幼馴染という生物がもたらす被害について(一例)


 追風つばさは幼馴染だ。

 街外れにある蝉鳴山に昔から建っている神社の一人娘で、子供の頃は一緒に遊んだこともある。


 とはいえ、幼馴染と聞いて男子連中が妄想するようなキャッキャウフフな関係などでは決してない。

 というか、そもそもそんな生ぬるい考えが通用する相手ではない。


 出会った日の事は今でもはっきりと思い出せる。

 あれはまだ俺が幼稚園に通っていた頃の話だ。


 その日はよく晴れた日曜日で、早起きした俺はかねてからの計画を実行に移すことにした。

 うちの窓からよく見えるあの山へ冒険に出かけよう。

 当時、いわゆるジャングルを探検する系のテレビ番組にハマっていた俺にとって、その山はまだ見ぬ未開の地であり、古代の遺跡が眠る伝説の霊峰だった。


 きっとテレビで見たようなドキドキする出来事が待っているに違いない。

 そう信じて、俺は蝉鳴山へ向かった。


 その時はまさか、テレビで見た以上の展開が待ち構えているとは思わなかったのだ。


 踏みしめる地面がアスファルトから土へと変わり、鬱蒼と茂る木々の間をしばらく進んでいったところで、それは起きた。


 ふっ、と足元に影が落ちた。

 なんだろうと空を仰いだ瞬間、凄まじい衝撃を食らって背中から大地に叩きつけられた。

 それが追風だった。

 あのバカ女、こともあろうにいきなり木の上から飛びかかってきたのだ。


 突然ナゾの生き物に組み伏せられた俺、超大泣きである。


「おまえ、あたしの子分になれ!」

「ご、ごべんなざい”い”い”ぃぃぃぃ」


 つばさちゃん、マジ蛮族。


 これが出会いで、文字通り上下関係を骨身に刻みつけられた瞬間だ。

 追風はえぐえぐとべそをかく俺をムリヤリ立たせると、ついてこいとばかりに歩き出した。


 くそ、あんなの卑怯だ。女なんかに負けるなんてなにかの間違いだ。

 ……などと反抗的な事を考える余裕があったのは最初の一時間だけだった。


 素手でヘビを捕まえる。

 岩を手掛かりにして崖を登る。

 名前もわからない謎の木の実を食う。


 街で育ったもやしっ子にとって、蛮族の行動はいちいちケタ外れだった。


 かなわない。

 心底思い知らされた。

 冒険なんて自分みたいな根性なしがするものじゃなかったのだ。


 その日一日でいやというほど挫折を味わった俺は、日が暮れかけた頃、彼女のスキをついて山から脱走した。


 そして翌日。

 人生初の筋肉痛で死にそうになりながら幼稚園のバスへ乗り込み、帰ってくると誰かが家の前で仁王立ちしていた。

 蛮族だった。


 愕然とした。

 どうやら昨日つけられていたらしい。

 小便をちびりそうになる俺に、彼女は腕を組みながらこう言った。


「子分は毎日親分に挨拶しにこなければならない」


 子供特有の謎ルールである。

 だが、昨日一日で子分属性を植えつけられた俺に逆らえるはずもなかった。

 しかも腹立たしい事にあいつうちの親の前ではいい子ぶりやがってすっかり気に入られていたのだ。


 そうじゃないんだよお母さん!

 あの子の態度に騙されちゃだめだ!


 マジで何度かそう言ったが、母親は笑って取り合ってくれなかった。

(あとで知ったことだが、どうやら母親は女の子が欲しかったらしい)


