離別

 裏山から鈴虫の音が聞こえる。と言っても徒然に一句詠もうとは思えないほどの大合唱であり、集中をそがれた十兵衛は悶々としながら書を閉じた。そして大の字になって天井の一点をただ見つめてみる。そのうち徐々に気が静まって来るとともに、不思議なことに鈴虫の音もおのずと小さくなっているような気がした。そうしてほのかに聞こえる秋の音に思わず身を任せると、この途上で常に十兵衛を湧きあがらせてきた逸る気が押し寄せ、思わず口元が緩んでしまう。すると心地よかった音が再び爆音に代わり、幼子のような自分に腹が立った十兵衛はすっと起き上がる。そして明日の行程を確認しようと脇にあった地図を開いた。

十兵衛が今いるのは稲葉山から数里離れた村落の家屋で、明智長山からは通常一日の道のりである。というのも天文二三年の夏に隠居した道三への挨拶の名代を光安から託された十兵衛が、久方ぶりに明智城を離れ稲葉山へ向かうこととなったためである。自ら志願したことではないのだが、「うぬが行けば、大殿も喜ばれよう。」という叔父の心配りでこの命を授かった十兵衛は、久しく会ってない師の顔を思い浮かべながら居ても立っても居られずその日の内に出立し、足早に駆けた結果日が暮れる前にはここへ到着してしまった。

「兄上も、道三公の事になると目の色が変わりますな。」

出立の折に弥平次から軽口を叩かれてしまったが、ここに来る足早な自分を振り返れば言われて当然の事だと思ってしまう。しかしながらその一方で「それも仕方ないことだ」とも思う。なぜなら道三に直接会うのは十兵衛が稲葉山を離れて以来で、その間実に九年もの年月が流れていたからだ。この九年で道三は主家である土岐氏を追放し念願の美濃国主となったのを皮切りに、南の織田や北の朝倉としのぎを削りつつ、名実ともに戦国大名としての地位を確立した。実際に十兵衛も天文十六年におこった加納口の戦いでは城下より退却する織田勢と対峙し、叔父と共に戦い勝利に貢献したが、織田方が城下を焼き払ったため後処理に忙しい道三には会えずじまいであった。よって今回が正真正銘の再会であり、そのため心躍らずにはいられず、夜半を過ぎても全く眠気が来ないままただ闇の静穏と虫の騒音だけが時を進めていくのであった。

 翌朝になって従者が迎えに来たが、あまり眠れなかったために目が充血してかなり驚かせた。事情を話すと「若にも左様なことがあるのでげすなあ」と笑いながらも分かってくれたようだ。若干の眠気を感じたまま支度を済ませ馬にまたがる。城下までは一刻ほどで着くためそれまでに眠気を覚ましておこうと思い従者と話していると眼前に稲葉山が見えてきた。美濃尾張全体のど真ん中にそびえる稲葉山はまるでそこだけが異世界から飛んできたかのように異質であり、またその異質さは同時に稲葉山の荘厳さを強調している。そしてこの九年間忘れることのなかった山を目の当たりにして真っ先に十兵衛が感じたのは、例の悪しき気、そしてその中でも最も悪い部類のものであった。これは言わば十兵衛の直観であり、戦国時代に生まれついた一部の人間が持つ才能ともいえる。これを感じた暁には必ず良くない事が起こる、十兵衛がそれを初めて味わったのは亡父が自刃したあの夜であり、その後もその度合いは大小あれど常に十兵衛が感じてきたものであった。

 稲葉山の城下は当時「井ノ口」と呼ばれる城下町が山の南部に広がっており、畿内と関東を結ぶ交通の要衝として栄えていた。尾張津島や能登三国湊から荷揚げされた物品が北は今津から関ケ原を、南は清州、那古屋を経由してこの井ノ口にて中山道に合流する。東からは関東、奥州、西からは京、西国、そして宣教師などが持ち寄る南蛮ものまでが集積した。それゆえに日ノ本津々浦々から様々な情報も集まり、十兵衛もよく上方や関東の情勢を商人から聞いたものだった。そのため城下に軒を連ねる屋敷からは「十兵衛さまじゃ」と声をかけてくる者もおり、会釈をしつつ大手口をめざした。先ほど遠望した時に感じた例の「悪しき気」は偽りであったかのような盛況ぶりにそっと胸をなど下したが、往来に紛れて足早に駆け抜けていく武士たちの面持ちは何か暗い影を落としている。ふと見上げた稲葉山、城下の者は金華山と呼んでいる、には天文八年に道三公が建てた櫓が見え、往来も道半ばを過ぎるとその麓に位置している斉藤家の居館が見えてきた。

