第三部 三章 -トゥルエノ・イ・エレクトロスタティコ-

 身支度を終えて食堂に入るまで、私が考えていたのはただ一つ。胃袋を満たす事だけだった。

 疲れと体調不良が勝っていた昨晩は成す術も無く眠りに落ちるだけだった。その中でレブには一人で見張りをしてもらって悪かったとは思っている。

 「遅い」

 既に座っていたレブは自分の隣にあった椅子を軽く叩く。明らかに睨んでいるが、そこに座る様に勧めてくれているらしい。

 「女の人は色々準備があるんだよ。特に良い女ってのは……なぁ?」

 レブの向かいに座っていたフジタカはゆでた卵の殻を剥いていた。

 「ふむ」

 何故か納得しかけているレブの隣に座る。私は異を唱えたくてフジタカが剥いてくれたゆで卵を取り上げた。

 「フジタカ?言っておくけど美人か美人でないかではなくて、女性は等しく準備に追われているの。そこに特別なんてないんだからね。いただきまぁす」

 「あ!俺のタマタマゴぉ!」

 タマと言うには楕円だよ。塩を先端にまぶしたから良いしょっぱさ。

 「そう言う事です。ほら、トーロ!もっとそっちに詰めて!」

 「あ、あぁ……」

 お尻で突き飛ばす様にカルディナさんがトーロを押し退け椅子に座る。こっちだって待たせてる自覚はあったのにそういう言い方するんだもん。

 「……っく。ぷは……」

 それにしても、卵を一つ食べただけでも違う。胃が食べ物で満たされる。満たされた上に定着し、体の中で分解されて栄養に変わっていく。どうしようもない揺れの暴力に逆流させられる事のない、味わう事ができる幸せを痛感していた。

 「美味しい……!」

 空腹感が一気に襲ってきた。テーブルに並べられた料理を見て、匂いを嗅ぐだけでもお腹が鳴ってしまう。

 「あ……!私、先に食べちゃった!すみません……」

 ニクス様や他の皆も待っていてくれたのに、着いたら早々私だけ。

 「気にするな。私達も食べるぞ」

 「俺のタマタマゴ……」

 「また剥けばいいだけだろ。ほら」

 レブの一言に皆が食器に手を付ける。フジタカ、ごめん……。貴方がチコからもらったゆで卵は取らないから。

 朝食は岩塩と胡椒で濃い目に味付けして焼いた豚肉と野菜をパンで挟んだサンドに生野菜。それとゆで卵に根野菜のスープだった。胃酸で荒れたお腹に流し込んだスープは少し沁みた様な気がする。でも、温かくて優しい味だった。

 「港町なんだから、魚ってわけじゃないんだな」

 「魚の揚げ物があるのだけど、今の貴方達には負担だと思うわよ?」

 カルディナさんがサンドをかじりながら答える。トーロは生野菜を頬張りながら頷いた。確かに、スープでさえも沁みる私達に揚げ物は辛い。フジタカも思うところがあったらしく、何も言わない。二人で大変だったもんね……。

 「空腹なのは分かるが、胃が驚いて逆効果になる。程々にしておけ」

 「うん……って、レブは食べるの早いね」

 言っている間にレブは二口でサンドをぺろりと食べてしまう。口の開き方が私達とはそもそも違う。あぁ、そんな事言ってる間にフジタカだって半分以上を口に突っ込み、牙で裂いた。

 「ゆっくり味わえ。……今度は急かさん」

 「……うん」

 レブのお言葉に甘え、私もカルディナさんも自分たちの食べやすい速度で味わいながら食べた。見ると、トーロとニクス様も比較的ゆっくり食べていたみたい。

 「食べたね、フジタカ!」

 「あぁ!もうほんとーに生き返った感じ!肉の油が俺のエンジンに火を点けた!」

 他の皆は食事をしつつ船旅をしていただろうけど、私とフジタカはそうはいかない。だからこそ、食後の果物を食べながら私は彼としみじみ今日の食事を振り返った。知らない表現も使われたけれど、私達が今考えているのは食への感謝の念だ。

 「ふ、食を謳歌しブドウを味わう……確かに、この上ない贅沢なのかもしれぬな」

 「自分は船でもトロノでもずっと食べてたでしょう」

 後から聞いたけど、船の食堂でもブドウを寄越す様に船員さんに言ってたって。私が寝ている横でやたら食べてると思ってたんだ。寧ろ優雅に穏やかな海を見ながら食べるブドウも美味しかったんだろうな、レブにとっては。

 「ずっと食べながらも、私は常にブドウに感謝しているぞ」

 「美肌に疲労回復効果もあるしな」

 妙に詳しいけど、フジタカもブドウが好きなのかな……。そこは同意しちゃうし……。

 「これだけ味わい深いのだ、虜になるのも無理はないと思わぬか」

 「虜になった人が言ってちゃ意味ないでしょ、それ……」

 私も美味しいとは思うよ。だけどレブみたいに隙あらば食べていたい、食べているかと言われれば違う。レブもよく飽きないよなぁ……。

 「食事も良いが、のんびりしているわけにもいかないんだぞ」

 口を拭ってトーロが話を戻す。

 「ロカって村に出発……の前に準備しないとな」

 フジタカが腕を組んで上を見上げる。

 「トーロ、財布は預けます。ここはインヴィタドでも……」

 「買い物ができる、だな。そう言えば前も来た事があったな」

 そう言う事、と言ってカルディナさんはトーロへ財布を預けた。

 「買い出しは任せます。……頼めるわね?」

 「分かった」

 任せる、と言ったからにはカルディナさんは別の事をするみたい。

 「私は港で乗客にアマドルとレジェスの情報がないか夕方まで調べてみます」

 「そんな事できるんですか?」

 私の質問にカルディナさんは頷いて片腕を掲げてみせた。

 「……確率としては半々。そして、私が名簿から見つけられるかになれば更に半分……いいえ、それ以下の確率でしょうね」

 だけど、と言って彼女は掲げた腕に嵌めた腕輪を撫でる。

 「海を渡るのはタダではない。……この腕輪の効果は知っているでしょ?」

 「あ……!」

 私は気が付いてチコの顔を見る。向こうも、腕輪を見て数秒経って声を洩らした。

 「これ!ブラス所長が言ってた!」

 「トロノの召喚士の証。これを巻いて買い物すると二割くらい安くなる……」

 微妙だけど、実際に効果はあった。トロノでは使えたけど……。

 「これ、アーンクラやコラルでも……?」

 「割引の効果は担当者に依るかな。実はボルンタ大陸側で召喚士になった人はトロノの腕輪で割引してくれるし、こっち側でなった担当者は通常価格だったり、そこはまちまち」

 儲けもあるんだからそこは明確な基準が要るんじゃないのかな……。

 「だが召喚士の証は身分として持ち歩ければ、この世界では優遇されるだろう」

 レブの推察にニクス様も同意する。

 「だから聞くなら“最近、トロノの召喚士証を持った客がいなかったか”だな」

 値切りして船に乗ったかではない。それを持ち歩いている誰かがいなかったか。それを確認するだけでも随分乗客も絞られてくる。

 「船舶停の調査には私と……ザナさん、来てくれる?」

 「はい!」

 私にできるなら手伝いたい。買い出しだってあまり大きな荷物になると持てないし。

 「では、役割を二分するのだな」

 レブの確認に全員が小さく頷く。

 「フジタカは俺と一緒だ」

 「え?おう……分かった」

 トーロに言われた時、微かだがフジタカと目が合った。もしかして調査の方が良かったのかな?確かに、勉強になるのはこっちかもしれない。

 「チコはどうするの?」

 「俺……」

 交互に私とトーロを見るチコ。

 「チコも一緒に行こうぜ」

 「……分かった。ザナ、俺は買い物だ」

 フジタカの誘いにチコがほっと表情を緩めて乗った。

 「うむ……」

 「レブ?」

 レブが腕を組んで唸っている。珍しく、何かに迷っている様だった。

 「貴様、私に財布を預けてみる気はないか?」

 「今日のブドウは食べたでしょ」

 はて、そうじゃったかのう……なんて、おとぼけを言ったりしない性格なのは私が一番分かっている。そんな迷いなら、私が断ち切ってあげるんだから。

 「……ならば貴様と共に行こう」

 不服そうだなぁ。買い物はもう男手揃ってるよ。

 「では、ニクス様は……」

 「調査に同行する」

 カルディナさんがどうされますか、と聞く前にニクス様は答えていた。

 「宜しいのですか?その、私達で……」

 日中なら仮に襲われても、フジタカと一緒にいた方がここぞという時に一撃が光る。トーロだって戦闘経験は豊富だ。

 それに対してこちらは戦える戦力はレブだけ。数で押されてもレブ一人はどうにかできるかもしれないが、ニクス様の護衛までするとなれば話は変わってくる。

 「日中は襲われまい。たとえ特異の刃を持つ狼がいなくとも平気だ。襲われるとすれば今日の暮れからだ」

 「買い被られてんな……」

 フジタカは言うけど、向こうは少なからず意識していると思う。アルパの事件ばかり取り上げられるけど、ピエドゥラではゴーレムに完勝しているんだから。

 「……貴方さえ良ければ、だが」

 「私に拒否する理由は無い」

 ニクス様とレブの視線が真っ直ぐにぶつかる。しかしすぐにニクス様の方から目を逸らすと立ち上がった。

 「ロカの村へは馬車は使えなかったな」

 「はい」

 ロカへは整備されてない細道や川が続いているとは聞いた。でも、馬車が使えないって言ったらセルヴァよりも辺鄙な場所なのかな。……でもセルヴァは道が広くて勾配も急じゃなかったもんな。

