第八部 四章 -フェルサ・イ・リミテ-

 襲撃から数日、町が見えてきた時点で私とチコの足は速まっていた。極端な話、レブに抱き抱えてもらって一刻も早く着きたいとさえ思ってしまう。

 境界の壊れた世界で真っ先に召喚術が発展した町、それがカスコだ。この世界を守る召喚術が生み出され、今も異世界からドワーフや妖精を積極的に召喚士ては技術を取り入れ続けている。フエンテという集団と会うのが先だったが、インヴィタドから教わり魔法を操れる人間はこの町でしか会えないとすら思っていた。

 「わぁ……」

 町に入って建ち並ぶ家屋は大きい。人の賑わいもトロノよりはこんな町と街道の境近辺でも混雑している様に見える。

 「……わぁ」

 チコも同じ様に声を洩らしたが、たぶん私と同じ事を考えている。

 思っていたよりも……。

 「普通の町でしょ?」

 カルディナさんが言ってしまうので私とチコは同時に顔を向けた。

 「そ、そんな事は……」

 「……正直、そう思いました」

 思ったままを口に出してしまうチコを睨んだけど、フジタカもウーゴさんも私達に落ち着く様になだめに入る。

 「まぁまぁ……」

 「都会なんて、人が多いだけでそんなに変わらないって」

 ウーゴさんとライさんは大人で経験豊富だし、カスコを見てもあからさまに驚かないのは分かる。だけどフジタカは少しは期待してくれていても良いんじゃないのかな。

 「なんだよお前、一人だけ優等生ぶって」

 「別に……。特に何だかんだと期待はしてなかっただけだよ」

 フジタカはすっかりアルコイリスをニエブライリスと合体した状態で使える様になっていた。消耗に関してもナイフと変わっていない。灰色以外の状態で使うと気持ち疲れる程度だそうだ。もっとも、試せたのはロボ以来はもっぱら平原にあった大きな岩に試し斬り程度だったが。

 この辺はもう、街道周辺にもビアヘロ除けの結界が張られていた。だからこそ突破して人を襲うだけのビアヘロなんて希少種に襲われる事もない。力試しをしたい、と思いつつも無暗には使わずにカスコまでは辿り着けた。

 「ふむ」

 だけど私の胸は道中でたまに痛んでいた。その理由は魔法による消耗。隣で町の全体を見ているレブにも黙っている。

 「………」

 そして、ほんの数秒見上げているとレブは視線に気付いて首をこちらに向ける。

 「調子が悪いのならすぐに言え」

 「問題無いよ」

 「そうか」

 このやり取りが二人の間で妙に続いていた。レブが私の体調をやたらと気にしてくる。その理由が、勝手な魔法の使用。

 無傷で戻ってくるし、魔力の消費もたかが知れているからこちらは何も聞いていない。しかしレブは夜な夜などこかへ姿を消していた。

 最初は気のせいかと思ったが、私が眠りに落ちたの見計らって何かしている。私が起きるとたちまち姿を現して心配する様な発言を繰り返していた。今みたいに、レブを少し見て目が合っただけでも向こうから反応してくる。

 「行こう?」

 「あぁ」

 何があったのか聞きたかったけど、恐らく人前では答えないと思った。だからこそ私はカスコに早く着きたかった。レブと、二人きりで話をしたかったから。

 「町並みは普通でしょう?だけど、この先がカスコの面白いところでもあるの」

 私達が最初に向かうのは当然、召喚士育成機関カスコ支所。そこまでの道のりをカルディナさんに案内してもらいながら、私達は話を聞いていた。

 「ほぉ……」

 「まぁっ!」

 道行く人達の視線が自然に私達に集まってくる。……と、思いきや。集まってはいたが、集まり方が今までと明らかに違う。誰も足は止めてレブを見ない。

 その代わり、視線にやたらと情熱的な物を感じた。小声で聞き取れたのは「トロノの?」という一言。私達の腕輪を見て判断したらしい。

 見れば、道行く人々は腕輪を巻いている。それが召喚陣をしまう召喚士の証だとはすぐに気付いた。

 「この町……」

 「気付いた?」

 「はい」

 カルディナさんもふふ、と笑って私があちこち見ている様子を観察していたみたい。

 召喚士が多い。インヴィタドの姿も、トロノ支所の中を歩いている時と同じか、それ以上に多く目に付く。馬車を引く馬すらウニコルニオだった。

 だからレブを珍し気に見てもそのまま素通りしたんだ。インヴィタド自体がこの町には多く存在しているから。

 「召喚士だけの町じゃない。だけど半数近くは召喚士だから……トロノの総人口に近い召喚士がこの町に集まっているの」

 そんな冗談みたいな話、と最初は思った。しかし腕輪を巻いていないのは本当に子どもとインヴィタドくらいで、ほとんどの大人達は腕輪を身に付けて歩いている。

 「この後、もっと驚く事になると思うわ」

 カルディナさんは私達の新鮮な反応を楽しむかの様に笑うと先を歩き出す。向こうもこちらがトロノやカンポの方から来た召喚士だからか、たまに視線は向けられたがわざわざ声を掛けてくる人はいなかった。

 「これが……」

 立ち止まって目の前にそびえる建物を見上げてチコは顔を大きく上げた。遠目から見えていた建物に近付くにつれて私も首が痛くなってくる。これが召喚士育成機関、カスコ支所だった。

 全部で五階建てのレンガ造りの建物は物々しい雰囲気を携え町の中心近くに構えていた。更に遠くへ見えるカスコ城はそれよりも更に一回り以上の大きさを誇っているのだから……。

 「拳だけなら壊し甲斐がありそうだ」

 そうじゃなくて。

 「あっちのお城に行く事は無いかな」

 用事無いもん。このカスコを治めるだけの力を持った召喚士の家系、オリソンの名を代々継いで今も王様として暮らしているって話。私達ボルンタ大陸の者達からすれば、あまりに遠い場所での話だったからいまいち実感が湧かない。そんな他人事でいちゃいけないのは分かっているんだけどね。先代が崩御されたというのもひと月以上経ってからシルフの噂で聞くくらいだったし。

 「レブはどんなところに住んでたの?」

 どちらかと言うと私は隣に立っている相棒がどんな暮らしをしていたかの方が気になる。ニクス様やティラドルさん、それにカドモスからは武王なんて呼ばれているくらいなんだし。

 「山の頭頂に穿たれた岩窟だな。気に入っている場所が幾つかあった」

 竜人達が文化的な暮らしをしている話を聞いていただけに、レブも準じているかと思ったけど、そんな事はなかった。ある意味予想通りだけどね。

 「ティラの様な連中とは一緒にするな」

 「そうらしいね……」

 でも、前より自分の話を簡単に聞かせてくれるようになったのは自分でも気付いているのかな。

 「二人とも、入るわよ」

 「はい」

 しかしそれを指摘する間も無くカルディナさんに呼ばれて私達は最後にカスコ支所内に足を踏み入れた。

 「う……!」

 しかし一歩中に入った直後に足が止まる。その光景があまりに異様だったからだ。

 「驚いた?」

 予想していた反応をしてしまったのか、カルディナさんとトーロがまたも笑う。

 「面白いな、この場所は」

 私のすぐ後ろでレブが感想を洩らす。おかげで私も平静は保っていられた。

 トロノ支所の倍以上に大きい広間。そこの壁一面には紫色の蔦が絡まり合って伸びている。禍々しく脈打って養分か何かを奥へ運んでいるらしかった。

 外観に反して中身が明らかにこの世界でない物が詰まっている。漂う冷気は外の季節と違う、何かの吐息を思わせる様に定期的に吹いては止みを繰り返していた。

 「なんですか、この場所……」

 私達を案内しようとしてくれていた召喚士の人にも笑われている。

 「面白い、でしょ?ほら」

 レブの言葉を拾ってカスコ支所の召喚士が手近な扉を一つ開けた。するとそこは真っ暗な部屋に召喚士が一人佇んでいた。

 「うん?」

 扉の音に反応したのか部屋の召喚士が反応する。しかし直後に動いたのは本人ではない。扉に紋様が浮かび、アルゴスの持っていた様な大きな目玉が一つ現れた。

 「どうした?」

 目玉が扉を開けた召喚士の方を向き、部屋の人はこちらに背を向けたままで動かずに喋っている。

 「ボルンタとカンポからの客だ。契約者もいる」

 「契約者……?」

 目玉がこちらを見てキョロキョロと動き、ニクス様の方を見付けると視線が固定された。

 「と、これはいかん、。契約者を前にしてこの様な真似……」

 「いや。術の途中ならばいい。邪魔をした」

 ニクス様が首を振ると、受け付けてくれた方の召喚士が扉を閉めてくれる。扉に出てきた目は閉まるまでこちらを向いたままだった。

 「……召喚試験士、ですか?」

 「いや?彼も浄戒召喚士だよ」

 チコの質問に何気なく答えて廊下を進む。所々、扉の前から異様な熱気を感じたり、植物がはみ出た扉も散見した。

 「この地……いや、この施設は直接異世界に通じているらしい」

 「え?」

 私が聞く前に疑問に思っていた事をレブの方から説明してくれた。部屋ごとに違う世界に通じているって……。

 「私達が通る門ではない。だけど、特殊な召喚陣で一室程度なら異界化に成功したのがこのカスコ支所よ。今の部屋の人は、恐らく新しいインヴィタドを呼び出している段階だった」

