第五部 エピローグ

 レブにブドウ酒を飲ませて一週間。今日もブドウを買いにルナおばさんに会いに行っていた。今回はチコとフジタカも一緒。

 「いつものをください」

 「リンゴ二つ」

 「はーい!いつもありがとうね!」

 私とチコでコインを手渡し、果物はそれぞれのインヴィタドが持つ。

 「あーぁ、もう少ししないと皮むきもできないんだよな、お前」

 今日はティラドルさんではなくフジタカにレブとの訓練に付き合ってもらった。チコも何度もスライムを的代わりに出していたからか空腹で仕方ないみたい。

 「食堂に行けば果物ナイフの一本や二本転がってるだろ?それでいいじゃん」

 「あの食堂のおっさん、栄養を考えて作ってるんだから間食は止せとか言いそうだろ?」

 「まぁそうだなぁ」

 ブドウ酒を作った時は人へ渡すから、と言って保管を許可してもらったんだ。好きな食べ物を買い食いするなら外で済ませって言いそうなのは分かるかも。

 「うむ」

 既にレブは歩きながらブドウを一粒ずつ楽しんでいた。相変わらず疲れている様子は見えない。ティラドルさんとの訓練ぐらいでないと運動も満足にできていなかったのかな、と最近思う様になっていた。

 「なぁ、チコ。ここんとこ所長とよく廊下ですれ違うんだけど何か聞いてないか?やたらバタバタしてるっつーかさ」

 「俺が知る訳ないだろ。興味ないし」

 夕陽が建物に隠れて影が伸びる。町にぽつぽつ灯りが点き始めるとその影は少しずつ和らいで通行人を導く。雑談をしながら私達はトロノ支所への道を歩いていた。

 「そう言えばソニアさんもたまに見るよね?」

 「新たな召喚陣がどうの、とティラが言っていたな」

 チコもレブも、もう少し周りに興味を持った方が良いんじゃないのかな……。レブはだいたい覚えていたみたいだけど。

 「新しい召喚陣、って異世界との繋がり?それとも……また何か呼び出すの?」

 「ティラがいるあの女に代わりのインヴィタドの入用は無いと思うが」

 そうだよね……。じゃあ今まで繋がっていなかった世界を新しく覗いてみる方が可能性は高いかな。召喚試験士の先生は特に何も言っていなかったと思う。

 「困るんだよなぁ、そういうの。勝手にされるとね」

 「えっ?」

 そこで、建物と建物の間から私達の会話を聞いていた様な口振りで声がした。私が顔を向けると、隙間の影から人が現れる。

 「え、っ……え……」

 「こんばんは」

 出てきた人の姿に私は言葉を失った。レブとチコも愕然とし、フジタカに至っては唸り声を上げる。

 長い前髪を垂らして目を覆い、色白の肌から覗く貼り付けた様な笑み。その姿を見ただけで私はガクガクと震え上がった。寒気が止まらない。

 「お前ぇ……!」

 どう見てもあの日、フジタカが剣を刺した筈の相手。ベルトランがそこに同じ笑顔で立っていた。フジタカはすかさずにナイフを取り出すが彼は口元に人差し指を立てた。

 「怖い顔をしないでよ、こんな場所でさ」

 立てた指を撫でる様に周囲へ向ける。町中で騒いで厄介なのは君達もでしょ、と言っているんだ……。

 「静かな所へ行こうよ、フジタカ、ザナ、レブ。……まさか、来ないなんて言わないよね?」

 全員で一度顔を見合わせたが言葉が出てこない。トロノの中でレブやフジタカを戦わせるなんてできなかった。でも、このまま彼を放置して見逃すなんて事も絶対に、召喚士として許せない。

 「……行こう」

 こちらに迷いなく背中を向けて歩き出したベルトランへ最初に続いたのはフジタカだった。見ているのは隙だらけの背中。だけどそこにナイフも爪も、魔法も突き込めない。相手がどう出るか想像もつかないから。

