【日常】名賀かがし【人蛇の話 弐】

                    ◇



 市内中心の繁華街は、今週末も賑やかだ。

 通りを行き交う人、人、人。その中に混ざる異形の姿も特に注目を集めない。

 騒がしい音に満ちた街の中を、私と宮雨みやさめは並んで歩く。


「で、今日はどこまで行くつもりよかがしさん」

「どーしよっかなー……宮雨どっかお勧めのところとかない?」

「いや、男にその辺の話フるなって。服なんざ母さんが買ってきたものオンリーですよ?」


 言われてみればそりゃそーだよね、と一人勝手に納得する。オシャレに割くようなお金があったら多分えっちな漫画とか買ってくるだろうしこのネコミミは。


「えーと、その目はなんですかかがしさん、なんかめちゃんこ軽蔑するような目!」

「べぇーつにー?」

「ぐおおおお、そんなにノーファッションセンスは罪か! 罰か! ドストエフスキー!」


 勝手に勘違いして耳を押さえて悶える宮雨。


「てか去年あたりまで馴染みにしてた店――にはあんま行きたくねえんだっけか」

「……まあね」

「………」

「あそこあんまり人蛇用の下着類売ってないんだよねー。まとめて買うときには面倒で」

「……あー」


 中津国市なかつくにしは異族の街だ。とは言っても全てのお店が全ての種族に対応した服装を取り扱えると言うわけじゃ当然ない。中津国市が今のような街になる前からあったような服屋だってたくさんあったりするわけで、そういう店はやっぱり普通の人間に合わせたものをメインに取り扱うことになる。私だって当然トップスは昔から着てるのと同じシリーズを選べるわけだけど、下半身の方はやっぱり今まで通りにはいかないわけで。


「第一あそこスポーツ用品重視で、今の私には関係ないし。もうちょっとさ、ヒラヒラキラキラしたような感じの服がある場所とか行ってみたいかなー、私としては」

「ヒラヒラした服を着たかがしねえ……ぷくす」

「……(かちんっ)」

「ぎゃーかがしさん往来でそんな激しいのはダメダメ痛い痛いぐにゃー!」


 失礼な猫に容赦なし。

 ……そんなに似合わないかなぁ、私。


                    ◇


 で。

 結局話し合いの結果、買い出し先は困った時のデパート閣下にお頼み申すということに。

 デパート閣下はとても便利だ。服飾食品玩具からお土産に宮雨が好きそうな本の部類まで、迷ったらまずはここに行こうでなんとかなる。素晴らしいかな現代文明!


 目的地が決まった私たちは雑踏の中をまっすぐ歩く。

 大通りの交差点へ差し掛かったところで、ふと私は立ち止まった。


「またここでも流れてるかー……」

「ん?」

「あれよあれ、最近話題の殺人事件のテレビニュース」

「あー、あの現代の人狼伝説なんて騒がれてるアレ」


 首を少しだけ上にあげ、ビルの壁面の街頭ディスプレイを見上げる私たち。

 画面に映るアナウンサーの女の人は、無感情な声で悲惨な出来事を読み上げる。


 路上で見かける動物の死骸が、なんだか最近増えている。

 地元の新聞の投書欄にそんな言葉が載ったのは、今から二ヶ月前のこと。

 路上に散らばる血と肉片。びちゃびちゃになった臓物の破片。

 野犬でも逃げ出していたのだろうかと、そんな感じに困られていた。

 ――散らばる臓物の持ち主が、人間になるその時までは。


 犠牲者の数は既に四人。

 鑑識官の話によれば、犯人は大型の肉食獣だと言われている。

 プロファイラーの話によれば、場所や時間は人間の仕業だと言われている。

 獣の仕業か人の仕業か解らない、ただ残されてるのは食いちぎられた屍体だけ。


「人狼伝説――」


 呟く。そんなオカルトじみたものが、まだこの時代に残っているのかと思いながら。

 この時代でオカルティクスを信じるなんて馬鹿馬鹿しいと、知ったふりした大人は言う。

 人蛇はただの欠損で、花精はただの皮膚病で、吸血鬼はただの血液嗜好。かつて幻想と呼ばれたいろんなものは、もはやただの病気にされてしまってもう七年。現実と化した幻想は、日常の邪魔でしかないと誰もがうんざりしてぼやいている。


