第六章 古代遺跡での冒険には、水着と温泉が付き物なんだよね 前編

 砂漠特有の乾いた空気の中では、強い風が吹くと、砂のように軽いものはたやすく舞い上げられる。

 この半年で一度しか切っていないせいで、乱雑になった楠木晶くすきあきらの髪も例外ではなかった。

 晶は、右手で頬にかかった髪を耳の後ろに回しながら、左手だけで器用に水筒の栓を回して開けると、直接口をつけて中の水をあおった。

 日本で一般的な、中が二重構造になって保温・保冷の効果のあるハイテク水筒のようなものではなく、丸いラウンド形の真鍮の水筒であるから中に入っている水は温い。けれど喉を滑り落ちていくその感触は無性に心地よい。


 ——楠木晶くすきあきらと、垂枝祭理たれえだまつりがムラート砂国の三つ目に大きい都市、バイアルジャンにやってきたのは五日ほど前のことだった。

 現地に来る前にイメージしていたのは、映画で見たことのある古代エジプトのような、砂ばかりの土地に煉瓦で出来た家に白い布の天幕に覆われた露天……という感じの町並みだった。

実際にやってきてみると、事前の予想は大筋では外していなかったものの、意外に緑が多いことに気づかされた。

 それもそのはず、バイアルジャンは砂漠のオアシスを中心に発展した町だった。

 オアシスの水源は近くを流れる血の河ロサアロサと呼ばれる大河に由来しており、国全体としては砂漠が大半を占めるという水資源に乏しい土地柄だが、この近辺は例外的に肥沃な土壌だそうだ。

 ちなみに、晶が期待していたピラミッドは当然なかった。

  

「……んで、あれがそうなの?」


 名残惜しそうに水筒から口を離した晶は、隣にいた祭理のさらに向こうに並んで立っている異国人の少女に問いかけた。

 その少女、アイシャは深くかぶったフードをめくって、こっくりと頷く。

 アッシュブラウンの、頬にかかる程度の短い髪と日焼けした小麦色の肌に、色の濃いエメラルドのような緑の瞳。

 背丈は晶といい勝負なぐらいにちいさいが、悔しいことに胸部とか腰回りはぐっと張り出している。これがいわゆるロリ巨乳ってやつかー、というのが晶の彼女に対する第一印象。

 

「ハイ——アレが、今から百十二年前に発掘された古代遺跡——ソノ名も地中庭園グランドガーデンの入り口デス」


 独特のイントネーションで喋るアイシャの瞳の先にあるのは、大地に穿たれた巨大な穴シンクホールだ。

 半径は数百メートルはあるだろう。すり鉢状で、周囲の砂礫は完全に落ち込んでいるから、この一帯だけ砂漠らしさが薄れて荒野のようだ。

 そのぽっかりと空いた穴の断面には、地層が何重にも層をなしていて、赤や茶系の絵の具で一枚一枚の層を塗り分けたバームクーヘンのようでもある。


 底はまるで見えない。

 何故なら、奥の方には深い霧が立ちこめているからである。

 地球において、大地に大穴シンクホールができるとき、そこには元々地下水が溜まっているケースが多い。抜けた地下水のスペースに、剥落した大地が落ち込んでいき、最後には大きな穴が口を開けるのである。

 アカデミーが手配してくれたであるアイシャは、当然この地中庭園グランドガーデンのことに詳しく、霧に見えるものは実は湯気であり、その原因は岩壁と深部から湧き出している温泉であると説明する。


