暴かれる役者

第九部 一章 -刻む-

 デブが言っていた。カスコに着いたらこの世界の根幹を知る機会が得られるのかもしれない、と。

 「わぁ……」

 「……わぁ」

 舗装された道の幅が一気に広がり、町に入ってほとんど同時にザナは周りの建物に声を上げる。チコの声は小さかった。

 「普通の町でしょ?」

 カルディナ姉さんが身も蓋も無い表現をしたものだからザナはおろおろと慌て出した。

 「そ、そんな事は……」

 「……正直、そう思いました」

 チコも初めて来る場所だと言っていたがどこか浮かない表情をしている。それどころじゃない、というか。

 「まぁまぁ……」

 「都会なんて、人が多いだけでそんなに変わらないって」

 ウーゴさんに続くとチコが俺に詰め寄って来る。

 「なんだよお前、一人だけ優等生ぶって」

 「別に……。特に何だかんだと期待はしてなかっただけだよ」

 大きな町だとは思ったが、それだけだ。だけど歩いてすぐに気付いた事も幾つかある。

 それは獣人の数だった。すれ違う召喚士が獣人を連れて歩いているんだ。その姿はそれぞれ違い、中には冬だって言うのに裸足に毛皮だけの雪男みたいなやつもいる。

 「……ん?」

 チコ達は俺やトーロとずっといたから気付かないんだろうけど、獣人が何人も歩いているこの町は俺から見ても異様だ。召喚士の町、なんて言われるだけの事はあるらしいとやっと気付いた。ついでにこうして見ると、服やら武器防具をもらっている俺みたいな獣人はレアなんだとも思う。

 「どうしたんだよ、フジタカ」

 「いいや……別に」

 しかし俺が足を止めたのは獣人達が寒そうだったからじゃない。アルコイリスが急に、マナーモードにした携帯のバイブみたいに震え出したからだ。まるで誰かに鳴らされた様な気がして、俺は一度後ろを振り返る。

 「………」

 だが、気のせいだったらしい。取り出してナイフを見てみたが、震えたり光ったりなんてしていなかった。……なんか変な生き物でもへばり付いたのかな。


 その後は震える事も無かったので俺は気にせずにチコ達と召喚士育成機関のカスコ支所に着いた。使える部屋が広くなったのはありがたい。しかも今回は俺にもベッドがある。

 「くぁー!疲れた!」

 ベッドに身を投げると毛布は冬用でふかふか。羽毛布団ってわけにはいかないからちょっと重たいが、温かければ文句は無い。やっぱ久し振りのベッドは心地好い。風呂にも早く入りたくなってきた。

 「……にしても災難だったな、あんなおっさんしか話を聞いてくれないなんてさ」

 この部屋に案内される前に会ったレアンドロ、っておっさんは感じ悪い雰囲気を全身に纏って俺達を見ていた。なんつーか、トロノのブラス所長とは違うタイプだ。俺達だけじゃなくてカルディナ姉さんの方がキレてたのも新鮮だったな。

 「そだな……」

 向かいのベッドに腰掛けたチコはどこか上の空だった。窓から射す微かな光に照らされていなくとも、その表情は明るくない。

 「……どうかしたか?カスコにガッカリしたとか?」

 俺が身を起こすと顔を上げたチコはゆるゆると首を横に振った。

 「ずっと考えてた事があるんだけどさ」

 チコが座ったまま身を屈め、指を顔の前で組んで俺の顔をじっと見る。

 「……聞いてくれるか」


 急に改まったチコを前にして、俺は少しだけ背筋を伸ばして話を聞く事にした。



 人の営みはその場に住む者の数だけ存在する。契約者と言えども、万人に影響を与えるわけでもない。商人が商売を止めればその間は利益も生まれない。生活を維持する為にはどこであろうと働かねば基盤は崩れてしまう。

 「あれぇ、ザナちん?ニクス様の方はどうしたんだい?」

 人の流れに逆らい走っていると私の姿を見付けたリッチさんが瓶を詰め込んだ木箱を抱えたまま話し掛けた。その隣にはミゲルさんもいる。

 「……ちょっと!」

 急ぐフジタカに遅れない様に走るのが精いっぱいだった私に説明する余裕は無い。カルディナさんの仕事を知っているミゲルさん達からしたら、儀式が始まっているのに持ち場を離れてどこかに向かう私達はとても怪しい事だろう。だからと言って私達もフジタカを一人で行かせるなんてできない。

 「……来い」

 レブが走りを緩めて私の後ろに回る。私は一気に駆けて跳び上がり、宙で体を半回転する様に身を捻った。そのままレブは私を抱えて速度を上げる。

 「あ、ズリぃ!」

 「そんな事言われても」

 私がレブに身を任せているのを見たフジタカが口を尖らせる。走る分には構わないけどこの方が速いんだから仕方ない。

 「ねぇ、こっちで合ってるの?」

 「……あぁ、間違いない」

 急に路地裏に入ったり、元の道に戻ったりとフジタカの動きはでたらめだった。だけど確信を持った迷いの無い走りで進んでいく。その手にはナイフが握られたままだ。

 「コイツが、親父の場所を教えてくれてる……!」

 フジタカがロボを感知したのはアルコイリスのおかげらしい。だけど……。

 「どうして急、に……?」

 フジタカが急に曲がったからレブも続く。声を詰まらせたがフジタカの大きな耳は私の質問を聞き逃さない。

 「このナイフが震えるんだよ。……同じ力を持ったやつが近くにいる、ってさ」

 振り返ったフジタカが見たのはチコだった。チコもフジタカとレブに負けじと走っているが少し遅れている。

 「最初は分からなかった。でも、カスコに着いてからちょっと感じ取れる様になったんだよな。自分の中じゃなくて外にも力はあるって事が」

 フジタカの言っているのはこの世界の人やモノが持つ魔力の流れだと思う。明らかに別格の召喚士がインヴィタドに魔法を行使させる時には本来は彼らの間でしかやり取りされない魔力を、周りの者まで感じ取る。言い換えれば身に纏う殺気や闘気の様な気配だ。