 「他の機関で試験士がやっている真似事を、このカスコなら誰でもできてしまうんだ」

 カルディナさんと一緒に男の召喚士も説明してくれた。もっと驚くってこういう事だったんだ……。

 「こちらでお待ちください」

 通された客間は、特に何の変哲もない部屋だった。しかしこの場へ辿り着くまでに見たものは、他にも回ったどの育成機関とも違っていた。

 「カスコ支所って凄いところなんですね……」

 「それがまた、少し違うの」

 客用の椅子はインヴィタド達の分もしっかり用意されていた。用意はされていたんだけど、面子がどうしても肉厚な為、若干窮屈そうだった。全員尻尾持ちなのも邪魔になっている。

 「……違う?」

 場所の取り合いでレブがフジタカと体を揺らし合い、ライさんとトーロが何も言えずに顔を背けている。その様子に苦笑しながらも私はカルディナさんに振り返る。

 「この空間はね、召喚士育成機関だからこそ成立しているの」

 「逆を言えば、この建物を出ればもっと混沌とした異世界を広げている召喚士もいる」

 カルディナさんに補足してくれたニクス様の一言で少し寒気がした。もしかして、今まで通って来た建物も扉を開けたらとんでもない場所に通じていたりする……?カスコ支所だからせいぜい一室で済んでいただけなんて考えるだけでぞっとする。

 「それができるから、この町はオリソンティ・エラの中心になったとも言えるのでしょうね」

 「へぇ……」

 地図帳で見ていた景色に私は歴史の背景をあまり勉強していなかった。そこにどんな話が根付いているか知っていても、その根本を理解していない。カルディナさんやニクス様はそれも含めて経験で知っていたんだ。

 「でもあちこちが半分異世界に足を突っ込んでる場所になんてよく住んでいられるよな」

 フジタカの言い分にカルディナさんの眼鏡が光る。

 「そう。でも、危険を冒さないと得られない物もある。貴方だって分かるでしょう?」

 異世界から力を招く為に発動した召喚術によって現れた何かに自分が負ければどうなるか。場合によっては大怪我ですら済まないなんて事は誰にでも分かる。

 決して安全、ではないんだ。でも、挑戦し続ける人達がいたから今日のカスコがあるのもまた事実。フジタカもすぐに察して言葉を引っ込める。……そう、私達からすればどこだって危険なんだもの。

 「もちろん、未知の危険がある一方で別の場所では対処できない事案をこのカスコなら防げる例もたくさんもあるのよ」

 「分かりますけど……」

 そこで客間の扉が開かれる。中に入って来たのはこざっぱりした短い白髪交じりの男性だった。

 「失礼、お客人」

 重い圧を乗せた声が発せられると同時に召喚士全員とトーロが立ち上がる。男性は私達よりも後ろのインヴィタド達に注目している様だった。

 「ふ……。楽にしてください。話は少し聞いておりますので」

 扉を閉めて笑った男性が座る様に促してくれる。私達が座ったのを確認して、正面に腰掛けた。彼もまた、腕輪を巻いた召喚士だった。

 「ようこそいらっしゃいました、契約者ニクス様。そして、トロノの若き召喚士達。私はこのカスコ支所で副所長を任されております、レアンドロと申します」

 レアンドロ副所長、と聞いてフジタカがうん?と声を洩らしたのが聞こえた。私だってたぶん同じ事を考えている。

 「所長はただいま席を外しております。用件はこちらにお伝えください」

 そう、所長が直接出てこない。今までの所長達なら自分の用事を放ってでもニクス様に会っていた。それが今回は歓迎はされているが、こうも反応が淡白とは。今までが今までだっただけにフジタカもそわそわしている。召喚士の町だからこそ、契約者が大事ではないのかな。それとも、契約者よりも大事な何かがあるのか。

 「フエンテ、の話はどこまで伝わっている」

 気にした様子は無くニクス様も用件を伝える。その名を出すと流石にレアンドロ副所長も眉根を動かした。

 「カンポで猛威を振るった、育成機関が知り得ていない召喚士集団……。この召喚士の町、カスコでも知っている者はそう多くない。トロノの所長、ブラスからの報告書はこちらで確認しましたが」

 じゃあ、もうある程度の人は知っているの……?ライさんが短く唸ったのも聞き逃せなかった。

 「自分達は数度、道程を阻まれながらこのカスコにまで来た」

 ふむ、とレアンドロ副所長は背もたれに身を預けて顎から生えた短い無精髭を抜いた。

 「保護のご相談、でしょうか」

 「違う」

 副所長の予想にニクス様は首を横に振る。何度も無理をしてでもカスコに来た理由にしてはその考えは浅い、と言わざるを得ない。

 「彼らの情報を集めたい。そして、彼らが成そうとしている事がいかに危険かを知らせなければならない」

 そこで初めてレアンドロ副所長の表情が変わる。

 「彼らの行動目的を知ったのですか」

 「異世界の門を管理していると、ガランに向かう途中で知りました」

 島民が避難してもぬけの空になっていたレパラルでカドモスが教えてくれた事。それを信じていいのか、分からないが豪語するだけの実力は持っている。

 「……詳しくお聞かせ願えますか」

 やっと副所長もこちらの持ってきた話が軽い物ではないと理解してくれた。あとは私達の伝え方次第だ。

 順を追いながらも私達に何が起きたか、その時にどう対応したかを事細かに説明した。強調したのは、私達の敵は異世界の脅威なんかではなかった。隣にいた同じ人間だった事。

 報告書を流し見しただけの男にこんな事を言っても伝わり切らないのも分かっている。だけど、私達の暮らしを自分の気持ち次第で善くも悪くもしようと考えている一部の集団がいる。それを、今日まで団結してビアヘロに立ち向かっていた我々が野放しにし良いわけがない。

 「話は分かりました」

 問題があるとすれば、フジタカの存在は伏せていた事だ。今この場にビアヘロがいると話して中身を拗れさせたくなかったから私達からの報告は、フジタカの稀有な力も同じ力を持つ男に狙われているとだけ言ってある。

 「しかし、こちらの一存で対処できる問題ではない」

 だから私達は話を一度で通じさせられる所長にお会いしたかった。半端な立場の人に話してもこうなるのは予想できたし。

 「所長にはこちらから伝えておきます。契約者ご一行はしばし、このカスコ支所をご滞在頂きたい」

 「何を悠長な事を……!」

 こうしている間にもフエンテが次に何をするのか。常に後手後手に回っている私達が敢えて座して待つなんて。トーロも明らかに不満を口にした。

 「我々も、対策を打つにも準備が必要なものでしてね」

 口調こそ穏やかだが、トーロを見る副所長の目は冷たい。理解者にはなってもらえたと思いたいのに、彼にそんな態度をされてはとても期待なんてできなかった。

 「話はこれまでにしましょう。契約者ニクス様。御身はカスコの召喚士がお守りします。どうか、ご自愛ください」

 勝手に話を切り上げてレアンドロ副所長は席を立つ。

 「個室には係の者に案内させましょう。召喚士諸君も、設備はいる間だけでも好きに利用して構いません」

 素直に、喜べない。

 「ですが、インヴィタド達に礼儀と教養を教えた方が良いかもしれませんね。折角の時間、有効にご利用ください」

 そんな捨て台詞を残して部屋の扉を閉める。だけどあんな安い挑発に乗って暴れ出す者なんていない。

 「なんなの……あの男!」

 ただし、不快に思わないわけでもない。真っ先に口を開いたのはカルディナさんだった。

 「でもあの人くらいしか全部を知ってる人って今はいないんですよね」

 話す相手を間違えたかも、と思わざるを得ない。たぶんレアンドロ副所長は、入って来た時に誰が立ったか、立っていないかなんてのを確認していたんだ。立たなかったのはレブとフジタカ、そしてライさん。最後にトーロを冷ややかに見てたから、話に割り込まれたのも気に入らなかったらしい。だから礼儀とか何とか言っていたんだ。