 「てことは、歩きで行くんだな」

 「三日あれば着くわ。我慢してね」

 カルディナさんが謝ってくれるけど、フジタカはニコニコ笑いながら首を横に振った。

 「地面に足が接地してれば、それだけで俺はいい!だから大丈夫っす!」

 私も同じ。地面を踏み締めていられる。船旅三日と徒歩三日だったら、絶対楽なのは徒歩だと思うもん。船に慣れたら変わるのかな……。

 「では、夕方にはコラルから出立し、万が一襲われても一般人へ被害が出ない様にしたい。……頼めるか」

 ニクス様が皆を見渡す。異見を述べる者は誰もいなかった。

 「では、すぐにでも行きましょう。トーロ、また」

 「あぁ。また」

 カルディナさんは立ち上がり、すぐに外へ向かう。振り返らずにトーロへ一言だけ告げて、相手も同じ様に短く返す。……少し、羨ましいかな。背中を預け合っている感じが。

 「私達も行くぞ」

 「うんっ」

 レブに背中を任せてもらえる時、なんて来るのかな。……来たら、いいな。

 もう戻らない前提で荷物も担いで私達は船舶停へ向かった。その道中でも話は絶えない。

 「あそこに居るのは……」

 「トーロじゃないよ」

 人が行き交う通りの向こう、椅子に腰掛けて海を眺める牛獣人の背中が見えて、私は足を止めかけた。だけどカルディナさんはスタスタと歩きながら違うと断言した。

 「あ、本当だ……」

 遠くで立ち上がった牛獣人は恰幅こそ良いものの、上半身は裸で背丈はトーロと似ても似つかない。そもそも、今は買い出しに出ているのだから他の二人がいないのもおかしい。

 「たぶん、船の積み荷を運搬するためのインヴィタドだと思う」

 「力仕事用に召喚したのか」

 「えぇ」

 カルディナさんの解説にレブが捕捉する。

 「ならば、下手をすれば会話もできん程度の獣人かもしれんな」

 「獣人って種類多いよね……どうなってるんだろう」

 一口に獣人、と言っても一括りにするとフジタカに止めてくれと言われた事がある。角のある者、羽のある者、毛皮ではなく鱗の者。見た目は同じ犬の獣人でも、片や服装を整えて言語を駆使する者、言語を持たずに本能のままこん棒程度の簡単な道具を振り回す獰猛な者、獰猛だが魔法は操れる者なんて……。私達に必要なインヴィタドかどうかは一目で判断できない場合も多い。

 トーロとフジタカを並べても違いが大きい。トーロは若干私達よりも服装に関しては緩い世界で、力が強く魔法も操れる。一方フジタカは魔法が無い代わりに高度な文明が築かれていた世界にいたみたい。同じ獣人、ではあるのかもしれないけど世界が違うのは明らかだった。

 「ニクス様は何かご存知ですか?」

 ここで鳥人代表としてニクス様に話を振る。……こういうの、馴れ馴れしくないかな?

 「……いや」

 「契約者にそんな話をしても無駄だぞ。関心が無いのだからな」

 「はい……」

 やっぱり、私にはまだ早い……。というか、二人が並ぶと沈黙が余計に重く感じちゃうんだよ。

 「そう言うレブは?何か知ってる?」

 だからニクス様よりは話してくれるレブへ振り直す。レブの口からも聞いてみたかったし。我ながら自然な移行だった。

 「……あの世界には竜人しかいなかった。だが、異界では獣人が住む世界に種の偏りはほとんどなかった筈だ」

 「うんと……。フジタカみたいな狼獣人だけしかいない世界、トーロみたいな牛獣人だけがいない世界は……ない?」

 レブが歩きながら首を縦に動かした。

 「そうだ。牛も、犬も、鷲も……。様々な獣人が一つの世界にいる」

 「そんな世界が幾つかあるわけ、ね」

 少なくともフジタカとトーロのいた二つ以上はあるんだ。カルディナさんも腕を組んで地面を見詰めながら呟いた。

 「そうか……。トーロとフジタカのいた世界は完全に別か……。食い違いがあるわけだわ。最初は地方や国が違うだけと思っていたのだけど……」

 お互いの住んでいた場所を知らなかったにしても二人は雰囲気からして違うよね。体を鍛えていたにしてもトーロは生きる為だし、フジタカは自身の強さを磨くためって言ってたし。

 「魔力供給という餌が有る分、インヴィタドとしては犬ころや牛男よりも賢くない連中の方が御しやすいのではないか」

 「力仕事はともかく、魔法の指示がしにくいのが難点なの。言語が無くても強力な魔法を操れるインヴィタドならそれなりにいるでしょうけど」

 言っても聞かない相手じゃ、現れたビアヘロのみに魔法を使うのか、その周辺や自分にまで被害が出るまでの威力で発動するかも判断できない。そこは供給する魔力を調整できる召喚士次第だけど、やはり多少威力が落ちても話が通じた相手の方が安定感はある。

 「そうそう召喚士にとって都合の良い物件は現れない。一長一短は避けられんな」

 「悔しい事にね。だから私達はより高みを目指してるの」

 カルディナさんの上昇志向、レブは嫌いじゃないだろうな。利用するだけ、という表現をするなら逆に最も嫌いそう。

 そんな話をしている間にコラルの船舶停に着いた。乗客の名簿を見せろ、なんて情報開示を求めても相手だって客商売。簡単には見せてもらえず、交渉している間にも時間は過ぎてしまう。

 探偵でも傭兵でもない自分達が言っても無駄。私達は所詮、試験官と勉強中の召喚士なのだから。

 そこで出番が来たのはニクス様だった。彼はこの世界で貴重な召喚士を増やせる更に希少な契約者。そんな要人を試験官や見習いが警護する為に必要な情報なのだとレブも交えて粘り勝ち。ようやく名簿を閲覧する事ができた。

 「……ありました?」

 「……いいえ」

 「うむ……」

 三人で見ているけど、見当たらない。考えれば単純な話だ。アマドルとレジェスが偽名で乗った可能性だって大いにある。

 「レブ……」

 「私はこの世界の文字が読めぬ。当てにするな」

 私は記帳を取り出して、文字を書いて差し出す。

 「上はこう書いてアマドル、下がレジェス。……分かった?」

 「……あぁ」

 まだ確認していなかった名簿も手渡すと、レブは渋々見比べながら確認を始めてくれる。一人だけ休ませるわけにはいかないんだから。

 「レブ、文字の勉強する?」

 前にそんな話もした。結局今の今まで教えられなかったんだけど。作業しながらも申し訳なく思って再度話題にする。ずっと名簿見ているのも疲れちゃうし、少し息抜きしつつ。

 「貴様が夜のプライベートレッスンをしてくれるわけだな」

 「ぷ、ぷら……?」

 それに対して何かよく分からない言葉をレブが使う。一気に集中が逸れてしまった。

 「それ、フジタカが言ってたんでしょ。あ、フジタカも文字読めないよね。どうせなら一緒にやろっか?」

 ニクス様は作業してくれているし言わずもがな、この世界の文字にも通じている。だけどこちらに来て日が浅い部類のレブ達も、そろそろ文字にも触れないと。

 「……それでは意味が無いな」

 私は乗り気になってきたけど、ぷらいべーとれっすんってフジタカがいたらできないんだ。……フジタカの言葉って、教えてもらっても活用できないんだよね。

 「トーロは文字って読めるんですか?」

 「一応ね。数字の計算は少し時間が掛かってるみたい」

 カルディナさんも話は聞いていたのか目線も名簿を追いながら口も動かしてくれる。

 「あ、フジタカが計算は一通りできるって言ってました」

 「勉強しながら旅、っていうのもいいかもしれないわね。……無い!」

 バタン、と名簿を閉じるとカルディナさんは目頭を揉んで肩を落とした。私も少し遅れて結局、二人の名前を見付ける事ができないままに本を閉じる。

 「私もです……」

 「こちらもだ」

 ニクス様も発見できなかったみたい。頼みのレブは……。

 「……これか?」

 「えっ!」

 「ちょ……見せて!」

 目付きを鋭くし右往左往していたレブの目の動きがピタリと止まり数秒。口を開いたレブが名簿から私へ視線を移した。すぐに名簿を受け取り、私も見返す。

 そこには確かにアマドル・マデラ、レジェス・セレーナの二人の名前が書かれていた。

 「ありがとうレブ!」

 「ふん。この程度、造作もない」

 いつもと同じ反応でも一言増やした。それに私はくすりと笑う。

 「少し張り切った?」

 「私は普段と変わらない」

 そういう可愛くないところとか、ね。

 「日付は五日前……。早いな、ロカに着いていてもおかしくはない」

 狙いの契約者がいないのだ、ロカに何か起きているとは考えにくい。だけど、必要とあらばアルパの様な破壊を繰り返すのは間違いなかった。ニクス様も日付を見て溜め息を洩らす。

 「私達がここに来ると見越してわざとこの名前にしたのかな」

 「だとしたら、嘲笑われているだろうな」

 レブがスッと目を細める。

 「でも、五日前の話なら……!」

 カルディナさんは船舶停の受付に話を聞きに行ってくれた。しかし彼らについて分かった事は何もないまま夕方を迎えてしまう。

 当然、乗客は私達が探す二人だけではない。大勢の船乗りや商人、観光客や帰省で訪れる者がいる上での二人だ。まして、みすみす印象に残るような真似をする理由も無い。

 お前達が来る事は知っていた。と言われた気分だ。私達だって予めロカへ向かうとわざと宣言していても先回りされたのは事実。相手は追い詰めた気でいるだろうけど、私達はまだ手応えが得られていない。

 「……レブがせっかく見つけてくれたのに……活かせなかった」

 コラルの露店通りを歩きながら私が俯く。すぐにレブが回り込む様に私の視界に入って来た。

 「どこかに潜んでいるのは間違いない。今回はそれが分かれば十分だ。」

 殺気なら感じればすぐに気付く。レブは言って前を向いて歩き出す。

 「……ごめんっ」

 私の謝罪にレブが駆け出す。弱音を聞く気はない、って言ってるのかな……。

 「ん」

 「え」

 レブが立ち止まり、その先を指差す。指し示した先は果物屋さん。

 「謝意があるのなら、形で示すのが筋とは思わないか」

 「思いません」

 悪いと言う気持ちはあった。しかしレブの言わんとした事を察して首は横に振る。仮にそこで彼の要求を呑んでも安上がりなのかもしれない。しかし謝るのと、ブドウの提供は別物でなくてはならないと思う。

 「あ、デブ!やっぱりここに来たな!」

 「フジタカ……。トーロとチコも」

 露店通りの角を曲がった別の通りからチコ達買い出し班が姿を現した。荷物は既に抱えており、ある店の前でフジタカが手を振っていた。

 「トーロ。買い出しは?」

 「ここで最後だ」

 カルディナさんの質問にトーロが答えて親指を差す。

 「ここで最後?トーロちん、何をのんびりしてますの。今日だって売れに売れたこの店の!掘り出し物を放置して!どこに浮気していたと!?」

 店側から大きな声がした。……トーロちん?