 モノを消し去る力を持つ何者かの気配をフジタカが察知できる様になった。言うなれば……。

 「共鳴してるの……?」

 「少なくとも、ナイフはな」

 フジタカの口振りではナイフ自身が力の持ち主を感知しているみたいだ。だけど、きっと私が持ってもロボを感じ取る事はできない。

 「でも、共鳴だとしたら……」

 あぁ、と頷いてからフジタカは前を向く。

 「親父にも気付かれてる……かと思った」

 含みのある言葉に私はレブの腕の中で首を傾げた。

 「でも、さっきから気配が動いていない。もしかした、ら……っ!」

 ある建物を前にしてフジタカが足を踏み鳴らして止まった。レブも石畳を削りながら止まって私を下ろす。

 「デブ!」

 私とすれ違いざまにフジタカがレブに飛び込む。レブは両手を組んでフジタカに足場を作り、彼の足が乗ったと同時に腕を跳ね上げた。

 「だぁぁぁぁあ!」

 レブの手を発射台にしてフジタカは平たい屋根の上にまで跳躍した。無事に着地し、彼の後ろ姿が消える。

 「は……っ、は……!」

 「行くぞ」

 一拍遅れてチコも到着する。そんな彼の服の襟を掴み、私を小脇に抱えてレブは翼を広げて飛んだ。

 あまり背の高くない建物の上に先に昇ったフジタカが立っている。そして、その先にはもう一人の人影があった。

 「……驚いたな」

 契約者目当てに召喚士が集まる集会場の方を見ていた男がゆっくりとこちらへ振り返る。長く大きな耳と尾を持った全身毛皮の狼男、ロボは私達四人を見て静かに言った。

 「俺目当てだった癖に、俺がこっちに来たのには気付かなかったんだな」

 フジタカはもしかしたら、と言った。そしてロボは驚いた、と。それはロボがフジタカの接近に気付いていなかった証拠だ。どうやらフジタカの予想が当たったらしい。同じ力を持っているからと言って、お互いに感じ合えるわけでもないと分かった。

 「姿が見えぬと思えば、お前からやって来たのだ。好都合とも取れるぞ」

 「先手を取ったのは、俺達だ!」

 フジタカがニエブライリスを抜き、ナイフを嵌め込み金具を留める。そう、フエンテに対して私達から奇襲を仕掛ける事ができたのは初めてだった。

 「おぉぉぉお!」

 フジタカがニエブライリスを振り回す。ロボも剣を抜いたがもう遅い。アルコイリスは赤に色を合わせられており、その力を発揮する。

 「く、う……!」

 前回と同じ流れだ。剣と剣とがぶつかり、そこに纏う力がぶつかり合って拮抗する。

 「う、おぉぉぉぉお!」

 「なに……ぃっ」

 しかし展開が違う。フジタカのニエブライリスでもロボの剣は消えない。押し返されて二人は距離を取った。

 「消えない……」

 「当たり前だ」

 フジタカ渾身の一撃を受け切ったロボが低くしていた姿勢を正す。それでもレブも私も今は仕掛けられない。

 単純で迂闊な話だが、私とレブは町の中で戦う事を想定していなかった。ライさんだってレパラルで大暴れしたのは人が避難した後だったからだ。広範囲を一気に雷で焼く事で、このカスコではどれだけの人が巻き込まれるかなんて、考えるのも恐ろしい。