 問答無用で殺さないといけない相手と所長は言うのかもしれない。だけど迂闊に何かしたら返り討ちに合う危険性だってあった。

 トロノから離れ、アーンクラに向かう街道の入り口に差し掛かったところで彼はこちらを向いた。不思議と笑っていない。フジタカはナイフを展開した。

 「……なんでお前がここにいる」

 「知った口を利かないで欲しい。自己紹介する時間くらいはあるだろう?」

 言って、目の前の青年はこちらに頭を下げた。その姿にフジタカもナイフの切っ先をほんの少し下げた。話が見えない。

 「はじめまして。俺はベルナルド・ルシエンテス」

 頭を上げて星空に照らされて見えた彼はどう見てもベルトランと同じ顔だった。だけど名前が違う。

 「想像通り、フエンテの召喚士さ。君が殺したベルトランは恥ずかしながら俺の双子の弟になる」

 「双子……」

 「弟……?」

 ベルトランという名前が記憶にこびり付いているなかで目の前の青年が出した単語に私達は別人とどこかで受け入れ始める。確かに喋り方は違うし、態度も人を嘲笑ってはいない。

 「だがフエンテとは認めたな」

 「……っ!そうだ!お前らがいるから!」

 レブが構え、チコも怒鳴る。そんな二人を見て彼、ベルナルドは溜め息を洩らす。

 「こっちとそっちが相容れない、というか、君達が愚かな弟に散々な思いをさせられたのは知っているんだ。見てたからね」

 「見てた……?それに……」

 散々な思いの一言で片づけないでほしい。この人達が現れたからココも、サロモンさんも……!今日までだって皆フエンテを警戒して神経を擦り減らしていたんだ。

 「あーあー、軽口を叩くのは兄弟揃って悪い癖みたいだ。ごめんよ」

 口では謝っていても、謝意は伝わってこない。……そう、まるで他人事みたいに話しているからだ。

 「……今になって現れたのはなんでだよ?」

 チコからの問いにベルナルドは指を口に当ててしばらく黙った。そして、軽く頷くと彼は笑った。その笑みの歪さはやはりベルトランのものと同じ様に見える。

 「弟達と俺は違う。今日は戦う為に来たんじゃない」

 腕を広げてまるで自分に交戦意思は無いと伝える様にするその姿は逆効果だ。レブだって警戒しているし、フジタカも彼に恨みはなくてもすぐに捕まえたいと思っている筈だ。

 「契約者殺しはあの三人の企てた事であり、俺達には関係無い」

 「組織の者を御し切れなかった落ち度を棚に上げるな」

 「厳しいんだね」

 レブの発言にも怒る素振りすら見せずにベルナルドは笑う。

 「僕がここに来た理由は一つ。君達を迎えに来たんだ。レブ、そしてザナ」

 「え……」

 「………」

 名前を呼ばれて私は一歩後退り、その前にレブが立ってくれた。迎えに来た……ベルトランも言っていた気がする。

 「召喚陣の制限を突破して竜人を召喚するだけの才、俺達と一緒に役立ててみる気はないかな?」

 「無い」

 即答したのは私だった。ベルナルドも浮かべていた微笑みを消して口を曲げる。

 「ふーん……」

 「へっ、待てよ。召喚士だったら……」

 「じゃあさ」

 チコに被せる様にパン、と音を立ててベルナルドが手を合わせる。

 「ついでの方を先に言ってしまったけど、本命は彼なんだ」

 ベルナルドが指を差したのはフジタカだった。

 「そこの旅人ビアヘロを回収したい。遅くなったけど準備もできたからね」

 彼の言葉に私達は一瞬固まった。だけど一番に口を開いたのはチコだった。

 「お前、ビアヘロとインヴィタドの違いを分かってないのか?」

 「あんまりその言葉も使いたくは無いんだけどね、気持ちでは」

 ベルナルドは肩を竦めてみせる。……どうやら、知っていて使ったらしい。

 「フジタカは選定試験で俺が召喚したインヴィタドだっ!」

 チコが指を差して叫ぶ。

 「行けフジタカ!もうそんなやつ、お前のナイフでやっちまえ!」

 「え、あぁ……」

 しかし、チコの指示に反してフジタカの挙動は遅い。

 「とっとと行けよ!」

 「……あぁ、そゆこと?」

 ベルナルドが首を微かに動かす。交互に二人を観察していたみたい。

