「……僕と一緒に来た方が良い」


 突然、私たちの目の前に現れた黒髪の美少年。彼は表情も、薄い唇も、ほとんど動かすことなくそう言い放った。アメジストの瞳は不思議な輝きを湛えている。


「何を馬鹿な――」


 カイの反論は皆まで続かなかった。

 大音声とともに、その地で行われている交戦が激化したためだ。

 私たちがいるところへも兵士らしき者たちが入り乱れ、一斉に武器を交差させ始めた。


「お前たちも皇帝の犬か!」

「お前たちも皇帝へ刃向かう異端分子か!」


 私たちのことをそれぞれ敵だと認識しているのか、重装備の男たちがこちらへ武器を向けてくる。


「ちっ」


 カイは歯軋りしながら、腰に携えていた剣を鞘から一気に引きずり出し、男たちへ斬り込んだ。

 思わず、ぽかんとしてしまう。

 そんな私の横で、少年もまたカイ同様に剣を構え、ぶつぶつと何やら言っている。

 何を言っているのだと問う余裕はない。

 刹那。

 少年の剣が何やら変な色に輝いた。そして、剣先から炎が舞い上がり……剣全体を包んだ。


「は……っ?」


 素っ頓狂な声が洩れてしまった。

 あり得ない。これはマジックだろうか。

 少年が炎を宿した剣を重装備の男たちへ向かって薙ぐや否や、炎は男たちの周囲に燃え盛り、一気に火柱を打ち立てた。


 マジックなんかじゃ、ない。本物の炎だ。


「カナルダの魔術剣士か」


 いつの間にやら私の隣へ戻ってきていたカイは、少年にそう訊ねた。それに対して少年は何も答えない。


「とりあえず、この場を脱するためだ。今はお前の処遇は保留にしておく」

「……僕は誰の命令にも沿うつもりはないけど」


 カイの尊大な言葉に対し、小さな言葉ながらはっきりと拒絶を示した少年に対し、私は目を見張った。彼はカイから醸し出されている、有無を言わせぬオーラを感じないのだろうか。それとも、カイよりも自身の方が強いと確信した上で、そんな反論を述べたのだろうか。


 ……どちらにしても、カイが苛立ったのは確実だ。彼は唇の片端を引き攣らせた。



 ◇



 数十分後。

 私たちは戦場を脱出することに成功した。

 どのくらいの間、全速力で走ったかは定かでない。心臓が破れそうだ。ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返し、私はその場に倒れ込んだ。


(いやもう……無理無理無理)


 体育の授業で短距離走をやったときですら、ここまで真剣に走ったことはない。それくらい、必死に走った。

 夢だとは思えない、この現実感リアリティ。途中、一度転んでしまった際に膝をすりむいてしまったのだが、ちらりと膝小僧を見ればじくじくと膿んでいて。

 今この瞬間が、夢ではないということを自ら立証してしまった。


(これ、完璧に体ごと飛んじゃってる)


 戦場から逃げ出している途中、意識だけ連れてこられたのでは、という都合の良いことを考えていた。

 しかし、そんな考えは吹き飛んだ。生身の体で、私はここに存在している。

 その証拠に、体が透けていない。

 私は手を握りしめたり緩めたりしながら、ゴクリと生唾を呑んだ。

 幼い頃、糸を手繰り、見慣れない土地の戦いなどを視たことは数度あった。しかし、それはどれも精神体で見たことで。

 私たちが現在いるのは、何もない道だった。あたりには草原が広がっており、頭上には雲一つない空に白い太陽が照り輝いている。


 のどかだ。


 数十分ほど走ったところが戦場になっているなど、誰かに言っても信じてもらえないだろうほどに。

 ここまで来れば大丈夫だろう、とカイは言って剣をおさめた。大ぶりの剣を片手で振り回していた彼。細い体つきからは想像できないくらい、カイは剛腕なようだ。

 カイが剣をおさめると同時に、ともに戦場を切り抜けた少年もまた、布に剣を包んだ。

 ……それぞれ、武器はおさめたものの、二人の間を流れる空気は一瞬即発で。

 何かの拍子に斬り合ってしまうのではないか、と思うほど張り詰めていた。


「名乗るがいい」


 不遜な物言いをするカイに対して、少年は淡々と答える。


「――セイラ」


 ほう、とカイの唇が弧を描く。まさか、すぐに答えるとは思っていなかったのだろう。……私も思わなかった。

 ちなみに、カイは後ろ手にナイフを握りしめている。少年――セイラからは全く見えないだろうが、私の位置からは丸見えで。

 セイラがカイの神経を逆撫ですれば、ナイフがひらめくことになるかもしれない。


(もう、嫌なんですけど……)