 「前回はお前が気合いで押し勝った。だったら今回はお前以上の気迫を以て対すれば、俺が勝つ」

 「違うな」

 ロボの考えをレブは腕を組んで否定する。チコも息を整えながらレブを見上げていた。

 「その言い分を通すのならば、お前はそこの犬ころに勝ってはいない。力を取り上げていないのだからな」

 「………」

 フジタカの手には未だニエブライリスが健在。ロボに勝った時の様に途中で折れているわけでもない。ロボも否定しないでレブを睨むだけだった。

 「手心を加えたつもりだとすれば、その侮りは命取りだ」

 「そういうこった!」

 勢いに乗っているのはこっちだ。勝敗が気迫で変わると言うのが本当だとしても、フジタカの心は折れていない。

 「ナイフを取り戻したいだけだ。残りは必要無い」

 「このナイフも、ニエブライリスももう俺の物だ!欲しけりゃ腕ごと持っていくか!」

 だけど疑問に思う事もある。フジタカを元の世界に帰そうともロボは言っていた。

 「フジタカのナイフで何をする気……ううん、ナイフでフエンテは何ができるんですか」

 「答えると思うかね」

 ……思えない。だからこそ。

 「だったら、私達の前に立ちはだかる貴方はフジタカのお父さんでもやっぱり敵です」

 きっと答えられても私達は考えを改められない。余計な問答だったかもしれないが再確認ができた。手加減できる相手でもない。

 「仕方ないな」

 ロボが腰に巻いた革の入れ物から何かを取り出した。レブは直後に翼を大きく広げ、力強く羽ばたき風を起こす。

 「させん!」

 「くっ!」

 ロボの手から零れ落ちた小さな塊に見覚えがあった。しかしそれは屋根に触れる前にレブの起こした風に吹き飛んでしまう。

 「スパルトイが召喚士だけの物とは限らぬか」

 「………」

 さしずめ、足止めにでもするつもりだったのだろう。この場合、吹き飛んだカドモスの牙はレブの言う事を聞くのか、発動しないのか。どちらにせよこちらで回収しておきたい。

 「後は任せろ!」

 再びフジタカは剣をロボへと向ける。ぶつかり合う刃が発するのは金属音や火花を散らすでもなく、妙に耳が痛い羽音に似ていた。

 「……藤貴!自分の世界に帰りたくはないか……!」

 ロボがフジタカの手首を掴む。片手でフジタカの両腕から繰り出される一撃を受け止めた腕力は手首を掴まれたフジタカには不利に働く。徐々に力負けし始めた。

 「離せ!」

 「俺とお前が争ってどうなる!このナイフを渡して……」

 「渡して!どうなるってんだよぉ!」

 フジタカが怒鳴り返してそのまま剣を薙ぎ払う。ニエブライリスはフジタカの手首を掴むロボの腕を狙ったが見切られて躱されてしまった。

 「ふー!ふー!」

 「……渡して、帰れ。向こうで待っている者達もいるだろう」

 気が昂るフジタカに努めて冷静にロボは言う。だがフジタカは首を横に振った。

 「誰がいるってんだ!自分は俺達も放ってオリソンティ・エラにずっといたんだろうが!なんで待っている誰かなんて曖昧なモノを捏造している!」

 異変に気付いたカスコの住人達の声が幾つか集まっている。騒ぎ過ぎた。

 「……独りだったのか?」

 「独りにしたのは、誰だっ!」

 フジタカがこれ程までに怒りの形相を浮かべるなんて、あの日以来だ。

 「この世界でもそうだ!アンタの仲間に俺達はココを奪われた!その時は何をしていたんだよ!」

 フジタカの悲痛な叫びがカスコに広がる。私が魔法で援護できないかと腕を掲げたが、レブは無言でこちらの肩に手を乗せて首を横に振った。この場は私達の出る幕ではない、と。

 「俺は……」

 「止められなかったから、俺はアンタと戦っているんだろうが!」

 振り下ろされたニエブライリスを微かな身のこなしで避けると片手でロボは剣を横に薙いだ。剣はフジタカの肉を裂き、上腕がざっくりと切れて血を滴らせる。

 「ぐ……っ!」

 「む……」

 だらんと下げた右手で剣を持ち、フジタカは包帯を巻いた左手で傷を押さえる。ロボは追撃しようとはせずに傷を見ていた。私には咄嗟に反撃して、怪我を負わせてしまい動じている様にも取れた。

 「くっ!チコ!」

 「あぁ!来いやぁぁ!」

 フジタカはニエブライリスからアルコイリスを取り出す。その間にチコは自分の召喚陣からスライムを呼び出してロボに飛び込ませた。

 「無駄だ」

 勿論、時間稼ぎにもならず、ほんの一振りでスライムはフジタカのナイフと同じ力で音を立てて消されてしまう。

 「うぅ……っ。ぐぅ!」

 「フジタカ!?それは!」

 一旦距離を置いたフジタカの手元を見て声を荒げてしまった。だってフジタカが自分にナイフを突き立てようとしていたから。

 「見てなって……!」

 フジタカのナイフ、アルコイリスは金属輪を回して橙色に合わせられていた。あの色でフジタカが使った力は確か、傷を治す力。ガロテで出会ったアイナちゃんの子犬の足を治してあげたんだ。

 だけど、その力を使った直後にフジタカは倒れた。今この場で怪我を治しても倒れられたら、私達ではロボを止め切れない。それにあのナイフを自分自身に突き立てて何が起こるかなんて、フジタカは試していない筈だ。

 「止めろ!自分が何をしようとしているのか……」

 「うるせェ!」

 ロボを一喝して、フジタカは血の染み込んだ包帯を巻いた手で握ったナイフを自分に突き立てた。そして深々と付けられた傷をナイフでなぞっていく。

 「う、ぐううぅ……っ!あぁぁあっ!」

 ナイフの跡を描く様に微かに光は傷口を包み、フジタカのナイフが横に一閃されて腕から離れる。血に塗れたままではあるが、フジタカの右手には力が戻っていた。しっかりと剣を握り直してロボへと切っ先を向ける。

 「ふう……ふっ……!どうだ……!」

 フジタカは息を荒くしながらも不敵に笑って見せる。少し辛そうだが、前みたいにいきなり倒れそうな気配はしない。

 「へへ……!」

 チコもさっきの運動のせいか汗をだらだら流しながら笑っている。もしくはスライムとの魔力共有を切っていなかったのかもしれない。

 「……その力、出所はどこだ」

 ロボは剣をすっかり下げてフジタカを険しい表情で睨む。フジタカは胸をトントン、と二回叩いて自分を指差した。

 「俺と……」

 「俺の力だ!」

 私の隣で、チコが叫んだ。その直後、フジタカが左手の包帯を解いた。

 「なんと……愚かな!」

 包帯を解いて、ロボに手を掲げて見せる直前。微かに私の目にも映った。

フジタカの掌に、小さいながらも召喚陣らしき紋様が刻まれていた。ロボはその掌を見せられて吠える。

 「俺は!そこの浄戒召喚士、チコ・ロブレスと専属契約を結んだ!」

 フジタカの力強い宣言にチコも前に進む。

 「コイツの使う魔法に足りない魔力は、俺が補う!」

 「ぬかすな小僧が!」

 ロボが再び剣を構える。先程までとは纏う雰囲気が違う。込められた殺気が鋭く私達に突き刺さってきた。

 「余計な手間を増やしおって……!その契約は即刻破棄させてもらう!」

 専属契約の破棄。一般的にはインヴィタド、もしくは召喚士のどちらか一方が死ぬしかない。しかしもう一つある。それは召喚陣と同じだ、契約の印を潰せば良い。

 ロボがどちらの方法を取るか。彼の剣幕を見れば一目瞭然だった。

 「チコ、逃げて!」

 「できるかよ!」

 チコも剣を抜いて召喚陣を腕輪から抜き出す。その間にロボも動いた。

 「ふん」

 「ぐぅ!」

 レブが腕を振るい、雷撃がロボを狙う。それも前に出された剣を境に消されて、足止めにしかならない。

 「させねぇよ!」

 だが、目的は果たされた。レブの雷撃を足止めのみに利用するなんて贅沢な話だが、肝心な決定打を与える力を持っているのは、フジタカだ。

 「藤貴……お前!」

 「俺の召喚士に手を出されちゃ、困るんだよなぁ……ぁぁっ!」

 チコを庇う様にロボの前に立ちはだかったのは、彼のインヴィタド。フジタカ・ロボは臆せずに牙を鳴らして一歩踏み込むとロボの剣を受け止め、その半分を消し去った。

 「この力……っ!」

 「逃がすかぁ!」

 狼狽しながらも冷静に剣の柄を放ってロボは即座に後ろに跳んだ。フジタカが追撃をしようと腕を伸ばすが、微かに届かない。

 「ここまでだ」

 ロボの手にはフジタカのアルコイリスと同じくらいの大きさのナイフが握られていた。そのナイフも今までと同じ様に使えたのだろう、ロボの姿は急に消えてなくなってしまった。