 だけどこんな時代だからこそ、オカルティクスは冗談にならないと心の一部が叫んでる。

 人の肉を喰らう狼も、人を惑わす妖精も、理不尽な祟りの降り注ぎも、それが本当にありえるかもと、幻想を思える時代が今なのかもと――


「かがし、」


 宮雨の声に、私は慌てて現実に戻った。

 大通りに流れる信号の音が、そろそろ赤になるよと告げていた。


                    ◇


 デパート閣下というのは、県下最大規模のデパート『SOROMON』に付けられた渾名だ。由来はCMに使われていた芸人ソロモン吉田閣下から。おばけのような派手なお化粧と特徴的な高笑いで有名な芸人で、小学生時代はそれを真似するのがクラスで大流行してた。

 デパートの方も芸人の閣下に負けず劣らず派手な装飾で、壁一面の垂れ幕とかデパートのマスコットの似顔絵とかでごちゃごちゃとしている。品揃えは文句ないんだけど入るのにちょっと躊躇する人も出てるんじゃないかなあ、コレ。


「――さて、と」


 その三階、婦人服売り場の前で、私は気合いを入れる声を出す。

 新しい服を買うというのは、女の子にとっては戦いだ。莫大な量の服の山からイイ感じのものを見つけ出すための判断力。その服を着た自分を正確にイメージするだけの想像力。大量に買ったものを持ち歩くための腕力。時間内に回りきるだけの速度力。そしてもちろん予算を蓄える財力。多方面にわたる女子力を求められる、総合競技に他ならない――!


「行くよ宮雨! お買い物タイムの始まりだ!」

「あ、俺ちょっと買うものがあるんでパス」


 いきなりずっこけた。


「えー!? ちょっとここは付いてきてくれる場面でしょ!?」

「いや、残念ですけど俺にも買いたいものがあるわけでしてねかがしさん!」

「どうせエッチな本とか買ってくるつもりでしょ宮雨のエッチドスケベ変態にゃんこ!」

「ちげえよマジカルプリティ☆キルケーちゃんをそんな使い捨てエロアイテムと一緒にするな! あれは十年先にも残したい漫画だね! サブカルという名の芸術だね!」


 きしゃーふしゃーと睨み合う私と宮雨。

 お互いの視線は交わって、一つの合意を掴んでいた。

 この勝負、きっとお先に動いた方が――


「――っ」


 宮雨が跳ねた。猫特有の軽い身のこなしでバックステップ。

 それを何時ものように尻尾で捉えて巻こうとして、大変なことに気がついた。


「はっはっはー、人のいる場所で騒いで暴れちゃいけないんだぜかがしさーん」

「それはこっちのセリフだぁぁぁぁ!」


 叫ぶ間にも宮雨はひょいひょいひょいと飛び跳ねて、あっという間に尻尾の先が届かない距離に。そしてそのままエレベーターの方へ去っていく。逃げ足だけは早いんだから!


「……はあ」


 腰に手を当てため息一つ。こういう時は付いてきてもらいたいものだってのに、本当宮雨は乙女心がわからない奴だなあと呆れた気持ちを抱いたりして。女の子が服を買いに行くというのがどういう意味を持っているのか、保険の授業でちゃんと教えといたほうがいいよね、きっと。

 なんかよくわからない方程式とか現代で見かけることないような変な言葉の意味を教えるとかよりも、絶対世間で役立つだろうに乙女心のエデュケーション。


「……あれ、先輩?」


 学校教育の無駄さ無意味さを嘆いていた私に、横から声をかける人がいた。

 振り向く。登りエスカレーターの方から歩いてくるのは見知った顔の女の子だった。


「あれ、かばねちゃん?」

「ええ。あなたの後輩、礼近らいちかかばねです。名賀先輩」


                    ◇


 礼近らいちかかばね。中津国高校なかつくにこうこう生徒。陸上部所属の一年生で、一月生まれの水瓶座。好きなラーメンは醤油スープ。苦手なことは靴紐結びでマジックテープ式のスポーツシューズを履いている。種族は私が見た限りだと、どうやら未だに普通の人間。


 私がいた頃の陸上部では期待の新人とか言われてて騒がれてたけども、今は果たしてどうなのかなと。


「いやいや奇遇久しぶりー。夏以来だっけ?」

「そうですね。先輩あの夏以来陸上部うちに顔出しませんでしたし」

「…………」


 うわーいイキナリ答えづらい直球が飛んで来ちゃったぞーと。残念ながら球技についてはご無沙汰な私にはそのストレートボールを受け止めることも蹴り返すことも出来ないのだった。ていうかそもそも蹴り返そうにも足がない。会話はサッカーじゃなくてキャッチボールでお願いしたいものだよね! ハハハハハハ!