 「君はフジタカを自力で召喚したと思い込んでるんだ?」

 彼の言葉は、この場にいた全員の動きを止めた。

 「そして本人もそう思い込んでる?妙なもんだ……」

 「み、妙って何がだよ……!」

 戸惑っているのはフジタカも同じだ。私もベルナルドが何を言っているのか分からない。

 「簡単な質問をしてもいいかな?」

 ベルナルドがチコを向く。……こういう時、剣の一本でも持っていれば心強いのだろうけど、今はフジタカが背負っているだけ。

 「フジタカが魔法を……ナイフを使う時に君は何か感じるのかい?」

 「な……っ!」

 チコが唇を震わせた。そこでやっと私も思い出す話があった。

 フジタカがどれだけ魔法を使えるか試してもチコは平気な顔をしていた。それをナイフを媒介に使うから燃費が良いとだけで流してしまっていた。

 「本人も本人だ。召喚士と繋がっているかどうかの自覚も無かったの?」

 「そ、そんなの……」

 魔力が自分に流れている感覚をフジタカは制御できていない時も実感していた。体調みたいに日によって高まり方が違う、と。その時もフジタカはチコとの繋がりに関して何も……言っていない。

 チコは召喚士としての初めての召喚、そして異世界に初めて移動してきたフジタカ。その二人は互いに未経験の出来事が重なってしまったからこんなものだ、と感じたままに一緒にいただけ……?

 「彼はね」

 ベルナルドがフジタカを見る様に私達に手で促す。

 「俺達フエンテは彼の力が必要だった。だからインヴィタドみたいなしがらみや制限を受けない様にする為に、異界の門を調節して呼び出したんだ。言ってしまえばインヴィタドっぽく呼び出したビアヘロってことだよ」

 フジタカが魔力で不自由しないのは……フエンテが呼び出した、から?

 「それっぽくどこかの召喚陣近くから出てくるように仕向けた。そこまでは良かったんだけど、ずっと離れないから弟が契約者殺しのついでに回収に行った。そうしたらまさか君が殺すなんてね」

 「………」

 フジタカは剣の柄を握っていた手に力を込める。ギリ、と音が聞こえたがまだ抜かない。

 「そっかぁ、試験を受けた召喚士じゃ仕組みを知らない、本人は自分の意思と関係無く召喚されたから繋がりとか魔力も分からない……か。時間がかかるわけだね」

 でももう大丈夫、と言ってベルナルドがフジタカに手を差し出す。

 「これからは俺達が全部教える。だから一緒に行こうフジタカ」

 ベルナルドはニィ、と口の端を持ち上げる。

 「君のお父さん、ロボも待っている」

 「……は……?」

 フジタカの手が剣の柄から離れた。私は覚えている、フジタカのお父さんは確か……前に死んだって聞いた。ナイフはお父さんの形見って……。まさかナイフの出所ってフジタカの世界ではなくて、オリソンティ・エラ……?

 「うっせぇ!」

 チコが全部をかき消す様に叫んだ。

 「……話を聞いてたろ?君はこの場に用事が無い人物、無関係な半端者だよ」

 「見ろよ!」

 「っ!チコ、駄目!」

 チコが腕輪を外し、中から一枚の紙を取り出す。それは選定試験の時に使った召喚陣が描かれている。

 「これは俺がフジタカを呼び出した時の召喚陣だ!」

 「だから違うって言ってるじゃない。スライムくらいは出せるらしいけど」

 ……もしかして今日の訓練も見られていた?

 「君はその召喚陣で彼を呼び出していない」

 「これは!俺が特待生で……っ!」

 直後だった、ベルナルドが人差し指をチコに向けて振るう。

 「うっ!?うぁぁぁぁっ!」

 動きに合わせてチコの右手がザックリと切れ、血を滴らせる。悲鳴を上げるチコに素早くフジタカが駆け寄った。

 「チコっ!大丈夫か!」

 「あ、うぁ……あ?」

 痛みに苦しんで汗を流していたチコだったが、足元を見て声を押さえる。私も視線をそこへ落とすと、真っ二つに裂けた召喚陣が見えた。

 そう、その召喚陣はカルディナさんが用意してチコが使用し、フジタカを呼び出した物だった筈だ。チコとフジタカを繋げ、顕現させる一枚の紙。それが恐らくはベルナルドによってチコの腕ごと切られた。