 「嘘だろ!先手取っても……!」

 「まだ持ってたんだ、消せるナイフ……」

 相手を無力化する為に必要なのは怪我を負わせて意識を失わせるか、力を取り上げる事。チコが悔しがる通り、私達が先手を取っても向こうに温存されては逃げられてしまう。

 「あぁ、あのナイフだけじゃない。まだ数個隠し持ってる」

 フジタカはロボの立っていた地点まで移動すると目を閉じて耳を澄ませた。

 「………。今、カスコを出た。デブでも追い付けねぇな、これじゃ」

 フジタカは静かに断言するとアルコイリスを畳み、ニエブライリスは鞘に収めた。あれだけ叫んでいたのに、妙に落ち着くのも早い。

 「騒ぎになる前に俺達も戻ろう」

 振り返ったフジタカはどこか大人びて見えた。ただし、周りにはもう私達に気付いた人達が何人か集まっている。極力私達は何でもない風に装ってその場を後にした。

 なんとかロボが放ったスパルトイの元となるカドモスの牙を回収して私達は集会場へと戻った。その間、チコとフジタカには聞きたい事が山ほど出てきてしまう。しかしぶつけるのは、私達四人が持ち場を離れた理由をニクス様達に説明してからだった。

 「……ロボが現れるのを、フジタカ君が察知した。何故、俺を呼ばなかった」

 カスコ支所の一室を借りて、私達はひとまず集まっていた。この場にカスコ支所の者は誰一人呼んではいない。簡単な報告を終えて、最初に口を開いたのはライさんだった。

 「貴方達は事後報告が多いのよね……」

 言い淀んでいると庇う様にカルディナさんが苦笑する。

 「すみません……。俺が、戻って伝えてたら先に仕掛けられないと思って」

 だけど、相手は結局何もできない内に追い返す事には成功した。結果論で開き直るではないけど、行動は間違ってもいない。

 「その感知能力……それはチコの客人インヴィタドになった事を受け入れたから得たのか?」

 トーロはフジタカの能力に興味を持ったらしく長椅子の隣に座るフジタカの顔を覗き込んだ。

 「ええと、カスコに着いてすぐにチコに相談されたんだ。これから俺の力が……もっと必要になるからって」

 チコも頷いた。

 「ザナは覚えてるよな。ガロテでアイナ、って女の子が言ってたろ。いつか私はフジタカをインヴィタドにするって」

 「あぁ……うん」

 レブとフジタカを気に入っていた彼女はニクス様がガロテで行った契約の儀式によって召喚士の才能があると判定された。その帰り道にうきうきしながら話してくれたんだ。その帰り道に子犬が怪我をして、フジタカがさっきと同じ力を使った。

 「そうなんだよ。旅人ビアヘロでも客人インヴィタドとして迎えられる。それに気付いてしばらく考えてて、俺はフジタカにその話を持ち掛けた」

 それで気付いたらフジタカは左手に包帯を巻いていたんだ。

 「専属契約……どうやったの?」

 「チコと一緒にカスコのドワーフに頼んで特製の焼きごて……。痛かった……」

 フジタカは専属契約陣が火傷として残る掌を擦って苦い表情をする。自分で決めた事とは言え、無痛では済むまい。

 「ちょっと尻の毛を円陣に刈るとかじゃ駄目なんだよな……」

 「そんな単純な方法で結んだ契約など、容易く解れるぞ」

 レブが専属契約の先輩として助言を与えてくれるけど、私だって指でちょいちょい描いただけのつもりだった。……あの時、レブに私は何をしたのかな。

 「ちぇ。だから、俺のナイフでこれを治すわけにはいかなかった。傷が残る程度に焼いて、すぐに冷やしてニクスさんの羽も巻いていたけど……やっぱしばらくは痛かったな」

 「ご苦労様でした……」

 ウーゴさんもチコとフジタカの隠れたを努力と決意を労わってくれる。ライさんは思い詰めた様に床の一点を見詰めて黙ったままだった。

 「じゃあこれでフジタカはもう、チコのインヴィタドになったんだよね?」

 「そういう事だな」

 確認すればフジタカも認めた。今度こそ、もう二人の関係は確立されたんだ。

 「そうなると、ロボの狙いはナイフとフジタカの契約の破棄、だよね」

 「最悪契約の破棄は捨てそうだけどな」

 チコの言う通り、優先度はナイフが依然として高いだろう。でも、もう一つも考えておかないと。

 「万が一だが、フジタカとチコの契約が断たれたら……フジタカはどうなる?元の世界に帰れるのか?」

 「そうはいくまい」

 トーロの仮説にレブは首を横に振った。

 「ビアヘロをこの世界に定着させる為に専属契約を結ぶと言う理屈は分かる。しかしわんころは既に条件を幾つか無視して召喚され、この世界に定着していた。いわば、同じ世界の住人と契約したのだ。消える事にはならぬだろうな」

 いなくならない、というのは聞いてて安心だけど……。だとしたら私達は同じ世界の人間同士でも繋がれる……?

