ダルテバスへ連れて来られてから、数日が経過した。

 日中はずっと、歩きっぱなしだ。車もなければ自転車もない。徒歩での移動は非常につらい。つらすぎる。

 動物に荷車を引かせている商人とすれ違うたびに、あの荷台に乗り込みたいという切なる思いが湧いてくる。

 足の裏はすでに豆だらけ。豆が潰れて痛いどころの騒ぎではない。

 私はここ数日ですっかりホコリっぽくなってしまったシャツと靴下、それからスカートなどを川にて部分洗いしていた。


「休憩を摂っている暇はない。早くルルロへ帰らねば」


と言うカイに対し、懇願して……ようやくこうして洗濯することができている。

 ちなみにそれに伴い、通り道にあった露店で叩き売りされていた簡素なワンピースを着用している。

 靴下は売っていなかったため、履いていない。

 現在、私は素足のままローファーに足を突っ込んでいる。蒸れてしまうとか、そういう心配をするリミッターなど、既に振り切っている。


 しかも……。


(ここの世界の人たちって、みんな背ぇ高すぎ)


 私の身長は160センチ。特別小さいというわけではない。だが、ここの世界の基準からすると小さいみたいで。露店のおばさんから「もっと食べさせてもらいな。小さすぎるよ」と言われてしまった。……よって、露店で売られていた際はふりふりのレースがついていたワンピースの裾は無残にも味気なく裁断されている。いや、レースがついたワンピースが良かったということではない。

 ただ、元々そういうデザインだったものということもあり、私サイズに裁断したことで微妙な感じに仕上がっている感は否めない。


 ……同い年であるセイラ。彼にしたって、高校の同級生だった男子たちに比べてかなり背が高い。容姿的にも身長的にも言葉的にも――言葉に関しては何故か全て理解できるが――、いきなり外国へ放り込まれたような感じだ。


 ……いや、ここは異世界だから……外国などよりももっと遠いところなのだが。


 こうして屈んで洗濯している間も、絶えずじくじくと足は痛んでいる。

 小休憩を摂るたび、セイラが癒やしの魔術をかけてくれるものの、彼はものすごく治癒魔術が苦手らしく。足に軽いやけどを負わされてしまったことは一度や二度ではない。


「コトネ」


 そこへ、セイラが私に呼びかけてきた。首を捻って顔だけ彼の方へ向ける。治癒魔術をかけてくれようとしているのならば、断ろうと思いつつ。


「もうすぐ、王都・マノボロへ着くらしい」


 はい、とセイラが小さな紙切れを差し出してきた。


「これは……?」

「通行手形。カイが用意してくれた」


 どうやらこの紙切れが、バムール帝国の王都へ立ち入るために必要になるらしい。基本的に各所にある役所で手続きをし、数日から一ヶ月ほど待たなければ入手できないということだが……どうやってこれを三人分用意したのだろう。

 聞いても「マーエラ大聖堂の関係者なんだから、当たり前だ」という返答が来ることは間違いない。

 カイは何から何まできちんと手配してくれている。食事にしたって、衣類にしたって。完璧だ。しかし、過ぎたる完璧は胡散臭さを感じさせる。

 私をこの世界へ連れてきた張本人・カイ。彼は一応、どうして私をここへ連れてきたのかについて説明をしてくれた。しかし、納得できる説明内容かと言われればそれは違って。

「詳しいことは、目的地に着いてからだ」の一点張りだ。

 じりじりと、太陽の日差しが私の背中を焼く。


「……コトネ」

「なに?」

「これは、もう捨てた方が……」


 セイラは、ボロボロになった高校指定のカバンと制服を指差してくる。私は強く首を左右に振った。


「これがなかったら、私……もう帰れない気がする」

「そんなことはない。元の世界の持ち物があるなしに関わらず、ちゃんと帰ることはできる」

「うん――でも、やっぱり持っておきたい」


 私は、ぎゅっとカバンと制服を抱きしめた。



 ◇



 太陽が中天にかかる頃、私とカイとセイラの三人は王都・マノボロへ到着した。港町として栄えているバムール帝国の王都。皇帝のお膝元ということもあり、都は人であふれかえっている。潮の香りが鼻孔をくすぐった。