 「えっと……?」

 「久し振りね、リッチ」

 私がカルディナさんに知り合いですか、と聞く前に彼女は店番をする相手へ親し気に声を掛ける。

 「カルもいるじゃん!お久しゅう!元気してたん?」

 店の屋根に遮られて見えなかったが、何歩か前に出てようやくその姿を見る事ができた。そこで初めてくりくりした相手の目と目が合う。

 「おぉ!?カワウイ女の子も!初めまして!」

 「は、初めまして!」

 何かの壺や刃物、装飾品を敷物の上に並べていたのは金色の毛皮を持った狐獣人。体が大きく、少し横にもふくよかな体型だけどどちらかというと親しみを感じる。カルディナさんにリッチと呼ばれた狐の獣人は私にも大きな声ではきはきと話してくれた。

 「僕、リッチ・フォウクス!」

 「ザナ・セリャドです」

 「ザナちん!ザナちんな!覚えた!」

 ざ、ザナちん……?薄手のベストだけ羽織ったリッチさんは自分の腹を叩くと笑った。

 「いきなりお客さんをザナちんなんて呼ぶのはいかんか!なぁ、ミゲル?」

 リッチさんは後ろを振り向くと、後ろから赤い長髪を後ろで束ねた目の細い男性がぬっと出てきた。ずっと屈んでいたらしく、私の位置からはまったく見えなくて気付かなかった。

 「どれ……お、本当に可愛いな!いいんじゃないか、ザナちんで!」

 「やっぱし!だよねー!」

 最初は下唇を突き出して手に持った小瓶を睨んでいたのに、私を見た途端にリッチさんと同じ様に目がくりっと丸まって笑う。この人が……ミゲル、さん?

 「ほいよ、トーロ。斧の錆止め」

 「すまん」

 自己紹介も程々に持っていた小瓶をトーロへ差し出す。代金を支払い受け取ってから再度こちらを向いた。

 「毎度ご贔屓に!……やっべぇよリッチ。錆止めの在庫が切れちまった」

 少し強気なお兄さんという印象だったけど、話してみるととても人懐こそうに笑顔を見せてくれる。その笑顔を曇らせながらリッチさんに耳打ちするけど、筒抜けだった。

 「はぁ!?ここの出店、あと三日あんだろ?どーすんだよ!」

 「だからお前に聞いてんだろ?」

 「それもそうか!ハッハッハァ!」

 怒鳴ったかと思えば、今度は二人で大きな声で笑い出す。地声が大きいんだろうな、この人達。

 「いやー、どうしたら良いと思う?えーっと、じゃあフジタカ!」

 「お、俺!?ま、まずは仕入れ先に連絡して……って、携帯とかないし……」

 リッチさんから急に話を振られてフジタカが困っている間に、私はミゲルさんとカルディナさんに向き直る。少し気になっていたんだ。

 「あの……」

 「お、どうしたザナちん!何か欲しいか!」

 呼び方に慣れないな……。いつにない呼ばれ方。しかも会って数分なのに。

 「………」

 黙ってるけど、なんだかレブからの視線が痛い。後ろからビシビシと感じているんだけど、とりあえず流す。

 「あの……ミゲルさんも召喚士、なんですか?」

 「おう!」

 即答されてこちらが面食らってしまう。

 「彼はアーンクラの反対側の港町で召喚士に合格したの」

 「アスールってんだ!行く事があれば、海で泳いでってくれ!」

 言って、ミゲルさんが左手に巻いた黒い革腕輪を見せてくれた。たぶんそれがアスールの召喚士証という事になる。トーロからの支払いの時に目に入って少し気になっていたんだ。

 名前は聞いた事があるけど、アーンクラの反対ってピエドゥラを越えてずっとずっと先に行った港町だ。……船に乗らないで泳ぐだけなら、大丈夫かな。

 「海水浴が盛んなんですか?」

 「ははーん、ザナちんは内陸の地方出身者か。色白いもんなぁ!」

 元々色黒ではないけど、やっぱり見た目で分かっちゃうんだ。ミゲルさんに笑われて少し日焼けしようかなと思う。日焼けが嫌ってわけでもないし。

 「解説してやりたいところだが……シルフの便りで事情は聞いてるぞ!らしくない無茶したもんだな、カル!」

 リッチさんが遠くへ視線を流しながらボソリと呟く。口元には笑みが浮かんでいるのに、目だけが真剣になってこちらの気が引き締まった。

 「契約者を狙う召喚士が現れるなんて、普通考え付かないもの。強硬策の一つや二つ、用意しないとね」

 「で?何をどうする気だい?」

 ミゲルさんも頭を掻いて話に加わる。向こうも完全に知っているわけではないらしい。

 「話しても良いけど……協力してくれるの?」

 「荒事は御免だねぇ!僕達にできるのは、買い物のお手伝いだけ!」

 先程までやたら親切だったのに急にリッチさんも反応が淡白になる。

 「一緒にビアヘロと戦った事もある仲なのに?」

 「えっ」

 負けじと笑みを顔に張り付け店へ身を乗り出すカルディナさん。あまり目に出る印象がなかっただけに、今日の強気な姿勢が新鮮に映る、。

 しかし、話の内容に私は思わず声を上げてしまった。二人の顔がこちらを向く。

 「意外って思ったんだろ、ザナちん!」

 「当たり前だろ。おっさんみたいな……その……」

 「太っちょは戦えないって?言ってくれるねぇ!ハッハァ!」

 庇う様にフジタカが入ってくれたけど、リッチさんは笑うだけだった。

 「確かに僕ね、戦いはてんでダメダメなんだよねぇ!」

 「……じゃあ、魔法が得意とか」

 チコが言うけどリッチさんは目を伏せて首を横に振る。

 「もちろん使えるけど、ちょっと魔法で火を出すくらいしかできないんだ!」

 「焚き火するには十分なんだけどな」

 火しか出せなくて戦えないインヴィタド。言っては悪いけど……召喚士からしたらあまり、取り柄はなさそう。

 「で、まぁ……俺も一応少し前はビアヘロ退治に命を燃やす召喚士だったわけ。だけど呼び出したらコイツが現れたのよ」

 「そうは言うけど勝手に呼んで、怪物と戦え!なんて理不尽と思わない?」

 「うんうん」

 そこはフジタカだからこそよぉく分かっているんだろうなぁ。レブはまだ口を閉ざしている。

 「そんなこんなで……こう、しばらくはビアヘロと戦ってたりもしたんだが……」

 「次第にミゲルと意気投合しちまってさ!そういうのは止めて、自由気ままな行商召喚士へ華麗に転職!」

 「気ままって言うには勉強する事だらけだったがな……」

 ミゲルさんは苦笑したけど、聞いた事のない例だ。……周りを見ても、やっぱり商人に獣人なんていないし。

 「やればできちまうもんだって!ここの居心地は最高だしな!」

 「そのおかげで太ったしな」

 「うっさいわ!」

 言って二人で笑い合う。笑顔の絶えない人達だなぁ、本当に。

 「付き合いは長いの。知りたがりの癖に面倒くさがりだけどね」

 「手厳しい!」

 カルディナさんの表情が自然とさっきの船舶停を出た時よりも明るくなっている。……旧知の二人に元気を分けてもらったのかな。それは少し分かる気がする。

 「ところでカルぅ~……眼鏡、調子どう?」

 手を合わせ、揉みながらリッチさんが甘えた声を出す。明らかに商談へ持って行こうという魂胆が見え見えだけど。

 「……ちょっと、度が合わなくなってきたみたい。さっきも少し……」

 眼鏡を外してカルディナさんは顔をしかめる。そう言えば、名簿を見終わった時、辛そうに目頭を押さえてた。

 「ミゲル、鏡石は?」

 「用意してますとも!」

 言って、すかさずミゲルさんが眼鏡を二つ取り出した。

 「……別に、今でなくても」

 「ちっちっちぃ!あまぁい!」

 隣の店や道行く人も顔を向いてしまうくらいにリッチさんが声を張る。

 「なぁカルぅ……これから戦いに赴こうっていうのにそんな備えで大丈夫なん?」

 「いざって時に目が見えなかったせいで契約者に何かあったら……困るっしょ?」

 「そ、それは……」

 ニクス様を見ると目が合った。だけどすぐに背を向けられてしまう。……慌てさせたかな。

 「トーロちんは不測の事態に備えて自身の武器を万全に使える様、錆止めを買ってくれたのになぁ……ねぇ、トーロちん?」

 「ぐ……。あぁ」

 トーロも話を振られたくなかっただろうな……。買ったのは私達も目の前で見てたから否定もっできないし。

 「インヴィタドに注力するのはいいけど、自分の事も大事にしない?それが周りを大事にする事にも繋がると思わない?」

 「買い時は今だよ!今ならリッチ印の眼鏡拭きも付いてくるっ!」

 「うぅ……」

 その返事は、きっと眼鏡の提案をした時から決まっていた。

 「……度が合う眼鏡……頂けるかしら……」

 「ヘーイ、毎度ありぃ!」

 屈してしまった。押し切らせてしまった。リッチさんが盛大に手を打ち鳴らす。トーロは何も言わずにカルディナさんへ財布を返した。

 およそ半刻。鏡石の中から自分の視力に合った度を探し、新しい固定枠へと嵌め込まれた。……枠も買ったから余計に値も張ったみたい。

 「……どうかな?」

 「なんだか恰好良いです!」

 前のもよく似合っていたけど、今回は以前の様に丸みを帯びた枠ではない。どちらかと言うと角ばっているのだが、あまり他で見ない眼鏡だったせいか余計に洗練されて見える。

 「眼鏡がなくてもカルはキレーだと思うけどな!」

 「お世辞は止してよ、リッチ」

 カルディナさんも新しい眼鏡を気に入ったのか口の端が少し浮いている。

 「リッチは手先と口先は器用だからな。トロノのドワーフにちょっと教わっただけでコツを掴んだら、こんなもんよ」

 「口先は余計だ!……ま、武器は手入れと修理くらいしかできないがこういう装飾品や小物にも凝っちまってさ!」

 眼鏡の枠はリッチさんの手作りなんだ。確かに、並べられた他の商品には耳飾りや首飾りもある。男性的な武骨な物から、女性的な華美な物も揃えられているけど、若干女性向けの商品が多い様にさえ見えた。