 「俺もそこを気にして契約したんじゃないんだよな。だからたぶん、契約が切れてもチコに引っ張られる事がなくなるだけだと思う」

 フジタカもチコとの繋がりを自覚しているのか胸を押さえ、何となくで察知しているみたい。

 「なぁ、これで俺も何でも消せる力を使える様になったりするのかな?」

 「無理だと思うよ……」

 チコも自分の胸を押さえているけど、私は自分の見解を伝えておく。レブも同意した。

 「教える術を持たぬ者から、学び取る事などできまい」

 「う……」

 もっともな指摘にチコも呻く。

 「俺を見たって無理だぞ。俺だって教わったわけじゃないんだし」

 チコがじとりとフジタカを見るがその視線に口を曲げた。そう言われて思い返せば、フジタカの力の出所は……。

 「そのナイフ……」

 「やっぱりこの材質と俺の魔力が合わさって初めて効果が出る、らしい……」

 チコと繋がって魔力が高まった、というか使える魔力が増えた分だけフジタカが自分の力に向き合っている。ただし、その力を教えてくれる人がいないから手探りでやっているんだ。だから表現もかなり曖昧だし、不確かなんだ。

 「だったらニエブライリスにも同じ鉱石やら鉄鋼が使われてるの?」

 「うーん……」

 少しでもフジタカが力を理解する手伝いを示唆できればと思い付いた事を言ってみるが、どうも引っ掛からない。私が視線を送るとレブはしばし考えてから口を開く。

 「犬ころの力を引き出す相性が良い応石が使われた鋼、と考えれば多少系統が違う鉄でも効力は発揮するかもしれぬな」

 「あー……」

 私が言った内容よりはやっぱりレブの方が的を射ているみたい。

 「じゃあやっぱり消す力自体はフジタカの才、でいいんだよね?」

 「当然だ」

 何か言い欠けたフジタカの言葉を奪う様にレブが断言する。ニエブライリスでも消す力を使える様にしたのはフジタカだもんね。

 「……ちぇ。ビシッとキメようと思ったのに」

 「キメるのは本番、でいいだろ?次はどんどんナイフだって使えるだろうしな」

 チコの補助が加わるのはフジタカも戦力の幅が広がる。元々チコはゴーレムやスライムの召喚を連発しても平気な魔力量を持っているし、フジタカが倒れた橙の力も二人で消費を分け合えば継戦できたのだから。倒れない、って私も少し意識していかないと。

 フジタカを見るチコの目が前よりも穏やかになっていた。だけど問題はまだ山積みだ。ロボの武器を一つ取り上げたのはいいけど、本人がまだ健在ならニエブライリスと同じ様にまた調達する事だって不可能じゃない。まして、契約者に頼らず召喚術に秀でた者を自称する集団に属しているのだから。

 「あ」

 そこで、一つ思い出した事がある。私は自分の荷物から先程回収したカドモスの牙を机の上に置いた。

 「これは……?」

 「ロボが使おうとしたテーベの竜の牙です」

 カドモスの姿を見た人ってこの場にいるのはウーゴさんとライさんなんだよね。あとはアスール支所長のパストル所長だけど、元気にしているかな……。

 「スパルトイになる牙か……」

 一番に反応したのはやはり、対峙して一番日が経っていないライさんだった。実際に手に取って掌より一回り小さい牙をあらゆる角度から眺め始める。

 「そんな牙からあのスパルトイになっちまうってのがまた妙だよな……」

 カドモスではなくスパルトイなら誰もが知っている。なんとか発現させずに持ち帰れたけど、これはどうしよう。

 「現物が目の前にあるのは貴重だけど……」

 「戦力にすれば良い。あの男もそのつもりだった」

 ライさんの手元を見ているカルディナさんにレブが言った。

 「……いいの?」

 「私にも貴様にもスパルトイなど必要あるまい」

 だったら……。

 「ニクス様がいざという時に護衛に使えば良いんじゃないですか?使えるのは、力の持ち主であるカドモスがいない時に限られるでしょうけど」

 使用者はロルダンだったにも関わらず、スパルトイはレパラルでカドモスの言う事を優先した。恐らく、カドモスを相手にスパルトイを操っても同じ事が起きて逆襲されかねない。カドモスを抜きにしてニクス様の護衛が疎かになる場面にはさせたくないが、護符代わりにでもなれば。

 「ライさん、それでも良いですか?」

 「俺は構わない。決着は自分の手で掴むからね」

 言ってライさんはニクス様へカドモスの牙を手渡してやる。守る、よりもライさんは攻める事ばかり考えてしまっていた。

 「わざわざ持ってきてもらった物だ。頂戴しよう」

 カスコ支所内でなら、テーベの竜が持つ牙の力を調べられるだろうけど、今の私達には調べるよりも必要な物だ。ニクス様の判断で使ってもらおう。

 「契約の儀式は引き続き行うんですよね?」

 念押しする様に確認すると、カルディナさんはニクス様の方を見る。ニクス様はその視線に気付いているのかいないのか、静かに頷いた。

 「自分達は行動を起こし続けねばならない。例え、この世界の召喚士に狙われようと契約の儀式は続ける。……それが契約者だ」

 契約者は自分にその力があったから行使し続けるだけ。かつてのニクス様もそうだったが、今は違う。命を狙われてまで普通の契約者は儀式を行い続けるとは思えない。なのに、ニクス様が拘ってくださっているのは今までの経験からだ。


 幸い、未然に防げた事もあってレアンドロ副所長には持ち場を離れた事やロボとの遭遇の報告は最小限に留めるとの事だった。おかげで私は翌日もカスコ支所の外へ出られている。

 「寒い……」

 「雪は積もらないんだな」

 空から降り注ぐ雪という白い氷の結晶を見て喜ぶなんて子どもみたいな真似は今ではもうできない。かじかむ手を摩擦して熱を起こしていると、隣に立つフジタカは悠長に空を見上げて口を開けていた。チコとレブは契約を待つ子どもの親や見物に来た召喚士達に目を光らせている。

 「フジタカは温かそうだね」

 「自然に冬毛仕様になるからな」

 言われてみれば、出会った頃よりも体に厚みがあるような。

 「単に太っただけではないか」

 「お前が言うか!?」

 いや、レブの場合は太ったそういう問題じゃないと思う……。苦笑しているとフジタカは私の方を向いて顔を強張らせる。

 「なぁザナ!俺、ダイエットなんて必要無いよな!?この温もりは毛皮であって皮下脂肪じゃないよな!?」

 「だいえっと……は知らないけど、太ってはいないと思うよ」

 レブがふん、と鼻を鳴らしたのが聞こえた。チコはそんなレブを横目で見て笑う。

 「へ、へへ……そうだよな。増量したのは筋肉と毛皮だよな……」

 どこか自分に言い聞かせる様にしてフジタカは自分の手を見下ろす。昨日の襲撃を機に包帯を巻くのも止めたみたい。

 そう、まだ一夜しか経っていないのに私達の調子はいつも通りに戻りつつあった。それは召喚士とそのインヴィタドに襲われる、という特定の場面に自分達がある程度慣れてしまったからなのかもしれない。

