三章 無力を嘆きながらも前へ

作戦会議


「突然で悪いな久住。追風も一緒なんだけど」

「おお、なんだよ先に言っとけよ。だったらもうちょっと部屋片付けといたのに」


 玄関の扉を開けてくれた久住の顔を見たとき、俺はなんだかほっとした。

 ファーストフード店で別れてから三時間くらいしか経ってないにも関わらず、最後に顔を合わせたのがずいぶん前のことのように思える。


 さすがに今日は休日なので両親もいるだろうし迷惑かと思ったのだが、一度火狐神を交えて話をしたいとの雅比のリクエストもあったので連絡を取ってみたところ、久住は快諾してくれた。


「こんにちは、おじゃましまーす」


 久住の部屋へ向かう途中、廊下の奥、リビングのほうへ声をかける。


「おお、朝田くんか。いらっしゃい」


 リビングから顔を覗かせて鷹揚に手を上げてくれたのは久住の父親だった。

 久住の父親はシステムエンジニアをしていて会社ではウェブサービスの運営に携わっているらしい。

 何か困ったことが起きたら安心して相談できそうな、落ち着いた雰囲気の人だ。


 ――と、今日まで思っていたのですが。


「はじめまして。追風と申します。お邪魔します」


 俺の後ろから姿を現した追風が小さく頭を下げると、久住の父親は宇宙人に挨拶されたかのようにぽかんと口を開いて固まり、持っていた本をばさりと床に落とした。

 そのままキッチンを振り返ると、


「かッ、かあさん大変だッ! 吉暁の友達の女の子がうちに! しかも結構かわいいッ!」

「ええッ!? ウソやだホント!? 女の子!?」


 何かが派手にぶつかったり転がったりする音に、久住ははっきりと顔を強張らせた。

 エマージェンシーモードに突入した久住の母親が台所からこちらを覗いてくる。


「キャーこんにちはー! 女子高生よじょしこーせー! かわいー! 夢みたーい! えっえっ追風さんって言ったかしら吉暁とはどんな関係なの!? あら朝田くんこんにちはー」


 ハイコンニチハー。

 やっべー俺いま超ついでだったわー。

 いやあ大草原不可避だなあこの展開。


 突然の両親の暴走に時間が止まったように硬直していた久住(★★★★☆ ご両親の愛情が伝わってくるようです)は数秒後に強制リブートし、顔を真っ赤にして怒鳴る。


「オイ父さんも母さんもやめろよ恥ずかしいこと言ってんじゃねえよ!」

「いやあ……だってなあ……吉暁が家に女の子を呼ぶなんて……父さん、感動で涙が……」


 うっうっとメガネを外して泣き真似までしてみせる。

 こ、これ自分の父親にされたらけっこーキツイなぁ……。


「うぜえ! 二人ともやめろ!」

「あ、どうぞゆっくりしていってねー!」


 久住の抗議をそよ風ほどにも感じてなさそうな母親の振る舞い。


「はーい、お構いなくー」


 追風はあまり動じていなさそうににこりとお辞儀。

 もしかすると自分の母親の振る舞いで慣れているのかもしれない。

 おばさん恋愛脳だし。


 久住の案内で部屋に通されると当たり前のように久住の母親が入ってきて、取り澄ました所作でお菓子とか飲み物とか出してくれる。

 久住は耐える顔。

 わかる、わかるぞ久住……。

 針のむしろってこういうやつのことを言うんだよな……。


 久住の母親は追風ににっこり笑いかけると、そそくさと部屋から出て行く。


「なぁ久住」

「言うな! 何も言うな! 頼むから!」

「お、おお……わかった」


 しかし追風がものは試しとばかりに「吉暁くん」と下の名前を呼んでみたのには耐えられなかったようで、久住は学校から家に帰ってきたら隠していたエロ本が机の上に置かれていたムンクみたいな顔でぐわあああ的な悲鳴を上げ、盛大に自殺願望をシャウトした。