「これが噂の温泉の湯気ですか〜」


 額に浮いた汗を、ゆたかな胸の間に生じる谷間に布を取り出して拭き取った祭理が微笑んだ。


「うふふ、やっぱり日本人はお風呂ですよねえ〜」


 半径三メートル内のにぷうっと膨れつつも、晶は頷く。


「うん、楽しみだ……ね」


 頭の中を、ちょっとだけ、この三人が水着を着たらどうなるか——の不安が過ぎってしまったのは、仕方ないことだろう。


「デスが——気ヲつけてくだサイ。一層や二層は観光地デスが、地中庭園グランドガーデンの第七層を探索スルともナレば、ソコには十二分に危険がありマス」


 うん、と晶は頷いて、喉を鳴らした。

 この地中庭園グランドガーデンを晶と祭理が訪れたのは、観光のため——ではなく、とある魔法の品マジックアイテムを求めて、だった。

 その名は目覚めの朝露モーニングアムリタ

 名前の通り、深い眠りに陥った人物を覚醒させる効果がある。仮にその眠りが、であろうとも効果があるという、強力な一品だ。


 そう——この旅は一年もだらだらと眠りこけている雨緒のためだ。

 普通、目覚めぬ眠りについた人物といえば、ふつうはお姫さまの方で。それを起こすのは男の仕事だっていうのに——。


「まったく、だらしないんだよな、アイツ……」

「?」


 緑の瞳を丸くして、アイシャが首を傾げた。


「ううん、なんでもない、こっちのこと……。うん。……で、それはそうと、もし化けモンスターとかと出くわしても、たぶん大丈夫だと思うよ。ね、まつりん」


 水筒の代わりに手にした短杖ワンドを、指先の力だけでくるりとバトンのようにひっくり返して、晶は祭理に話しかけた。


「ええっと……うーん、そうですね〜……そうだといいんですけどね〜」


 汗を拭いたばかりの布を、もぞもぞと谷間をくぐらせるようにして襟元にしまってから——なぜそこにしまう、とツッコミたくてたまらない晶をよそに——祭理は、胸元が広めに空いた丈長の白ローブの裾を軽くつまんで引っ張りながら、心ここにあらずのていで答える。

 汗ばんだ身体に、長袖とロングスカートを組み合わせて一揃い《ワンピース》になっているロングのローブが張り付いてくるほうが気になっているようだ。

 祭理だけではなく、二人の服装は日本にいた頃とはかけ離れたものになっていた。

 祭理については単純にロールプレイングゲームの僧侶っぽいというか、白魔導師っぽいというか、そのような出で立ちである。異彩を放つごつい槌矛メイスが気になるが。

 とはいえそれよりも、晶の視点では、襟ぐりが広く空いている——ような気がする。うん、まさか、内側から押し出される力が強いから溢れだしているように見える、なんてことはないと思う。——思うんだよ?


 一方の自分のほうは、一言でいうならトレジャーハンター、だろうか。

 ……トレジャーハンターの服装に決まりのものなんて、この世界でもないんだけれど。

 カーキ色のサファリジャケットに、裾に二センチほどの折り返しのあるショートパンツを組み合わせて、同系色のポークパイハットをちょっと傾けてかぶってみた。

 ジャケットの袖もまくり上げているので、むき出しになった手足の日焼けがちょっと心配。


 祭理と比べると地球でも違和感のない格好だと思うが、唯一、異彩を放っているのはこの短杖ワンドだろう。心材はトネリコ(に相当するこちらの世界の木)で、一見すると装飾的に、銀色の金属で出来た飾りがされている。

 その天辺に、紫色の鉱石を指輪の宝石みたいにカットしたものをあしらったこの短杖は、実用的にはサーベルなどの重量級ではない刃物の一撃を食い止めることができる護身の武器であり、魔法の利用を支援するための魔法発動体でもあった。


 雨緒が眠ったままになってから一年。晶と祭理はそれぞれ師匠についたり、ギルドに入るなりして魔法や野外活動などの技術を学んだ。

 それもこれもすべては雨緒のせい——というとウソになるけれど、まあ半分ぐらいはそれが理由だ。

 晶の修行は、師匠にあたる人がずいぶんと厳しかった。だからまあ、モンスターとか、そういう多少のピンチなら切り抜けられる、と思う。


「——さあ行こう、早く手に入れてアルケインの街に帰らないとね」

 

 ぱんっと掌同士を打ち合わせる。

 視界に広がる巨大な地中庭園の全容を余すことなく視界に収める。そう。今のボクなら、雨緒を、きっと助けることができる——。

 そう思ったとき。


「え〜。地中庭園温泉饅頭〜。名物の温泉饅頭はいらんかね〜。湯の花もあるよ〜」

 

 頭に、この世界の言葉で「温泉饅頭」の字が書かれた、ハチマキを巻いただみ声の親父さんが近くを通り過ぎていった。——地中庭園。それは、古代遺跡にしてムラート砂国有数のでもある。


 ……いろいろと、台無しであった。


   ★


発火イグナイト


 ——ギギィッ! ギィヤッ!


