第15話

 六葉が空を見上げる。地は明るいが、空は夜のように紺色で、星々がはっきりと浮かんでいた。

「南斗の星。本来は、都からは見えないものだ。さすがは異界……そろそろ桑畑だな」

 周囲はごつごつとした岩肌なのに、急に平坦な道になった。

 日和はごくりと喉を鳴らす。

「怖いか」

 六葉が笑う。それがあまりに平静なので、怯えた自分が恥ずかしくなる。

(でも! 六葉は、私が神って分かってない。さっきのひとが、異界の出入り口を塞いでしまったら帰れないのに、そのひとの機嫌を損ねたってぜんぜん気にしてなかった。私が、いざっていうときに守らなきゃ!)

「何を心配しているのか知らないが……太公望が退路を塞ぐのなら、遠藤にこじ開けさせる。どのみち、時間制限はつけてあるからな、その時間まで生きていれば問題ない」

「……生きてればって」

 思考を読まれたことよりも、さらっと怖いことを言われた方が気になった。

「さて……冗談を言って遊んでいる場合ではないな。しばらく黙れ」

「えっ?」

 桑畑の先、一本の木の下で、黒い衣の老人と、白い衣の老人が、熱心に囲碁を打っていた。

 どちらが優勢とも思えない。

 二人の細い目が、まっすぐに碁盤に向けられている。

 双方の近くには、空っぽの酒筒が置かれている。空(から)の杯に、六葉がおもむろに酒をついだ。鹿肉も空の皿に広げる。

 老人達は気づく様子もなく、黙ってそれを口に運ぶ。

 しばらくして決着が付いた。

 白い衣の老人が、やれ、何勝目だなと笑って、不意に近くに立っている六葉に目をやった。

「何だお前は?」

 六葉は優雅に笑んで、素早く平伏した。日和は木の後ろに隠れていたが、一応しゃがむ。

「畏れながら。お願いがあって参りました」

「昔も、我々に酒とつまみを置いていく奴がいたな。何だ? 私はそう簡単に言うことを聞くわけではないぞ! どこから来たのだ!」

「遠藤と言う者の知り合いです」

「名は」

「一ノ瀬六葉。後ろの娘は連れですが、お気になさらず……酒を運ぶのに手が必要でしたので連れて参りました次第」

(何だろ……黒い衣と白い衣)

 見覚えがある気がして首を傾げる。

 しばらく見ていて、急に思い出した。

「黒い衣は北斗真君(ほくとしんくん)、白い衣は南斗真君?」

「当たりだが、俺はお前に黙っていろと言わなかったか」

「言ってたけど。子どもの頃に聞いたことがあったって、今思い出したんだもの。異国の神様にはたまーにしか会わないけど、このひと達は異国で寿命を司るひとでしょ? この国の人の寿命も、分かるものなの?」

 これには白い衣の老人、南斗真君が答えた。

「調べようと思えば分かる」

 彼が開いたのは薄い帳面で、めくるたびに文字が変わる。どうやら南斗真君の意図にあわせて、引き出される文字が変わるようだ。

「お前の願いは、寿命を延ばすことか?」

「私ではなく、ある子どもの寿命を」

「ふむ……それは、お前の大切な者か?」

「いえ」

 六葉はさらりと言って返した。

「職務上、非常に重要な方の子どもです」

「は? お前の家族とか、恋人とか、ではなく?」

「仕事です」

 しばし、沈黙があった。桑畑に、そよとも風が吹かなかった。

「あっはっは! 面妖な若者じゃあないか」

 黒い衣の北斗真君が卓を叩いた。碁石ががたがた揺れている。

 南斗真君がちょっとうるさそうに片眉をひそめた。

「そりゃあ変わっているが、そこまで面白いかね?」

「確かに、そこまででもないか」

 笑いを納めて、北斗真君が頬杖をついた。

「これまでにも何度か、若者の家族の寿命を書き換えてやって、救ったことはあるが……あんまり簡単すぎるなと思わんか?」

「まぁそうではあるが。わざわざここまで来る人間も、そうそうおるまい? 酒と肴も貰ったし。仕事で、というのも何やら珍妙だが、義理ができた以上断りづらいだろう」

「すんなりと行きすぎるのもつまらんと言っているんだ。なぁ、碁をするか、若者よ」

 言われることを予想していたのか、六葉は動揺していない。優雅に一礼し、いったん、身を引いた。

「私など、面白い打ち手ではありますまい」

「三回勝負で、二回勝てばお前の願いを一つ叶えようぞ」

 北斗真君がにやにやする。六葉は慌てず、もう一度確認する。

「どうしても、そうでなければなりませんか」

「そうだ。嫌なら帰れ。帰れ帰れ」

(碁をしに行くって、さっきの太公望のひとに言ってたけど……言霊っていうか、ほんとになっちゃった)

