運命の朝

 十月末日、金曜日。午前六時。

 目覚まし時計が鳴った次の瞬間には、俺の意識は覚醒を迎えていた。

 枕元のスマホから、静かな声。


『起きたか』

「ああ」

『ならば、行くか』

「――ああ」


 着替えて顔を洗い、素早く荷物をまとめて家を出る。


 日の出を迎えたばかりの空は、夜の気配がかすかに残る透明なコスモ・ブルー。

 駐輪場から愛用の赤い自転車を引っ張り出し、仲間たちとの集合場所である駅前のファーストフード店へ向かう。


 早朝の空気の冷たさはハンドルを握る手が痺れてくるほどで、けれど今日に限っては心臓から吐き出される熱のほうがずっと強く感じられる。


 緊張している。そりゃそうだ。なにしろこの町の――俺たちの世界の命運がかかってる。この期に及んで怖気づいたりはしないが、だからといって落ち着いて構えているのも難しい。


「……今日はうまくいきますように、と」


 身体の中から不安な気持ちを追い出すように、ぐいぐいとペダルを踏み込んでいく。


『うむ。お主の願い、このワシがしかと聞き届けたぞ。大船に乗ったつもりでいるがよい』

「いや、お前さぁ……」


 ポケットから響いた雅比の声に、緊張を削がれて苦笑する。

 最近ビミョーにボケ担当だよな、コイツ。


『心配することはない。やれることは全てやってきたのじゃ。堂々としておれば良い』

「そう言うけどさ。不安じゃねえのかよ、お前は」

『ひとりではないからのう』


 雅比の答えは、見知った道を散歩するような穏やかなものだった。


『無論、不安はあるとも。神とて不可能はある。しかし、ワシにはお主らがついておるからな。恐れる必要はどこにもない。朝田よ、お主とて同じであろう?』

「……まぁ、な」


 そういうふうに訊ねられたら、雅比の言うとおり答えは一つしかない。


 Q:お前は仲間を信じているか?

 A:当たり前だ。


 自転車を走らせること十数分。俺は目的の店に到着した。

 市内のほぼ中心に位置し、無線アクセスポイントも備えているここが本日の前線基地となる。


「朝田ー、こっちこっちー!」


 窓際のテーブル席から、園村が手を振ってきた。隣には、落ち着いた微笑みを浮かべる追風の姿もある。二人とも昨晩は遅くまで作業をしていたはずだが、疲れが残っている様子はない。


「おはよ、朝田。よく眠れた?」


 追風が明るい声で尋ねてきた。どうやら同じことを考えていたらしい。


「まあまあだな。そっちも元気そうだ。久住は?」

「オレならここにいるぜ」


 振り返ると、そこにはトレイの上にハンバーガーの包みを山盛りにした友人の姿。

 三大栄養素に満ち溢れた高カロリー群の臭撃に、胸焼けしそうになる。


「……朝っぱらからよくそんなに食えるな、お前」

「これから大一番だってのに、食わないでどうすんだよ。お前こそ今のうちに食べとかねえと、体力保たねーぞ」


 親指をカウンターに向ける久住。

 程度の問題はともかくとして、確かにその通りだ。


 火雷天神が行動を起こしたとき、現場へ向かって雅比の活躍を動画に収めるのは俺の役目になっていた。追風は地主神承認の関係で待機しておく必要があるし、久住は技術担当。園村は市内に散らばった委員会のメンバーから入った情報を取りまとめてもらう仕事がある。現状、フリーで動けるのは俺だけだ。


 カウンターで注文した朝食を受け取ってからテーブルに戻ると、久住がハンバーガーにかぶりつきながらノートパソコンを立ち上げたところだった。画面内でブラウザが起動、店内の無線アクセスポイントに接続。俺もスマホを取り出す。


『おはようございます、みなさん! 本日はよろしくお願いします!』

『うむ。おそらくは大変な一日となろうが、最後までよろしく頼む』


 二人の神の挨拶に、俺たちはそれぞれ頷き返す。

 泣いても笑っても今日でおしまいだ。全力でいこう。


「それじゃ、今日のタイムスケジュールを確認するか」


 久住に断ってノートパソコンを操作しようとすると、火狐神が率先して予定表を呼び出してくれる。


『現在時刻は六時三〇分。出雲議会の開会が午前一〇時です。中心となる議題は精霊指定都市候補地の調査報告で、開始と同時に雅比さんが地主神への就任を申請します。調査報告に付帯して、という形を取るため、議論の順番は調査報告よりも先になるはずです』