 「……あのさ、フジタカってたまに変な言葉を使うよね?」

 昨日の襲撃はフジタカが怪我をしたものの、それは自力で即座に治してしまったから実質無効。無傷で状況を終了させられた、とは言い難いけど前日を引き摺る人は誰もいなかった。だからこそこんな話もまだ、していられる。勿論警戒は怠っていない。

 「変な、ってなんだよ。俺の世界というか住んでた場所じゃ当たり前なんだぞ」

 それだ。

 「だからさ、向こうの当たり前をフジタカはどうしてオリソンティ・エラでも持っているのかなって」

 「あぁー……」

 分かってくれたのかフジタカは地面に向かって自由落下する雪を見ながら顔を下に傾ける。

 「……なんで?」

 地面に触れた雪が同化して消えたのを見届けてから、顔を上げてフジタカはレブに尋ねる。

 「考えられるとすればビアヘロとインヴィタドの狭間に立つ者として召喚した弊害、か」

 嫌そうに口を曲げながらもレブはしっかりと答えてくれた。今までは何となく、フジタカはそういう言葉遣いの人だと思っていた。でもこうして理由を考えればもっともらしい考えも出てくるんだなぁ。

 「チコ、専属契約する時に言語系の呪言は刻まなかったの?」

 召喚陣には異世界と自分の世界の言葉を介する翻訳呪言を陣の紋様へ刻み込んでおく。だから竜人や獣人だろうと関係無く知恵さえあれば意思疎通はできていた。

 「そういうのって最初の召喚で済まされてるだろ?だから俺の時もいいかな、って思ったんだが……」

 だからレブは最初から私と言葉を交わし、今日まで何不自由無く話ができている。だけどフジタカはセルヴァに現れた時は、カルディナさんの召喚陣とチコの魔力を通して顕現していない。そこをチコは失念していたみたい。

 「専属契約したからってなんでも上手く話せる様になるわけでもないんだな」

 文字の勉強もあるし、とフジタカは付け足す。話を聞いていたレブは笑った。

 「良いではないか。私は犬ころの言霊は面白いと思っている」

 私から言わせるとレブにはフジタカの言葉は悪影響の方が多いと思う……。止める様に言っても隙を見ては妙な言葉を教わっているし……。

 「言葉だけはこの世界に合わせさせる、ってのもつまんないだろ?」

 「そういうもんかな……」

 単に自分の言葉遣いを容認してほしいだけじゃないのかな、と感じてしまうのは私が注意してしまうから?……言って直るものじゃないだろうな。フジタカだって十七年はその言葉を使って生きていたんだし。

 「じゃあ話を戻して。フジタカ、何か感じる?」

 「昨日の今日だぞぉ?……って、言いたいところだが楽観視はできないよな」

 フジタカは集会場に集まった人々を一度見回す。私が言う何かとは、昨日の襲撃者を指していた。

 「少なくとも、今は感じない。昨日みたいなハッキリとした気配は感じないよ」

 「そう……」

 一つ脅威が減っている。寧ろ、心当たりがそれしかない今はロボが現れる気配が無いなら平和とも取れるぐらいだ。

 「あのさぁ。お前の感じ取る力ってのは昨日見せてもらったけど、それって相手が力を使ってない時でも感じ取れるもんなのか?」

 言葉にどこか陰りがあったのはそういう事か。チコの質問にフジタカは耳を畳んで頷いた。

 「それが分からないんだ……。昨日のだって、チコから魔力を貰ってたから探知できたってところまでは分かってるんだけどさ……」

 あの場にロボは自分の力を使って現れた。だからフジタカはロボを見付けられたのかもしれない、か。だとすれば……。

 「向こうが歩いてやってきたら分からない、って事?」

 「無いとは言い切れない……」

 フジタカはがくん、と肩を落として頭を垂れた。

 「気にしないで。昨日はそのおかげで未然に防げたんだからさ!」

 何かが起きてからでは遅いんだ。だったら昨日はニクス様の防衛を完全に成功させたのはフジタカのお手柄と言って間違いない。

 「フエンテは親父だけじゃない。ベルナルドと、ロルダンもいる。その二人は親父みたいな力を持っていないんだ。次に来るのはアイツらかもしれない」

 ロボにだってフジタカが自分の力を感じてあの場に現れた事にはとっくに気付いている。だとしたら、フジタカが感じ取れない程に遠い場所から一気に転移してくるか、さっき言った歩いてやってくるか。ただし、歩いてもフジタカが無条件にロボの力を感じ取れるのならば近寄ってきた時点で私達に見付かるだろう。

 私がもしもフエンテだったら堅実に別の者を寄越す……かな。自分をあっち側に置いて考えたくはないが、そうでもしないと先読みなんてとてもできない。

 「な~に難しい顔をしてるの?ザ~ナちん!」

 私を呼ぶ声に反応して顔を上げると、集会所の端でリッチさんが何かを二つ抱えながらこちらに手を振っていた。

 「リッチさん!こんにちは」

 「おう、こんにちは!フジタカも、チコも!」

 挨拶をすると大声を張りながらリッチさんはニコニコ笑いながら近付いてくる。獣人でもあそこまで表情をくっきりと浮かべているのはやっぱり商人だからなのかな。

 「そんで、アラさんも!」

 「うむ」

 リッチさんは忘れずにレブにも挨拶してくれる。心なしか、レブもリッチさんには警戒心をそれ程見せていない。

 「何か用事っすか?」

 「うんにゃ、差し入れ!」

 ぐにゃぐにゃに曲げた口角が大きく上を向いて見せる笑顔でリッチさんはフジタカに持っていた籠を差し出した。受け取った中身を見るとすぐに湯気が立ち上る。見ると中には小さな鍋と木の椀が幾つか入っていた。

