第2話 会社と部屋と私

 月曜日、6時に起床してバタバタと準備をする。朝食はやる気があれば用意するが、大体はバナナとかヨーグルトで済ますか、あるいは食べないことも多い。早起きし、オフィス近くの朝早くからやっているオシャレなカフェで、新聞読みながらカフェラテを飲むといったカッコいい社会人に憧れた時期もあったが、今は1分でも多く寝ていたい。

 家を出て、おなじみの満員電車に乗る。漫画のような電車での出会いなんかも若手のころはほのかに期待したものだが、現実はそんなに甘くないことをすぐに思い知った。せいぜい痴漢リスクを軽減するために女の人の近くに寄る技術を得たくらいだ。

 電車を降り、数年前に新しく建てた、金融街と呼ばれる街にあるオシャレなオフィスビルに着く。この新しいオフィスで働けていることだけは、この会社に入って働き続けて得た唯一といっていいくらいの自慢事かもしれない。

 エレベーターに乗り、途中の階から乗り込んできた自分より若い女の子をふと見る。お化粧はバッチリで、髪型と服装にも気合を感じる。偉いな、と小さくため息をつく。自分はというと、もはや会社にオシャレをしていく気力も減って、毎日無難な服装で出社する毎日だ。

「おはようございます」

 自分より早く出社している数人の先輩に挨拶をし、机に座る。パソコンを開き、今日の仕事を確認し、一つ一つをこなしていく。

 こうして、すごく楽しいこともないけれど、すごく大変でも死ぬほど辛くもない、無難な一週間が始まった。

 お昼ごはんをいつも通り社食で済ませ、午前の続きとして取引先との電話対応と社内の雑務を遂行していたら気付くと定時を過ぎていた。けれど定時で帰れる日なんて年に一度あるかないかで、年間で労働基準法に違反しないぎりぎりのラインまでの残業時間に抑えることが毎年の目標だ。

 今日は遅くとも20時には帰ろう、そう自分の中だけで弱く意思表示し、もうひと踏ん張りするためにコーヒーを買いに行こうと席を立つ。そしてそういうときに限って電話が鳴る。

 なんで立ち上がったタイミングで電話って鳴るんだろう。誰かに監視されてるのかな。

 そんなありえないことを考えながら電話に出る。

「はい、法人営業第二部の石野です。」

「トレードファイナンス部の井野田です。」

「えっ、みこ?」

「ゆみ久しぶりー!元気?」

「元気だよー!どうしたの?ロンドンって今、朝じゃない?」

 同期で一番仲の良い、2年前からロンドン勤務をしている井野田美子からの電話だ。彼女とは1年目の研修からすぐに意気投合し、それぞれ別の部に配属となった後も、会社の愚痴をお互いで発散して支え合ってきた戦友だ。彼女がいなかったら自分はもう早々にこの会社を辞めていただろう。そのくらい恩義に感じているし、彼女が同じ会社で同期でいてくれることに何度も感謝した。

「そうそう、さっき出社したとこー。ごめんね突然。今ちょっと大丈夫?」

「うん、全然大丈夫!でもどうしたの?携帯じゃなくて会社の電話なんて珍しいね。」

 彼女がロンドンへ行ってからは、時差もあるので主に携帯のメールで生存確認していた。といっても、何かしら理由をつけては日本にちょくちょく帰ってきている彼女とは帰国するたびに遊んでいたため、そこまで久しぶり感はないのだが。

「そうなの、ちょっと仕事の話で聞きたいことあって。」

「なんだ、結婚報告かと思った。」

「そんなの余計会社の電話ではしないでしょ!」

「ははっ確かに。ごめんごめん、で?」

 近況を少し探ってみたつもりだったが、軽やかにかわされた。そもそも、彼女は昔から自分の恋愛話をあまり話したがらないため、彼女との間の恋バナといえば自分の相談に乗ってもらっていたのが主だった。だから自分の恋愛遍歴については彼女はよく知っており、もし今後結婚となったら色々と口裏を合わせとかなければならないと思うことも、ないこともない。

「ありがとう!すごいよくわかった。今日その件で取引先のとこ行くから、うまくいったら今度日本帰ったときご飯おごるねー!」

「いいよそんなの!でも帰ってきたらまたご飯か、夢の国行こうね。」

「夢の国行きたい!また四人で、あ、でも亜希はお子さん産まれるからしばらく無理かー」

 彼女と自分を含め、1年目からよく遊んでいた同期の仲良し女子4人組の内の吉本亜希は、数年前に同期同士で結婚し、現在妊娠中だ。4人もいれば四者四様で、一般的な目線に当てはめれば、吉本亜紀が最も順調な人生を歩んでいると言える。

 もう一人の梶山由貴も数か月前に結婚したが、お相手のご両親がなかなかの強敵で、結婚するまでの苦労話をよくネタにして面白おかしく話してくれた。結婚してからの話は、聞くと壮絶な嫁姑戦争なのだが、あっけらかんとした性格の本人からは悩んでいるそぶりが見えないため、何事も自分の受け取り方次第なのだなと勉強になると共に、彼女の強さが心底羨ましい。

「そっか、じゃあとりあえずご飯だね!赤ちゃんも見に行こう!」

 そう言って、仕事2割、プライベート8割の電話を切った。

 その後、コーヒーを買いに行くことも忘れ、黙々とパソコンに向かい、自分の中の目標だった20時を大分過ぎたところで会社を出た。

 朝と逆回りに行動し、家の手前のコンビニに寄っておでんを買い、帰宅する。

 3年前に、5年間住むと追い出されるという不思議な規則に則り、場所も建物も気に入っていた寮を泣く泣く出た。学生時代と社会人の最初の何年間は実家から通っていために、初めて自分で家を選ぶというわくわくイベントを経て決めた、少し駅からは遠いもののそこそこ好きな街で、セキュリティもそこそこ、オシャレ度合もそこそこ、家賃もそこそこという、そこそこマンション。そこそこ気に入り、特に不便も感じないまま居心地の良い独り身の居住空間を作り出してしまった。

 一人暮らしを始めた数年前に母親に言われた、

「一人暮らしの部屋に力を入れちゃだめよ。居心地よくなったらずっと独身なんだから。」

 という言葉が今、強く心に刺さる。

 お母さん、居心地良くなっちゃったよ。なんだかごめん。

 そこそこマンションで一人、コンビニおでんを食べながら、特に面白いとも思わないテレビを見て、そこまで遠くない実家で既に眠っているであろう母を想う。

 未婚の女子としてどうなんだろうとも思うし、これもこれでありかな、とも思う。

 最近はまっているアーティストの曲を聴きながら、週初の夜は更けた。

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