 久住の黒歴史が新たに生まれた瞬間だ。


「追風……謝れ、謝っとけ……」


 武士の情けとか女子の辞書にはないのだろうか。


「ご、ごめん久住」


 ここまでひどい事になるとは予想してなかったのか、追風はばつの悪そうな顔。


「今日のことは全部忘れてくれ!」


 久住はベッドに顔を伏せながら絶叫。

 ええっと俺たち一体なんのために来たんだっけ。


『しっかりしてください久住さん! 私がいるじゃないですか!』


 話を聞いていたらしい火狐神が励ますようにディスプレイをぴかぴか光らせると、ようやく久住は復活する。


「お、おお。そうだな。よし、大丈夫。オレは大丈夫だ。……あ、そういえばさっき電話した件はうまくいったのか?」

『うむ。火狐神よ。礼を言うぞ。おかげで今しばらくこの地に留まることができる』

『いえいえ。お役に立ててよかったです!』


 火狐神の言葉に、崩壊した病院前での雲涯とのやりとりを思い出す。

 他党の決定にまで口を挟むことはできない。

 雅比を連れ戻すつもりでいただろう雲涯は、そう苦々しく言い残して立ち去った。


 所属していた党からは追放されたものの議員職を罷免されたわけではないため、現在の雅比の立場は火狐神の補佐をしている無所属の議員という形になるらしい。

 調査官補佐に許されている権限は調査官とほとんど同じということなので、雅比が抱えていた立場上の問題はひとまず棚上げになった形だ。


「えっと、もしかして今の声が……?」


 とまどう追風に火狐神は再びディスプレイを瞬かせる。


『はい、火狐神です! その節はお世話になりました! その、追風さんもあれから大変だったみたいで……』

「あー、そうだそうだ。病院でなんかあったんだって?」


 姿勢を正す久住に、俺は事情を説明する。

 病院の脱出のくだりまで話して聞かせると、久住は頬をひきつらせて呻いた。


「お、おまえら……、よく無事で生きてたよな……」

「まぁな。雅比と追風のおかげだよ。さっきはマジでありがとな」


 追風に頭を下げると、彼女は強張らせていた表情を和らげる。


「そういや追風さん、おばさんは?」


 久住が訊ねると追風は頷き返し、


「今は別の病院に移ってるよ。大した怪我もないし心配はいらないって」

「おお、だったらよかった」

『とはいえ、事態の解決のめどは相変わらず立っていないのじゃがな……』


 雅比の一言に、俺たちは黙り込む。

 そうなのだ。

 これからも火雷天神は事件を起こし続けるだろうし、それを防ぐ手立てもない。


 雅比は厳しい顔で口を開く。


『ワシが街を見張り、火雷天神が火事を起こす先から火消しをすることはできよう。しかしこれでは後手じゃし根本的な解決にはならぬ。時が経つごとに人々の不安は高まり、それに伴いあやつの力は増していくじゃろう。なにより、今月末の出雲議会での説明には何の役にもたたぬ。悪手じゃな』

「ええっと、つまり課題は三つあるのか? まず、放火対策。次に、火雷天神との対決。あと、出雲議会への報告」


 俺は指折り確認する。


「それを全部今月末、つまり三十一日まで。今日が二十六日だから、……げ、今週金曜日かよ」


 うっわ、すさまじくハードなスケジュールだなこれ。


『うむ。政令指定都市の議題は優先度が高いゆえ、午前中には審議入りするじゃろう。それまでこれらの問題に決着をつけられねば、政令指定都市の扱いは火雷天神を調査官にした雷神建御党が主導権を握ることになろう。火雷天神の振る舞いが今後も認められることになるのじゃ』


「は? い、意味わかんねえよ! なんでそんな話になるんだよ!」


『……言いにくいが、出雲議会で話し合われるのは、どうすれば神々のメリットが最大になるか、ということじゃ。協力よりも支配に利益があると判断されれば、必然、神々の結論は火雷天神の振る舞いに順ずるものとなろう』

「これがデフォになるってことか……」


 皆、ここ数日のことを思い出したのだろう。

 室内の雰囲気が暗いものになる。


 不意に追風がこちらを見た。


「そういえば朝田、さっき病院で何か言いかけてなかった?」


 それで思い出した。

 使いものになるかは分からないが、一応言ってみることにする。


「ああ、うん。国津市には地主神がいないから政令指定都市になってるんだろ? だったら、地主神を新しく用意すれば政令指定都市の前提が崩れるから、土台からひっくり返せるんじゃないか?」


 雅比が目を見開いた。予想外だったらしい。


『そのようなこと……』

「やっぱりダメか?」

『……いや、理はある。そもそも出雲議会が設立されたのは、各々の土地で起こる神同士の対立を仲裁する場としての要請があったことが大きいのじゃ。地主神の問題は最重要事項じゃから、臨時で議案を提出しても受理されるじゃろうな。……が、果たしてそんな急に地主神の候補となるような神が見つかるか……』