 そしてミゲルさんの言ったトロノのドワーフ、と聞いてフジタカが反応する。

 「セシリノのおっさんを知ってる……?トロノにも来てたのか」

 「俺達は売る場所と欲してる人がいればどこにでも行くさ。あそこの商人連中で知らないやつはいねぇよ」

 ほぉ、とレブが声を洩らした。

 「ならば、果物屋も知っているのだな」

 「ルナさんか!元気してんのかな?」

 リッチさんが果物屋、と言っただけでルナおばさんと即答してレブが目を見開く。本当に皆と顔見知りなんだ。

 「でも老けたよなぁ。もっと前は……美人ではなくとも可愛らしかったっつーか」

 「あの婦人を馬鹿にするのは私に戦を申し込んでいるのと同義だ」

 ……レブって年齢の話題には敏感だよね。初対面のミゲルさん相手にも容赦ない。

 「へへ、アンタはルナさんとあそこの果物が好きだったんだな」

 「……何を言っている」

 否定しないんだもん、分かってるよ。

 「貴様も何を腑抜けた顔をしている」

 「別にー?」

 「………」

 レブの顔がどんどん何か言いたそうに歪む。何かに好意を表すのが下手なんだもん、嘘で嫌いとは言わないし。だからこういう時のレブは黙って私を睨むんだ。……たまに直接的に言われると照れ臭いんだけどね。

 「コラルの次はアルパに行こうと思ってたんだ。トロノにも寄るから、その時に話しとくぜ。紫のハネトカゲがおばさんに会いたがってたってさ」

 「別れは済ませた。その必要はない」

 強がり言って、気にしてるくせに。……なんて言ったら怒り出すだろうな。

 「でも貴方達、聞いてるんじゃないの?今アルパは……」

 「こんな時だから行くんだって!ピエドゥラにも用はあるしな!」

 不敵にリッチさんとミゲルさんが笑う。アルパの現状を知った上で行くと言うのなら止めはしない。この二人ならなんだか大丈夫だと思えてくるし。

 「お前達も気を付けろよ。……大事なのは生きてる事だ」

 「死にに行くつもりはないわ。守る為に行くの」

 「分かってるならいいさ!元気でな!」

 「二人もね」

 カルディナさんは二人に手を振って一番に歩き出す。私達は頭を軽く下げてから続いた。

 「……はぁ」

 速足でコラルから出ようとするカルディナさんに最初に追い付いた私が聞こえたのは溜め息だった。

 「何かあったんですか?」

 「あ……聞こえちゃった?」

 振り返って言うから私は頷いた。

 「思いの外……財布に響いて。当然、トーロの錆止めと違って経費じゃなくて実費から出してるし」

 「あぁ……」

 新しい眼鏡を押さえて一言。似合っても相応の代償を支払っているんだもん。

 「あの二人の前でこんな顔したら他にも買わされるか、落ち込ませてしまうからね」

 気を遣ったんだ。

 「それに、ごめんなさい。私の都合で時間を取らせてしまいました」

 露店通りから離れたところでカルディナさんは立ち止まり、私達に頭を下げる。

 「……目の調子はどうだ、カルディナ」

 トーロが前に出る。

 「え?うん……度が高くなったのは間違いないけど、前の眼鏡と比較しても楽よ。」

 「結果、無駄な買い物にはならなかった。ならいいさ」

 ニクス様も頷く。チコとフジタカも不満はなさそうだった。

 「でも……」

 「それに、よく似合っている」

 「……ありがとう、トーロ」

 命令に対して従った事への礼よりも、温かみを感じられた気がする。誰も買うな、なんて言っていない。引率だって引き続きカルディナさんだ。頼りにするというか、任せられるのはこの人しかいない。

 「にしても……暮れたら本当に何も見えなくなりそうだな」

 チコが暗くなっていく空を見て呟く。陽は射していたが今日は雲が多かった。夜も天気は変わりそうにない。気温はその分下がらないと思う。

 「昼夜逆転生活か……」

 フジタカも尾から力が抜けて鼻を切なく鳴らす。

 「お肌に悪いな」

 「レブは鱗でしょう」

 「貴様の話をしているに決まっているだろう」

 ……つまり?

 「気にしてくれるんだ」

 「……気にするのではないか、と思っただけだ」

 そういう事にしておきましょう。認めないだろうし。

 「お肌を気にして死にたくないもん。頑張るよ」

 レブがチラ、と私を見た。

 「……気にする余裕を与えられるよう、善処しよう」

 言って、レブは率先して前を歩き出す。体調も含めて心配してくれてるんだろうな。

 「火は要るか」

 レブが最前を歩くトーロに声を掛ける。

 「あまり夜道で目立ちたくはないが……」

 しばし迷ったトーロだったが、近くに生えていた長い木の枝をへし折る。天気が良ければ、星明りだけでも光源は確保できるんだけど今日は難しい。

 「火を」

 だから焚き火を灯しながら歩くしかない。道はとりあえず整備されているため、下手に動かなければ迷う事はない筈だ。

 「ぶあっ!」

 レブが口から短く炎を放射する。そこに油を染み込ませた布を巻いた木の枝を掠めさせた。すぐに燃え移り、勢い良く火は風に揺れる。

 「すまんな」

 「夜に目が視えないとは不便なものだな」

 火を灯すとほとんど同時に陽が沈んだ。地平線の向こうの微かな橙の光も徐々に吸い込まれ、消えてしまう。

 代わりにトーロの持つ松明が道を照らす。向かう先は一日では着けない。焦っても仕方がないが確実に一歩を踏み締めるしかなかった。

 「なぁ。今日から夜通し歩いて、日中は寝るんだよな?」

 「そうだぞ。皆で決めたろ」

 フジタカの確認にチコが頷く。剣を提げているとは言え、まだまだ警戒はしていない。後ろを振り向けばまだまだコラルの港町が見えているからというのもあるのかも。

 「俺のせいだよな……」

 フジタカは背負った剣の柄を握ったり、離したりを繰り返している。今はまだ私達の他には誰もいないのに。

 「ナイフを使えないお前にできる事ってなんだろうなー……」

 チコが曇り空を見上げて唸る。剣や体術は私よりもよっぽど立派にこなすけど、インヴィタドとしてみればトーロやレブには劣る。魔法に至ってはさっきのリッチさんどころの話ではない。まったく使えないんだから。

 「……ないな」

 「本人を前に言うなよ!?」

 チコの導き出した答えにフジタカが声を荒げる。騒いだ方が害獣は寄ってこないけど、静かな夜道では何事か身構えてしまう。

 「夜に穏やかに寝たいの我慢してるのは皆なんだぞ」

 「分かってるさ。相手の思うつぼに敢えて乗るんだろ。……けど、やっぱり夜は寝たいじゃん」

 皆で夜にぐっすり眠る方法、か。それなら……。

 「ならば、一刻も早く脅威を取り除く事だな」

 ……レブと同じ事考えちゃった。影響されてるのかな、私も……。

 「日中なら一撃なのにな」

 「俺が寝不足でヘロヘロしてなきゃ、だけどな」

 フジタカは寝坊って印象はない。むしろ私よりも早起きな日が多い。

 「おとなしく寝たいのは私達も同じ」

 「だが、それで殺られてはかなわん。……結局、旅に見張りは必須だしな」

 やっぱり旅の経験者が言うと違うよなぁ。私達はまだまだ知ってる事が少ない。

 「……話は変わるけど、インヴィタドってこうして見ると多いんですね」

 知らない事の一つとして、トロノに着いてからずっと思っていた事だ。私達にとって身近だったのはいつもビアヘロばかり。当然、悪い意味で。

 一方でトロノへ来た私が見たものは、トロノ支所に通うたくさんの召喚士達と、そのインヴィタド。ティラドルさんやセシリノさんをはじめとした会話できる者、できない者や無機物まで。セルヴァでは見た事のない異形達が町の中を歩いていたんだ。コラルでは商売を営むインヴィタドと知り合いになってしまう。様々なビアヘロも見てきたが、最近ではインヴィタドの方が多種多様に見ている気さえしてくる。

 「そうとは限らぬぞ」

 「え……?」

 だけどインヴィタドであるレブの方から私の考えは違うと言われてしまう。前を見たままのレブの声は淡々としていた。

 「私達から見れば同士はまだまだ少ない。そうだろう」

 「デブやトーロだって同郷じゃないけどさ……」

 苦笑いしながらフジタカもレブに同意する。そりゃあ、三人からすればそもそも異世界から客人、として来てるわけだし……。

 「貴様は召喚士となって今までの常識が通用しなくなったから、そう感じているだけに過ぎない」

 遠慮のないレブからの追撃に耳が痛い。召喚士になって変わった事か……。偉そうで口の悪い竜が常に一緒に居てくれるとか。

 「確かに、今まではインヴィタドを見る事なんてなかったなぁ」

 それこそセルヴァは小さな村だったから常駐召喚士なんていない。ビアヘロが現れても通りすがりの召喚士に頼るか魔力切れを頼るしかなかった。或いは、対処できる相手なら無理矢理に戦うか。契約者が来た時と同じ程度くらいの頻度でしか、召喚士に会う事もなかった。

 幸いにもセルヴァには結界陣は強力なものを用意してもらっていた。そのおかげでインヴィタドの様に召喚士側から認可されていない存在は近寄れない。生半可なビアヘロでは本能的にセルヴァを避けてしまうらしかった。だからこそ、ペルーダは半端なビアヘロでは本来なかったと思う。それと真っ向から戦ったのがレブで、退けたのがフジタカなんだ。

 「そう思えたのは、“自分が違う場所へ来た”という貴様自身の気付きだ」

 ひゅーっ、とフジタカが口笛を鳴らす。

 「気付けたザナは偉いっ。今自分が居る場所で学ぶ機会、存分に活かせよっ!ってデブが言ってるぞ」

 「減らず口を叩きおるな……!」

 レブが牙を見せてフジタカに威嚇する。知らん顔でフジタカは歩き続けた。……レブって警告はするけど手は出さないんだよね。……ティラドルさんを除いて。

 でも、学ぶ機会を活かせ……か。

 「レブの言う通りだね。せっかく、召喚士になってレブや他のインヴィタドと話す機会もあるんだもん。召喚士として何でも吸収していかないとね」

 「私は何も言っていない」

 フジタカとカルディナさんが小声で笑い、トーロが鼻息を噴出した。

 「そういう事にしとけよ、チビ」

 チコは欠伸を隠そうともせずに大きく口を開ける。

 「でもたまには、レブの口からちゃんと聞きたいかな」

 思うだけでは伝わらない事がある。それは、アルパの一件の後に二人で確かめ合った事でもある。

 「………」

 レブが前を歩きながら、再び横目で少しの間だけ私を見た。すぐに目線は前へと戻る。

 「甘えるな。貴様には自力で気付く力が既に備わっているだろう」

 「えー」

 甘えるつもりで言ったわけじゃないのに突き放すんだから。

 「ただし」

 「え?ただし?」

 急にレブが付け加える。

 「貴様が誤った解釈をした時は、私が是正する。それが専属契約を結んだインヴィタドである私の役目だ」

 立ち止まり、私が追い付くのを正面から待って見据えながらレブが言った。

 「………」

 「……返事は何もないのか」

 横をチコとカルディナさんが通り過ぎる。でも、ちょっと待って。

 さっきもさり気無く、私を評価してくれてなかった?気付く力は既にあるって。誤った解釈かもしれないけど。

 「頼もしいよ、レブ」

 是正してくれる、と言った。……答え合わせは今でなくても良い、よね?

