すごい、の見え方

 仲間たちと共に駅前のコーヒーショップを訪れると、入り口近くで待っていた坂本がこちらに気づいて軽く手を振ってきた。


「――よう。みんな、わざわざ来てくれてサンキューな。こっちがうちの兄貴だ」


 年の頃は二十二、三ぐらいだろうか。

 坂本の隣に立っていたボクサーみたいな身体つきをした真面目そうな雰囲気の男がきりっと背筋を伸ばして一礼する。


「はじめまして。国津北消防署勤務の坂本健治です。今日は急なお願いに応じてくれてどうもありがとう。それと、学校ではいつも弟がお世話になってます」

「ああ、えーっと、弟さんのクラスメイトの朝田です。弟さんには学校でお世話になってます。……っつか、すげーガタイいいっすね?」


 細身の坂本と並ぶとヒグマか何かのようだ。

 すると坂本兄は弟によく似た快活な笑みで力こぶを作ってみせ、


「有事に備えるのが仕事だからね。普段から鍛えてるんだよ。ま、昔から柔道とかやってたのもあるけどね」


 はきはきとしたしゃべり方。

 なるほど、そういうものなのか。

 全員が挨拶を終えると、坂本兄はぐるりと俺たちを見回し、


「皆さん、よろしくお願いします。ここは僕が奢るから好きなもの注文してくれ」

「おお、兄貴、俺も俺も?」


 坂本が食いつくのに坂本兄は忙しい時に飼い猫にじゃれつかれたような顔をして、


「わかったわかった。孝史も注文していいよ。朝田くんたちを紹介してくれたのはお前だしな」

「やりぃ! そうこなくっちゃな!」


 坂本は小さくガッツポーズをすると、早速とばかりにカウンターに並ぶ。

 どうやら坂本家の兄弟仲は良好のようだ。

 一人っ子の俺としては少しだけ羨ましい。


 全員が飲み物を注文し終えてテーブルに着いたところで、園村がスマホで動画を再生しながら説明をはじめた。

 途中、いくつか坂本兄が質問を挟み、それに対して俺たちが交互に答える形で話が進んでいく。


 一通りの説明を聞き終えると、坂本兄は深々と息を吐きだした。


「なるほどね……。弟から聞いてはいたけど、まさか神なんてものが実在するとはなぁ……」


 坂本兄の反応は意外なものだった。

 なにしろここまでの時点で、まだ雅比は登場していないのだ。

 店内での混乱を避けるためとはいえ、正式に雅比を紹介するまではあからさまに疑われるとまではいかずともちゃんとした信頼を得ることはできないだろうと思っていたのだが。


「なんつーか、ずいぶんあっさりオレたちの話を信じてくれるんすね……? 弟さんの友達だからっすか?」


 警察署をはじめ、あちこちであしらわれた時の記憶を思い出したのだろう。

 俺が思っていたのと全く同じことを久住が訊ねる。

 すると坂本兄はうーんと唸りながら天井を見上げ、


「いや、疑ってはいるよ? 疑ってるけど――でも、嘘だとも思ってない、かな。なんにせよ普通じゃないことが起きてるのは確かみたいだし」

「気づいてたんですか?」


 思わず聞き返すと、坂本兄は太い首を縦に動かす。


「現場に出てる人は大体ね。先週末の出場回数は明らかに異常だったし、放火にしたって手口がおかしい。現代の建物の壁って耐熱・耐火がちゃんと考慮されているから、木造建築でもない限りはそう簡単に火なんて点けられないんだよ。だから、妙な話だけど放火を成功させるためにはガソリンとか新聞紙の束とか初めに着火できるものが必要なんだ。でも――」

「そういうものは見つからなかった、ということですか?」


 追風の確認に坂本兄は少し声を落として、


「ああ。警察が現場検証してくれたんだけどね。それどころか、燃えやすい物が置かれている場所をわざわざ避けて火を放っている節さえある。正直そんなことをする意味がわからなかったけど……火雷天神って言ったっけ。力を見せつけて不安を煽ることが目的だったのなら、説明がつく」

