第六章 古代遺跡での冒険には、水着と温泉が付き物なんだよね 後編 

 地中庭園の作りについて——。


 まず、中央には大きく空いた穴がある。これは第八層と呼ばれる最奥部……つまり、この大地の大穴の底にまで達している。ただし、穴といってもそこに何一つ存在しないわけではない。むしろ多くのものがある。

 食べられる部分だけを綺麗に取り出したザクロの実のようなものだ。

 人が足を踏み入れるための道として、穴の周囲を渦のように巻く「大通り」がある。それに、大穴自体に蜘蛛の巣のように張り巡らされた「渡り」が見られる。それから、数は少ないが、「渡り」から「渡り」へと縦に繋がる「柱」も存在するのだ。

 このうち、「柱」だけが人工のものである。かつてはその中に、定期的に上下に移動する箱があったらしい。いつ頃に名付けられたものかは分からないが、これは昇降機エレベーターと呼ばれている。この地方で見られる、英雄時代の高度な魔導技術で動作する代表的な遺物アーティファクトの一つであった。

 だが、現在、これらの魔導式昇降機は一部を除いて停止している。正確にはしている。


 よって、もし何がしかの目的のために深部に辿り着く必要があるのであれば、方法はただ一つ。「大通り」と「渡り」を使っての徒歩だ。だがこの二つはどちらも自然のものであるので、単純な道のりにはならない。

 近隣の人や旅行者の知るとおり、第二層までは観光地化されている。進行方向の矢印板が立っているし、転落防止のロープが張られているし、そこかしこには魔術あるいは油式のランプが灯っていて、酔っ払ってでもいなければ、足元が危ないということさえない(なお、これらの設備は地中庭園を観光資源として利用する公社が維持運営しているものである)。

 だが、第三層からはそうではない。暗く湿った道なりに対応するための、松明もしくは水を被っても大丈夫な——深部に行くほど湧き出ている温泉水が増えるため、偶然の消灯事故の危険が高まる——ランタンの準備は必須だ。

 なぜなら、各層の高さは百メートル近くもあり、それをじわじわと道を見つけて——当然、ガイドを雇わねば戻れなくなることもあるだろう——下るにつれて、太陽の光の届きが悪くなる。「渡り」と湯気のせいだ。

 他にも命綱など幾つか必需品といえる——


  『——地中庭園グランドガーデンに関する学生のレポートより抜粋』


   ★


 さらさらと流れる湯のせせらぎ。

 障害物をくぐり抜けてここまで届いた太陽光が描く光線が、湯気と、生息している鬱蒼たる熱帯性の植物に、光と影のコントラストをもたらす。

 黒一色の洞窟壁を、光苔の幽かな灯りが、オーロラの夜空のように飾る。

 ここは、地中庭園の第五層。そして、大穴シンクホールの壁面から大きく張り出した棚板の上に出来た、天然の温泉でもあった。

 

「ふぅー……」

 

 ぶくぶくぶく。

 乳白色の湯に、身体どころから口まで沈めたあきらが、疲れた身体で暖かいお湯に入ったときに自然に出てくるため息を吐く。

 この世界に来てもう一年になるが、湯船に浸かったことは数える程度しかない。

 だからこの瞬間は格別だ。

 仮にそれが、この世界の習慣と、モンスターとの偶発的な遭遇を考慮した、水着での入浴だとしても……。


「晶さン。チョット聞きたいコトがあるのデスが……?」

「うぇぃ?」


 じゃぼっと音を立てて湯から顔を突き出すと、伸びた髪についた水滴がぽちゃぽちゃと落ちた。昔はまとめなくても毛先ぐらいしか濡れなくて平気だったので、つい油断していた——というかまあ、口まで付けてぶくぶくとかしちゃうと駄目なのは当然だけど。


「晶さンのアノ魔力の強さハ、噂に聞ク異界人ならデハのものでスカ?」

「ん。あー、うん、そだよ。ボクだけじゃなくて、祭理もそうなんだー。ね、まつりん?」


 ——う。


「? ……あ、ええ、そうですよ〜。地球じ……じゃなかった、異界人は扱える魔力容量がこの世界の人よりもずっと多いみたいですね〜」


 え、ちょっとまって、って本当に水に浮くものだったんだ……?