「とりあえず、軽く昼食を摂るぞ」


 カイはお腹を押さえながら、適当な食堂へ入った。ここまで来てわかったこと。それは、カイがかなりの大食らいということだ。軽く昼食、と言っているが彼の“軽く”は私やセイラの腹八分目以上である。

 昼食後、私たちは船着き場へ足を運んだ。

 そこには大きな船や、一人乗りと思われる小さな船まで所狭しとひしめき合っている。

 ここに来たということは、船へ乗るのだろうか。

 カイはすたすたとたむろしている船乗りへ話しかける。上機嫌で話していたカイだったが、だんだんと表情が暗くなっていく。


「何……? 順番待ち……?」

「ああ」


 眉をひそめるカイに、船乗りは肩を竦めた。

 最近、バムール帝国が諸国と戦争をしている影響で、出国する人が増えているようで。それもあって、船は順番待ちらしい。


「我々はマーエラ女王の命を受けし者。融通を――」

「あー無理無理。そういう特例があったとしても、少ししか順番を前に動かせねえよ」


 船乗りは粗野な口調でそう言い、手でカイをしっしと払った。それに対し、カイは歯軋りしながら引き下がった。

 私はカイが船乗りと話している間、セイラとともに近くにあった家の壁に寄りかかりつつぼんやりとしていた。

 船の上空には、カモメのようなそうでないような鳥がたくさん飛んでいる。

 私が寄りかかっているレンガを合わせて作られた家は、海のすぐ近くということもあって塩がこびりついている。それが背中にゴリゴリ当たって少し痛い。

 ……足許に広がるレンガは赤・黄色・オレンジ色。カラフルな色合いが目を刺激する。

 そんな私の横で、セイラは樽の上に乗って足をぶらぶらさせていた。


「はあ……」


 溜め息を吐きながら、カイは私たちの方へ戻ってくる。


「バムール帝国は、マーエラ教徒よりも六光神ダルテバス教の信仰者が多いから……。マーエラ女王の名を出したところで融通してもらうことは難しいよ」


 そう言うセイラに、カイは髪を掻き上げつつ首肯した。


「ああ。……どうして放り出された先が、よりにもよってバムールなんだ……っ」


 アワマやゴダ、ヤンラナあたりならマーエラ女王の名を出せば一発なのに、とカイはブツブツ呟いている。


「船じゃなくて、歩いて行くことはできないの――って、そっか。今から行く国って、島国なんだっけ」


 私は自分で自分に突っ込みを入れた。

 すると、カイは「ちょっと違うな」と顎に手を当てる。


「これから船にて向かうのは、正確に言うとルルロじゃない」

「え?」

「マーエラ女王たちが各国へ繋がる糸を垂らして下さっている、『境界』へ行く」

「……『境界』…………」


 知らない単語だ。詳しい説明をしてほしいと言葉にする前に、


「境界には、様々な国の糸があるんだ。そこから、各国へ行く」


とセイラが教えてくれた。

 

 ……まどろっこしい。


「どうして、糸を辿らなくちゃいけないの? そのまま船で行けば良いのに」


 私にとってみれば、この意見は一般的なもの。

 しかし、ここでは違うようだ。ぎょっと目を剥くカイの顔を見た瞬間、私の考えがこの世界での常識とはかけ離れていることを確信した。


「まさか、それが貴女の住んでいた世界では普通なのか」

「え、はい」

「――この世界は、国同士が繋がってない」


 カイは、そう言った。


「同じ星にありながら、国と国は別次元にある」

「はっ?」


 どういうことだろう。

 大陸同士が繋がっておらず、船や飛行機で移動することになることはわかる。

 だが、国同士が、別次元にあるとは――……。


「君が暮らしてきた場所ところと、僕らの暮らしているこの場所ダルテバスは似ているようで違うもの。この星は数多の星が何らかの力によって結びつけられてできたと言われている。だから断層が生まれ、それぞれ独自の次元にある」

「……な、なんとなくわかったような気がしてきた」


 セイラの小難しい言葉。わかったような気がするとは答えたものの、実は半分も理解していなかったりする。でも、きっともっと詳細に説明してもらったところで理解できる気がしない。