 「即決は期待できないな……」

 ニクス様から見ても望みは薄いみたい。だけど立ち上がって全員を見回した。

 「各自、今夜は休養を取ってほしい。ご苦労だった」

 程なくして、さっきこの客間まで案内してくれた召喚士が迎えに来てくれる。私達を部屋へ案内すると戻ってしまったが、何か用事があればまず呼んでほしいと言ってくれた。

 「すごいね、ベッドが二つある」

 私とレブが通された部屋はトロノ支所と比べて単純に倍の広さはあった。二人分の机に、二人分のベッド。明らかに召喚士と人型のインヴィタド用に作られている。左側が大きいから、レブに使ってもらおう。

 「ふむ」

 しかしレブが座ったのは右側のベッド。たぶんレブが横たわったら足がはみ出る。

 「レブはそっち」

 「違うと思うぞ」

 左側の大きなベッドを指差しても、レブは動こうとしない。

 「インヴィタドが召喚士よりも豪華な寝床を利用するな、とあの男なら言うのだろう」

 「……レアンドロ副所長の事?気にしてるの?」

 らしくないと言うか。いかにも言いそうだけど、そんなの私達の間には関係ないよ。私はレブの隣に座って顔を覗き込む。

 「私はレブに使ってほしいの。しっかり休んでもらいたいから」

 目を見て言っても、レブは口を曲げて見下ろしている。

 「まるで私がまともに休めていないような言い方だ」

 そのつもりで言っているんですが。

 「……休めていないとしたら、貴様の方だろうな」

 魔法を使って、自分が私を起こしてしまった事も知っている。レブだって自覚していたんだ、やっぱり。

 「……止めよう?私達の間でも隠し事をしていても、意味ないよ」

 「それは……」

 こちらの提案にレブは乗り気ではない。話すつもりがあるのなら、彼なら最初から話してくれているからだ。だけど。

 「こんな探り合い……したくないよ。レブだってそうでしょ?」

 「………」

 後ろめたい気持ちがあるからそんな言い方をしたんだろうし。でも、本音を聞きたい。やや沈黙を保ってから、レブは頷いて口を開く。

 「あぁ、どうせならまさぐり合いたい」

 そうじゃなくて。

 「ふん、分かっている。もはや伏せてはいられまいな。貴様とはとうに繋がっているのだから」

 「そうだよ」

 こうしてずっと、魔力線を通して直接繋がっているんだ。魔力は正直で、私達の間に誤魔化しは通じないよ。

 「……自分を」

 レブが私の隣で遠い目をしながら口を開く。

 「自分を、強化したかった。カドモスの事もあったが、決定的だったのはあの犬ころの親が現れたからだ」

 胸の痛みに私が起こされる様になった時期と符合するとはすぐに気付いた。

 「そんなの……」

 今だってレブは十分に強い。その二回は相手がたまたま悪かったんだ。

 ……でも、その相手の悪さを気にしているんだ。そしてその相手とは再び会って、今度は勝たねばならない。

 「いいよ、レブ。……まさぐる方じゃなくて」

 言葉足らずだったかと思って言うと、レブは閉口して私を睨む。

 「貴様は私をなんだと思っている。そこまで餓えてはおらんぞ」

 餓えてないって言うけど、何もできない私しかいないのなら溜まっているんじゃないかな。仕組みはちょっと分からないけど。

 「魔力の事だな」

 「うん」

 私ができる事と言ったらこれくらい。魔力の調節だったら前よりもできる様になった自覚は持っている。

 「レブが満足するまで、搾り取っていいよ。……私じゃ、上手くはできないかもしれないけど」

 自覚と自信は違う。自信がないわけではないが、本気のレブを支えられないのは事実。知っておいてもらわねばならない。

 「……その一言だけで十分だ」

 しかしレブは何故かもう既に表情を緩ませていた。始めてもいないのに何を勝手に納得してしまっているのか。

 「それじゃ訓練にならないでしょ。言ったじゃない、二人で強くなろうって」

 口に出してからちょっと懐かしい響きだったな、と思う。最近は実戦続きで鍛錬や訓練なんて言っていられなかったし。

 「……そうだったな。口にしたからには付き合ってもらうぞ」

 分かってる、と言って私はレブに頷いてやる。

 「いいよ。好きで言っているんだし」

 私達の方針は決まった。二人で笑い合うとその日はそのまま眠ってしまった。レブにはもちろん、大きなベッドを使ってもらった。


 翌日、チコはフジタカを連れて朝からどこかへ出かけてしまった。設備の利用は許可したが単独行動は控える様に、とレアンドロ副所長に釘を刺された矢先の夕方にフジタカは怪我をして帰ってきた。

 「フジタカ……その手、どうしたの?」

 白い包帯をぐるぐると回して左手を覆っている。手を押さえてカスコ支所に戻って来たフジタカは明らかに嘘を吐いていた。

 「なんでもないって。ちょっと怪我しただけだからさ。あ、フエンテじゃねーぞ!本当だからな!」

 チコとフジタカの部屋に押し入って聞いてみたけど、レブだって簡単に見抜いている。声を大きくしてみても無駄だ。

 「話したくないのならこちらも聞こうとは思わない。だが」

 「戦いの時に使い者にならないのは許さぬぞ犬ころよ……。とかって言うんだろ?分かってる」

 完全に先読みされてレブは顔を背けた。フジタカの読みは的確だなぁ。

 「寧ろ、逆だと思ってる。戦う為に得た傷ってのは勲章なんて言えないが、糧にはなってくれるだろ?」

 お前だからこそ分かるだろ、と言いたげにベッドに座ったフジタカがレブを見上げている。その視線を無視できるレブではない。

 「お前の行く末を切り拓くのであれば、無意味ではあるまい」

 チコが隣にいながら何があったのか。彼もまた胸を押さえるだけで答えを教えてくれるつもりは無さそうだった。

 「フジタカ、ナイフで治そうとは思わないの?」

 見たところ、怪我をしているのは左手だけだ。大きさから言えば子犬の足の怪我よりも少し大きい程度だと思う。それならなんとか治せるんじゃないのかな。

 「そこまでする程のもんじゃないよ。ニクスさんの羽も挟んでるし、痛みはほとんど無いんだ」

 そうは言うけど、剣を握れないとか簡単に弾かれたりはしないのかな。本人が平気と言うならこっちもこれ以上は強く言えない。

 「ニクス様の羽って便利だよね。便利なんて、本人には言えないけどさ」

 いつか効果が切れると思いきや、フジタカの貰った羽は船酔いの時からずっと持っているものだ。私はウーゴさんに一度あげて、新しいのをもらったにしても何日経っても効果は衰えていない。