 女同士の容赦なき連帯を前にして、どこにも味方がいない事を悟った幼き日の俺は誓いを立てた。


 畜生、下剋上だ。

 いつか必ずこの女に勝ってやる、と。




 さて現在。

 俺は久しぶりに追風の生家がある追風神社を訪れていた。

 もちろん、今回の事情を彼女の口から聞くためだ。


 本当は学校内で決着をつけるつもりでいたが、陸上部で話を聞いたところすでに帰宅したとのことだった。

 残念ながら追風の連絡先は控えてなかったため、直接ここまでやってきたのである。


「――はぁぁぁ。ここまで登ってきたの初めてだけど、すげぇ景色だなあ。あれってJRの駅か?」


 長い坂道を登ってきた疲れから回復した久住が、崖のそばから下界を見下ろす。

 恐らく人が住んでいる場所としては、市内で一番の高所だろう。

 生まれ育った国津市の街並みが眼下に一望できる。

 十月半ばの空は晴れ。空の高いところをゆっくりと雲が流れていく。


「そう、あれが国津駅。近くにある緑色の屋根の建物がクローバーモールな。で、あっちが国津東」

「うっわ、アレうちの高校かよ。結構来たって思ったけどマジで遠いな」

「ここで久住くんに衝撃の事実をお伝えしよう。追風は毎日ここから徒歩で通学している」

「げぇぇなんだよその苦行信じらんねえ! オレだったら絶対ひきこもるわ!」青い顔をして首をひっこめる。同感だ。


 街の景色から背後の神社へと視線を移す。

 塗料が剥げかかった赤い鳥居の奥には、こんな高所にも関わらず結構がっしりした造りの本殿がある。

 その左手にひっそりと佇む平屋建ての建物が追風の家だ。


 考えてみればここにお参りするのも久しぶりだ。

 神社の境内へと足を進め、賽銭箱に小銭を入れて追風家の家計に貢献、拍手を打つ。


 ――謎の女の正体が明らかになりますように。


 結構切実に祈ってから振り返ると、久住は物珍しそうに境内を歩き回っていた。


「追風神社かぁ……。ずっと国津に住んでたけど、こんなとこあったんだなぁ。なんか謂れとかあんのか?」

「あー、なんだったかな。確か”旅人の神”を祀ってるとか聞いた気がするけど」


 記憶を頼りに頭上を振り仰ぐと、由来らしき文章が記されている木板が掲げられていたが、文字がかすれてしまっていて読めない。

 ネットで検索したら何か出てきたりしないだろうか。


「つーか、こういう話ならそれこそ雅比に聞けば一発だったりするのか?」


 スマホを取り出してG3Sを起動すると神社の境内を背景に和装姿の雅比が現れる。

 ううむ。なんというか、相性バツグンの組み合わせですなあ……。


「で、そこんとこどうなんでしょうか雅比さん?」

『ふむ。期待に応えられずすまぬが、よくは知らぬのじゃよ』


 雅比は本殿を見上げ、木板の文字を目でなぞりながら情けなく笑う。


「え、同じ神なのにか?」

『然り。なにしろ八百万とあだ名されるほど数がおるからのう。有名どころでもない限りお主とて、同じ人間だからといってこの町に住む者全ての名前を覚えておるわけではなかろう?』

「……言われてみりゃそうか。つか話変わるけど、そんなに神がいるなら、何で俺たちはその事を知らねえんだ?」

『人間不干渉の大原則、というものがあってな。人間とは極力関わるべからず、という取り決めが神々の間で徹底されておるのじゃ。これは別に人間を嫌って定めているわけではなく、お互いを守るために定められたものだ、と聞いておる。……ただ、なにぶんワシも又聞きでな。もっと昔から存在する神に訊ねれば、あるいは違う答えが返ってくるかもしれん』

「……昔からって、雅比は違うのか?」


 すると雅比は然り、と頷いた。


『ワシが生まれたのは、今からおよそ三百年ほど前。お主らがいうところの江戸時代の頃になる。……当時、秋葉三尺坊の名で知られる火伏せの大天狗が人間たちの間で崇められておったのじゃが、それに便乗して様々な物語が世に生まれ落ちた。その中の一つに、架空の女天狗の活躍を描いたものがあってな。その物語の評判から、ワシが生まれ落ちたのじゃ』

「えー……、そんなテキトーで神さまって生まれるもんなのか?」


 つまり二次創作ってことだよな、それ。

 思わずそう訊ねると、雅比は侵入者を見つけた山猫みたいに笑う。


『ひとが気にしている事をズケズケ言ってくれるのう。――神とはな。人間が、居たらいい、と思うところに生まれ、育つものなのじゃ。感謝や親愛、敬意。そうした想いが我らの力の源となる。大仰な由来を持つものばかりが神というわけではない。ワシみたいに出自がテキトーなものだって、いくらでもおるさ」


 ふむ。人の思いが力の源となる、か。

 ってことは例えば俺たちが雅比を応援すれば、雅比の力が増すってことなのか?

 そう尋ねると、雅比は、然り、と頷く。


「……そうじゃな。昨今では初音ミクあたりがそろそろ神として生まれ落ちるのではないかともっぱらの噂じゃな。あれは今、人間たちから強く支持されておるからのう』

「げぇ、マジかよ! ミクさん、神になっちまうのか……!」


 動揺する俺たちを尻目に、雅比は境内をゆっくりと見回す。


『まぁ、旅人の神と言えばおそらくはあのお方のことじゃろうが――ともあれ、この地にはもう神はおらぬよ。とうに立ち去った』

「……そうなのか?」

『ああ。少なくともワシはそう聞いておる。そうでなければ、そもそもワシはこの地へ来ておらぬのでな』


 それを聞くと、昔から見慣れているはずの風景が途端に物寂しく思えてしまった。

 元より、神さまなんてちゃんと信じているわけじゃない。

 初詣の時にパンパン祈って済ませる程度。

 それは、雅比の存在を知った今でも同じだ。


 だが。神さまがもういないことを、他ならぬ神から保証されてしまった神社。

 そこには、一体どんな意味が残されているんだろうか。

 俺たちを雅比に紹介したという追風は、この事を知っているのか?

 知っているとしたら、どんな思いでここに暮らしているのだろう。


 ……まぁ、あんまりそういう事を気にしないタイプだとは思うが。


 その時、


「あらぁ? もしかして、一輝くんじゃない?」


 聞き覚えのある声に振りかえると、優しそうな雰囲気の中年女性が追風の家の玄関口に立っていた。

 久しぶりに顔を合わせる、追風の母親だった。

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