「あ、そっか。先週のボヤ騒ぎも……」


 園村のつぶやきで俺も思い出した。

 あれは確か雅比が現れた翌朝だったか。

 燃えないゴミ置き場でボヤがあったと園村が言っていた。

 今思えばあれも火雷天神の仕業だったのだろう。


「……ええっと。それで雅比さんって言ったかな。ここで話すことはできるのかい?」


 これから神と会話を交わすとあってか、急にそわそわしはじめる坂本兄に、坂本が笑う。


「兄貴、少し落ち着けって。あーっと、久住。今朝黒板に書いてくれたアドレスを使えばいいのか?」

「おう。あ、ちょっとタイム。サーバーの準備するわ」


 久住は荷物からいつものノートPCを取り出し、テーブルの端で立ち上げる。


『火狐神、準備オッケーです。いつでもいいですよ!』


 いきなり響いた声に、坂本兄弟の目が丸くなる。

 そういえば火狐神とは坂本も初めてだったか。


「今日中に何とかしてサーバー起動しっぱなしにできるようにしとくかなぁ――あ、もういいぜ坂本」

「お、おう。兄貴、スマホ貸してくれ」


 坂本が作業を始めるのに、俺たちも同じようにスマホを取り出す。

 アドレスを打ち終えた坂本から坂本兄がおそるおそるスマホを受け取ったところで、テーブルのそばに立った雅比が整った所作で一礼。


『――お初にお目にかかる、坂本健治どの。ワシは天狗の雅比。神々の意思決定機関である出雲議会にて議員をしておる者です。どうぞ、お見知りおきを』


 すると、坂本の兄貴の顔が茹でダコのように真っ赤になった。


「は、はじめまして! 自分は坂本健治です! 歳は二十四! 社会人二年目の独身です! 学生の頃から格闘技を嗜んでおり――」

「兄貴ストップストップ! ちょっと落ち着けって!」


 どうどうと弟に宥められ、坂本兄は慌てて声を落とす。


「わ、悪い。動画で見たときよりもずっと美人だったから、つい……」


 坂本兄の率直な応答に女子二人がおおうと目を輝かせる。

 つーかさっき緊張してたのってそういうことっすか……!


 雅比は面映ゆそうな顔で坂本兄を見つめかえす。


『ふふ、ありがとうございます。そうまっすぐに褒められるのは初めてかもしれません。ですが本日は別件でありましょう?』


 すると坂本兄は表情を真剣なものへ改め、


「そ、そうでした。実は折り入って雅比さんにお願いがあるのです。雅比さんに、僕の勤め先まで来ていただくことはできませんでしょうか?」

『ふむ。できないことはありませんが……もう少し詳しく話をお聞かせいただけますかの?』

「はい。先ほどの繰り返しになりますが、署内ではここしばらくの事件が尋常なものではないという見解で一致しています。ですが、火事の原因については意見が割れておりまして、昨日の動画につきましても疑っている者が多いのです」

「あれ? でも昨日の火災現場にも消防署の人たち来てましたけど?」


 園村が首を傾げるのに、坂本兄が説明する。


「ああ。あのあたりは管轄が違ってね。うちの署からは出場してなかったんだよ。もちろんあちらの署へ問い合わせはしてて、どうやら本当にあったことらしいとは分かってるんだけど……そう簡単に信じられるような話でもないからね」


 なるほど、それはそうか。

 なにしろ消防士といえば直接命を救う仕事だ。

 根拠のはっきりしない噂に振り回されるわけにはいかないだろう。


「行ってきたらいいんじゃないか? お前にとっても損な話じゃないし。あ、俺も一緒に行った方がいいのか?」


 俺の提案に雅比は数秒目を閉ざし、


『――いや。先方へ赴くのはワシだけで十分じゃろう。お主には調べ物の続きを進めておいてほしい』

「あー、そうか。それがあったな。わかった、何とか進めてみる」


 雅比を地主神として立てるための根拠は、未だに昔の地主神が天狗の祖である猿田彦神だったという一点のみだ。

 タイムアップまで残りわずかだ。

 狐神稲荷党との話もあるし、分担できるところは分担すべきだろう。


「あ、だったらあたしがついてくよミヤビちゃん! 動画を撮った人間が一緒なら話もスムーズだろうしね」

「あー、じゃあオレも行くわ。トラブル対応できるヤツがいたほうがいいだろ」


 久住と園村が口々に名乗り出るのに、雅比は頷く。


「そうじゃな。よろしく頼む。健治どの、今からで構いませんですかな?」

「もちろんです。署の人間にはもう話を通してありますから」


 はきはきと答える坂本兄の姿はなんというか模範的な大人のようで、見ていて頼もしい。

 同時にここ数日の何もできていない自分を比べてしまい、情けなく感じる。

 いかに年齢が離れているとはいえ、俺が将来同じ歳になったとき同じことができるだろうか。


「……すごい行動力っすね。いかにもデキる社会人って感じで」


 羨望と僅かな気後れと共に告げると坂本兄はなぜだか苦笑した。


「いや、全然そんなんじゃないよ。署内ではまだまだ半人前扱いだし、今回の連続放火事件でも朝田くんたちの動画を見るまでは先輩たちに置いてかれないようお尻にくっついて回るぐらいしかできなかったからね。今だって、たまたま耳に入った君たちの話に飛びついただけ。そんな尊敬してもらえるような話じゃ全然ないよ」


 そんなふうにはとても見えないが。

 なんと答えればいいのかわからずにいると、坂本兄は俺の目を見つめながら言葉を続ける。


「朝田くんには僕のことがすごいやつに見えてるかもしれないけど、本当は僕も朝田くんと大して変わらないよ。ただちょっとばかり年上でちょっとばかり社会に入るのが早かったからちょっとばかり選択肢を多めに持ってるってだけの話。それだって組織の力だからね。僕がすごいわけじゃない」

「……そんなもんですか」

「そんなもんだよ。というかさ、すごいすごくないの話で言えば朝田くんたちの方がよっぽどすごいからね。なんたってあの動画を作ったんだからさ」


 まなざしには本心からの賞賛の色が伺えた。

 それは俺じゃなく久住や園村の――と続けようとして、やめた。

 自分を卑下したところで坂本兄を困らせるだけだし、意味もない。

 こちらの様子に坂本兄は目を細め、


「きっと誰もがみんな、そんなに違わないと思うんだよ。どれだけ偉くなったり経験を積んだところで100%の答えなんてそうそう見つかるとも思えないし。自分にできることを全力でやるしかない。結局のところ、それだけなんだよ」

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