 「ふん」

 レブは私を見上げていたが鼻を鳴らす。そのまま背中を向けて歩き出してしまった。私へのその……愛情表現以外も素直に言ってくれたらいいのに。一回恥ずかしがっちゃったのが悪いのかな。

 「火があると安心するね」

 気を取り直して私はレブへ話を振る。

 「相手に自分の位置を知らせている様なものだ。気を抜くのは休む時にしておけ」

 森に住んでいた頃は夜が来たら目は見えなかった。木々が星や月も隠してしまうからだ。

 だけど、今は違う。雲が星の輝きを遮っているだけ。灯りは無くても歩けるけどカルディナさんの様に目が悪い人にも合わせないといけない。トーロの持つ松明が眩しくて私は目をなるべく街道の脇へと向ける。揺らめく火よりは夜の草原を眺めていた方が心も落ち着けた。

 「レブの火って……魔法じゃないんだよね?」

 「体質だ」

 私から何か抜かれる感覚は無い。……翼で空を飛び、鱗に覆われ、爪と牙を持って火を吐き魔法も操る生物。自分には何一つ持ってないものがレブの小さな体には全部詰め込まれている。

 「じゃあ火ってずっと吐いてられるのか?」

 フジタカの質問にレブは短くいや、と答えた。

 「犬でも喉が枯れれば吠えられまい。そういうものだ」

 「遠吠えと怪獣の火炎放射を一緒にすんなよな……」

 解説したレブへ冷静にフジタカがツッコミを入れる。自信満々に断言するものだから、私も納得しかけたけど確かにそうだ。……でも、レブからすれば似た様なものなのかな。

 「ずっとは出せないって事だよね」

 「焼き尽くす理由もそこまで無いからな」

 炎よりも拳の方が早い、と言ってレブは尻尾を地面へ叩き付ける。それに、炎が出せたところで竜の鱗には通じない場合が多い。戦いに使っても相手への牽制くらいにしかならなかったのかも。

 「眠気に挫けそうならいつでも言え。尾の先を焦がして起こしてやろう」

 「テメェ!俺のキューティクルをチリチリさせたら怒るぞ!」

 珍しくフジタカが怒鳴った。……拘りがあるんだろうな、本当にいつももふもふしてるし。冬とか絶対あのもこもこは温かいよ。

 そんな心配を余所に私達は夜中に移動し続けた。眠そうだった人は強いて言うならニクス様くらい。聞いてみると、眠そうと言うよりは視界が確保できずに目を細めていただけだった。

 陽が昇り出して私達はすぐにフジタカの能力の確認をする。草を切って消えれば、フジタカは一番の戦力として温存態勢に入って優先的に眠ってもらった。夜は消せないがいつから消せる様になるか把握する上では良い実験になる。

 三日は歩き続けるとカルディナさんは言ったが四日経っても私達はロカへは着かなかった。理由の一つとして視界と安全の確保を第一にした結果。もう一つは……。

 「相変わらず時間の見積もりが下手だな、カルディナ」

 「ごめんなさい……」

 陽が傾きかけた頃に私達の旅路が進む。今日の分が始まる、と地図を睨んでいたトーロがムスッとしながら呟く。対してカルディナさんは顔を赤くして俯いた。

 保存食はまだまだ用意があった。トーロは計算が苦手、とカルディナさんが教えてくれたけど雑に買ったわけではないみたい。地図を見て感覚的に分かるんだろうな。そして、カルディナさんのこうした弱点を経験で知っているから対処もできる、と。

 「俺三日って聞いてたのにー」

 「チコ……言っても仕方ないだろ?あの川を越えたらすぐだって」

 疲れを見せ始めるチコにフジタカは余裕を見せる。セルヴァでの走りでも思ったけど、フジタカは持久力というか脚力があるのかな。

 「貴様はへばらないのか」

 「私?うん、しっかり揉んで、疲れを持ち越さない様にしてるもん!」

 へばらないのか、って聞き方は変えようよ。

 「……ならばいい」

 疲れた、って言ったら前みたいに背負ってくれるのかな。……それってレブにとっては得なのかもしれないけど、私達からしたら貴重な戦力を削る事になるんだから頼めないよ?気持ちはありがたいけどね。

 坂道が続き、周りの景色が平原から変わってきた。見えていた川も、徐々に見え隠れして街道は細くなっていく。逆に歩いていた道に合わせて聞こえていた水流の音はどんどんと大きくなっていった。

 「これ、川っていうか……」

 「滝だな……」

 フジタカが顔を掻き、チコは首を上へと傾けて呆然とした。音源を見付けて私も言葉を失う。

 森へ入るのか、と思うくらいに木々が増えてきた辺りで一度視界が開ける。そこに広がっていた光景は圧巻だった。

 大きな岩があちこちに転がり、穏やかな勢いで透き通った水が流れていく。しかし水音は非常に大きく、声を張らないと互いの声もきこえないくらいだった。

 そう、聞こえていた水の音は川の水ではない。その少し上流にある滝のせいだった。私達の何倍もの高さを誇る滝が絶え間なく水を落としている。暗くなってきてその姿は綺麗と言うよりは私達を圧倒する、まさに水の竜の様だった。

 「橋が近くにあると思うの。まずは……」

 「その前にする事がある」

 私達が滝に目を奪われて少ししてからカルディナさんが口を開く。次の段階へ行きたいのにレブが遮った。

 「焚き火の用意か」

 「やってみるか」

 トーロが歩きながら確保していた木の枝をレブが取り上げる。すぐに口から火を出してレブは上流へ駆け出した。

 「おい、どこへ行く!そっちは……」

 レブを呼び止めようとしたトーロの横で、フジタカの耳が跳ねた。

 「……っ!違う足音だ!」

 トーロの声をかき消す様にフジタカが叫び、私の方を見る。

 「……ふんっ!」

 レブが木の枝を両手で持って大きく振るう。すると、火が点いた部分の枝が何かに激突し分断された。あっけなく火種は川へと落ちて明かりは消えてしまう。

 しかし、消える前に確かに私達は見えた。レブが持っていた松明を壊したのは、彼のずっと向こうから飛んできた一本の矢だったと。

 「敵襲、だな」

 レブの声と共に目の前が輝いて風が吹く。光が消え、風が止めば大きな影が二つ伸びていく。目が慣れてきて、その隣に動く人影も見えた。

 「ゴーレム……!」

 伸びた影の頭頂がそれぞれ赤く輝いた。召喚陣の発動も視認したし、あの岩の塊は間違いない。ゴーレムをこの場で召喚したんだ。

 「待ち伏せしていた割には、代り映えのないものしか用意しなかったか」

 「でもレブ!」

 相手との距離はまだある。しかも、今回は最初から奥の手は二つとも封じられている。

 「人間の弓矢で私が止まると思うな!」

 レブは真っ直ぐにゴーレムの核を目指し一人で走り出す。他の男性陣もニクス様を覗いて武器を取り出した。

 「トーロはニクス様を守りながら魔法で援護!程々にね!」

 「分かった!ニクス様は俺の後ろへ!」

 「すまない」

 カルディナさんの鋭い指示にトーロはすかさず反応しニクス様の前に立つ。すぐに魔法の詠唱に入って自身の動きを止めてしまう。

 「フジタカ!俺とお前は本体を潰す!」

 「召喚士を捕まえるんだな!遅れるなよ!」

 チコはフジタカと一緒にゴーレムを避ける様にこちらへ仕掛けてきた召喚士を狙う。でも、それじゃ間に合わない。

 「レブ!ゴーレムの足止め!魔法は好きに使って!」

 「言われずとも……!」

 私の漠然とした指示をレブは自分で判断して既に動いている。一番に気付いたのも彼だけど、それでもまだゴーレムには着かない。

 それどころか、ゴーレムの側も片方は動かない。動く方のゴーレムも上に立った人影が立て続けにレブを狙って弓を放っているだけでインヴィタドの方から攻撃はなかった。移動しているだけ?

 もう一人いる筈。そう思っても止まったゴーレムの後ろにいるのか見る事はできない。

 「く……!」

 「ザナさん!待って!」

 「状況を中継します!」

 私が前に出てできる事はない。だけど、妙に気持ち悪くて走り出していた。私達には滝があっても聞き分けられるフジタカの耳が無い。音の情報が制限されているから後ろにいるだけじゃ、駄目だ。カルディナさんが私を呼ぶけど少し前へ駆け出す。

 「まずは一体!」

 レブが射撃を続けてこちら側へ近付いてくるゴーレムへ接触する。避ける素振りを見せないレブに何本も矢は命中しているが、鱗を貫くには至らない。恐らく痛みを与える事もできていないと思う。

 だけど私の目にはその奥が見えていた。

 「レブ!止まって!」

 「指示が遅……いぃっ!」

 私が叫ぶと同時だった。後方待機していた方のゴーレムが動いた。跳んだレブごと後ろのゴーレムが前のゴーレムへ腕を振って吹き飛ばす。岩が弾丸の様に打ち出されてレブの姿も見失う。

 「普通のゴーレムの動きじゃない……!」

 ゴーレムの移動を素早く行わせて、すかさず流れる様に攻撃の挙動に移した。通常のゴーレムは複数の指示に核が反応し切れずに最新の命令に従う。拳を構えながら移動して、その勢いで攻撃しろなんて芸当はできない。……専属契約を結ばなければ。

 「まさか、今刻み付けた……!?」

 片方のゴーレムが注意を引き付けている間に後ろで召喚陣を彫っていた。……複雑な陣である必要がないのは自分でもやったから知っている。

 「ザナさん!今の……」

 カルディナさんも私に追い付く。

 「カルディナさん……。専属契約って、一人の召喚士が複数回行う事ってできるんですか……?」

 質問している場合ではないけど、確認しておかないと。

 「……試す人がいたわけか。私は知らないけど、理屈としては可能なんでしょうね」

 それが聞けただけでも十分だ。専属契約は召喚士とインヴィタドの一対一で行われる。仮に専属契約の召喚陣を持ったインヴィタドが何らかの理由で陣諸共消えてしまったらどうなるのか。