 「……なんで、お前……」

 それでもフジタカは健在だった。チコは手を押さえながらフジタカを見上げて後退る。

 「ははは!これではっきり分かったでしょう。そんな物は無意味だよ」

 ベルナルドが笑う。

 「彼は旅人ビアヘロであって、君の客人インヴィタドではないよ」

 「あ……あ……!」

 冷たく言い放たれてもチコはもう、フジタカしか見ていない。フジタカは一歩、そんな彼に歩み寄る。

 「特待生ぃ?まさか、君みたいな凡人……いや、努力もしてない凡人以下の三流に獣人を使役する召喚術なんて使える程、この世界の道理は甘くないよ」

 「う、うわぁぁぁぁぁぁ!」

 チコが遂に悲鳴を上げた。

 「落ち着けってチコ!」

 「来るんじゃねぇっ!」

 傷から溢れる血はまだ流れ、早く止血しないといけない。フジタカは無理にチコの肩を掴んだ。

 「いいからまずは……」

 「さっ触るんじゃねぇよ!この、ビアヘロがぁ!」

 「あ……」

 血に濡れて真っ赤になった手でフジタカの腕をチコが弾いた。

 「あ、あぁ……っ!」

 もうフジタカを見るチコの目はすっかり怯えたものになっていた。一度尻餅をつくと顔を引き攣らせて尚も下がる。

 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 無理矢理に左腕で体を支えると、ふらつき滑りながらチコはトロノへと駆け出した。それは完全に助けを求めて逃げるだけの後姿。それをベルナルドは追おうともしない。寧ろ笑って見ているだけ。

 「あっはははは!見た、今の!あはははははは!ビアヘロだからってだけで逃げ出した!」

 「何が可笑しいの……?」

 私の問い掛けにやっとベルナルドはやっと腹を押さえるのを止めた。

 「だって、だって傑作じゃない?」

 「チコを……」

 フジタカが牙をギリ、と大きな音を立てて鳴らす。

 「お?」

 「チコを……笑うんじゃねぇぇぇぇ!」

 フジタカが剣を抜いて、ベルナルドへ駆け出した。

 「レブ!」

 「話してはいられないか」

 手を出したのは向こうが先だ。もうこれ以上は許せない!

 フジタカとレブを相手に丸腰のベルナルド。しかし向こうは後ろに跳ぶだけで大きく二人の踏み込みの間合いから外れた。そう、まるであの日の様に。

 「風の……魔法?」

 「そういう事」

 ベルトランと同じ顔、そして同じ力を持っている。その相手にレブとフジタカが構える。

 ……どうしよう、二人がいても召喚士は私一人だけ。私では新しく何かを呼び出して追い詰める事は……。

 「炎よ!」

 その時、私の横を地面の亀裂が走る。誰かの声と共に、亀裂から炎が噴き上がってベルナルドと私達の間に割って入った。

 「今の……」

 「うぉぉぉ!」

 炎に照らされ浮かび上がる大きな影。雄々しく風に揺らめく鬣と熱い叫び声は忘れもしない。

 「ライさん……!?」

 「ち……!」

 姿を現した獅子の獣人が剣を抜いて街道を疾駆する。剣を抜いて躊躇なく踏み込む彼にベルナルドは舌打ちをすると宙に舞った。

 「空で遅れは……!」

 そこにレブが翼を広げて追撃する。しかし更に別の影がレブとベルナルドの間に入った。

 「………」

 「これは……!」

 レブの拳を受け止めたのは白銀の鎧に身を包んだ戦士の様だった。しかしその実態は違う。背中に羽を生やし、高速で羽ばたき空を飛ぶ姿は甲殻に覆われた虫を思わせる。ティラドルさんと同じくらいの大きさをした人型の虫らしき異形はレブの拳を弾くと背を向けた。

 「待て!」

 「待たない。今日は帰るよ。でも、また来るかな?」

 ベルナルドが手を向けると強風が吹き荒れた。踏ん張らないと飛ばされそうな風に腕で顔を覆い、風が止むと彼らの姿は既に消えていた。

 「………」

 取り逃がしたのが悔しかったのか、レブは黙って降下した。私の隣に立つと腕を組む。

 「ザナさん」

 「ライさん……それに、ウーゴさんも……」

 「お久し振りです」

 遅れて現れたウーゴさんの顔を見て私は思わず足から力が抜けた。すぐにレブが支えてくれたけど、身長差で覆い被さる様になってしまう。

 「どうして、お二人が……」

 「……その話は、戻ってからの方が良さそうだ」



 ライさんが剣を鞘に納めて遠くを見た。視線の先には一人佇み、トロノの方を虚ろな目で眺めるフジタカの姿だけ。

 私達の穏やかになりかけていた日常が終わりを告げたと冷たい風が告げ、吹き抜けていった。



                                    了

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