 次から次へ巻き起こることに対し、私は疲れ果てていた。めまぐるしいなど、そういうレベルではない。


「俺はカイ。ルルロ教国のマーエラ大聖堂の者だ」

「……僕は、コトネを害するつもりはない」


 きっぱりと、セイラは断言した。そして、彼の視線が私を捕らえる。いきなりアメジスト色をした涼しげな目を向けられ、私はびくりと肩を震わせた。

 そんな私の動作を気にするでもなく、セイラは視線をカイへ戻す。


「彼女に危害を加えないのであれば……カイ。君に攻撃するつもりもない」

「…………」


 カイは訝しげな表情をして私を振り返った。


「知っている者か」


 即座に、ぶんぶんと首を横に振る。

 知っているわけがない。

 セイラは無表情のまま、私たちの前に佇んでいる。

 カイとセイラは顔を突き合わせて言葉を交わし始めた。

 ……小鳥のさえずりが耳をくすぐる。さわさわと、そよ風にたなびく青々しい草と白い花。

 今更、体内を恐怖が這いずり回る。膝の力が一気に抜けてしまい、私はストンとへたり込んだ。

 制服のスカートが砂によって汚れてしまう。それはわかっていても、立ち上がって砂を払うこともできない。ぎゅっと、セーターの裾を握った。


(学校、遅刻かな)


……そんなことを考えて今体験していることから逃避しなければ、発狂してしまいそうだった。


 しばらくのち。


「初代マーエラの子孫よ。立て」


 空と大地の境目って何色なんだろう、などと彼方にある地平線を見つめつつ考えていた私の腕を、カイがぐいっと引き上げた。

 命令口調のわりに、動作は荒くない。非常に優雅で紳士的だ。

 私は抵抗する気力もなく、彼の言葉に従う。


「ここ……バムール帝国から、我が祖国であるルルロ教国まで行くのに、彼の力は非常に使える。だから、セイラもともに行くのを許すことにした」

「はあ……」

「なんだ、その間の抜けた返事は」

「そうとしか、答えられないです」


 私にとってみれば、セイラが加わったとしても加わらなかったとしても、さして状況は変わらないのだから。



 ◇



 気づけば、太陽の色が白から朱に移ろっていた。この世界にも、朝・昼・夕・夜という概念があるのだろうか。日が沈むのはどっちの方角なのだろうか。そもそも、あの光り輝く星は“太陽”と呼ばれているのだろうか。

 疑問は続々と湧くも、カイに問う気にはなれない。

 少年の名前がわかってから数時間。黙々と歩いていた。

 先頭がカイで、そのあとに私とセイラが続いている。

 カイとは一定の距離を取って歩いているから、そのまま逃げ出すことも不可能ではないかもしれない。しかし、そんな体力も気力も私からは枯れ果てていた。

 ちらりと横にいるセイラを見やる。彼は寡黙なのか、私に対して一度も喋りかけてこない。

 太陽の陽にさらされたことがないように青白い肌。陶器やビスクドールと同じような、血の通っていない白い肌を持つ彼。本当に生きているのだろうか。実はただ歩いているだけの屍だったり……いや、そんなわけない。

 だが、そう思ってしまうほどに彼は無表情で、綺麗で、そして白い。真正面から見た際も美しい顔だと思ったが、横顔も彫刻か何かのように整っている。まつげも長い。きっと、友達が見たら頬を紅くしてキャーキャー騒ぐことだろう。


「あの……私の名前をどうして知ってたの……?」


 そんな彼に、恐る恐る訊ねた。

 しかし、セイラからの返答はない。

 私は盛大な溜め息を吐いた。



 ◇



 あたりは次第に暗くなり、夜闇が世界を覆った。ほうほう、とフクロウらしき声が森には響いている。葉ずれや虫の羽音。夜というのは、小さなそれらが非常に耳につく。

 川の音が収録されたヒーリングミュージックCDを、勉強する際によく聴いていた。……リラックス効果あるなあ、とか暢気に考えていたものだ。


 しかし。


 今、近くを流れている小川の流れる音に癒やされることはなく。むしろ、ざーざー

という音がトイレの水を流す音に聞こえてしまってつらい。

 私はごそごそと寝袋の中で寝返りを打った。


(眠れるわけない)