 とにかく、この世界は国同士が繋がっていないということだけ覚えておくことにしよう。



 ◇



「いいか、密輸船には大型も小型もある。ぱっと見は普通の船と同じだが、帆に記された各国のエンブレムが違ったりするから――いや、貴女に言ってもわからないか」

「……そうですね、全く」


 正規の船を融通してもらうことができないのであれば、密輸船を買収する、と言い出したカイ。

 現在、私とカイ、セイラの二手に分かれて船着き場に紛れている密輸船を探していた。まあ、私は全く役に立たないため、ただカイの後ろをついて行っているだけだが。

 港町であるマノボロ。ここは様々な言語が飛び交っている。独特なアクセントやイントネーションの言語たち。しかし、それら全て――私は理解できていた。


「おっかしいなあ。私、英語とか古典とかそういうの全く駄目なんだけど」


 あれだろうか。異世界のものを食べたおかげでこんなことに――……。


「どうした?」

「いえ、どうしてこちらの言語を自分が理解できるかわからなくて」


 ああ、とカイは頷いた。


「貴女をこちらへいざなう際、糸を持たせただろう」

「はい」

「あの数十本の糸は、この世界の各国に繋がる糸だ。あれに触れた者は、その国の言葉を理解し話すことができる」

「…………」

「なんだ、自分がいきなり特殊な能力でも授かったと思ったのか?」


 意地悪そうに口端を吊り上げるカイに、私はむっとする。


「そんなこと――って、でもあなたの言葉は……あの糸に触れる前からわかったけど」


 それは、と今度はカイが困惑する。


「それは俺にもわからない。どうして、貴女がカナルダ語を理解してたか……。本当はすぐに糸に触らせてこちらの言語を理解してもらうつもりだったんだが」

「カナルダ語?」

「ああ。この世界の共通言語だ。最も古いと言われている言語で、基本的にこの世界の人々は自らの出身国の言語とともにカナルダ語もセットで学ぶ。本などはカナルダ語で記されているものばかりだしな」


 カナルダ、という音の響き。たしか、カイがセイラと出会ってすぐに「カナルダの魔術剣士」やら何やら言っていた気がする。

 だが、私はその音の響きをもっと前……幼い頃に聞いたことがある気がして。


(……駄目。思い出しては)


 緩く首を振ってについての思考を停止する。



 ……視界に映る人々。



 本当に、色んな人がいる。肌の色が違うとか、背の高さが違うとかそういうことだけではない。手足が毛で覆われていたり、耳が尖っていたり。異様に口が大きかったり、どう見たって人間ではないだろうと思う者たちも紛れている。

 そんな人々を物珍しげに見ていると、カイが問いかけてきた。


「そんなに亜人が珍しいか」

「亜人という単語すら、聞いたことがないです」

「……亜人は半人とも呼ばれている、人の血が半分しか流れていない種族だ。ほら、あそこにいるのは半人半獣だな」


 重労働をさせられている亜人の少女。彼女は雇い主と思われる者に鞭打たれていた。ぴしゃりという音が痛々しくて、私は思わず目をそらした。


「獣以外にも、魔族・妖精と人との間から生まれた子は、半人・亜人と呼ばれる。合いの子、と言う者もいるな」


 あと……と、今度は透けるように白い肌をした背の高い男性の方を、カイは見やる。


「あれは妖精……リョースアールヴだ。耳が尖っているだろう。それを目印にすると良い。人間の中に紛れて暮らす者も多いが、基本的に人間とは馴れ合わない」

「なるほど……」

「他には地下に住まう者もいる。ドワーフやゴブリンたちだな。彼らはさほど人の町へ来たりしないから、貴女が会う機会はないと思う」


 ディックアールヴと呼ばれる褐色の肌を持つ妖精もいるが……彼らは総じて人間嫌いだとカイは一つ一つ、私が理解しやすいように言葉を砕いてくれた。


「そう、なんですね」

「……それと」


 カイは言うか否か躊躇するように視線を彷徨わせながら、口火を切った。


「滅多に出没しないが、魔物には気をつけるように」

「魔物?」

「もし、万が一ほかに誰もいない状態で、人間でも動物でも、妖精たちでもないものと遭遇したら、全力で逃げろ。絶対に振り向かず、死ぬ気で走れ。……もっとも、ほとんどの者が見たことなどないくらい数が少ない奴らだが」