 「竜の回復力にニクス様の羽を合わせたら怪我をしても万全じゃない?」

 「ふむ……」

 って、レブを傷付けられる存在なんて……。

 「悪くない考えだ」

 「え……」

 考え無しに振った話だったがレブは受け入れてしまう。繋がっている私はともかく、頼れるのは自分の力のみ!なんて言いそうだったのに。

 「明日はお前らが何をしていたのか教えてくれよ」

 チコも私達が何をしていたか興味はあるみたい。

 「だったら、今から見る?」

 だけどそんな悠長は話をせずとも、私達の一日はまだ終わっていない。

 「面白い一室を見付けたのでな」

 レブと目が合い笑う。見るだけなら、と二人は私達に続いてカスコ支所の中を歩いた。

 夜になると廊下も当然暗くなる。しかし歩きにくいとは感じない。他の部屋から怪しい光が漏れ出ているからだ。

 「桃色のライトってなんかいかがわしいよな」

 「なんで?緑とか白の方がやらしいだろ」

 通り過ぎた部屋の隙間から桃色の光が漏れていた。それを見たフジタカは妙ににやにやしていたが、内容にチコは首を傾げる。返答にフジタカも食い付いた。

 「おいおい?白がエロいって……。陽の光も?」

 「いや、そうじゃないけど……なぁ?」

 こっちに話を振らないでよ。……でも。

 「レブの世界ではどうだったの?」

 興味はちょっとあるかも。住んでいる世界や国で色の捉え方も違うのなら、レブにだってあるでしょう。

 「………」

 答えない。そこでフジタカが足を止めた。

 「……紫なんだろ」

 「へ?」

 フジタカのレブに対する読み取りは、ある意味私よりも鋭敏だ。答えてくれない理由がまさか……。

 「だからティラドルさん……」

 「奴はただの変態だ」

 苛立ち気味にレブが切り捨てる。でも、もう答えを言ったも同然だ。

 「スケベの塊なのか、デブ……」

 「色味で判断するな」

 だけど昨日まさぐりたいとか言ってたじゃん。……いや、まさぐり“合い”って言ってたから私もやらなきゃいけないんだっけ。

 「これはしばらくネタにできるな」

 「飽きないよね……」

 懲りないというか。フジタカはそういう知識を積極的にレブに伝えてるみたいだし。もう止めても無駄かな……。余計な知識ばっかり増やされている気がする。

 「あ、着いたよ」

 そのまま一階下りて、角を曲がって一つ目の部屋。私達が案内したかった場所に着いた。案内してくれた召喚士もカスコ支所内全ての中身まで把握できていないらしい。一覧も随時作成しているそうだが、あまりにも変化が日常的過ぎて処理も大変だと言っていた。

 「なんだここ……」

 建物の中に居た筈の私達は、扉を開けると夜の平原に立っていた。カスコもまた季節が冬に入っているのだが、この平原に吹いている風は生温い。夜なのに上着を脱がないと暑いくらいだった。

 「名も無き平原とカスコの召喚士は呼んでいるみたい。ずっと昔から使っている場所なんだって」

 名も無き平原が名前、ってのも妙だけど。召喚士の訓練場の一つとしてずっと使われているらしい。カスコ支所にはこうしただだっ広い空間に繋がった場所が他にも幾つかある。

 「これさ……勝手に壊しちゃまずい場所じゃないのか?」

 恐る恐る部屋の中に入ったフジタカが辺りを見ながらナイフだけ取り出す。振り返れば、原理は分からないが平原の真ん中に扉が一枚立っている。しかも、その扉の横は景色が広がっているのに決して移動する事ができない。見えない壁に阻まれ、一度レブが拳を叩き付けても無駄だった。

 「カスコの召喚士が長年使って、誰とも遭遇しなかった地で何を言っている。……地と呼んで良いのかも怪しいが」

 まだ来たばかりで試していないのだけど、直進しても果てがあると案内人にも教えてもらった。他の部屋も建物の構造を無視した広さの場所は珍しくないとも聞いている。

 「この部屋なら、思いっきり暴れさせられるから来たんだ」

 ティラドルさんの様な相手はいないけど、町から離れずに体を動かせる場所に転移できるのはありがたい。他の召喚士は自分のインヴィタドに最適な場所へ繋がる部屋を使っているみたいだし、人がいない時は私達で使わせてもらおうと思っていた。

 「暴れさせるって……良いのか?体とか」

 「見て回ったりもするよ?でも、それとこれは別」

 カドモスには油断していた隙を突いたから勝てた。ロボにはフジタカが立ち向かってくれたからなんとか追い返せた。その二つはレブにとって、納得のいく勝利ではない。

 この平原なら私だって場所を構わず召喚陣の発動も、魔法も試せる。召喚士がインヴィタドから教わった魔法もこれからは必要になる機会が増えてくる予感がした。

 「じゃ、行くよ……!」

 「あぁ」

 レブが飛び上がった。私は彼に向けて手をかざした。

 「雷よ……。レブを貫け!」

 召喚士が自らインヴィタドに魔法を放つ。通常であれば立派な暴行になるのだろう。だけど相手は雷の直撃をものともしない竜人だ。

 「見事」

 手からほとばしった雷撃は違わずレブに向かって飛ぶ。思い描いた直線を描いて夜の平原に閃光が走った。私でも、臆病風に吹かれでもしないで立ち向かえば、生き物のビアヘロだったら深手も負わせられる。

 ただし目の前にいる相手は称賛を私に寄越したものの、まったく意に介していない。

 「もう一撃!」

 前の私であればこの状態で挫けていた。しかし、今回は以前と違う状況が二つ。

 「む……っ」

 私はかざした手をギュッと握り締めて胸を押さえる。レブの表情も変わった。

 「落ちろぉ!」

 バァァン、と音を立てて雷が天から降る。紫電の矢はレブの頭頂から入り、爪先を抜けて地面に穴を空けた。

 「う……」

 違う状況の一つ。それは私の魔力が増強されている事。

 そしてもう一つは、レブが空中にいる事だった。今回も痛手にはなっていない。しかし私の中で掲げていた目標、レブを私の一撃で動かす事には成功した。今までのレブは微動だにせず私の魔法を浴びているだけだったから。

 「はぁぁぁぁぁ!」

 流石に空中で魔法の衝撃を浴びればレブを相手にも体勢は崩せる。ゆっくりと降下してきたレブに私は駆け込んだ。

 「まずは……」

 「はぁっ!」

 そのままレブの胸板に手を置いて、更にもう一撃。自分の手から発した光に目を灼かれぬ様、目を閉じて雷撃を浴びせる。

 「……う?」

 恐る恐る目を開けると、当に光は収束して消えていた。目の前にあるのは岩壁の様なレブの肉体。

 「………まずは、及第点だな」

 顔を上げると、レブは私を厳しい目で見下ろしていた。視界の端からレブの手がぬっと現れ、私の顔を握る様に覆い被さる。

 何をされるかと思えば、そのままレブに頭を撫でられてしまう。少し強い力で髪を撫でられて頭も揺れた。

 「……もしかして、やり過ぎた?」

 着地しようと下りていた時点で何か言おうとしてたもんね。やるだけやってみたんだけど……。

 「いや。仕留めるのなら弱った相手にもう一撃。常套手段だ」

 強がるでも、弱っているでもなく平然とレブは答えてくれた。

 「まさか貴様が落雷を狙うとは思っていなかった」

 「そうだよ!やるじゃん!」

 後ろを向けば、フジタカとチコもこっちへ駆けてきた。

 「今の……狙ってやったのか?」

 チコは空を見上げていたが、もう落雷用の雲は消えている。夜だから影で気付きにくかったってのもあるんだろうな。

 「うん。当てられるかは分からなかったけど」

 レブならもう極太の雷撃で地表を焼き払うなんて真似もできるのだろうけど、私にはせいぜい対象一体に浴びせるのがやっと。空中のレブに当てられればよろめかせる事はできると思っていた。……でも、本当に裏をかいたのかな。その気になればレブも避けられたと思う。

 「貴様の魔法の威力も上がっている。あれだけ離れた位置から当ててきたのだからな」

 「えへへ……だったらいいな」

 自分でも思ったより飛んだな、とは感じていた。魔法は発動して起きた結果の予測が大事。予想以上に派手に発動してしまうのもまた、自分の魔力を制御できていない事になってしまう。だが、自分がどれだけできるか自覚するにはやっぱり使ってみるしかない。そういう意味でレブは本当に良い訓練相手だった。