「何を引きつった笑い顔しているんですか先輩」

「……ななななんでもないよ? 強いて言うならあっちの方にソロモン吉田閣下が歩いてたのを見ちゃったせいだよ!?」


 とっさの冗談で強引に誤魔化す。それにかばねちゃんは半目になって、


「閣下は芸能人なんですからこんなとこにいるわけないでしょう先輩。芸能人といえば東京の放送局の中やイベント企画の無人島で過ごしているに決まっています」

「いやそれはそれで偏見だと思うな……」


 だけど閣下の日常生活とか想像が出来ないというのは私も同じか。いくら芸風がガングロ自称大悪魔だろうと、正体が人間である以上オフの日だって存在するはずなんだろう。だけど全然イメージ出来ないあたり、プロのキャラ作りって半端ないなと思ってみたり。


 さて、居ない閣下の話はともかくとして、今の相手は目の前にいるかばねちゃんだ。

 先輩後輩の間柄ではあるんだけども、実際一緒にいた期間は夏になるまでの短い時間だったしなあ……。向こうは私に懐いていたけどそれでもブランクは半年近く。正直話の中身に困るといいますか。


「えーと、かばねちゃんは今日どうしてここに?」

「服屋に来る理由なんて服を買いに来る以外ないでしょう、先輩。強いて言うなら冬用のズボンを買いに来ました」

「あー。そろそろ冬本番だもんねえ。お姉ちゃんも上着込まないとなかなか外出れない」

「……ああ。その下半身だと合う防寒着とかなさそうですしね」

「ついでに半分変温気味だしねー。あーヤダヤダ、早く春が来て欲しいものですわ」


 長い舌を出して笑ってみせるが、対するかばねちゃんは無言。

 どうしよう、あっという間に空気が冷えていたたまれないぞ。


「あー、んー、と、ところで最近陸上部の方どう?」


 何か言わなきゃと焦った結果、そんな質問が口をついた。

 人蛇になってからなんとなく足が遠のいて全く顔を出していなかったのもあって、知りたいなという気持ちも少しはあった。あったけれども。


 それを知って、私は一体どうする気なのか。


 自問に答えが出ないまま、口にした問いに後悔をして。



「停部中です」

「……えっ?」



 あっさりと言われたその言葉に、私は一瞬凍りついた。


「待って。今、なんて?」

「ですから。現在陸上部は活動停止中です」


 ブラックアウトしかけた意識を引き戻す。

 活動停止。そういう言い方をするってことはかばねちゃん一人に何かあったわけではなく、部活全体に何かがあったということだろうか。


「覚えてます? 三年生の倶猛くもう先輩」

「……あー」



 苦虫を噛むような顔になりながら、私はその名を思い出す。

 忘れられるわけがない。あの迷惑な先輩は。

 倶猛くもう先輩は簡単に言えば、ダメな先輩のステレオタイプだ。年功序列をタテにする。暴行スレスレの体罰をやりたがる。可愛い女生徒相手にはセクハラじみたことをいう。当然部員全員から憎まれていたのは言わずもがな。いつか何かをしでかすだろうと薄々思ってはいたけれど、本当にその日が来ていたのか。


「女性襲ったらしいです。あの人」

「…………」


 襲った、というのはやっぱり想像通りの下世話な意味なんだろう。その光景をちょっとだけイメージしそうになって、頭を揺らして振り払った。


「その後も余罪が出るわ出るわ、連鎖的に他の先輩の飲酒喫煙がバレるわで。

必然そのまま活動停止で、再開の目処も立ってないです」

「……それって何時から?」

「夏の終わりからです。……やっぱり知らなかったんですね」


 かばねちゃんの冷たい目線を向けられて、石化したように動きが止まる。

 自分がかつていた場所からどれだけ目を背けてきたかを、その視線から思い知る。

 だけどもしかしそれ以上に、昔過ごしていた場所で、事件が起きたのがショックだった。


「知らないことはいいんです。先輩はもううちの部活には関係のない人ですし、そんな体ですから近づくのもなんとなくはばかられるというのも理解してます。第一この事件だって倶猛先輩一人が勝手に部活と関係ないところでやらかしたことの余波がやってきたことで、先輩の体同様どうしようもないことですから気に病まなくていいんです」