『慣例上、緊急動議そのものは受理されるじゃろう。問題はその後じゃな……』


 雅比の切れ長の双眸には憂慮の色。


「申請が通るかどうか、ですよね。結局、雅比さんの地主神就任を後押しできる材料は見つけられませんでしたし……」

「悪い。ぎりぎりまで粘ったんだけどな」


 俺たちが口々に謝ると、雅比はいやいやと苦笑気味に手を振る。


『元より望みが薄かった話じゃ。使える策があるだけ上等というもの。なに、これでも政治家の端くれじゃ。任せておけ』


 こちらを勇気づけようとしてくれているのだろう。胸に手を当て請け負う雅比に、俺は了解とうなずいた。

 実のところ、懸案事項はもう一つある。


「……今日の議会には雅比も出席するんだよな?」

『うむ。新たな地主神の承認が本人不在で通るはずもないからのう。この状況ではなおのことじゃ』

「でも火雷天神は出席しないかもね、って話だったっけ?」

『推測ですが、火雷天神は調査官補佐を本日の報告者にすると思われます。火雷天神の補佐が今まで姿を見せてない以上、最初からそうした役割分担だったのでしょう』


 改めて火狐神から話を聞き、俺たちは苦い顔をする。

 その間、この町は火雷天神の攻撃に対して完全に無防備になる。


『地主神申請が迅速に受理されればすぐにでも戻ってこれるのじゃが、楽観はできぬじゃろうな』

『一応、私の分の調査官補佐の枠が、まだ一つ空いてはいるのですが……』


 補佐の補充については何度か相談をしたのだが、火雷天神に対抗できるだけの実力を持ち、かつ補佐を引き受けてくれるような相手が見つからないため、保留していた。


「こういう言い方は悪いけど、中途半端に実力がある神さまを招いてもかえって町の被害が大きくなるかもしれないし」

「この土壇場で不安要素を入れるぐらいなら、俺たちだけで対応した方がまだマシ、か」


 追風の指摘に、俺はうなずきかえす。


「きっと大丈夫だよ! 放送委員会のメンバーも市内各地でスタンバイしてるし、消防署の人たちとも連絡は取れてるしね!」


 園村の励ましに、いくらか空気が明るくなる。

 その時、火狐神が鋭い声を発した。


『市内で火災が発生したようです! おそらくは火雷天神の仕業かと!』


 ブラウザが地図を表示。市内の南端に近い一点が示される。


「くそ、もうかよ!? 動きが早いな!」


 俺は素早く食べ物を胃袋に収めて立ち上がる。

 人間の生活サイクルの関係上、火雷天神が行動を起こすのはもう少し先だと予想していたが、そう甘くはないらしい。考えてみれば、今日が決戦の日なのは火雷天神にとっても同じことだ。あるいは、こちらの動きもある程度把握しているのかもしれない。

 すると、久住がはっと何かに気づいた顔になり、カバンをごそごそやり始めた。


「忘れてた! 朝田、これ持ってけ!」


 久住が差し出してきたのは、手のひらサイズの黒い機械だ。

 最初はなんだかよくわからなかったが表面のライトがネットワークのアンテナの形を模していることに気づき、それで機械の正体がわかった。


「これ……ポータブルルーターか? でも、無線は使えないはずだろ?」


 俺の疑問に、しかし久住は得意そうに唇の片端を上げてみせる。


「ところがそうでもないんだな。災害の被災地とか僻地向けに高高度を飛行している無人機からインターネット用の無線を飛ばすプロジェクトって聞いたことねえか? googleやFacebookなんかが進めてるやつなんだけどよ。こいつはその試験機からの電波を受信できる。なにしろ上空何千メートルから地表に向かって飛ばしてるわけだからな。火雷天神が手出しできない国津市の外からでも十分に電波が届くってわけだ」

「マジか……! え、ネットにつながるってことだよな!? 完全に切り札じゃねえか! よくこんなもの手に入れられたな?」


 これさえあれば、今の状況下でも久住たちとリアルタイムでやりとりできる。

 ちょっとじゃなく驚きながらまじまじと久住の顔を見つめ返すと、友人は照れたように鼻の頭をこする。


「任せとけ……って言いたいところだけど、こいつは親父のコネ。それ一つしかないから壊さないようにしてくれよ」

「助かる! 必ずあとで返す!」


 俺はしっかりと久住にうなずく。


「じゃあみんな、また後でな!」

『皆、後は頼むぞ!』


 三人に見送られながら、俺たちは店を飛び出した。


 + + +


『ふッ!』


 気合一閃、雅比が羽団扇を振り下ろすと、迸った旋風が赤々と燃える四階建てのビルを直撃。白い壁にまとわりついていた炎の帯が一息に消し飛ぶ。不安そうに様子を見守っていた近所の人々から、歓声が上がった。