「あれですな」と従者が確認したのに軽く頷き、馬上で身なりをもう一度ただす。道三は隠居後、稲葉山からほど近くの屋敷に移ったそうだが、今は隠居によって生じた所用を片付けるため居館にいるということで、十兵衛は胸の高ぶりを抑えつつ居館のみを見つめて歩を進めた。館の門に近づくと「何用でござるか。」と門衛に止められた。事情を話すと「然らば」と通してくれ馬上より降りる。従者が厩へ行っている間十兵衛は辺りを見回しながらふっと息をついた。風景こそ変わらぬもののやはり何かが以前と異なる。城下をいそいそと通り抜けていた武者もそうだったが、館内もまた不穏な面持ちでそれぞれが仕事をこなしている。尾張や近江との戦が近いなどとは聞いていないため大殿の転居が遅れているのだろうなどと考えていたら従者が戻り、いよいよ対面の間へと向かった。

 通された間にはまだ道三はおらず、しばしお待ちをと促されるまま座った。二階建ての居館には大小数十の部屋があるが、この部屋は道三が思案に耽る際、十兵衛ら後進に講釈をする際に使っている部屋であり、印象は変わっているものの懐かしく思えた。これも道三の心配りなのであろうと嬉しく思っていると足音が近づいてきたので、十兵衛は姿勢を正し、平伏して待ち構えた。

 「久しいの、十兵衛よ。」と嗄れ声が聞こえ、横を通り過ぎて座った。恐る恐る顔を挙げるとそこには懐かしき師が微笑んでいた。

「間を随分と空けてしまい申し訳ございませぬ、明智十兵衛光秀、ただ今参上仕りました。」

「うむ、誠に久しい、息災であったか。」

「はい、叔父である光安殿のもと研鑽を積んでおりました。」

「そうか、光安をはじめとする明智の者も変わらないようじゃの。」

一人ひとりの顔を思い出すように目を細める道三に、十兵衛は老いを感じた。九年ぶりな故のノスタルジーもあいまってか、かつての蝮、斎藤道三が放っていた覇気は鳴りを潜め、何かもの悲しいものを感じてしまう。

「ふっふ、そちにしてみたら随分と老いたであろうよな、十兵衛」

この人は相変わらず末恐ろしい方だ。あまりに鋭利な洞察をくらった十兵衛は思わず笑ってしまった。笑みを残しつつ「すみませぬ」と謝ると、道三は「ふむ、ふむ」と呟きつつ姿勢を崩した。

「これは用向きも言わず申し訳ありませぬ、こたびは光安殿の名代としてご隠居のあいさつに参りました。」ここまで述べたところで十兵衛は脇に置いてあった重箱を進上する。光安と話し合って決めた道三への進物である。

「ほう、これは」蓋を開けた道三の眼がキラリと光る。

「はい、明智家には代々伝わっておりまする滋養に効く漢方、更には唐土の書物を何点か見繕ってまいりました」

「詩書に軍法書まで、よう手に入ったのう」

「ええ、誼を通じる商人が見つけてまいりまして。」

既に道三が目を通したものもあるのか心配だったが、どうやら杞憂に終わったようだ。そのまま稲葉山や道三の体の様子を聞こうと思っていると、

「十兵衛、そちは幾つになった」

と道三が聞いてきた。

「は、二十六になりもうした」

「時節が過ぎるのは早いものよな、そちを早く稲葉山へ戻しておけば良かったと考えることも少なくなかった。」

「恐れ多いことでございます。」

「ふむ、久し振りの」






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

金柑の軍配 瓜生 蛟 @ken_k

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