 ……たぶん、召喚士は再び別の相手に契約陣を刻み込めば再度専属契約を結べる。その答えがあのゴーレムだ。動きが良いのは、前回よりも体が一回り小さいからというだけでは説明がつかない。

 「レブ、返事をして!」

 「ここだ……!」

 私が声を張ると弾け飛んだ岩と岩からレブが飛び出し、こちらへ駆けて来た。

 「ふんっ!」

 突然走りながら真後ろに向きを変えて跳ねると腕を薙ぐ。べき、と音がして折れた矢が私とカルディナさんの脇に落ちた。

 「狙われているのは契約者だけでない。もはや、ここにいる全員だ」

 「ご、ごめん……ありがとう」

 レブはすぐにもう一度ゴーレムへ挑もうと前へ出る。せめて少しでも情報を伝えておかないと。

 「あっちのゴーレム!たぶん専属契約してる!気を付けて!」

 「アルパと違い、小石が多い。……関節が多い生き物を相手にしているみたいだ」

 転がる石ころも相手は取り込んでいるらしい。レブは小石を幾つも乱暴に蹴飛ばすと再びゴーレムへ挑む。

 「く……近付けねぇ!」

 チコとフジタカが回り込もうにも専属契約を済ませた方のゴーレムは片腕に石をどんどん取り込んで、鞭や蛇の様に振るう。レブだって傷付かなくても思う様に移動できていない。

 「だったらこじ開ける!」

 トーロが後ろで叫ぶと私とカルディナさんはさっとゴーレムの前から身を引いた。

 「大地の巨砲よ!奴を撃ち抜けぇぇ!」

 トーロの足元から魔法の陣が展開される。ぐら、と地面が揺れたと思うといきなり地下からトーロよりも大きい岩が火薬も無しに爆発してゴーレムを目指し真っ直ぐに飛ぶ。空気を無理に裂く音が耳に残る。

 「どうだぁ!」

 岩は地面を掠めながら飛んでゴーレムへ直撃した。空は晴れていても夜の闇に土煙があっては視界の確保は困難になってしまう。

 「援護にしては強力過ぎる」

 レブが言った直後、土煙の中心から風が巻き起こり、中から姿を現したのは二体のゴーレム。一体はトーロの岩をそのまま受け止めたのか、お腹部分にそのまま大岩を嵌め込んでいた。

 「しまった……!」

 トーロがニクス様を連れて私達に追い付くがもう遅い。後ろの一体が急に跳んだ。

 「ご、ゴーレムが……!?」

 「跳んだな」

 跳躍と言うにはあまりに高く、空中分解したと言った方が正しい様に見えた。一度宙で人型を捨てたゴーレムは一つ一つが攻撃の意思を持って私達を狙う。

 「下がれ!お前達もだ!」

 前に出ようとしていたチコとフジタカも呼んで私達は来た道を戻る様に後ろへ下がった。直後、石の雨が怒涛の勢いで降り注ぐ。一つでも頭に直撃すれば私達には致命傷になりかねない。

 「仕切り直し……」

 「にしちゃあ分が悪いな」

 チコとフジタカは既に戦闘の緊迫感に汗が止まらない。武器を構え直している間に積み重なった石の山は再びゴーレムへと形を整える。

 「専属契約を与える時間を与えただけでなく、相手を強化するとはどういうつもりだ」

 「悪かった……」

 レブがトーロを一喝する。何も言い返せずにただトーロは俯いた。

 「後にしろよ。どうするよ、デブ」

 奇妙なくらい静かになった。しかし、人影もゴーレムも離れた正面に確かに残っている。このまま私達を逃がすつもりなんてない。

 「弓矢と遠距離をこなすゴーレムを掻い潜って召喚士を止める」

 「そんな事……!」

 言っていることは分かるけど、そう単純にはいかない。レブだって今回は悩んでいる様だった。

 「私達には決定打が足りない。ティラがいれば、この程度のゴーレムにそう手こずらないのだがな」

 決め手がないのはその通りだった。もうフジタカのナイフは使えないし、使えてもあの小石一つ一つを相手にするのは無理がある。まとめて吹き飛ばすのなら、それこそトーロが使う大地の魔法か、ティラドルさんが出す水の魔法なんだろう。

 「無いものねだりをしても仕方がない。私が奴を引き付ける間に策を用意しろ」

 「待って!一人じゃまずいよ!」

 レブこそ多勢に無勢、多対一は苦手なのに。言っても聞かずにレブは飛び出してゴーレム二体に殴りかかる。

 「……アイツに任せよう」

 「フジタカ……」

 追おうと前に出かけた私の肩にフジタカが手を乗せて止める。

 「あの石頭なら少しは大丈夫だ。何か……何か考えてくれ」

 追い付く事ばかりに集中していた。結局最初から、私達に備えなんてある様で無かった。あったのは襲われるだろう、という予測と心構えだけ。それでは勝利に結びつかないのは当然だった。

 「うわぁ!」

 フジタカが剣を前に構えて矢を弾く。しまった、弓の攻撃が再開された。もう一人の影も弓を持っているが、狙っているのはレブらしい。

 「ふんっ!はぁ!」

 レブは果敢にゴーレムへ飛び掛かり、積極的に核も狙っている。だけど相手が細かすぎる上に乱暴で大雑把だ。しなる様に襲い掛かってくる小石を蹴散らしてもすぐに復元され、あげく復元したゴーレムを巻き込んで大きい方のゴーレムがレブを狙う。アルパでレブがやったゴーレム砲弾をそのまま返されている様なものだ。しかも核も崩れる事でゆらゆら動いて位置が定まっていない。もはやどっちの岩がどちらのゴーレムかの判別もついていなかった。

 「……」

 このままじゃレブもいずれは押し負ける。あのゴーレムを構成している岩や石が全部レブを覆えば、殺せずとも動きを封じる事くらいはできるかも。……そうはさせないけど。

 「これが専属契約したインヴィタド……」

 アルパで戦った時とは違う。村を壊滅させる為の大きさが無い分、私達を狙う事だけに特化したゴーレムに私は身を震わせた。こんなのに一人でいる時に襲われたら、成す術もない。

 ビアヘロなら、とにかく逃げて魔力切れを狙う、指示が無いなら隠れてやり過ごす事もできただろう。しかし相手は召喚士が、故意に呼び出した存在だ。逃げようとも仕留めるまで追ってくる。

 「………」

 でも、今は一人じゃない。私にはレブも、フジタカもトーロもいる。カルディナさんやニクス様、チコもこの状況を打開する為に頭を働させているんだ。

 「一番はゴーレムの動きを封じて核を壊す」

 「その間、弓矢の援護も避ける」

 「核を壊したら、召喚士を確保……」

 一度にこなすなんて難易度が高過ぎる。しかし、どれかを怠った途端に状況は悪化するのは間違いない。

 「俺の魔法をもう一発打ち込んで、あの陣形を一つにまとめる。俺の魔法を取り込むってのなら、それを利用するんだ」

 トーロの提案に皆が顔を見合わせる。受け止めても、直撃でも倒すことが目的ではない。……そうなると、トーロとカルディナさんはこの場に固定しないといけない。後は……。

 「私達がどうするか」

 私とチコとフジタカ。この三人とレブでゴーレムの核を砕く。

 「止まればこっちのもん……とはいかないぞ。アイツらの回復速度は分かるだろ」

 レブに打ち負けて飛んで行った岩も、ずるずると引き寄せられて足や腰に戻り、やがて腕へと戻っている。専属契約をしてしまったゴーレムは実質、人型に誤魔化されているがこの川周りの全てが自分の体になっている様なものだった。

 「じゃあどうしよう!レブだってもう……!」

 レブが戦ってくれている。キリが無くて舌打ちしているのは少なからず苦戦しているからだ。分かっているのに自分にできる事が思い付かない。

 「……一つ、もしかしたらできるかもしれない。アイツらをぶっ壊さずに核をまとめて潰す方法が」

 そこにチコが重々しく口を開く。その言葉にフジタカも耳をこちらへ向けた。

 「マジかよ、チコ!」

 「お前は前向いてろ!……あのチビ、まだ動けるよな?」

 フジタカに怒鳴り、チコが前に剣を構えながら私を横目で見る。

 「うん。まだ大丈夫だと思う」

 レブが戦っていて弱音は言わない。救援が必要なら、見栄を張りながらもきちんと主張する。まだ何も言ってこないなら継戦可能だ。

 「追って来るかもしれねぇが、一度呼び戻せ。俺達も引き返して隠れる」

 納得するかな……。でも、必要ならそうするしかない。

 「分かった……!レブ!戻って!」

 「……っ!」

 私の声に反応して、レブは左右から襲い来る四本の鞭を躱し、一本を弾き飛ばした。一度後ろに宙返りして私達の方へ戻ってくる。その間も放たれる鞭に背中を打たれるが、そこは鱗なので効いてはいない。

 「こっちだ!」

 街道ではなく茂みに飛び込む。弓矢の追撃が私のすぐ横の木に刺さったがとにかく一度距離を置いた。レブも相手を警戒しながら一緒に走ってくれている。

 「ここまで!ギリギリ相手が見える位置にいろ」

 チコが言った地点で止まる。後ろを向けば、暗い木々の奥に微かに動く石山が二つ見える。完全に召喚士の方は見失ったが、あのゴーレムを動かして指示を出す以上は動くまい。

 「はぁ……はぁ……」

 「私を呼び戻したのだ、相応の策は用意できたのだろうな」

 呼吸は乱していないがレブも肩を上下させて腕を組む。平気そう、だけど……。

 「っ……。トーロが魔法でゴーレムを一か所にぶっ飛ばす。そこで俺と、チビが組んでゴーレムの核を砕く」

 チコとレブが組む?それに誰もが首を傾げた。その間にも小石が数個こちらへ矢の代わりに飛んできた。ここまで来れば核も石に魔力を纏わせ操るまではできないみたい。てんで方向違いでそこまで警戒はしなくても良さそう。