 俺は撮影した動画をすぐさま園村へ送信しながら、道の向こう側からこちらの様子を伺っていた放送委員会の先輩に手を振った。


「報告ありがとうございます! 助かりました!」

「お互いさまだよ! がんばって、朝田くん!」


 同時、園村から着信が入る。


『朝田、火事の報告が新しく三件。全部消防署へ通報済みだけど、直近の場所を送るから確認して』

「くッそ、了解! 本気で容赦ねえなアイツ!」


 舌打ち一発。俺はスマホで確認した地図のポイント目指して自転車を漕ぎはじめる。細い通りから幹線道路へ。渋滞中の車両を横目にまっすぐ道を走っていく。


 自転車を持ってきたのは大正解だったが、いい加減に体力がキツい。かれこれ三時間ぐらい市内を走り回っている計算だ。


『手数をかけるな、朝田。ワシ一人で火伏せを全うできれば苦労をかけることもなかったのじゃが』


 俺の疲れを察したのか、雅比が気遣いの声をかけてくる。


「そりゃこっちのセリフだ、お人よし。つか、これだけあちこち回ってんのに火雷天神と全く遭遇しないのが気持ちわりぃな」

『ふむ。なりふり構っておらぬだけかもしれんが、先日の宣言もある。かの神がこの程度で済ませるとも思えんな』


 雅比の推測に、俺は足を動かしながら思考する。


「……つまり、これが全部布石で、あいつは何か別に大きなことを企んでるかもしれないってことか?」

『可能性はある』

「ろくでもねえな、それ……」


 これまでに雅比と二人三脚で火を消し止めてきた場所を順番に思い返してみる。

 路地裏の一軒家。開店前の魚屋。大通りに面したアパート。家電量販店。それに、今のビル。

 おおよそ一貫性なんて見当たらないチョイスだが、場所については市内の外縁部に拡散している傾向がある。もっとも、これはおそらく俺たちをかく乱することが目的だろう。実際、朝からこっち、かなりの距離を駆けずりまわされている。


 交差点で信号待ちをしていると、消防車がサイレンを鳴らしながら目の前の通りを通過した。どうやら俺たちが向かっている場所を目指しているらしい。信号が青になったところで、園村に連絡を取ってみる。


「園村。今目指してる場所と同じ方向へ消防車が走ってった。報告してくれた人に確かめてくれないか?」

『ん、ちょっと待ってて。…………あー、うん。サイレンの音が近づいてきてるって。他の場所は遠すぎるし、新しい報告も入ってないから、一度休憩してて』

「わかった。何かあったら連絡してくれ」


 連絡終了。つくづく園村がいてくれて助かったと思う。

 俺は一度自転車から降りて、脚を揉み解す。

 うおお、めっちゃパンパンですよ。こりゃ明日は筋肉痛確定だな。


『――朝田よ。そろそろワシは議会へ向かわねばならぬ』

「え、もうそんな時間なのか!?」


 慌てて時刻を確かめると、雅比の言うとおり既に九時半を超えていた。議会が始まるまであと三十分もない。


「うおおスマン完全に頭から抜けてた! ええっとあれだ。大丈夫なのか? 準備とか荷物とか!」

『抜かりはない。落ち着くのじゃ、朝田よ。母ちゃんになっておるぞ』


 言われて俺は深呼吸した。

 ひどい指摘だが、雅比の言うとおりだ。俺が行くわけでもないのに、こっちが緊張してどうするんだよ。こういうときは、きっといつも通りに送り出せばいいのだ。


「……気をつけて行ってこい。応援してるからな」

『うむ。話が終わったらすぐに戻ってくるゆえ、期待して待っておるがいい』


 力強い笑みをひとつ残し、雅比が空の彼方へとまっすぐに飛び去っていく。

 ……がんばってくれよ。マジで。

 雅比の背中が見えなくなったところでスマホを下ろすと、そのタイミングで今度は久住から着信が入る。

 スマホをタップすると、予想に反して火狐神の声が聞こえてくる。


『朝田さん、聞こえますか? もうすぐ議会がはじまります。会議場の様子を中継しますので、余裕があれば確認してください』

「おお、助かる! 会議の進行をチェックしてれば火雷天神の動きも予測できるかもしれないもんな!」


 幸い、今はほんの少しだけ余裕がある。出だしだけでも見ておこう。送られてきたURLをタップするとブラウザが開いて動画の再生が始まる。

 わずかな間の後、画面に映し出されたのは、これまで見たことがない不思議な風景だった。


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