逃避行――愛すべき小鳥は自由を求めて飛び立った

過ぎ去った時代にどこか似ている遠い架空の未来で、
架空の大陸を舞台とする壮大な歴史叙事詩が幕を上げる。

塔のような蟻の巣のような独特な構造を持つ都市、ブランカ。
そこに住まう「スピリチュアル」の中でも、
少女カナリエルは特に美しく聡明だと評判で、
まっすぐな心根は誰からでも愛されている。

彼女は婚姻を控えていた。
婚約者もまた、誰もが認める優秀な青年、ロッシュ。
下層出身で、標準よりも華奢な体格のロッシュだが、
理想の高さは一種の野心にさえ見えるほどだ。

カナリエルとて、ロッシュのことは嫌いではない。
でも――。

そしてスタートする、カナリエルの逃避行。
急展開に次ぐ急展開を重ねながら、
何かがひずんでどこかが危うい世界観が語られてゆく。
大陸の歴史は今、大いなる転換点に差し掛かっている。

ホモ・サピエンスに該当する「フィジカル」と、
優性種として彼らを支配する「スピリチュアル」。
両者の対比、種としての差異、対立感情、戦史と、
両者が触れ合って助け合うカナリエルの旅路。

カナリエルの両親は、
スピリチュアルの帝国像を象徴する。
神秘的で且つ機能的な「生命回廊」と、
それを預かる、聡明なる母ミランディア。
戦場におけるカリスマ性から皇帝に選任された、
娘を溺愛する父オルダイン。

軍人、シスター、文官たちが
それぞれの信ずるもののために奔走し、暗躍する。
これから起こるのは改革か、陰謀か。
訪れるのは帝国下の平和か、分裂と混乱の時代か。

鳥籠から飛び出したカナリエルの逃走劇に、
共に命を懸けてくれる仲間がいる。
腕の立つ傭兵のゴドフロアと、器用な商人のステファン。
ちぐはぐな3人を結び付けるのは、
ミランディアに託された「カプセルの中の子ども」だった。

カナリエルと子どもに特別な感情をいだく男たちが、
それぞれに魅力を持っていてカッコいい。

プライドの高い優等生でいけ好かなかったロッシュが、
自分の脆さや仲間の存在に気付いていく過程には、
素直に好感が持てる。

一見チャラくて頼りなげなステファンが、
実はかなり機転が利いて有能だというギャップには、
「おっ」と思った。

でも、何だかんだ言ってもやっぱり、
むさ苦しくて少し口が悪くて筋肉ダルマでイケメンじゃない、
ゴドフロアがいちばんダントツでカッコいい。

始まったばかりのカナリエルの自由の旅路には、
衝撃的な結末が用意されていた。
それこそは、真の主人公であるマチウへと
物語が引き継がれていく伏線なのだろう。

続きが気になって仕方がない。
この架空の歴史叙事詩が、すごく好きだ。

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2016年現在、小説を公開することは20年前より簡単になった。
でも、小説を書くことの難しさは何ひとつ変わらない。

公開するだけで読まれてファンがつくと思っている書き手、
星の数やランキングについて愚痴るばかりの書き手、
本気でうまくなりたくて活動している書き手、
どなたにでも『純真なマチウ』を読んでいただきたい。

小説を書くことは、一つの世界を創ることで、
それがどんなに難しくて苦しくて楽しいことなのか、
感じ取れると思う。
重厚なほどに作り込まれた世界観は、
ウェブ小説として読むには難解かもしれない。
それでも、きちんと向き合って読んでいただきたい。

松枝先生の20年前の作品に感動した経験があって、
文庫本ではなくタブレットで読む小説に、
今また夢中になっている。
この出会いは、少し不思議でとても嬉しい。

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