」

「……、」

「もうどうしようもないだろう? ショウもがたがた言うのはやめて、次に僕らがすべきことを考えないと」

「何だと? こっちの問題が先だろ?」

「僕らには、使命があるんだから――」

「やめてよ二人とも!」

「自分を見失ってどうするんですか!」

 乾きかけた空気を切り裂いたのはパンドラだった。奥の部屋から出てきたのだ。

「ただ一度魔神の部下に不意をつかれただけで、まだ負けを認めては何にもなりませんよ! これを教訓にしなければ!」

 三人は黙り込んだ。


「そして、ハヤテ、マユミに言いましたね」

 ハヤテがパンドラを見た。しかし、自信のあるまなざしを向けていた。パンドラも怒りはしなかった。

「彼女は、我々の味方になるでしょう――だからハヤテが話す時も、止めませんでした」

「どうして?!」

 ショウの反論をパンドラは尻尾を畳に叩き付けた音で止めた。

「パンドラも、マユミちゃんを信用したいということなんですね」

「そうですダイチ。

 私も最初は不安でした。……確かに魔神を倒すという使命は一刻も早く達成せねばなりません。ですが、我々は焦り過ぎていました。先刻さっきのヴェダル=ベータとの戦いでも、落ち着けば回避の方法くらいはいくらでもあったのはずです』


 パンドラの言葉は何かをなくしていた三人にとっては痛いものだった。

「でも、今度は大丈夫ですね」


 部屋の呼び鈴が鳴った。

「誰か、ドアを開けてちょうだい。少し早いけど、ご飯にしよう。お鍋、持って来たよ」

 マユミの声は今までと全く変わりがなかった。三人(と一匹)は、足りなかった強さを見つけられた、と感じた。

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