 「行うは難し。牛までならば良いだろう。だが、小僧に何ができる」

 「これだ」

 チコが自分の腕輪から一枚の紙を取り出した。

 「それ……召喚陣じゃない」

少なくとも、試験でカルディナさんが用意してフジタカが現れた方の陣ではない。

 「おい、この期に及んで何か頼もしい助っ人を呼ぶってのか?」

 「そうだ」

チコの即答にフジタカが目を丸くする。

 「何を呼ぶってんだ。頼もしい長身で細身のスタイル抜群ハイパードラゴンか?」

 「短足のデブとか言わないでよ。ちょっとは気にしてるんだよ」

 「誰もその話はしていまい。それに太ってはいない」

 あぁ、横道に逸らしちゃった……。ごめん。

 「強力なのを呼べるなら何でも呼びたいが……俺の召喚ならお前らも見てるだろ」

 チコの召喚って言ったらフジタカ以外だと……。

 「……スライム?」

 「そうだ」

 まさか、と思って言ったのにチコは頷いた。

 「スライムなんて出してどうすんだよ!あの腕を叩き付けられたら簡単にプチっとなっちまうだろ?」

 だったら俺が飛び込んだ方がまだ良い、と言わんばかりにフジタカも唾を飛ばしながら口を大きく開く。

 「目的はスライムで手数を増やす事じゃない」

 「ふむ」

 いち早くチコの意図を読み取ったのはレブだった。

 「一か所に集めたゴーレムの核にスライムを纏わせ、あの軟体に私の雷撃を流して一気に仕留める……。さしずめ、そんなところか」

 「ゴメーサツ」

 チコがニヤリと笑ってレブを見る。

 「俺が魔力をほとんど消費していない状態だ。だからありったけの魔力で巨大なスライムを敵のど真ん中で召喚する。あとは……」

 「無理だろうな」

 自信満々に言うチコにレブがあっさりと言い放つ。

 「は!?お前、なんで……」

 まさか断られると思っていなかったのかチコも話を途中で止めて声を荒げる。その間もトーロとニクス様はゴーレム達の動きを見張ってくれていた。

 「スライムにはどちらにせよ消えてもらう。二体の中央へ先に陣取らせて、私はどうする」

 「だからそのスライムへ一気に……」

 「……スライムの核が先に潰れる?」

 私の思い付きにレブが肯定する様に鼻を鳴らした。

 「あ……」

 チコから表情、血の気が引いていく。

 「じゃ、じゃあもう……」

 「そう焦るな」

 諦めそうになるチコへレブがこれまたゆっくりと語る。悠長な事言っている場合じゃないのに。

 「着眼点は悪くなかった。スライムを纏わせるまではやれば良い。少なくとも、止まれば一体くらいは潰せよう」

 「でもそれじゃあ……!」

 「一体残る」

 片方でも倒してしまえば、後はどうにでもなるって事?でも、相手が最初に使った召喚陣が残っていたらまたゴーレムが来るかも。だったらインヴィタドを増やされる前に勝負をつけるしか……。

 「二体倒したいのなら、スライムを中央、私を端に配置しろ」

 そして、とレブが私を見上げる。

 「もう片方の端には貴様に立ってもらう」

 「は……えぇ?」

 急に私の手を掴み、レブが言った。

 「お前!ザナに敵陣へ突っ込めって言うのか!?」

 フジタカが叫び、他の面々も私達を見る。

 「どうしたらいいの?」

 「ザナ!そんなのダメだって!」

 チコも言うけど、私は聞いてみたかった。どうしてレブがそんな考えに至ったのか。そうする事で、本当に私達が相手に勝てるのか。最初こそ驚いたけどもう大丈夫。心構えはしてあるから。

 「やる事はそう難しい事ではない」

 レブの前振りに私はこんな時なのに笑う。という事は、レブにとってはともかく、私からしたら絶対に無茶だ。

 「私と貴様が両極に立って、スライムの粘液がゴーレムの核を被覆したと同時に二人で電撃を流す。これならば二体同時に撃破も可能だ」

ほらね。何を言い出すかと思って期待したらこれだ。

 「よし、やろう!」

 私とレブがゴーレムとの距離を目測し始める。

 「って、おいおいおい!何言ってんだ、このデブ!」

 「そうよ!貴方、ザナさんに魔法を使えって言ったのよ!?」

 フジタカとカルディナさんも声をひっくり返してレブに詰め寄る。本人は煩わしそうに目を細めた。

 「だったら他に手があるか。私は、この状況で最も勝率の高いやり方を提案しただけだ」

 「……ザナさん、魔法が使えるの?」

 カルディナさんはレブに言い返すのは止めて私の方を見る。その目線は鋭い。

 「……いいえ。自分から試した事も、レブから教わった事もありません」

 「だったら!どうして安請け合いするの!実験もしていないのにいきなりだなんて、そんなの認められません!」

 カルディナさんの高い声が現実を突き付け耳に冷たく響く。だけど私は落ち着いていた。

 そう、レブの発言は確かにあまりにも現実離れしていた。召喚士見習いの私がいきなり、召喚士の到達点である“魔法を自力で発動させる”という偉業に挑めって言っているんだもの。異世界の技術を伝授するなんて機会に恵まれる召喚士はそう多くない。

 「でも、やります!私とレブにやらせてください!」

 無茶だとしても、私の決意はもう固まっていた。レブが言ってくれたんだからできる気がする。本当に今の私には絶対にできないと言うのなら、きっとレブはそもそも最初から提案したりしない。私が頑張れば届くところにはある……筈。

 「……分かりました。でもね」

 「危険だと判断したら、俺が魔法で壁を作ってせき止める。いいな?」

 「お願い、トーロ」

 どこまでできるか分からない事に対する、せめてもの条件と対策。私も二人の気遣いに甘えたフリをして頷く。

 「………」

 私がやらないと。

 「自信が無いか」

 決意を確認したいのか、レブが私の隣に立つ。

 「スライムも出せないんだもん」

 「そうだったな」

 励ましてはくれない。だけど私の気負いが少しは和らいだ。

 「私から言えるのは、自分の中へと腕を通せという事だけだ。あとは静電気でも出してくれればこちらで増幅する」

 「失敗して、レブだけが雷を出したら?」

 私が目だけでレブを見ると、彼は私を見上げて冷静に答えてくれる。

 「最悪、貴様も私の雷に感電する。その後は……」

 言わなくても、大丈夫。

 「聞いてみただけ。失敗しないよ、私は」

 断言してみせる。いつもぼかさないレブに私から、率直に。

 「今までずっとレブが魔法を使うところを見てたんだもん。上手くはないと思うけど、やってみせるよ」

 「昨日今日で私と同程度操れる人間など、人間ではない」

 ほら、素っ気ない。

「大事なのは二極が同時に雷を発生させる事だ。……私一人ではできぬが……」

 「私がいるだけでも、状況は変えられるかもしれない」

 そういう事だ、とレブが首を縦に振る。

 「二人の共同作業、ってやつだね」

 「………」

 レブが口を引き結んだ。

 「……レブ?」

 固まったレブにもう一度声を掛ける。すると二、三度口がぱくぱく開いてから、ようやく返事がきた。

 「……も」

 「も?」

 「……もう一度、言ってくれないか」

 何を?と聞き返す前に私は自分の発言を振り返る。えと……。

 「私が」

 「少し後だ」

 ……要求が多いな。

 「二人の共同作業ってやつ……だね?」

 「そうだ。私達の共同作業だ」

 レブが拳を軽く振り上げ、力強く肯定してくれる。今度は私が少し恥ずかしくなって目を逸らしてしまった。

 「と、とにかく行くよ!」

 「あぁ!私は貴様と、必ず二人で成功する!」

 作戦の要に気合いが入ったところで、私達は再度ゴーレム達の前に飛び出した。すかさず弓矢とゴーレムが振るう岩の鞭が再開される。

 「レブ!」

 「任せておけ!」

 ここからは先程の再現だ。レブが引き付け、トーロは魔法を編み上げる。

 「くっ!ふっ!」

 「チコ!お前も出番があるんだからまだ前に出るな!」

 無防備になっているトーロとカルディナさんをチコとフジタカが護衛する。今のところ、矢は見事にフジタカが全部捌いてくれていた。

 「うるせー!俺だって!俺だってあのチビを見返してやるんだ!」

 レブの言葉に焚き付けられてチコもやる気を見せている。これなら!

 岩槌と岩の鞭が絶えず様々な方向から襲い掛かって来るなか、レブは相手の位置取りを意識して動いていた。離れそうになったら引き寄せて、かつわざと同士討ちをさせない。故に、余計レブは回避し切れず打たれる場面も多かった。

 それでも、最後までやり遂げてくれた。

 「反撃……開始だぁぁぁ!」

 トーロの叫び、魔法の発動が合図となって私達は前に出た。カルディナさんとニクス様はその場に残し、防御を捨てる。

 再び輝く陣がトーロの足元に広がり、大地が爆破されて巨大な岩が不吉な音を立てて飛んでいく。相手は待ってました、と言わんばかりに細い鞭を振るっていた方のゴーレム自ら直撃し、ガラガラともう一体を巻き込み大きな音を立てて崩れた。当然、レブは既に避けている。

 「今だ!チコぉ!」

 私と並走していたフジタカが叫ぶ。

 「あぁ!俺のありったけ全部……来い……やぁぁぁぁぁあ!」

 チコが召喚陣を星空へ掲げる。途端に陣が鈍く輝いて、陣の描かれた紙をすぐに呑み込みながら巨大なスライムが姿を現した。大きさにして、小さな物置小屋くらい。普段は桶一杯分程度を出していたと考えれば、信じられない量だった。

 「行けぇ!」

 チコの命令に従い、空を舐める様に膨れ上がったスライムがゴーレムを覆う。核を包む頭二つで良かったのに、二体の上半身を埋め尽くす勢いで粘液は岩の人形を呑み込んだ。私達も矢を避けながら足を止めずに突き進む。

 「ここまではやったぞぉ!」

 「あとは……!」

 「任せて!」

 再生する間は与えない!私とレブが離れて向かい合う位置に着いて粘液へ両手を突っ込む。

 レブが言っていた。自分の中へと腕を通せ、と。意味は分かっている。今度は召喚陣ではなく、自分の魔力線の中へと手を差し込む。外に出していた物を急に内側に引き戻し、流れを変えるに等しい。感覚には違和感しかなかった。だけど。

 「雷よ閃け!」

 「そして疾走はしれ!」

 「最後に……」

 「「貫け!」」

 一言一句レブの声と重なり、自分の足元から見た事のない魔法陣が広がる。直後、私の視界は中央から真っ白に塗り潰されていた。何かに掴まれて引っ張られるこの感覚は間違いない。経験した事もある。

 普段レブが魔法を使う時、私はレブに自分の魔力を吸い取られる。どうしようもない力で心臓を引っ張られて生気を抜かれる感じ。それを、今自力だけで再現した。レブからの引っ張られ方と違うから私は違和感を覚えたんだ。