 会話とは関係のない、晶が抱いた疑問に応えるように、祭理が身じろぎする度にふよふよと揺れるたわわな果実に目を奪われる。

 ぐぬぬ、と目をそらしてアイシャに視線を移したが、そっちもそっちで祭理ほどではないけど確かに浮いていた。赤い布地に包まれた小麦色の爆弾と、白い布地に包まれた白磁の爆弾が、自分を挟むようにそれぞれ二つずつ。

 そーっと、と晶が自身の胸元に視線を落としてみれば。

 ……ちょーん。


 ちっ、水着の青が目に染みらあ。


「スゴいですネ、ワタシ、驚きまシた」

「ええ?」


 ああん? に近いイントネーションで発声したところに——。


「ワタシには、魔法の素質、アリまセんでしたカラ」

「あ、あ……魔法ね、うん、魔法か。そうだよね、うん」

「羨ましいデス」


 じっとアイシャがこちらを見つめてくる。それで気づいたが、彼女は意外に表情が豊かだ。いや、片言のように聞こえる話し方のせいで感情が薄いと錯覚してしまうだけで、本来そういう子なのかもしれない。

 晶は手を伸ばして、アイシャのきゅっとへの字気味に引き結ばれた口元をつまんだ。


「むぐ?」

「アイシャちゃん、柔らかいほっぺしてるよね」


 ふにふにとつまむ。急なことにどう反応していいか分からないのか、アイシャは晶のなすがままになっていた。


「ボクはね、アイシャちゃんのほうが凄いと思う」

「?」


 頬をつままれたままのアイシャが、視線だけで「どうシてデス?」と問いかけた。


「ボクと同い年なのに、アイシャちゃんはこうやってガイドをやって、それでお家にお金を入れてるんでしょ? ……それ、すごいよ」


 日本人である晶ならではの感覚だ。この世界では児童労働は当たり前。十を数える前に働くことだってあるという。


「魔法が使えるからって、別にたいしたことじゃないんだ。だって、ボクはまだそれで何も出来ていないから。……ううん、そもそも、この魔法だって、異界人だから才能に恵まれてただけで、ボクが努力して何かを成し遂げたわけじゃない」

「……そうですか〜?」


 組んだ両手の手のひらを外に向けて、ぐいーっと伸びをするなど、話を聞いている風のなかった祭理が唐突に口を挟んできた。


「わたしは晶ちゃんも尊敬してますよ〜。だって、ずっと頑張っていたじゃないですか〜」

「ふぇ?」

「ふふ、謙遜しちゃって。アイシャちゃん、聞いてくださいよ、実は晶ちゃんはですね……」

「いやいや、ボクのことはいいからっ」


 ぶんぶんと飛沫をあたりに振りまいて、拒絶する晶だったが、


「興味アりマス」


 なんてことをアイシャが言うもんだから困ってしまう。


「ええぇー?」


 抗議の声を上げるも、晶を挟んで祭理が自分のことのように自慢げにアイシャに語る。やれ、魔法を学びながら斥候スカウトの技術も学んだだの、実践するために冒険者パーティと一緒に小鬼ゴブリン退治に出かけただの——ってあのとき、一番小鬼ゴブリンをやっつけたのって祭理じゃん——とにかく、なんともムズムズしてくる話だ。


 仕方ないので、晶は二人の会話をシャットアウトすることに決めた。

 お風呂場でなら行使可能な禁断の魔法、湯船で泳ぐまなーいはんにすべてを託そう。


 じゃぽんっと音を立てて顔から湯に飛び込んで潜る。跳ねた湯が二人にかかっただろうが、そんなことは気にしない。

 そのまま潜水を続ける。射し込む光が、水底を柔らかく照らしている。大量に湧き出しては溢れ流れていく温泉水のせいか、わずかに水苔のようなものが見えるだけ。植物を含めても生き物の気配はない。