「そんなに恐い生き物なんですか?」

「生態もはっきりしていない。だから、恐ろしいものかどうかさえ、わからない」


 のそりと現れたセイラは私の問いに対して答えた。


「気配くらい醸し出せ」


 私とともに少しだけビクリとしたカイは、不服げに腕を組んだ。すると、セイラは虚ろな瞳を瞬かせる。


「どうやって出せば良いのかわからない」

「本気で言っているのか」

「…………」


 私は言い合う彼らから少しだけ後ずさり、こめかみを押さえた。

 まさしく、ここはファンタジー世界。

 毎日、少しずつこの世界について教えてもらっているが全く頭に入ってこない。


 ――と。


「…………っ」


 誰かに思い切り手を引かれた。手を引いてきた人はそのまま私を引きずるようにして走り出す。

 あっという間に、カイたちから引き離されてしまった。

 手首を掴んでいる手を剥がそうとするも、かなりの力を込めているようで。びくともしない。

 あれよあれよといううちに、薄暗い路地裏へ連れてこられてしまった。

 これはまずい。

 このまま、身ぐるみ剥がされるのではないだろうか。カバンには防犯ブザーをつけているのだが、こういう時に限って荷物は全てセイラが持ってくれていて。


 ふと、私の手を握っていた人がこちらを振り向いた。私より頭一個分小さな人物――まだ幼さの残る男の子だった。


「あ……っ」


 彼は息を呑み、灰色の大きな瞳を見開く。灰色の瞳を持つ男の子は、慌てた様子で手を放してくれた。


「ちょ――」

「ごめんなさい」


 抗議しようとした私の言葉を遮り、男の子は頭を下げてきた。襟足の長い空色の髪がサラリと流れる。


「お姉ちゃんと間違えちゃって……人買いに連れて行かれてると勘違いしちゃった」


 上目遣いでこちらを見てくる、今にも泣き出しそうな男の子。


「…………」


 本当かな、と警戒するも、見るからに彼は純粋そうで。

 私が答えないでいると、彼は俯いて肩を震わせた。怒られると思って泣いているのだろうか。

 私は思わず、彼の頭を優しく撫でる。


「うん、わかった。別に怒ってないよ」


 だから、泣かなくて良いよと声をかけると――すうっと小さな彼の手が、再び私の手首を掴んだ。


「なーんだ。危機感すごく薄くて拍子抜け」


 さっと、私は顔をこわばらせた。

 俯いていた男の子は、にっこりとこちらへ笑いかけてくる。そして、ニコニコ顔のまま……大ぶりの鎌のようなものを振りかざしてきた。


 ――黒光りする、鎌。


(やばいっ)


 窮地に立たされたとき、人間は自分の思っている以上の力と思考が働くと言うが本当らしい。

 とっさに足を地面に滑らせて、男の子へ向かって砂をかける。

 拘束が緩んだ。

 私はその隙に踵を返し、全速力で駆け出した。


 しかし――……。


 逃げても逃げても、男の子は追ってくる。

 まるで、狩りを楽しむかのように、ゆったりとした足取りで、息切れもせず。

 私は心臓が破けそうなくらい、全速力で走っているのに。

 周囲を見回すも、カイやセイラの姿はない。

 ……闇雲にひた走る。

 とりあえず、不審者に遭遇したときは大通りへ出ろという担任の先生から教わった対処法を思い出し、大通りがあるだろう方角へ向かうも……後ろから肩を引かれた。


「マーエラ女王候補って聞いたんだけど、本当?」


 耳許に、無邪気な声が響く。目だけ声の方を見れば、そこには声色同様、無邪気な目をした男の子がいた。

 言葉と表情だけ見るならば、好奇心旺盛なただの男の子だ。

 しかし、彼が携えている大ぶりの鎌が、ただの男の子ではないことを物語っている。


 綺麗な、銀色の鎌。


 冷や汗が伝った。

 私は肩に置かれた手を振り払い、逃走しようとする。

 だが、いつの間にか進行方向には、女の子が佇んでいて。男の子と同じように、彼女もまた、男の子が持っているのに似た鎌を手にしていた。

 女の子の手足は人間のものではない。先ほど見かけた、半人と呼ばれる種族のものだろう。


「ごめんね、って言った方が良いかな。……バイバイ」


キラキラ光る、灰色の双眸を持つ男の子は、笑みを湛えたままそう言い放ち、鎌を振り上げる。


(もう駄目だ)


 目を瞑ることもできず、私は歯を食いしばった。


 そのとき――……。


「バムール皇帝のお膝元で、勝手な真似をすることは許さない」


 声とともに、重い一撃が男の子へ振り下ろされた。

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