「……ごめん」


 なんとなく、謝罪が口をついて出た。

 かばねちゃんの言う通り私が謝るようなことなんて何一つないはずなのに。

 足元……下を見る。マリンブルーの蛇の尻尾。走れない私の体。幻想の病に理由を求めたところで、そこには無意味が帰ってくるだけだろうとわかっているはずなのに。


「……謝らなくてもいいです。困ります」


 間に流れる湿っぽい空気。


「――あら?」


 それを音立て破るように、知ってる声が鼓膜をついた。


                    ◇


「剣月さん?」

 なびく金髪笑顔の細目、クラスメイトの吸血鬼、剣月まおりがそこにいた。

 その格好は現代日本に不似合いすぎる、ひらひらだらけの紅色のドレス。デパートの婦人服売り場には売ってない、もっと専門店とかコスプレショップにいるべきような服装だ。


「こんなところで出会うなんて奇遇ねっ」

「奇遇ね、って剣月さんさっきまで幻燈町げんとうちょうにいたはずじゃ」


 問いかけに剣月さんはくすくすと口元で笑うだけで、こちらに答えを返さない。

 普通に考えるのなら私たちの後のバスに乗ってきたんだろうけども、そんな当たり前の答えであってるような気がしないのが剣月さんの存在感というかミステリアスというか……。


「先輩。この人どなたです?」


 かばねちゃんが不信感をあらわにした半目でこちらに視線を向けてくる。単純な異形程度ならともかく、こんな派手なドレスとか普通見かける機会ないもんなあ……。一体どこで売ってるんだろう、縫製や生地からして何かの漫画のコスプレとかじゃなさそうだし。


「あー、こちらお姉ちゃんのクラスメイトの剣月まおりさん。吸血鬼」

「おそっちゃうぞがおー」


 牙を見せてケダモノのポーズで凄む剣月さん。

 あ、かばねちゃん引いてる。


「………」

「ふふ、冗談よ。あなたが礼近かばねちゃんね。うんっ、よろしくお願いするわ」

「先輩。どうしてこの人私の名前を……」

「あー、うん。こういう人なのさ剣月さんは」


 なんでも知っていることといい、それでいて自分について語らないことといい、剣月さんは謎が多い。それでいて噂での出番は多く、元華族の名家のご令嬢だとか、ペットに猛獣を飼っているとか、極道の偉い人と知り合いだとか、自分でも数千万円を稼いでるお金持ちだとか、真性の同性愛者でお姉さまと呼び慕う義妹たちが山ほどいるとか(最後の一つだけは半分正解。飛倉とびくらさんと付き合ってるが一対一で、自己申告だとどっちの性別もいけるクチらしい)、色んなことを言われ放題言われてるけども本人は黙ったままで否定も肯定もしていない。彼女に匹敵するぐらい謎なのは多分クラスメイトどころか学内にすらいないだろう。

 ……いや、一人だけいるか。半年前の夏の終わり。記憶が消えて突然別人のようになったクラスメイトが。


「ところで剣月さん、今日は一体どしたの?」

「私の知り合いがね、今度こっちに引っ越してくるって聞いたからお祝いなぐさめに何か贈り物でもしようと思って」

「あー……」


 中津国高校は転入生が多い。もちろん理由はこの街が掲げている特定症候群対策支援。

 目の前にいる剣月さんも、それを理由にした転校生の一人であって。

 この街に引っ越してくるというのは、言うまでもなくそういうことが理由なんだろう。

 その相手(彼? 彼女?)も何かを諦め来るんだろうか。春の終わりの私のように。


「ところで先輩は何しに来たんです? 私はさっき言ったように冬のズボンを買いにですが」

「名賀さんは彼氏とデートで来たのよね?」


 物思いに耽っていた私めがけて、突如核ミサイルが飛来した。


「ででででででででででデートっていやお姉ちゃん違うって言ったよね」

「先輩……彼氏がいたんですか?」


 拝んでいた神様の像にたぬきの尻尾が生えていたのを見てしまったみたいな顔でかばねちゃんがおののく。だから誤解、誤解なんだってばどうしてそういう表情になるかな!?


「男の子と一緒にお出かけするのは一般的にデートよね?」

「男……お出かけ……服……下着……勝負……夜の運動……」

「ちょっと待って待って待って一体何を想像してるのかなかばねちゃん!?」


 そんなの聞かされたら連鎖で想像しかけるじゃんかもう!

 思い浮かんだえっちなイメージを振り払いながら、剣月さんを締め黙らせようと尻尾を振る。だけど相手は素早くひょいひょいと動き回ってほんのちょっとも掠らせもしない。まるで霧をつかもうとするかのようだ。相手はオカルトの吸血鬼じゃないんだから、そんな変身したりとかないはずなのに。


 私の猛攻を軽々といなしながら、剣月さんは何時もの笑顔を浮かべたままで、


「さて、立ち話をしてるのもなんだし、女の子らしくショッピングでも始めましょうかっ」



                    ◇

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