 「次は私の番だな」

 問題はレブの発散だ。私は彼の魔法を受けるなんて真似はできないし、魔力も私次第でしか使えない。

 「今日はいつもより派手に使っていいよ……!」

 ただし付き合う覚悟はできている。魔力は精神力が物を言う世界だ。気持ちだけでは足りなくても、気持ちが無ければ使えない。

 「よくぞ言った」

 レブも最初の私と同じ様に前へ手をかざす。私も彼の隣で手を前へ突き出した。

 「ねぇ、二人で魔法を使うとどうなるのかな」

 「貴様の負荷が倍……若しくはそれ以上に増えるだろうな」

 想像通りの答えだったが、望むところだ。時間を掛けたいところだけど、日中も軽く魔法を使っていたので魔力の残りは少ない。これで使い切るのも悪くないと思う。

 「試しても?」

 「構わん。私の召喚士は貴様だ」

 命令するくらいの気持ちでやれって事ね。だったら……。

 「雷よ重なれ……」

 「阻む物全て破砕する竜よ、その雷鳴を轟かせろ……!」

 レブが隣で私と声を重ねる。辺りが光に包まれた途端、私の意識は急速にしぼんで、途絶えた。

 「………」

 「目が覚めたな」

 目を開けると、私とレブがカスコ支所で借りた部屋に戻っていた。しかも、あれだけ言ったのにレブに使う様に言った大きなベッドに私は横たわっている。

 「犬ころが心配していたぞ」

 「ええと……」

 記憶ははっきりしている。レブと魔法を使って、急に……。

 「……倒れたんだ」

 「久し振りにな」

 起き上がって私はレブに頭を垂れる。

 「ごめん……。調子に乗り過ぎたね」

 全快の時ならまだしも、消耗した状態で一気に魔力を解き放つなんて真似は普通に考えてもすべきじゃなかった。

 「あれ……」

 外を見るとまだ暗い。

 「もうしばらく寝ていろ。夜明けまではまだ時間がある」

 そんなに長い間意識を失っていたわけじゃないんだ。魔力の調子は……うん、レブに送っている分で精いっぱいかな。

 「調子に乗るのは悪い事ではないぞ」

 「……もしかして、倒れるって分かってたでしょ」

 私が言うとレブは鼻を鳴らして笑った。

 「貴様を抱き抱えたくなったのでな」

 「船旅でも散々抱えてたじゃない!」

 うん、叫ぶ元気はあるかな。しかしレブは起き上がろうとした私をそっとベッドに寝かせる。意識を失う前に私を撫でた時よりも力を抑えてくれていた。

 「弱った召喚士が吠えるな。堪えるだけだ」

 「……明日は」

 レブは首を横に振る。

 「その消耗で他に魔力を使おうなどと思うな。今度こそしばらく目を覚ませなくなるぞ」

 見切って数時間倒れるぐらいにレブが調整してくれていたんだろうな。

 「……明日は町の散策。ちょっとだけ散歩しようか」

 だから今晩はレブの言う通りに寝させてもらおう。体は気だるく重い。目を閉じればすぐに眠りに落ちそうだった。

 「承知した」

 召喚士だらけの町、カスコ。この町は育成機関の教育を離れた召喚士の方がずっと多い。そんな人達の暮らしを遠巻きに見るだけでも刺激は貰えそうだ。自分から発する事ができないなら、相手から頂く日も設けたい。

 「おやすみ」

 何気ない、当たり前の言葉。だが今日という一日を終え、明日を気持ち良く迎える為に相手へ送る挨拶。言ったから、言われなかったから実際に体調が変化する程の力は持っていない。だけどこの言葉をレブに贈りたい。今日までを共に過ごしてくれた彼にこれまでも、そしてこれからも。

 「あぁ、おやすみ」

 二人きりの時だけ返してくれる様になったこの言葉に目を瞑ったまま私は微笑む。同じ様に想ってくれているのか、それとも億劫に思いながら返してくれているのかは分からない。だけど……。

 その時、ベッドが軋んで頬に何か触れた。ほんの短い間押し付けられたそれはひんやりとして、一気に目が覚める。

 「……?」

 頬に触れた何かが離れて一秒、再びベッドが軋み私は目を薄く開いた。映ったのはレブの背中が隣のベッドへと移動する姿だった。

 ……レブが私に覆い被さって何かした?頬を触った?どうやって?どこを使って?

 「………」

 自分が何をされたのか想像して私は極力自然体を装って寝返りを打ってレブに背を向けた。頬がどんどん熱くなる。

 指?いや、それにしては爪程は鋭くなかったし小さい気がする。じゃあ、掌かと言われるとそれはあまりにも大きい。だったら何が一番適してるかと言われると……。

 強いて言うなら口先、とか。そう考えた途端に私は今すぐに毛布を蹴飛ばして部屋から出て行きたかった。しかもそんな事を考えて外れていたら?爪の腹を少し押し付けてただけとかだったらもっと信じられない。

 ……レブに口づけされた、かも。こんなんじゃ、おやすみと言われたのに、考えるだけで休めないよ。


 窓の外を眺めて時間が過ぎて、段々と空に青みが増していく。外で鳥が飛んでいくのを見掛ける頃には町の人々も徐々に起きて活動し出している生活音も聞こえてきていた。

 目を閉じて映るのはレブの顔がどんどん近付いてくる場面。実際にはそんな風に露骨に迫られた事なんて一度も無い。なのに、うとうとしては背後にいる彼の姿を正面に思い浮かべてしまっていた。

 「……おはよう」

 「確かに、寝たにしては早いな」

 もぞもぞと寝返り、振り返ればベッドの上でレブは胡坐を掻いて腕を組み、静かに目を閉じていた。話し掛ければ既に起きていたのかすぐに目を開けこちらを見る。

 寝息とかで寝ては覚めてを繰り返していたのも気付かれていたんじゃないのかな。若しくはレブ自身もよく眠れなかったとか。

 「もう起きるよ。支度するね」

 「急ぐなよ。町は逃げぬ」

 急いでるように見えたんだと思い、私は笑った。

 「果物屋さん、もうやってるかな」

 目当てが何かは言うまい。だけどレブは立ち上がると一人、部屋の扉へ向かう。

 「外で待つ。早急に準備を終えた方が良い予感がする」

 「はいはい」

 どうやらレブの知る果物屋さんは逃げるらしい。レブがいなくなってから私は身支度を終えてウーゴさん達の部屋に向かった。

 「すみません、無理を言って」

 「こちらもカスコを見て回りたいと思っていたところですから」

 外で待っていたレブと合流し、私達は地図を片手に当てもなく歩き出していた。ウーゴさんとライさんを連れ出したのはレアンドロ副所長が言っていた単独行動をしない為。チコとフジタカは昨日出歩いたみたいだったし、ウーゴさんとライさんも私は気になっていた。カスコの召喚士に案内してもらうにしても、なんだかのびのびと召喚術を学んでいると言うよりは、本気で自分の身に付けたい術に没頭している様だった。声を掛けるなら見知った相手の方が良い。

 「ふぁ……あ」

 身支度こそ整然としているがライさんは眠そうに大きな欠伸をした。開いた口は私の頭頂から顎先まですっぽり収まるのではないかと思うくらい無防備に広げている。

 「具合悪い、とか?」

 「違うよ」

 聞こえているにしても、本人よりもまずは召喚士に。名前は出さずに歩きながら尋ねるとウーゴさんは苦笑した。

 「昨日はほとんど丸一日寝ていたんだ。……まだ寝ていたいぐらいらしい」

 「そうですか……」

 久し振りに寝惚けるライさんを見ているんだ。まぁ、今は待機しかできないしね。

 「いつまで待たされるんでしょうね」

 「城に行っているらしいから、あと数日は戻らないらしい」

 誰から聞いたのかウーゴさんが城を見上げて呟いた。向こうは私達と住む世界が違う。でも、このカスコで住む世界の違いってどう影響するのかな。

 契約者の儀式を執り行うにしても急な訪問だったからカスコでは契約者の来訪を告知して回っているらしい。昨日行われたばかりだが、契約者の情報だからか広まるのは早いぞとチコが言っていた。その間に、所長も戻ってくれればいいのだけど。

 「見付けた」

 「思ったよりも遠いね」

 レブの一言に私は硬貨を取り出す。しかし、そこにあったのはレブの好物であるブドウを扱う店ではなかった。

 「あれ……」

 「いやぁ、お目が高い!僕とミゲルの店に……うん?」

 白壁の目立つ建物の前に太った狐の獣人が一人。私達が足を止めた事に気付くと、背後であるにも関わらず素早く聞き付け耳を向け、遅れて体も向き直る。

 私は、と言うかレブも後姿で気付いた。だけど小太りの獣人は私を見て数秒固まる。

 「……ザナ、ちん?」

 「はいっ!」

 特徴的な呼び方をした相手は忘れもしない、私の首飾りも加工してくれたリッチさんだった。

 「う、うぉぉぉお!ザナちん!?なんで!?」

 まさかカスコで再会するとは思っていなかったのだろう、予想外の相手にリッチさんは元々大きな地声を更に張り上げた。

 「リッチ!近所迷惑だろう……がぁぁぁ!?」

 続いて建物から出てきた赤髪の男性も私の姿を見てさっきのライさんの様に大口を開ける。すぐに飛び出して私とレブをまじまじと見た。

 「お久し振りです、ミゲルさん」

 「あ、あぁ……。トロノのザナちん、だよな?カルと一緒にいた」

 リッチさんの召喚士であり、相棒のミゲルさんも髪は若干伸びた様だった。得意先の客は他にたくさんいるだろうに、私の名前を覚えていてくれたのはひとえにレブのおかげ、かな?