「仕方ない。二回勝てば、約束を果たしてくださいますね」

 六葉は、存外あっさりと引き受けた。

「えっ、でも真君に勝っちゃっていいの?」

 神の中にも、人間なんてどうせできるわけがない、と思っていて取引を持ちかけ、人間がうまくやりおおせると、腹を立てる者がある。日和が不安になって袖を引くと、六葉は恬淡と肩をすくめた。

「構わない。ご本人が仰っているのだから」

「でもさ~」

「では、ここへ」

 南斗真君が白い袖を振って、腰掛けを道端に生み出した。無精なのか、自分はそのまま動かずに、卓を押して向きを変える。

 南斗真君によって碁石などを向けられ、北斗真君が目をむいた。

「私がやるのか? 何だ、お前がやるのではないのか!」

「この勝負を言い出したのはそちらではないか」

「打ち手がどなたでも、私は構いません」

 六葉が涼しい顔をして、腰掛けに座る。

 結局、北斗真君が先手を取った。

 初手から、ぐいぐいと押すような力強さだ。碁石が次々に置かれていく。

(碁って、勝負というより交流って言うけど)

 何だか喧嘩みたいだった。北斗真君が楽しげに打ち、六葉がひらり、とかわしていく。

 いくらかして、おや、と南斗真君が白い眉毛を持ち上げた。

「これは……人間の勝ち、かのう」

「さっきの勝負でお前がばかをしたから、その癖が私に移ったのだ!」

 先程まで一席やっていた相手に文句を言って、北斗真君は盤面を強くはたいた。

「ですが、勝ちは勝ちです」

「この人間、当たり前のような顔をしおって」

 北斗真君がぶつくさ言いつつ、卓を押して動かし、南斗真君に次の対局を促した。

 南斗真君は頷いて、優雅に石を配置した。

「北斗が死を司り、容赦なく進軍するとすれば、南斗は生を司り、楽しげに命を謳歌するようですね」

「人間よ、あまり余裕をかたっていると、すぐに終わってしまうものだぞ?」

(あ)

 確かに――軽口の影響からか、双方から軽く碁石が置かれていく中、徐々に六葉の方が形勢が不利になった。

「さて一勝一敗」

 にこにこした南斗真君が、北斗真君に盤を返す。北斗真君が嫌な顔をした。

「お前、最後までやればよいものを。まさかこの若者に融通してやりたいためではないか」

「いやいや、まさか北斗ともあろう者が、今日は調子が悪いとか言って、勝負を恐れることがあるわけがない」

 さらに顔をしかめ、首を振り振り、北斗真君は碁石を並べる。

「ねぇ六葉……ほんとに、大丈夫?」

「何がだ?」

「帰れる? もう、かなり時間が経ったよ」

 空の様子はいっこうに変わらない。だから怖い。帰ったら、世の中が千年後くらいになっていそうだった。

 六葉が笑った。

「お前は……勝ち負けではなくて、帰ることを心配していたのか」

「そりゃ、勝ち負けのことも心配だけど……その子の寿命が伸びてほしいって、願ってる人の気持ちは分からないでもないけど、元々難しいことだよね? あんまり、期待することじゃないと思うし」