 地中庭園グランドガーデンの第四層で——晶たちは初めての「敵」と出くわした。

 血吸いコウモリの群れ、だ。

 モンスターというほどの脅威ではない、ただの害獣の類だが妙に数が多い。数百はいるだろうか。事前にアイシャが警告したところによれば、血吸いコウモリの群れの危険度はその規模によって変わってくるそうだ。

 十匹程度であれば大人が追い払えば、多少の切り傷が出来る程度で済む。百もいると話が変わってくる。単独の大人では群に飲まれてしまうことがあり、そうなると軽い怪我では済まない。耳がなくなったり、目を奪われたりする危険もあるのだ。

 それが、数百ともなれば——。


「しつこいですわね〜」


 ぶんぶんと槌矛メイスをまるでハエたたきのように振り回す祭理が、火の付いた松明を同じく振り回しているアイシャが、二人の周囲を飛び回る血吸いコウモリを相手に奮闘している。

 が、相手は空を飛び超音波で距離を測る生き物。近づけさせないことには成功しているが、やっつけるまでには至っていない。もちろん、相手は密集しているので、うまく当たることも多々あるが、基本的には自分たちの身を守る防御の意味合いが濃い攻撃だ。

 それに対して、晶の魔法だけは本来の意味での攻撃オフェンス


発火イグナイト——発火イグナイトっ!」


 単文節詠唱が可能な発火イグナイトの魔法は、火炎系魔術ではほとんど最低位の魔術である。つまりは初心者向けの魔法だ。百円ライター程度の火を起こし、火打ち石が湿気ったときなどに使えるのでよく実用される魔法ではあるが、普通は攻撃魔法としては役に立たない。

 だが。


発火イグナイト


 短杖ワンドの先から飛び出した野球のボールほどの火炎の塊が、血吸いコウモリの密集した群に向かって飛んでいき、そして運悪く捕まった一匹どころか数匹まとめて焼き焦がす。

 それを驚きの目で見ていたのはアイシャだ。

 彼女の常識に、こんな発火の魔法はない。これではまるで、火炎系の中級魔術である火球ファイアボールに近い。火球ファイアボールは当たったら炸裂するので、それと比べると攻撃力が弱いが。

 そんな疑問を抱えながらアイシャが見ている先で、晶が魔法を唱える度に、名前ほどには広くない「大通り」と呼ばれる地中庭園の外周の通路に、たんぱく質の焦げる嫌な臭いが立ちこめていく。

 血吸いコウモリは確実にその数を減らし——そして、動物としての本能で火を避けるのか、徐々に晶たちを遠巻きにするようになってきた。つい先ほどまではこちらを獲物と見なして近づいてきていたのにだ。

 しかし、その代償もある。


発火イグナイト——発火イグナイト——発火イグナイトっ!!」


 晶の額に浮かぶのは玉のような汗。

 この世界の魔法を使うときには、強く意識を集中する必要がある。

 呼吸を止めて——手の届かない杖の先にを込めて——さらに深く息を止めるように、一点を除いた視界が暗くなるほど強く見つめて——頭の中でトリガーを——


発火イグナイトッッッ! ——ぁ?」


 これは会心の出来だと思った直後、くらり、と視界が揺れた。——まずい。


 過集中で、息をすることさえ忘れてしまっていた。眼球が跳ね上がったかのように、黒目が意識することなく上に動いて、下から順に視界が失われていく。それが、これまでの魔法の修行で何度も経験した、失神の予兆だと晶は気付いていた。


「晶さン!」


 アイシャが飛び出して松明をかざして晶を守れたのは、不思議な魔法に意識を奪われていたための偶然だ。


 ——ギギギッ! ギャッギャッ!


 そして、最後に晶が放った、これまでの三倍近いサイズの火の玉が、血吸いコウモリに獲物を諦めさせたのは必然——。


「……ちょっと、あぶないところでしたね〜」


 血吸いコウモリ達の血や肉片で汚れた槌矛を一度大きくふって、血振りをしてから、祭理はため息をつくと、安堵に胸をなで下ろした。

 

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