 「……アンタ、その……」

 「我が召喚士の首飾りの件では世話になった」

 ミゲルさんは見ているだけだったが、恐る恐るリッチさんがレブに声を掛ける。そう、記憶にあるレブと今のレブの姿がこの数か月で別人に変わっていたからだ。

 「これ、今も大事にしてますよ」

 上着の中から首飾りを取り出して見せる。レブが言っている鱗の首飾りなら今も肌身離さず持っていた。リッチさんも自分の作った装飾品を忘れはしなかったのかすぐに耳をピンと立てる。

 「それ!じゃあやっぱりアンタがザナちんのインヴィタド……?」

 「アラサーテ・レブ・マフシュゴイだ」

 今更自己紹介という仲でもないだろうに、レブは珍しく自分から名前をしっかりと名乗った。リッチさんも半信半疑の表情がどんどんとにこやかに崩れていく。

 「ハッハァ!見違えたよ、アラさん!」

 アラさん……違和感のある呼び方に私は面食らったがレブは短く鼻を鳴らして笑った。その呼び方、満更でもないんだ。アラサーって言われた時は怒ってたのに。

 「召喚士のおかげだ」

 「そうかぁ、ザナちんが頑張ったんだな!」

 ざっくりした説明にもリッチさんはニコニコ笑って褒めてくれる。こうも直接言われるとちょっとむず痒いと言うか……。

 「……どうやったの?」

 「自分でも何が何だか……」

 ミゲルさんはやっぱり疑問に思ってこっちを見ている。しかし立ち話で話すには色々あったとしか言えない。

 「それに……」

 やっと二人の目が私達の背後に向かう。

 「遅くなってすみません。こちら、今回契約者の護衛で同行してくれている……」

 「……カンポの召喚士か」

 紹介しそびれていたウーゴさんとライさんもやっと前に出る。しかし、ミゲルさんは名乗る前に二人に気付いていた。

 「カンポ……」

 ほんの一瞬、リッチさんの表情から笑顔が消える。そうだ、この二人はココの事を知っていると言っていた。

 「ライネリオだ」

 「ウーゴです。こっちのライとはカンポから来ました」

 ライさんとウーゴさんの方は知らないのか、初対面の様に名乗った。ミゲルさん達は契約者の護衛を二人がしていたから知っていたのかな。

 「ミゲルだ。こっちはリッチ」

 「二人で商売やってます、よろしゅう!」

 わざわざココの話をするでもなく、ミゲルさん達もあっさりと自己紹介を終える。

 「ではこの白い建物は貴方達の……?」

 ウーゴさんが建物を見上げると看板が一枚。木の板に雑貨屋と書いてあるが……。

 「俺達の店じゃないんです。この店は昔からの知り合いがやっていて、そこにこのリッチの装飾品を置いてもらっていて」

 ミゲルさんがリッチさんの肩に手を乗せると、リッチさんは鼻の下を指で横に擦って笑う。

 「年に何度かは顔を出しているんだ。商品の補充もあるんでな」

 「へぇ……」

 ウーゴさんは興味があるみたいで店の中の様子を窺う。

 「あいにく店主は少し外しているんだが……せっかくだし、見ていくかい?なぁに、見るだけで金は取らんよ」

 リッチさんからの誘いにウーゴさんは一瞬身を引いた。

 「私、少し見たいんですけどウーゴさん……時間大丈夫ですか?」

 なのでこちらから。その一言でウーゴさんの表情は和らいだ。

 「そう、ですね。俺も興味はあるので」

 「決まり!四名様、ご案内!」

 リッチさんとミゲルさんに半ば引きずり込まれる様に私達は店内へと案内された。中に入っても異空間という事はない。

 「このお店、ブドウは無い、ですよね……?」

 リッチさんの扱う装飾品という商品を考えれば無茶な相談だが、一応口に出してみる。

 「ふふん、ザナちん……僕達はお客様の要望にお応えするのが仕事だよ?」

 「じゃーん!」

 言った傍からミゲルさんが持って来たのは大きな実の生ったブドウ一房。それを見てレブの目が大きく見開かれたので、私も硬貨を取り出して交換する。

 「毎度!」

 すぐにレブに渡してやると一粒もいで口に入れる。

 「どう?」

 「染み渡る……」

 そんなにしみじみと言われるとこちらも買って良かったと思う。シタァに着いて、ガロテを経由してカスコに着くまでしばらく食べてなかったもんね。

 「ブドウ酒もあるぜ、アラさん!ライ兄さんもどうだい?」

 今度はリッチさんが瓶を二本持ってきた。それぞれ違った銘柄の葡萄酒らしいけど……。

 「酒は一番美味いものを知っているのでな」

 「む。そいつは残念」

 言ってくれるのは有難いけど後ろでライさんが飲みたそうにしていたよ、レブ。だけど一度お金を支払えば私達はもう立派な客……だよね。あまり買い物ばかりはできないけど、じっくりリッチさんの作品を見るには良い機会だ。

 「やっぱりライ兄さんには錆止めか?」

 手数は揃っているというか、拠点だけあって今日のリッチさんとミゲルさんは押しも強い。ライさんが興味を持ちそうな別の商品もすぐに取り出す。

 「ライにはそっちの方が良いな。買っておこう」

 「すまない」

 ウーゴさんも所狭しと棚の上に並んだ品揃えを眺めながらも話は聞いていた。剣の錆止めってフジタカにも要るよね。

 「私にも下さい。フジタカ、多分持ってないから」

 「ありがとー!」

 お土産と思えば、フジタカは喜ばないと思うけど。毎回トーロに分けてもらうわけにはいかないしね。

 「うん?あの人狼のお兄さんもいるのか。だったらカルもいるんだな?」

 「はい。今はカスコ支所にニクス様やトーロと一緒にいると思います」

 あれ、契約者が来たって事をまだ知らなかったのかな。ミゲルさんも含めてこの町じゃ多くの人が既に召喚士なのだから、あんまり重要な事でもないのかな。

 「顔を出す様に言っといてくれよ。会いたいしさ」

 「そうそう。良い眼鏡もあるんだよ」

 眼鏡って私は使わないから分からないんだけど、そんなに頻繁に新しいのが欲しくなるのかな。幾つも持っている人はそんなに見た事が無い。どちらかと言うと、眼の代わりになるものだから貴重品の様に大切に長く扱っていると思う。カルディナさんの場合は召喚士としてビアヘロを相手にする場面もあるから壊れやすいかもしれないが、今のところ大事にしていた。

 「カルディナさん達もお二人がいると知ったら喜ぶと思います」

 忘れずに伝えないと、と自分に言い聞かせると私はリッチさんが作ったと思しき装飾品の棚に行き着いていた。この場所だけ、なんだか普通の雑貨屋さんから特殊な店へと異動した様な錯覚に陥る程に雰囲気が違っている。

 「これ……」

 フジタカのナイフの柄に嵌め込まれている物とは大きさがかなり違うが、アルコイリスだ。小指の爪程の大きさをした耳飾りだが、これだけでもアルコイリスとは十分に分かるくらいに輝かしい。その隣に置かれた翠色のエスメラルダがあしらわれた腕輪も、店の奥に並びながらも微かに反射して妖しい光を放っている。

 「身に付ける物、そして石は感応し易い。だからこそ指輪や首輪は魔術に用いられる」

 隣に立っていたレブが冷静に棚に並んだ装飾品を見て教えてくれる。カスコにある以上、そうした魔的な力を持った石が召喚術にも作用すると考えられているのかな。

 「あはは……」

 そこに苦笑しながらリッチさんが剣の錆止めを入れた紙袋を持って現れた。

 「僕のはあんまり効果があるとは思ってないけどね。貴重な宝石とかもあるんだけど」

 そこだけは別でしょ?と値札を指差す。……確かに、とても私が手を伸ばして良い金額の代物ではない。

 「要は思い入れの用い方だよねぇ」

 追加の硬貨と錆止めを引き換えにリッチさんは別の棚を見ているウーゴさん達の方を見に行ってしまう。思い入れ、か。

 希少な物こそ力を得やすい、と言うのはそれだけ持ち主も思い入れを強く持ち易いという事かな。宝石でも、硝子玉でもどういう力や役割を与えるかは人次第なんだ。あとはその力を受け止める器量が石にあるかどうか。