「お前は、子どもっぽいかと思えば急に悟りきった顔をするな……」

「悟ってます!」

「意味が分かって言っているのか?」

 まぁどのみち問題ない――六葉は笑みを消して、真面目に碁盤に視線を落とした。

「あっ」

 最後の石を置いて、六葉が北斗真君に一礼する。

「よい対局をありがとうございました」

「気に入らん! だが自分で言い出したことだからな、責任は取ろう……!」

 北斗真君が寿命帳に手を伸ばす。そこを、南斗真君が遮った。

「いや、帳面には私が書こう。北斗は機嫌を損ねると寿命を減らしかねない」

「何だその言いぐさは」

 帳面の一枚を押さえて、南斗真君がどこからともなく筆を取り出し、さらりと何か書き添えた。

 六葉の眉間に緊張の皺が入ったが、それがふっとほどけたので、目的はちゃんと果たされたのだろう。

「その子どもって、これでもう大丈夫?」

「しばらくは」

「……しばらくって、短いの?」

「遊ぶ暇はあるだろう。当人にも家族にも、そこの事情はいっさい話すつもりはない。お前も聞かずにいろ」

「ふうん……」

「さて。お前さん。勇気ある人間よ。自分の寿命はいいのかね」

 ほら、と南斗真君が帳面を軽々とめくった。

 文字が泳ぐようにして、浮かんでは消えていく。

 志賀六荷永年元年七月八日生享年十七、山辺太郎永年二十年七月三日生享年八十一、橘川三郎光三年八月三十日生享年三、一ノ瀬六葉永年三年七月六日生享年六、瀬川光恵清年十年九月二十日生享年六十五、

「わ~目がぐるぐるしてくる。名前? 生年月日が書いてあるの?」

 広げられた帳面の上に、順不同なのか適当に、文字が並んでは書き変わる。

 思わず読もうとした日和の目の前で、六葉は礼を言って、さっさと道を引き返し始めた。

「あっ、ちょっと待ってよ! 六葉! 置いてかないで!」

 日和も真君達に別れを告げて、元来た道を引き返した。

 六葉の背を見て、考える。

(う~ん、さっき、何か引っかかったんだよね……)

 寿命帳の文字の中。

(何だろう?)

 誰かの。

 享年が。

(何かな~)

 引っかかっている。

(気のせいかな~同姓同名かもしれないし)

 日和は考え込むあまり、道の小石を思いきり踏んづけて、足をひねりそうになった。

「変なところで気を抜いて転ぶなよ」

 ずいぶんと先の方を歩いているくせに、六葉がこちらをちらりと振り返った。

 背も高く、その様は、立派な若者である。

(うん、気のせいだよね!)

 目撃した寿命帳の、一ノ瀬六葉の名――そこに書かれた通りであれば、六葉はここにいないだろう。

 享年六。

 確か人間の子どもは、日和の半分くらいの背丈だったら、十歳もいかないくらいだ。今の六葉はそれより十歳は年上だろう。

 そう考えると、寿命帳にあった名前は別人のものだった。

 太公望のところで魚を桶ごと貰って、元来た道を歩いていると、ほのかに霧が濃くなってきた。そうして、不意に辺りは夜の匂いに包まれる。いつも、夜は少し恐ろしい。日和は反射的に六葉の衣の、背を掴む。

 人の世に、戻ってきたのだ。

「……遠藤」

 六葉が冷ややかに呟き、目の前の、遠藤の背を思いきり強く踏みつけた。

「も~、帰ってこないかと思いましたよ!」

「その割には、よだれのあとをつけて庭で寝そべっていびきをかいていたようだが」

「えっ、ばれた?」

 遠藤は、寝入って六葉に踏まれておいて、ばれていないと思っていたようだ。

(この人、私達が戻ってこなくても、気づかないで寝てそうだな~!)

 無事に戻れてよかった、とため息をつきながら、日和は桶を遠藤に差し出した。

「これ、預かってきたよ。桶は、後で返しに来いって言ってた」

「え~また魚か~まぁありがたいんですけど~たまには何かこう、もっとおいしいものが食べたい」

「遠藤ってすごく自由だよね、仙人のひとたちはそこが好きなのかな……」

「それでは、私どもはこれで失礼します」

 六葉が、場の流れを無視して話を終わらせた。六葉の衣を掴んだままの日和は、そのまま六葉にくっついて敷地外に出そうになる。

 遠藤が桶を持ち上げて、声を投げてきた。

「あ、目的は達成できたんですかね~?」

 答えずに進む六葉からぱっと手を離して、日和は慌てて駆け戻った。

「何とかなったよ」

「そうですか。あれは仙人じゃないと思うんだけどなぁ……仙人だったら、魚ばっかりじゃないと思うんだけど。肉とか美女とか、ありそうなのになぁ」

(そういう現金なところがあるから、仙人なんだってことが分かんないんじゃないかな)

 適当な感想を抱きながら、日和は六葉のところへ駆け戻ったのだった。

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