 「これ……」

 「トマトと肉のスープ!冷めないうちにカル達にも渡しといてよ!」

 出来たてなのだろう、湯気を嗅いだだけでも急にお腹が空いてきた。言いながらリッチさんはレブにもう一つの籠も渡していた。

 「アラさんには、ブドウ!食べるのはスープで温まってからにしてね!」

 「後に食べる楽しみ、か。流石に分かっているな」

 籠の中にブドウが入っているのを確認してレブも笑う。リッチさんを前にしているからか、それともブドウのおかげかいつもよりも朗らかに見える。

 「ハッハァ!そういう事さね!じゃ、俺は戻るよ」

 「あ、ま、待ってください!」

 渡すだけ渡して帰ろうとしてしまうリッチさんに私から呼び止める。

 「なぁに?」

 「あの、どうして……?」

 寒いと思っていたところに丁度リッチさんから差し入れを頂けたのは心強い。だけど、こんなに急に貰うだけ、というわけにもいかなかった。

 「どうしても何も、僕達はお友達でしょ?お客さんでもあるけどさ」

 立ち止まったリッチさんは振り返るとこの季節でも丸出しのお腹を叩いた。この人の場合は温かいのはきっと毛皮だけのせいじゃないかな。

 「ありがとうございます!ちゃんと洗って返しに行きますから!」

 「待ってるねぇ!」

 リッチさんは最後に手を振ると人混みの中から耳だけはみ出させながら集会場からいなくなった。私も渡された籠を持ってニクス様達が儀式を行っている小屋へと向かった。

 限られた時間の中で朝から行っている儀式に対して、ニクス様が言うには食べている時間すらも惜しいとの事だった。同じ場所に留まっているとはカスコ中に知れ渡っているのだから、真っ先に狙われる危険性もある。

 それと同時に、立て続けに儀式を行っていては当然魔力は減る一方。少しでも力の巡りを良くするにはやっぱり、時間を割いて食事を摂り、休む事も必要だった。

 「やっぱり料理も覚えておかなきゃこの世界でいざって時にサバイバルできないよな……」

 「また変な言葉使ってる」

 結局リッチさんからのご厚意とフジタカの説得でニクス様も休憩に入る事を承諾してくれる。寒空で子ども達の契約を待っていた親達にも説明して納得してもらえて良かった。召喚士が集まる町に住む人達だからこそ、魔力を一人で消費し続ける負担に関しても理解が早いみたい。昨日から続けて、というのも分かってくれているし。

 「……そろそろ続けようか」

 しかし仕事熱心なニクス様は鍋を空にしてあまり間を置かずに呟くとすぐに立ち上がろうとする。

 「ニクス様、まだ休まれていた方が良いのでは?」

 トーロが呼び止めてもニクス様は首を横に振ると肩を回した。

 「そうでもない。外で我先にと己が子らと共に待ちわびている者達がいるのだ、休んでばかりもいられぬ」

 外は灰色の空から白い雪がちらちらと町を浮遊していたが、それでも契約者の儀式に期待して親達は待っている。急かさずに待っているとは答えたものの、早く儀式を再開して自分の子に召喚術の才能があるかどうかを早く聞き出したいのだ。それをニクス様も知っているからこうして休むのも最小限にしてくれている。

 「あとどれくらい儀式の希望者は残っているんですか?」

 「ニクス様の魔力次第、ね。今日で終わるか、明日にまで伸びる人が出るかは現時点じゃなんとも」

 契約者の儀式とは今日やったから、明日やったから結果が変わるというものではない。頭では分かっていても、待ちぼうけにされて気分は良くないだろう。カルディナさんもまだニクス様に休んでいてほしい様だったが、あくまでも本人の意思を尊重する。こうして明日に伸ばす事になっても、一人でも多く早く結果を伝える事になった。

 「温まったぁ……。午後も頑張んぞ!」

 「その調子でよろしく、フジタカ」

 お腹も膨らんだ事で私達も元の持ち場へと戻る。意気込むのは良いが、不自然な何かが出現でもしない限り私達は棒立ちしているのが基本。レブはそれを分かっているのか自分だけブドウを頬張って、まだ臨戦態勢にはなっていなかった。

 「……果糖は冷やすと甘く感じる、か。成程な……」

 しかもよく分からない事を呟いている。カトー……またフジタカが何か吹き込んだのかな。

 「おいデブ、ブドウに夢中で異変に気付かなかったなんてシャレにならないからな」

 「人の事よりも自分の領分をこなしてから言え。口元を赤く染めた犬ころが」

 ブドウを味わうレブに注意したと思ったら、簡単に言い返されてフジタカは口元を慌てて自分の手で拭う。でもそれじゃ毛についたトマトの赤色が悪戯に広がるだけだ。

 「もうフジタカ。井戸水を汲んで拭こう?ちょっと変だよ」

 「ぐ……」

 スープ自体にそこまで濃い色は出ない。牙の間に挟まった、具材のトマトが潰れたのかな。

 「ほら、もう。レブ、チコ……ちょっとそこの井戸に行ってるね?ついでに鍋も洗うよ」

 「おう、ゆっくりでいいぞ」

 チコは構わないみたいだけど、こちらがそうもいかない。ニクス様はもう既に契約を再開してくださっているんだし。レブに至っては言われたばかりなのにブドウを黙々と食べている。

 「ほら、フジタカ」

 「はーい……」

 私はフジタカを連れて集会場の正反対側にある井戸へと向かった。人が固まって集まらない場所だから、レブの顔もちゃんと見えている。いざとなれば、声を張れば彼ならすぐに気付いてくれる筈だ。