 野営なんて、生まれてこの方やったこともなかった。いや、テントを張ってのキャンプなら子供会などで幾度かやったことはあった。しかし、こんな風に……テントも何も張っていない状態で……本当の意味で野営をしたことなど、一度もなかった。

 私が包まっている寝袋らしきものだって、薄い布きれだ。

 しかも、ここまでかなり歩いたことで汗を掻いているにも関わらず、着替えもなく制服のまま寝転がっている。お風呂に入ることすらできないこの状況。水浴びをすれば良いとカイに言われたが、川の水は鳥肌が立つほど冷たくて。それを全身に浴びる勇気が湧かなかった。

 この国――バムール帝国は『灼熱の国』と呼ばれているのだとカイが道すがら言っていた。その異名どおり、昼間はものすごく暑かった。思わずセーターを脱ぐほどに。

 しかし、反対に夜はぐんと気温が下がる。凍てつく寒さではないものの、春先の夜くらいの気温ではなかろうか。それにともない、川の水も冷たくなってしまったのだろう。

 朝、陽が照れば川の水の冷たさも和らぐだろうが……明るい時に水浴びするのもいかがなものだろう。男だったら、気にせず水浴びできるものを……と思わず肩を落とす。

 そして、目の前にある焚き火を八つ当たり気味に睨みつけた。


(寒いんですけど)


 もっと暖かく燃えろ、と念じてみたが、私の思いに反して焚き火は横風によって少し小さくなってしまう。

 ああ、と小さく声を上げた。

 慌てて口を噤み、近くで丸くなっているカイに目を配る。彼は……寝ているのだろうか。寝息やいびきは聞こえてこない。

 もしかしたら、このまま逃げ出すことができるかもしれない。

 そう思って、カイの様子をもっとよく観察するため、寝袋から上半身を出す。

 すると――……。


「何かあったら、すぐに彼は起きるよ」


 そんな声が、頭上より降ってきた。

 え、と思って首を捻れば、存外近くにセイラがいて。

 彼は、積み上げた丸太に腰掛けていた。薄汚れた外套は乱雑に放ってある。黒のタンクトップのようなものだけを着用している彼。剥き出しの二の腕には、鈍色のアミュレットが嵌めていた。