 「う……!」

 際限なく心臓を引っ張る様な痛み。それは自分で心臓を握り潰すと同じ事。私は思わず力を緩めそうになった。

 しかし、視界が開けてきて私は見た。スライムへ紫に光る電流が走り、ゴーレムが岩の体を痙攣させて苦しんでいるのを。フジタカは私のすぐ隣で岩や矢が跳弾しないか警戒してくれている。

 「まだ……!」

 だったら最後まで頑張らないと……!嫌な汗が頬を伝わり滴り落ちていく。それを拭う余裕も無く、私は抜けそうになった力を再び込めようとした。

 「無理をするな、と言った筈だ」

 レブの声が聞こえた気がした。直後、私の手が何かに包まれてスライムから抜ける。

 「あ、え……?」

 実際には何も私の手を包んでいない。私が自力で引き抜いたんだ。途端にチコの出したスライムが弾け飛び、辺りに粘液を撒き散らす。

 「犬ころ!仕上げろ!」

 「あぁ!」

 ガクン、と体から力が抜けた。浮かせた手を地面につけて、なんとか自分を支えて私は倒れないでいられた。息が、続かない。フジタカがスライムだった粘つく水溜りに足を突っ込んで走っていくのに、私は動けなかった。

 「はっ……はっ……!はぁ……」

 深く息を吐き出してなんとか呼吸を整えていく。その間にレブがゴーレムの核を踏み砕く。フジタカがもう一体の核を剣で叩き壊してくれた。すぐにトーロも追い付いて、三人のインヴィタドは奥へと駆け出した。

 「待……!」

 立ち上がろうとして、石に足を取られてそのまま転んだ。切ってはいないけど顔を打った痛みは私の意識をよりはっきりしたものへと戻してくれる。

 「急に動いちゃダメよ」

 「でも……!」

 カルディナさんが私の肩を支えてくれた。力を抜いて呼吸に専念できて楽だ。だけど、そうは言っていられない。

 「う、うわぁぁぁぁぁあ!」

 「来るな!来るなぁ!」

 聞き慣れない、二人の男性の声が聞こえた。その直後だった。

 「うっ……!」

 「トーロ!」

 ドンッ、と鈍く大きな音が聞こえた同時に苦悶の声が上がる。それがトーロのものだと一番に気付いたのはカルディナさんだった。私もすぐに立ち上がって、先行したインヴィタド達を見る。すると、トーロの肩から一本の影が伸びていた。

 「ぐっ……あ、ぁぁぁぁ、ありゃあ!」

 あろうことか、トーロは肩から生えた影、自分に刺さった矢を引き抜いた。すぐに彼の体からは短い間だが、血が吹き出る。

 「カルディナさん!」

 「ええ!」

 私が自分の鞄から包帯と消毒液を取り出してカルディナさんへ手渡す。すぐにカルディナさんは尚も召喚士を追うトーロの元へと向かった。私も召喚士の二人を捉えなきゃ。

 「……共に行こう」

 続いてきてくれたのはニクス様だった。

 「ニクス様……。はい……!」

 私の気持ちを汲み取ってくれたのか、二人でレブとフジタカ、そして召喚士を追う。チコはまだ動けないみたいだった。

 「レブ……!」

 「随分早かったな」

 既にレブは召喚士の一人を捕まえて、背中を踏み付けて拘束していた。すぐにニクス様が縄を持って渡すと、レブはグルグルに召喚士を縛り上げた。

 「レジェス・セレーナ……」

 「くっ……!」

 私が名前を呼ぶと目の前に座る男は顔を背けた。肌は浅黒く細身で、茶髪の男性は前にトロノで見た人物で間違いない。……今はとても殺気だって別人かと思った。

 「フジタカは……」

 「まだ仕留め切れて……いや、終わったな」

 フジタカの姿を追うと、彼が縄を付けたナイフを投擲した瞬間だった。ナイフは走って一人逃げていた男の足を捉えて見事に転ばせる。そのまま縄で動けなくしてこちらへとズルズル引き摺ってきた。

 「放せ!放せっての!このぉ!」

 「うるせぇ!じたばた暴れるんじゃねぇ!」

 手助けが要るかと思ったけど、フジタカは力強く連れてレジェスの隣にもう一人を放り投げた。間違いない、レジェスと一緒にトロノへ来たアマドル・マデラだった。

 「痛っ……!しつけーなテメェも……!」

 「狼ってのはな、狙った獲物はしつこく追い掛けて仕留めるんだ!ナイフで消せないなら、この目で追って、それでもダメなら匂いを頼りに鼻で追う!」

 「くっ……ちっ!」

 舌打ちをしてアマドルもレジェスへ背を向ける様に俯いた。包帯を巻いたトーロや、カルディナさんもチコを連れて集まってくる。

 「アマドルとレジェス……」

 カルディナさんがは二人を見下ろして呟く。その表情は暗がりから見ても沈んでいた。トーロは傷口が痛むのか、先の興奮が静まらないのかずっと大きく鼻を鳴らしている。

 「貴方達……最初から召喚士の力を持っていたのね?なのに、試験をわざと受けた……」

 「ふんっ……!返してもらうぞ」

 血が包帯に滲むのも構わず、トーロが息も荒く二人から腕輪を取り返した。

 「どういうつもりで我々に近付いた」

 「………」

 「………」

 トーロからの質問に、二人は口を閉ざしたままだった。

 「答えろよ!」

 「……へっ」

 「この……!」

 チコが怒鳴るが、逆にレジェスはへらへらと笑った。顔を真っ赤にしてチコは危うく殴りかかるところだったけど、何とかフジタカが押さえてくれる。

 「……質問を変える。どうして、契約者を狙った」

 「………っ!」

 「答えろ。手荒な真似は、俺だってしたくない」

 レジェスへナイフを突き付け、フジタカが静かに脅す。……本当は刺すつもりなんてないんだろうな。

 「……フエンテからの指示だ」

 「アマドル!」

 鋭くレジェスが止めたが、聞き逃しはしなかった。フエンテ……初めて聞く名前だった。

 「契約者を狙う理由なんて、一つしかない……」

 「そんなの、ある訳ない!」

 私が声を張ると、アマドルを睨んでいたレジェスの目が私を向いた。拘束されているのに、蛇の様に感情を見せず絞め付けてくる視線に私は身を強張らせた。レブが手をかざしてくれていなかったら、少し引きそうになったかも。

 「あるに決まってるだろぉ?契約者を殺す理由なら。なぁ?」

 「………」

 レジェスがニクス様へ今度は話し掛ける。当然、殺されかかった側のニクス様は答えない。

 「俺達はうんざりしてるんだ!契約者が悪戯に、お前達みたいな召喚術を使える人間を増やすのがな!」

 「貴方達だって召喚士じゃない」

 「一緒にするな……!」

 努めて落ち着いて話そうとしているカルディナさんにも冷たく言い返す。態度で挑発されても動じていたら話にならない。

 「そうだ!俺達は今もフエ……んぐぅっ!?」

 「ぐ、あぁあ!」

 「え、え……!?」

 何かを言い返そうとしたレジェスだったが、突如苦しみ始めた。隣にいたアマドルも同様に悲鳴を上げる。

 「ぐ、え……あぁぁ!」

 「あがぁぁぁ!」

 ひと際大きな叫びを上げると、辺りは静寂に包まれる。虫の鳴き声が聞こえてくるくらいで、私達も言葉が続かない。

 「……あれ?」

 そして、二人は消えてなくなった。拘束していた縄も残さずに。

 私達は目の前で起きた現象を理解できない。だけど、見た事はあった。

 アマドルとレジェスが消える直前に聞こえた音。大きな羽音に似たヴン、と耳を通り過ぎる様なその音はフジタカがアルコイリスで何かを消した時と……同じに聞こえた。

 「え……?なに?俺じゃ……ないぞ」

 フジタカは首をゆるゆると横に振った。そうは言うけど、皆の視線がフジタカに集中してしまっている。

 「俺……なのか?あの二人……最後、苦しんでいたけど……」

 「あれは……ううん、どれもフジタカじゃないよ」

 私も、最後の断末魔の様な二人の姿は思い出したくない。あんなにもがき苦しんだ挙句に消えるなんて。

 「犬ころの力にも見えたが……。少なくとも、別の誰かだ」

 レブが消えた痕跡を足でなぞる。

 「……いなくなったならともかく、逃げられたとしたら厄介だな。足取りが掴めん」

 「逃げられた……?」

 トーロが傷を押さえながらレブに尋ねる。

 「言っていたではないか。フエンテに指示された、と。恐らくは……おい!」

 「う……」

 急に、立ち眩みが強まった。レブの話を聞かないと、いけないのに……。私は膝をついてから倒れそうになった。

 「……貴様はそればかりだな」

 「ごめん……。意識はある……うん、大丈夫」

 レブが抱き留めてくれるのも、いつもの事。こんなのがいつもじゃいけないのに。

 「……ロカまで、あとどれくらいだ」

 「え?あぁ……川を越えてすぐよ。……あの二人がロカにいた可能性もあるけど?」

 レブとカルディナさんの会話が耳に入ってくる。

 「できれば、チコもザナもゆっくり休ませてあげたいんだけど……」

 「俺は大丈……うう」

 「ほら見ろ」

 次いでフジタカとチコ。チコの即時召喚は凄かったなぁ……。

 「私が背負う」

 「あ、チコは俺が!だから……少し無理してロカに行けませんか?今からなら寝入るまでに間に合うかもしれないし」

 「そうね……」

 カルディナさんが困った声を出してるのに、私はそれを確認する事もできない。

 「……契約者が来たのだ、無碍にはせぬだろう。あの召喚士達もわざわざロカの村人を戦力に考え、懐柔はしておるまい……」

 意外にもニクス様もレブとフジタカに乗った。

 「……なら、トーロは私が支えないとね。我慢できる?」

 「足は健在だ。……少し血は足りないがな」

 呼吸が落ち着いたのか、トーロの穏やかな表情は見えた。

 「ならば決まりだ」

 レブが私の顔を覗き込む。

 「ロカへは私達が連れて行く。……少し、頼ってくれ」

 「……うん」

 私にだけ聞こえる様に言ったレブに頷いて、彼に身を委ねる。

 まさかこんな結末を迎えるとは思っていなかった。あまりに拍子抜けで、あまりに不甲斐無い。甘えたいのにレブに言えない。そんな場合じゃないと分かっていたから。


 少なくとも、何かの始まりに出会ってしまった夜だったと思う。口に出さずとも、その場にいた誰もが同じ事を考え、悟られまいと召喚士はインヴィタドと寄り添い歩き出した。

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