 「よいしょいと」

 桶を巻き上げてフジタカが汲んだ水に布を浸ける。水気を完全には抜かない程度に絞ってから手渡した。

 「はい、使って」

 「おう」

 ごしごしと口と手を拭ってフジタカの毛皮が濡れる。水を含んだ事でぼそぼそと纏まり、細まった毛からは確かに赤みが抜けた。しかしそれも完全とは言えない。

 「なんか、なかなか取れないね」

 「気付けば生え変わってたりするんだけど、また汚れたりしてな」

 フジタカも気にしつつも半分受け入れている。赤と言うよりは茶色に変わって馴染んできたかな、と思うくらいで拭くのを止めてしまう。

 「これ以上は石鹸とか使わないとな」

 「そうだね」

 赤を気にするのはフジタカが血とかと間違われない様にする為だ。人によって怯えさせてしまうし。でも、フジタカみたいに服をちゃんと着ている大人しい獣人だったら疑われる心配もまだ少ないかな。それに、召喚士と同じ様に色々な事情を持ったインヴィタドも同じ様に多い。血が多少口に付着していてもそこまで気にされないのかな。

 「……よいしょ」

 借りた鍋や食器の洗浄も済ませた。帰り道にお店に寄って、リッチさんやミゲルさんにお礼を言わないと。ついでに何か買い物も、と言われたら何を買うかちょっと考えないとな。見返りを求めてやってくれた事ではないだろうけど、感謝の気持ちが言葉だけってのもね。

 「終わった?」

 「うん」

 やっぱり冬の寒空の下でざばざばと洗うのは手が痛む。すっかり肌が赤くなってしまった。赤みの強さで言えば洗った後のフジタカよりも上かも。

 「お湯で洗えればな」

 「外だもん、仕方ないよ」

 フジタカも気付いたのか心配してくれる。でも私は気にせず水気を払い、簡単に拭って籠に借りた食器をしまう。あとは返すだけかな。

 「これ、サンキュ」

 「うん」

 サンキュ、というのがありがとうという意味とは後から聞いた。だったらありがとうと発音されるのにフジタカはこの言葉を使い分けている。ちょっとした事への簡単なお礼というつもりでフジタカはサンキュ、と言っているらしい。

 「人間やデブはいいよな。汚れても拭えば簡単に落ちるから」

 「そんな事言われても」

 その分寒さには弱いから、こうして厚着しないとやっていられない。レブに至っては皮膚というか鱗だし。あれも油汚れとか落ちにくくないかな、弾くのかな。

 「デブも口拭いてやれば喜ぶんじゃないのか?」

 「えー……」

 フジタカが一度すすいでしっかりと絞ってから貸した布を返してくれる。ご丁寧に皺も伸ばしてくれた。干して乾かそうにもこの天気じゃ無理だし、暖炉まで持って行かないと。

 「そこまで甘えん坊じゃないよ。ふん、自分でこの程度拭える!とか言って長い舌でべろりぃって舐め取りそう」

 「あー……」

 私とはちょっと違う声を出してフジタカもその場面を想像しているみたい。今の声真似、上手にできたと思うんだけど感想はもらえなかった。

 「……なぁ、ドラゴンの唾液ってやっぱ凄いのか?」

 「え?どうしたのいきなり」

 目を閉じていたフジタカが急にカッと目を見開いて聞いてきた。私は返してもらった布をしまいながら逆に聞き返してしまう。そんな事を言われても特に知らないし。舐め取れば唾液のちょっとやそっとは出るだろうけど、ブドウを前にしても特にだらだら垂らしてはいない。

 「ほら、よくドラゴンの汗とか涙って宝石になるとか怪我が治るとか……あんだろ?」

 基本的に幻獣や精霊といったビアヘロに対して詳しくないのに、フジタカは妙に竜に関しての知識は豊富な気がする。フジタカの国って戦争は無いのにドラゴンや竜人はいたのかな。

 「……そういう話も聞くけど、私は使った人を知らないかな」

 強いて言うなら、ロルダンは老人でも破格の魔力量と体力を持っていた様に見えたけど……そんな話はしてないし。

 「ザナは使ってないのか?」

 「は!?な、なんで私!?」

 話の先が私を向いているなんて全く思っていなかった私は声を荒げる。その声にレブの後頭部が若干、こちらへ向けられた……様な気がした。

 「だって、デブと結婚すんなら……婚前交渉とか、あるんじゃないのか?」

 「は、はぁぁぁぁ……っ!?」

 気を利かせているのかいないのか、フジタカが声を小さくする。私も極力声量を抑えたが体中はもう一気に体温が上がった。

 「って、それじゃあ浴びるのは唾液どころの話じゃなくて……」

 「なななな、何を想像してんの!止めてよ!」

 レブの涎で健康や美容を保証されるなら、他の体液であれば、って……あぁ、もう!変な想像や心配を色々してしまった!

 「俺、まだ何も言ってないし。その様子だとまだ何もないんだな」

 「……当たり前、でしょ」

 そんな暇がないんだから……って、暇があるならどうだって事でもない。その辺はレブも承知してくれている。

 「待ってるんだぞー、アイツ」

 「……知ってる」

 そんなの、レブがまだ私より背が低い時から分かってる。こういう相談をまともにできるのって、寧ろレブ本人じゃなくて事情を知っているフジタカとティラドルさんくらいなんだよね。

 「レブの血なら飲んだ。だけど今の私はこの通り。何も起きてない、でしょ?」

 「……だったらいいんだけどさ」

 本人に調整してもらった部分が大きいけど、今はこうして健康に生きていられる。そして隣にレブがいてくれる。たまには日常の中でも思い出して、感謝しないとね。サンキュ、じゃなくてありがとうと口に出して。レブは気にするなと言いそうだけど。


 「おい、そこのお前達!」

 レブとの繋がりで私の体に生じる変化。レブの血液は劇薬と本人も言っていたし、フエンテにも若干勘付かれた。だけど今のところ私が感じているのは魔力の高まりくらい。それは必ずしもそのままとは限らないのかも知れない。フジタカは私に意識付けをさせてくれた。

 しかし、何よりもこの出会いが私達に変化を促したのかもしれない。

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