 私は、ずりっと這いずって寝袋から脱出し、立ち上がると彼の近くへ寄る。するとセイラは、ボロボロの外套を小さく折り畳んで隣へ置いてくれた。


「座るなら、ここへ」

「あり、がとう」


 彼から気遣いなど受けるとは思っておらず、面食らう。

 私が外套へ腰を下ろすと同時に、セイラは焚き火に手をかざした。すると、炎が活き活きと勢いを増す。


「……寝ないの?」


 問えば、うん、とセイラは首肯する。

 そして、彼は空を仰ぐ。つられて空を見やれば、落ちてくるような星が散っていて。

 いつも家の窓から眺めていたのと同じような星々。いや、あちらよりもこちらの方が、たくさんの星が瞬いているけれど。

 ……ふと、視線を星空からセイラへ降ろす。

 星明かりに照らされた彼の顔は、太陽の下で見るよりも繊細で儚げで、作り物めいて見えた。

 ……彼は信用できる人間なのだろうか。

 カイは、駄目だ。彼は私をこちらへ連れてきた人間だから。

 しかし、セイラもまだ信用にたる人間だとは限らない。私の名前を知っていて、そして、何故か私に対して友好的な雰囲気を醸し出している少年。

 誰を信用すれば良いのかわからず、私は膝を立ててそれに顎を乗せた。


「こっそり糸紡いで帰っちゃおうかな」


 呟き、ぎゅっと手を握ってみるも何も起こらない。カイが何かやったのか。私の力は発現しなかった。


「あまり、むやみやたらと力を使おうとするのは良くない」


 ここまで、一度も表情を崩さなかったセイラだったが、彼は私が力を発現しようとしたことに対し、微妙そうな顔をした。


「……マーエラの力は、自身に流れる命の時間を削るものだから」


 え、と私は瞠目した。


「え、嘘……」

「嘘じゃない」

「知、らなかった」

「うん。そうだろうね」


 大半の人が知らないから、と彼は端的に答えた。


「もっとも……僕が嘘を吐いていると思われても仕方ないけど」


 僕は怪しく見えるだろうから、とセイラは自嘲した。

 きっと、どうしてそんなこと知っているの、と訊いたところで答えてはもらえないだろう。

 彼は謎めいている。多くのことを知っていそうだが、大半のことには答えなさそうな彼。

 彼からは、私を害そうとする気配が微塵も感じられない。しかし、距離の取り方を間違えれば、頑なに口を閉ざすタイプだとはここに至るまでに道のりでよくわかっていた。

「どうして私の名前を知っているのか」「なんで私たちがいた場所にいたのか」などという問いに対して、彼は一切答えてくれなかったから。

 私は慎重に彼との距離をはかりつつ質問することにした。


「あの、あなたは何歳?」


 唐突すぎる私の質問に、微かにセイラは目を見開く。

 しかし、すぐに「十六」と答えてくれた。

 私としては、少しでもセイラの心をほぐしつつ、少しずつ自分が知りたいことに関する質問を重ねていく予定だったのだが……。

 予想外に、セイラが私と同い年などと言い出すものだから親近感が湧いてしまって。


「私も十六」


 言うと、セイラは微かに頷いてみせた。表情の変化や相づちに乏しいものの、こちらの言うことには耳を傾けてくれているらしい。


「えっと、ちょっと訊いても良い?」

「……何?」

「ここって……どこ?」


 私が訊ねると、ここは、とセイラは口火を切る。


「……カイからは何も訊いていないのか」

「話すタイミングを計っていただけだ」


 いきなり、三つ目の声が割って入ってきた。


 私とセイラの視線が、少し離れた場所に転がっている寝袋へ向く。

 どうやらカイも起きていたらしい。彼はむくりと起き上がった。


「――ここは、ダルテバスと呼ばれる星にある、バムール帝国。南方の国だ」


 セイラはカイが起きたことに対して何も言うことなく、言葉を紡いだ。

 ぱちぱちと爆ぜる焚き火の明かりを頼りに、セイラは剣先で何やら地図のようなものを描き始めた。


「そして、カイが君を連れて行こうとしているのが、ここ……ルルロ教国。東方にある、島国」


 セイラが描いたものは、大きな大陸の端っことおぼしきものと、小さな島々のようなもの。


「島国」


 セイラの言葉を私は復唱した。彼が描いたルルロ教国の形は、非常に日本に似通っていた。

 カイは眉根を寄せる。


「どうして、バムール帝国とルルロ教国の距離間と形を知っている?」

「……言う必要はない」

「薄気味悪いやつだな」

「その薄気味悪いやつを、連れて行くと決めた君も相当にうさんくさいね」

「…………」


 カイとセイラの応酬は、聞いているこっちがヒヤヒヤする。


「……あと、知りたいことは……?」


 セイラの瞳が私を映した。


「ええっと、あとは――」

「“どうして自分がここへ連れてこられたか”」


 カイが話に入ってくる。


「――というのを知りたいんだろう」

「……うん」


 否定するのもどうかと思ったので、私は素直に頷いた。

 カイは、片膝を立てる。


「貴女の祖先は、初代マーエラという……この世界を救った女性に当たる」

「…………」


 出だしから、壮大すぎる。“初代”“世界を救った女性”というところからして、よくあるファンタジーにありそうな話だ。


「と言っても、初代マーエラがそのまま貴女の祖に当たるわけではない」

「……えーっと……」


 カイ言わんとしていることが、よくわからない。初代マーエラの子孫だと言いながらも、そうではないという。


「初代マーエラの生まれ変わりに当たる女性が、異界へ渡ったんだ」


 疑問符が浮かんでいる私の横で、坦々とセイラはカイの言葉を引き継ぐ。


「……よく知っているな」

「歴史に精通している者なら、誰しも知っている」


 セイラはカイに対して素っ気なく言い返した。


「…………まあ、セイラの言うとおり。マーエラの力は遺伝するものではない。ただ、貴女は初代マーエラの力を受け継ぐ者だという神託が下った。だから俺が、迎えに行った」

「――十六年放っておいて、今更……か」


 ぼそりとセイラが呟いた。


「今だから、だ」


 カイは苦虫を潰したような顔で嘆息する。


「これ以上は、マーエラ大聖堂に到着しないことには言うことができない」


 どこで誰が聞いているともしれないからな、と言ってカイは再び寝袋へ入る。


(どうしよう)



 疑問を解消するはずが、さらにチンプンカンプン状態となってしまった。


 ……そしてその後、私とセイラも無言のまま寝袋へ入り――……。



 私は、眠れぬ夜を明かすこととなった。

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