 湖底に沈んでいるのは大小の岩がほとんど。それらは、熱か水の成分によるものか白く変色している。ぽこぽこと晶の鼻から零れていく気泡の音が耳に付く。


 広くて、自由で——孤独だ。

 まるでずっと眠り続けているアイツのように。


「ぷはあっ」


 ざばりと音を立てて一気に浮上。苦しくなっていた胸に空気を大きく吸い込んで、そして一息吐く。


「なんなんだろうねー?」


 奇妙な連想に再びため息を吐きながら、晶は泳いできた元の場所を振り返る。

 息継ぎせずに泳げる量なんて大したことないが、それでも潜水でだからかなりの距離がとれていた。二十メートルには達していないだろうけど。

 そして当然、薄い湯気の向こうには——。


「あれ? いない?」


 誰もいなかった。

 首を傾げてみるが、いなくなった二人がどこからともなく現れることはなかった。まあ、突然出現されても逆に驚いてしまうのだけれど。

 疑問を抱きながら元の場所に近づいていくと、水の流れに身体が引っ張られることに気がついた。


「??? ——あ」


 少しして、原因が分かった。自分たちがこれまでいたところに、ぽっかりと穴が開いていたのだ。直径にして二メートルほどの穴だが、ずざざーと湯がその穴に向かって流れ込んでいたのだ。

 巨大な天然の湯船に蓄えられた全体の湯量が多く、しかも上方の壁に開いた大穴から、次から次へと大量に湯が流れ込んでいるから、流れがちょっと変化した程度にしか感じられなかったのだ。


「……やばいじゃん」


 晶はうめいた。

 何が起きたかは明白だ。

 きっと二人はこの穴に落ちた。穴が開いたときにはまってしまったのは祭理かアイシャのどちらか一人だったかもしれないが、その場合は、もう一人が彼女を助けようとして二人とも流されたのだろう。

 これ以上、近寄ると自分まで引き込まれてしまう。


「——仕方ないよね」


 独り言を呟いて、晶は天然の湯泉から引き上げることにする。浜辺のように緩やかな傾斜を逆にたどって、湯の外に出る。

 身体にまとわりついた熱い湯が外気に触れて急に冷えていく。

 たどり着いた先は、みんなの荷物を置いていた小島だ。

 バックパックが三つ。

 脱いでまとめた洋服が三セット。

 その中の一つのバックパックを手に取り、晶は中身をひっくり返した。砂糖菓子、クッキー、この世界では高級品であるチョコレートが、記入式の地図やらコンパス、ランタンのオイルを入れた瓶などと一緒に零れ落ちる。

 甘味の多いその内容物からも分かる通り、それは晶の鞄だった。

 いつもなら大切に扱うお菓子の類を放り出し、他の二人の鞄を開けて、薬草だとか油だとか地図だとかそういった必要なものだけを取り出して自分の鞄に詰め込んでいく。

 最後に入れるのは二人の武器だ。といっても、祭理は泉にあの槌矛を持ち込んでいたから、アイシャの短弓と投げナイフだけだ。

 口が溢れるほどになって、うん、と一つうなずく。


 ——これで必要なものは手に入った。

 

 続いて晶は、バックパックをありったけの防水用の油紙と紐とで封をするように巻いていく。もちろん、中身にあって濡らしてはいけないものは元からそうなっているから、これは念のためというか、効果があればいいなという程度の行為でしかない。

 できあがったそれを、晶は背負う。

 ただし、背中側にではなく、腹側に荷物を抱えるようにして。


 晶がしているのは、仲間を見捨てて逃げ出す準備——ではむろんない。

 決死の覚悟で、二人と運命をともにする行為だ。

 転落した高さにもよるが、もしかすると二人は怪我をしているかもしれない。それどころか、もっと悪いことも——だが、晶はその心配はないと思っている。

 祭理が言ったように、確かに自分はかなりの努力をした。

 でもそれは——祭理だって同じなんだ。

 彼女が、一年という短期間で、自分と同じぐらいに多くの治癒魔法や守護魔法を習得していることを知っている。

 そして、アカデミーから紹介されたアイシャだって、ただのガイドではない。今回の探索に十分な力を持つとみられているガイドだ。

 だから、大丈夫。


「よーし、じゃ、ついでにこの遺跡の最深部、目指しちゃおっかなーっ!」


 景気づけにそう叫んで、晶は湖面に開いた穴を目指して突き進んでいく——。


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