 「………」

 きゅ、と私は胸の首飾りを押さえる。レブから貰った一枚の鱗に私は何を籠めるのだろう。そして、レブは私にどんな想いで渡してくれたのかな。

 「……美味い」

 ブドウを頬張るレブは幸せそうだった。……あぁ、そう言えばルナおばさんのところで白ブドウを貰った帰りに突然、鱗を一枚剥がしてくれたんだっけ。その時は装飾が中心で私が思う程、何かは考えてなかったのかな……。

 「……一粒だけだぞ」

 私の視線に気付いてレブがブドウを一粒だけ差し出す。私が口を開けるとそっとレブは指で押し込んでくれた。

 「む、おいひい。……ありがと」

 「買ったのは貴様だ」

 だったら私には買ってくれてありがとうってのは無いのかな。でも、美味しそうに食べてくれているから言うまでもないか。

 「いいねぇ、ザナちん!今日はアラさんとライ兄さん、頼もしい騎士が二人もいてさ!」

 結局私達は錆止めとブドウぐらいで買い物は切り上げた。カスコから出る際はまた買い出しに来ると約束したし、次はカルディナさん達が行くだろう。リッチさんだってこちらの懐事情は察している。押しは強かったが引き際も非常にあっさり見送ってくれる。

 「俺は騎士なんて呼ばれる程何かはできていないのだが……」

 ライさんの表情が一瞬沈む。

 「……だが、たまには悪くないかもな」

 ふ、と短く笑ってライさんの表情が緩んだ。

 「でっしょー?」

 リッチさんがこうして笑顔で接してくれていたから、少しは和んでくれたのかな。私やウーゴさんが店を見て回っている時、リッチさんは同じ獣人だからかずっとライさんと話していた。もしかしたら住んでいた世界も同じか似ていたのかも。リッチさんも魔法は火を出せるって言っていたし、共通項を聞き出せたらどんどん入り込んできそう。

 「じゃあな!カルによろしく!」

 「また来てねぇ!」

 見送ってもらいながらもライさんはまだ穏やかな表情をしていた。寧ろ、本人はもう少し留まっていたかったのかも。

 「またカルディナさん達とも一緒に行こうか?ライ」

 「……そうだな。その時もまた、騎士でありたい」

 なんだか、久し振りに前向きなライさんを見る事ができた気がする。その表情は決してとびきり明るい笑顔とはいかないが。

 外に出ると時間も経っており、曇り空からはちらちらと白い雪が降り始めていた。それでもカスコを行き交う人々の数は多い。

 様々な目線があちこち交錯していたが、武装したライさんやレブに物申したり奇異の目を向ける者は少ない。決して私やウーゴさんが二人の護衛インヴィタドを連れた要人だと思われているわけでもなかった。

 単に、他の人々も緑色に燃える火の玉やスライム、精霊を連れているからだ。火の玉は暖を取るためにしても、なんだかカスコはインヴィタドを常駐させている人が多い気がする。

 「レブは寒くないの?」

 上半身、ほぼ裸だし。しかし愚問とでも言いたげにレブは胸を反らした。

 「この程度の寒暖に影響される私ではない」

 うーん、いかにもな答えが返ってくる。

 「それはいけない。こういう時は“貴女の手で温めてほしい”と言うべきだ。……なぁ?」

 そこにライさんが話に加わる。ライさんももこもこと厚みのある毛皮は温かそう。って!

 「な、何を言っているんですか!そんなつもりで言ったんじゃないです!」

 「……そうか、失礼。淑女に恥をかかせたかな」

 私達を知る者はこのカスコじゃほとんどいない。だけど、外では誰が聞いているかも分からないんだから。

 「……いえ」

 それにライさんは私がレブに何を言われたかなんて知らない、よね……?単なる相棒って事で人前には通っていると思う。それこそ、ニクス様とカルディナさんみたいな。……ちょっと、私にはオトナっぽさが足りないかもしれないけど。

 「……寒いのが苦手とは知らなかったが、毛皮も鱗も無いからな」

 レブはレブでまだライさんの話を真に受けている。人間は脆い。だけどそれを補うための衣類や武器防具は持っている。今だって、上着をしっかり着込めばまだまだ平気。

 「あまり降らないうちに帰りましょうか」

 「賛成です。もう少し見たい気はしますが、雪が積もって怪我はしたくない」

 こちらの提案にウーゴさんも乗ってくれた。なので町の探索は程々にして、道行く召喚士の様子を眺めながら私達はカスコ支所へと戻る。

 「ふぅぅ……。お?おかえり」

 暗くなる前にカスコ支所に戻り、ウーゴさんとライさんは自室で武器の手入れをすると言っていた。歩いていた道の途中で鍛冶屋を見付けたからそこに持ち込む前に検査したいらしい。魔法の炎を剣に纏わせていたのだから、少々不安なんだそうだ。

 私達が名も無き平原の部屋に向かうと、丁度フジタカが部屋からチコを連れて現れる。二人の手には数枚の召喚陣が握られていた。

 「ただいま。って、昨日はごめん」

 「平気そうならいいさ」

 二人にも心配かけちゃったし。この二人も私が倒れるのはそんなに珍しいと思ってないよね、きっと……。

 「特訓、してたの?」

 「そんなところさ」

 フジタカが背負ったニエブライリスの柄を叩く。それを見て私は彼へのお土産を思い出した。

 「あ、そうだフジタカ。これあげる」

 私の声と共にフジタカが反射的に出した左手へ紙袋を乗せる。

 「痛っ……!」

 その手には怪我で巻かれた包帯。その存在を無視して私は彼の手に錆止めを置いてしまった。

 「ごめんっ!フジタカ……大丈夫?」

 痛がるフジタカに手を引いてしまったが、フジタカはそのまま左手で紙袋の上を掴んだ。

 「いや、大袈裟に言っただけだって。……おぉ?錆止めじゃん!いいのか、これ!」

 「う、うん……」

 フジタカは平気な顔をして袋を開けて中身を取り出すと笑顔を見せてくれる。

 「ミゲルさんとリッチさんって覚えてる?二人が知り合いの店に今は間借りしているみたい。フジタカ達にも会いたがってたよ」

 忘れてはいなかったのか二人は顔を見合わせる。

 「場所、後で教えてくれよ。フジタカも行くだろ?」

 「当たり前だって!どこにでも居るな、あの人達」

 錆止めを見てにやりと笑うフジタカはもう再会を楽しみにしているのか尻尾も振っている。

 「それで、この部屋で何をしてたの?」

 「久々に召喚術の訓練だよ。サラマンデルやらスラレムやら、片っ端から呼び出してフジタカと戦わせた」

 通りでチコの前髪が汗で額にくっ付いているわけだ。息遣いもかなり荒いし、かなり激しく召喚術を行使したんだと思う。

 「そして俺とニエブライリスの力で全勝ってわけだな」

 フジタカは紙袋に錆止めをしまうと右手でとんとん胸を叩いた。何でも消せる剣としての調子も良いみたい。

 「ある意味不戦勝じゃねぇの?大口叩くなら、ライさんくらい剣の腕も上げて見せろよ」

 「言ったなぁ!」

 チコの言い分も、フジタカが反感を持つのも両方分かる気がする。ニエブライリスは他ならぬ、フジタカの力だ。それを使って戦う事に制限は無い。だけど、もしも何らかの理由でアルコイリスが使えなくなったら何も消せなくなる。その時に物を言うのはフジタカ自身の剣の腕になってしまう。

 「だったら明日は俺がお前のインヴィタドをケチョンケチョンにしてやるからな!」

 「ケチョンだかグチョグチョだか知らねぇが、だったら俺だってお前のその長い鼻へし折る気で行くからな!」

 心配せずともフジタカは剣の腕も底上げしたいと思っているみたい。だったら、錆止めをあげたのも無駄にはならないかな。

 「……でも、決行するのは明日だ。今日はもう疲れたし」

 勢い付いていたチコも魔力切れを起こしていたみたいで引き下がる。フジタカも力を抜くとチコの肩を叩いて歩き出した。彼もチコを気遣っている。

 「だな。……ザナとデブはこれからか?」

 「うん。ちょっとだけ」

 昨日倒れた割には魔力の回復が早い。お昼にウーゴさんと食べた酢漬けの野菜が効いたのかな。昨晩調子に乗ったばかりだけど、無茶しない範囲で日課にしておきたい。休む癖がつくと簡単には抜け出せないし。