「なに他人事みたいなこと言ってるんだよ雅比。お前だよお前。お前が地主神になるんだよ」


『……………………は?』


「雅比は少し抜けてるところはあるけど誠実だからな。信用できる」

「ええええ微妙じゃね? メンタル豆腐だし思い込み激しいしさあ」

「おいおい久住、確かに雅比はちょっと抜けてる所が目立つけど、そういうのも含めて誠実ってことだろ?」

『お、お主らワシを立てたいのか馬鹿にしたいのかはっきりせい……!』

「む、悪かった。確かに雅比の言う通りだよな。はっきりするわ。――やーいまぬけー」

「ばーかばーか」

「あっさり力封じられてやんのー」

「ばーかばーか」

『おッ、おぬしらぁぁぁ……っ!』


 小学生並みの悪口に青筋を立てる雅比。

 いやーすっきりしたわー。


「まあ冗談はいいとしてさ」

『いや今のはぜったい本音じゃったじゃろ!? そうなんじゃろ!?』

「今の状況を何とかする手としては有効と思うんだが、どう思う」


 すると雅比はさすがに真面目な顔に戻って黙考する。


『……ワシ個人としては願ってもない申し出じゃ。地主神ともなれば神々の間でも一目置かれるからの。しかし、地主神を立てるとて容易なことではない。仮にワシが地主神になるとしても、それなりの根拠、由来が出雲議会から求められよう』


 そこへ、苦笑いでやりとりを聞いていた追風が口を挟んだ。


「……根拠だったら、なんとかなるかもしれません」


 追風に注目が集まる。


「まず、追風神社の跡継ぎとして私が後押しします。人間の支持は神にとって大切だって聞いてますから、無意味ではないはずです。それに、もともと当地の地主神として崇められていた追風神社の主祭神が猿田彦神さるたひこのかみなんです」

「……猿田彦神?」


 俺が訊くと、追風はこちらを向いて、


「神道には、天孫降臨てんそんこうりんっていう言い伝えがあってね……」


 追風の説明によれば、天孫降臨とは日本神話におけるビッグイベントの一つで、天孫、つまり天照大神の孫である邇邇芸命ににぎのみことが日本を治めるために天の国から降りてきた一連の出来事のことらしい。

 猿田彦神は天孫降臨の主役の一人で、道に不慣れな天孫を案内したり天孫の使いである天宇受売命あめのうずめのみことという神さまを嫁にもらったりと色々活躍したとのこと。


「そうした経緯から猿田彦神は旅人の神さまとして信仰されているんだけど、実は天狗の元になった神さまでもあるの。だから、同じ天狗である雅比さんが襲名するのは不自然じゃないわ」

「……あ、マジだ。旅人の神でググったら一発で出てきたし」


 ウィキペディアを見ながら久住が言う。

 そうだったのか。


 雅比は静かに話を聞いていたが、


『……追風の娘よ。お主、気を悪くせんのか? 何度も言うが、お主やお主の親御を危険な目にあわせておる原因の一つは間違いなくワシにある』


 雅比は親から叱られるのを待つ子供みたいにそっと上目遣いで追風を見た。

 ちょっと臆病すぎるんじゃないかと思ったが、これは雅比と追風の問題だ。

 俺が口を挟むべきじゃない。

 追風はなぜだか視線を一瞬こちらに投げてから目を閉じ、


「そうかもしれません。でもあなたは人間を、……朝田を助けたじゃないですか。自分の立場を投げうってまで」

『あれは……当然のことをしただけの話じゃよ。そもそもワシが居なかったら狙われることもなかったはずじゃ』

「そうやって、わざわざ自分に不利になることを言える人なら信用してもいいって思いますよ」


 そこで追風は雅比を正面から見据えて微笑み、


「私は、あなたを信じます。雅比さん」

『……かたじけない』

「もちろん信頼に応えていただけますよね?」


 にこり。


『ううっ……? う、うむ! もちろんじゃとも!』


 気圧されたように請け負う雅比の頬に一筋の汗。

 追風パイセン、パねぇっす。


『……とは言うものの、じゃ。お主たちの案は悪くはないが、まだ足りぬ。猿田彦神どのの話だけでは、次の地主神は他の天狗でもいいことになる。まして今のワシは風神天狗党から除名を受けた、天狗たちにとっては裏切り者のような立場じゃ。そのワシが地主神の地位を望んだなら、出雲議会での追求は厳しいものとなるじゃろうな』

「そうですか……」

『せめてあともう一つ材料があれば押し通せるかもしれんのじゃが……』


 そうか。

 起死回生の案だと思ったんだけどなあ。

 ……いや、勝負の日まであと一週間もある。

 諦めるにはまだ早い。


「あと一つあればいいんだな? だったら探してみるさ」

『うむ。頼む。ワシも心当たりがあれば伝えよう。さて、残るは火雷天神の動きを抑える方法じゃが……』


 そこで何かを思いついたのか久住が小さく挙手した。


「思ったんだけどさあ。別に火雷天神を弱くするんじゃなくて、雅比を強くしたっていいんだよな?」

『それは……確かにその通りじゃが』


 確かに久住の言うとおりだ。

 バフ・デバフの使い分けはバトルの基本だもんな。

 雅比の答えを聞いた久住はふふんと笑い、


「だったら、なんとかなるかもしんねえぞ」

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