 「そっか。今は誰もいないから派手にできるぞ」

 「ありがとう、お疲れ様」

 チコとフジタカの背中が見えなくなってからレブはゴキン、と自分の指を鳴らした。

 「派手に、か」

 早めに帰ってきたけど天気と季節も相まってもうだいぶ暗い。夕食もあるし、そこそこで切り上げたいがレブのやる気はブドウが補充し尽くしていた。

 「じゃ、行こうか」

 二人で扉を潜るとその先は夕暮れの平原だった。吹いている風も冷たいとはあまり感じない。

 「あのさ、レブ」

 身体の柔軟をしていたレブが動きを止め、腰を捻ってこちらを見る。

 「タムズと戦った時の事を覚えてる?」

 「貴様と専属契約を結び、接吻された時の話だな」

 最後の一言に昨夜の事を思い出して私は頬を押さえてしまった。それを見たからか、レブはつい、と顔を背ける。

 「と、とにかく……。覚えてるなら話は早いよ。あの時に使った魔法……あれならロボでも防げないんじゃない?」

 ロボの襲撃から数日、彼との決着は息子のフジタカがつけたがるとは思う。だけど私達にだってロボやそれと同じ力を有する相手との戦いに備えないといけない。ライさんもトーロも対策手段は既に考えている、

 その一番手はやはり、魔法だ。レブの雷撃すら無効化したあの力を上回るにはもっと広範囲で強力でなければならない。発想としては単純だけど、他の方法を弄するよりは力任せ故に確実だ。

 「……ふむ」

 私が何を考えていたのか読み取ったのかレブは柔軟を止めて異室に作られた平原の空を見上げた。

 「アレに耐えられる獣人なんていまい。……いや、生物はいないだろうな」

 私に言っているのではなく、レブの呟きは暗くなっていく空に沈む夕陽と同じ様に溶けていく。

 「我が奥義、アレは貴様の魔力が私の血によって暴走していたからできたものだ」

 皆が倒れ、私もタムズの毒針にやられて倒れていたのをレブが自身の血液を飲ませる事で救ってくれた。その代償として私の魔力線は暴走し、竜の血で溢れんばかりの魔力を生成し続けてしまった。真の姿を一瞬だけ取り戻したレブはわざと強力な魔法を発動して、私の魔力線が破裂しない様に調節してくれたんだ。だから私は今もこうして生きていられる。

 「その話は聞いたよ」

 レブの顔がゆっくりとこちらを向く。

 「言っている意味は分かっているな。貴様は、私の奥義を実力で再現させようと言っているのだぞ」

 確認なんてされるまでもない。そのつもりだ。

 「召喚士とインヴィタドが二人でやるんだよ。覚悟するのは……」

 人差し指をレブへと向ける。

 「ふん、私も同じだという事か」

 「そういう事」

 指した掌を返し、私は指を広げる。

 「お願い、力を貸して」

 「貴様は変わらないな。召喚士ならば命令すれば良いと言うのに」

 でもレブは知っている。

 「何度言われても私はそんな関係をレブに普段から強いるつもりはない。そんな縛りが無くてもレブは私に協力してくれるって……信じているから」

 レブの手がこちらの手に重ねられる。指を伸ばしたら私の肘まで届きそうな手はもう片方も出して包み込んでくれた。

 「良いだろう。貴様の願いは私の願いでもある。いずれは貴様も単身で奥義を放てる様にしてやろうではないか」

 末恐ろしい話を聞かされてしまったが、強化するのはレブだけではない。私の力の底上げが、レブが強くなる一番の近道なんだ。

 「いいよ、レブ。最初から飛ばして行こう」

 「そうさな……」

 レブが何かに引っ張られる様に手を上げると翼を広げ空へと昇っていく。その間に胸が一際大きく跳ねて私は押さえながら踏ん張った。

 「どの程度、飛ばすものか……!」

 レブの上空を中心に暗雲が立ち込める。その時点で雲の奥で雷が発光していた。

 「もう少し大きくするぞ」

 「どんどんやって……!」

 答えると同時に更に胸が締められる。胸の痛みは魔法を放つまでの準備期間に発生する物だ。弓を番えて手放すその瞬間まで集中力は切らせない。

 雲は大きさを増していく。しかしその速度はタムズの時に比べるとかなり遅い。あれから随分経つし、あの時の体感時間と今が同じとは限らないけど……。

 「もっと急げば貴様の心臓や魔力線を潰しかねん」

 「く……!」

 これでも様子見をしているんだ。私だけが慌ててもいけない。二人の調子を合わせないといけないんだ。

 「……すー……」

 呼吸を意識して。私はできるだけ自分の手で掬い上げた魔力をレブへと送り出す。受け取ったの確認したら、もう一度汲み上げてレブに貸してやる。その繰り返しで魔法を編み上げれば良いんだ。

 「あぁ、大したものだ。時間さえ掛ければ貴様と私でこれだけやれる……!」

 既に平原の空は黒一色。そこかしこから漏れ出る雷光は留まる事を知らずに雲の中を駆け回っている。レブも片手だけではなく両手を空へ掲げていた。左脇腹の上部が微かに発光しているのは、私が刻んだ専属契約の陣からこちらの魔力が伝わっている証拠。

 「……限界、だな」

 随分高いところからだったが、レブの呟きは陣を通して私にも聞こえていた。だけど私の魔力にはまだ余裕がある。

 「まだ、違うでしょ……?」

 タムズ戦の再現は今と状況が異なる。あの時はレブも雷を身に纏っていた。

 「いいや、これまでだ。面白い物を見せてやる……!」

 ぞわ、と肌が泡立ち寒気が走る。轟音と共に雲が動き出す。

 「私も貴様がどれだけ力を持っているのか引き出せていなかった。それはインヴィタドである私の怠慢だ。だからこそこの場で発揮して見せる。括目せよ……!瞬きする間に破壊する!」

 レブが腕を振り下ろした。

 「雷鳴よ!音を越え、光を成して我が召喚士へ汝の力を示せ……!」

 レブに応じて魔法が解き放たれる。空から光が堕ちたのは分かった。長い、長い地震が立っていられない程の衝撃を私に与える。倒れたのは魔力切れのせいではない。

 「あれ……?」

 光に呑み込まれたと思った瞬間、よく見ておけと言われたのに私は目を瞑ってしまった。しかし、場の空気が変わったと感じて私は再び目を開ける。すると辺りは光の無い暗黒の空間だった。

 「え……レブ?」

 目がチカチカして痛むのは分かる。だけど自分の手も見えない真っ暗闇の中、私はレブを呼んだ。

 「落ち着け」

 背後でレブの声が聞こえたと思えばキィ、と蝶番が軋む音と共に扉が開いた。暗い部屋の中に廊下の灯りが揺らめいて挿し込まれる。

 「……カスコ支所」

 自分達があの名も無き平原からカスコ支所に戻って来たのは分かった。レブも頷くと私の手を引っ張り立ち上がらせる。

 「あの空間を破壊した。貴様と私の一撃でな」

 「そんな……」

 振り返ると、部屋の中心の床に召喚陣らしき紋様が見えた。しかしその大半は削り取られた跡があり、陣としての機能は到底果たせそうにない。あそこに刻まれた召喚陣があの平原自体を呼び出していたのだろう。

 「立派な空間だったが私達には役不足だった。あれ以上魔力を溜めればカスコ支所をも消していたかも知れぬな」

 「だから限界って言ったんだ……」

 でも、これって……。

 「何の騒ぎだ!」

 隠れていた召喚陣を異界ごしに壊すだけの魔法を使ったのだ、カスコ支所の中でも何かしら影響が出ていてもおかしくない。地震か、轟音か落雷か……。

様子を見に行こうにも真っ先に駆け付けたのはこういう時に限ってレアンドロ副所長。その表情は明らかに朗らかなものではない。



 「……あちゃあ」

 カスコ支所で長年使われていた一室を破壊してしまった。あらゆる可能性を広げる為の特訓だったが、こればかりは副所長に大人しく叱られる以外の選択肢を私は思い付かなかった……。

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